すでに成り立たなくなっている「福祉」

 フランスのテレビ局制作のドキュメンタリー「捨てられる養子たち」が、BS1「世界のドキュメンタリー」で再放送されました。https://www.youtube.com/watch?v=Cj8FNG3OS7M (いつまでアップされているかはわかりませんが、youtubeに載っています。ぜひ、ご覧ください。)
 
 英語のタイトルは「Disposable Children」。普通に訳せば、「処分できる、自由になる、自由に使える、使い捨ての」子どもたち、なのです。
 
 里親を望む「親希望の人たち」の素性調査さえ出来ない、しないNPOや団体による里親探し、養子の斡旋、ネット上の子どものやり取り、売買に近いような実態が子どもたちの体験を通して報告されます。
 
 こういう風景が日常的に受け入れられている社会がすでに存在している。私は、30年前にこういう社会派のドキュメンタリーをアメリカで次々に見て、衝撃を受け、「親心」という人間性が消えてゆくことの危険性、そして、ほとんどの人間が乳児と一定期間安定的に接することによって、乳幼児たちが社会に満ちるべき人間性を育ててきたことについて、日本で講演したり、本を書いたりし始めたのです。
 当時見たもので、印象に残っている番組の中には、10人に1人の聖職者が信者の子どもに性的な虐待をするというリポート、それだけならまだしも、その神父たち専用のリハビリセンターがアリゾナ州にあって、そこで研修すれば復帰できる、それほど聖職者不足に困っているとか、
 刑務所で、殺人犯たちに不良少年たちを更生させるたまに脅させるプロジェクト、年間10万人という誘拐事件のほとんどが家族を求めての誘拐で、それゆえ9割が解決しない、幼稚園に子どもを入れると将来の誘拐に備えて、「指紋を登録しておきますか」という手紙を園からもらう、など、日本人にとっては、驚くような現実ばかりでした。
 
 「捨てられる養子たち」にも出てきたFASの問題を、ブログ「米国におけるクラック児・胎児性機能障害(FAS)と学級崩壊」http://www.luci.jp/diary2/?p=1428、にも書きました。
 
 伝統的家庭の価値観、Traditional Family Valueという言葉が盛んに使われ、家庭崩壊と学級崩壊が社会問題になり始めた頃でした。
 
 
 市場原理、強いもの勝ち(運のいいもの勝ち)の競争社会(経済競争)の中では、弱者である子どもたちが必ず後回しにされる。しかし、後回しにされた子どもたちの多くは、数十年間その社会の一員として、負の連鎖、人間不信の歯車を回し続ける。この「親心の喪失」という歯車が回りだすと、止めることは至難の技になってくる。
 
 「Disposable Children」を見ればわかると思うのですが、問題なのは、「写真入カタログやネット上の写真を見て、簡素な手続きで身寄りのない子どもを引き取ることができる」、子どもの取り引きを取り締まる法律が出来ていないことなのです。それを作ろうとする議員がいても、数十年間野放し状態という子どもの人権が後回しにされる民主主義の現状なのです。市場原理のようなものに頼らなければ弱者救済ができない、すでに成り立たなくなっている「福祉」がそこに浮き彫りになってきます。
 
 福祉に人間性の代わりはできない。モラル・秩序を社会に保つのは、司法でも警察でもなく、長い間「人間性」だったということ。そして、長い間その「人間性」を支えてきたのが、「子育て」だったということ。
 
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 日本でも「保育は成長産業」とした閣議決定の考え方の流れの中に、すでに福祉で受けきれなければ市場原理に任せればいい、という経済学者の学問的思考が見え隠れしています。(http://www.luci.jp/diary2/?p=252) 先進国で起こってしまった「子育て」をめぐる現実から、「保育は成長産業」という施策を考え直す必要がある、それをもっとマスコミが伝えてほしいと思います。
 
 世界中で起こっている保護主義への流れ、それはいわば部族主義への回帰の流れで、もう無理かもしれない、幻想のようにも思える「家族主義」への回帰とパラレルのように見えます。民衆によって「経済学者」のグローバリゼーション、自由貿易的方針が見放されようとしている時代に、方向性を見出せない日本の政治家たちは、いまだに経済学に頼ろうとしてる。保育(子育て)施策が経済施策に入れられているいま、これは危ない。
 
 子育てや教育の問題を考えるとき、文化人類学的、倫理学的(心理学的)、または宗教学的視点がもっと優先されないと、その本質が見えなくなる。
 
 グローバリゼーションがすでに終焉を迎えていることは欧米を見れば明らかなのに、いまだに小学校における「英語教育」などと呑気なことを政治家たちは言っている。英語は戦うための武器、武器を持つと戦いたくなる、道具を持つと使いたくなる、しかし、果たして経済競争に勝つことに本当の幸せがあるのか、百歩譲って、経済競争に勝つ確率はどれほどあるのか。そうしたことを次世代のために真面目に考える義務が私たちにはある。
 
 この国の文化や伝統、守ってきたものがいま一番地球規模で求められている時に、いまだに失敗した欧米の後を、教育という分野でも追おうとする。そろそろ欧米コンプレックスから卒業してほしいと思います。
 
 (アダム・スミスの国富論の対局に彼自身による「道徳感情論」があって、そのバランスで経済は成り立ってきた。しかし、欧米人は「道徳感情論」が義務教育の普及によって壊されたことを理解しない。「道徳感情論」を「子育て」と重ねることをしなかった。)
 
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 日本でも、保育園で親子を一定時間引き離さなければ子どもの命が危ない、親に子育てを任せておいたら児童虐待に進むかもしれない、だから3歳未満児であっても預かったほうがいい、と言う人たちがすでにいます。
 
 それは現象に対する対処法としては確かにそうなのですが、それで本当にいいのか。対処すればするほど壊れてしまうものがあるのではないか。そして何よりも、税で成り立つ福祉が、将来にわたってそれを受けきれるのか、ということなのです。
 
 アメリカのような、日本の経済学者が女性の社会進出という側面では後を追いたがり、「女性が輝くために、もう40万人保育園で預かります、ヒラリー・クリントンがエールを送ってくれました」と首相が国会で言った、いかにも目標とすべき社会で、子どもたちがこれほど無残に「使い捨て」になっている、それを禁じる法律が作られていないという事実を考えてほしい。子どもを守るための法律を作ろうとすることに「経済」という歯止めがかかっている現実を知ってほしい。そうしたことをもっと日本人は直視すべき、まだこの国なら間に合うから、知っておく必要があると思うのです。
 
 
 
 ドキュメンタリーが映像で語る「毎年里子となる10万人のうち2万5千人が捨てられいる」仕組みの中で、確かに数万人の子どもたちが救われている。この仕組みがあったおかげで、より良い人生を送っているかもしれない。それもまた事実です。日本人には常識はずれに思えるこの合法的な活動が法的に規制されたら、もっと多くの子どもたちが不幸になるのかもしれない、その論法も確かに成り立つ。だからこそ、そうなる前に、もっとずっと手前のところで、幼児と過ごす時間を貴重で大切な時間、と感じる雰囲気や常識を、私たちは保ち続けなければならないと思うのです。
 
 このドキュメンタリーを見て、里親を希望する人にシングル(独身者)が多いことに驚く人もいるはずです。血のつながりを基本とした家庭という定義、イメージが現実には存在しなくなってきている。アメリカにおける誘拐事件のほとんどが家族を求めての誘拐であるのと似ていて、無法地帯とも言っていい里親制度の底辺にあるのは、大人たちの孤独です。しかもそこに性的な欲求が絡んでいる場合が少なからずある、とドキュメンタリーは指摘します。
 
 以前、NHKのクローズアップ現代で取り上げられた中国の状況とアメリカの状況を比較してブログに書いたことがありますが、(「“行方不明児20万人”の衝撃 「中国 多発する誘拐」/アメリカの現実」http://www.luci.jp/diary2/?p=276)、二つの国に共通しているのは、経済政策によって家庭崩壊を進めながら、家族を求める大人たちの欲望により子どもたちの人生が扱われ、翻弄されている、というアイロニーです。
 
 アメリカと中国という、絶対に真似してはいけない二つの国が、GDPでは世界の一位と二位になっているのです。だからこそ日本が三位にいることに意味があると思います。日本という国が選ぶ「子育て」の方向が、人類の歴史にいい影響を及ぼす可能性が十分にある。
 
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「捨てられる養子たち」NHKBS1
 
2017年4月20日(木)午前0時00分~
 
簡単に養父母になり、簡単に解消できるアメリカの里親制度。毎年里子となる10万人のうち2万5千人が捨てられている。子どもをペットのように扱う社会の暗部を描く。
 
体育館に敷かれたカーペットの上を歩く子どもの姿を、両脇で見守る里親希望の夫婦たち。その手元には子どもたちの写真入カタログが。簡素な手続きで身寄りのない子どもを引き取ることができるアメリカだが、その一方で深刻な問題も。14歳でハイチから引き取られたアニータは、5回目の引き受け先が8人の養子を持つ家庭で、養父は小児性愛者だった。育児放棄や虐待の結果、心に深い傷を受けるケースも少なくない。その実態に迫る。
 
原題:DISPOSABLE CHILDREN
 
制作:BABEL DOC production (フランス 2016年)
 
(ブログに少し詳しく書きました。)http://www.luci.jp/diary2/?p=1413
 
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 欧米と日本の違いは、日本では「自分で育てられるのなら、自分で育てたい」という母親が、15年間まで9割居たこと。それが最近7割まで減っている。政府主導で減らされている。徐々に意識が弱者から離れ、それによって社会全体の安心感が崩れはじめている。保育(子育て)が経済施策(雇用労働施策)に入っているからです。だから、国の子ども・子育て会議が11時間保育を「標準」と名付けたりする。しかも、地方版「子ども・子育て会議」では、現場の意見が国の方針と違ったりすると議事録から削除されたりした。http://www.luci.jp/diary2/?p=237
 
 社会全体の安心感が崩れはじめた時、身を守る「お金」を得るために、絆を捨て始める、この流れをなんとか止めるためには、子どもたちを眺め、その人たちの私たちに向ける信頼の眼差しに感謝するしかないと思うのです。

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