砂場での出来事・公園と保育園

砂場での出来事

政府の始めた新制度で、小規模保育や家庭的保育事業が奨励され、園庭のない保育園が認可され、保育士さんたちが近所の公園に園児を連れて行く風景を頻繁に見るようになりました。横断歩道や踏切を渡る一行を見ていると、大丈夫かな、こんなやり方でいいのかな、と心配になることがあります。それが規則だからみんな毎日そうしているけれど、一人で幼児4人を連れて歩くのはとても難しいのです。

そして、こんな光景を見ました。園児たちが公園につくと、男性保育士が段ボール箱に入れてきた砂遊びの道具を砂場にダーっと撒いたのです。ちょっと豚かなんかに餌をやる姿に似ていて、びっくりしました。それを女性の保育士が悲しそうに見ています。たぶん、注意できないのです。自分だったら、もっと丁寧に、子どもたちの気持ちに寄り添うように置いたのに、と心の中で思っていたのかもしれません。

そこが問題なのです。保育士の気持ちに最近とても決定的な温度差があって、それをお互いに注意できないこと。そして、公園の砂場にオモチャを入れるやり方が仕組みの中で確立されていないこと。(加配相当の子どもの親が政府の言う「標準保育」11時間を望んだ時の保育のやり方が確立されていなこと。)様々な問題が解決されないまま「あと50万人保育園で預かれ」という政府の施策に、この国の「子育て」が押し流されてゆくのです。

うちの近所でも、子どもたちが毎日遊んでいる、木がたくさん植わっている、そしてミニサッカーもできる広場もある公園を、区長が平気で、ほとんど予告なく潰して保育園を作るというのです。大人の都合からしてみれば、子どもたちの好きな公園などは小さなことなのでしょう。お母さんたちが必死に反対しています。あっという間に三千を超える署名が集まりました。「風景やたたずまい」が子どもの成長には大切だということを敏感に感じ取っている人たちがまだたくさんいるのです。こういう感性がなくなっていったら、乳幼児は誰が育てても同じ、みたいな意識がやがて保育や学校教育の質を蝕んでゆくのです。みんなで生きてゆくために大切な人間性や感性、信頼関係や、幼児たちの気持ちが経済のための「仕組みの改革」に押し流されてゆくのです。

砂遊びの道具のことも、父親が砂場に連れてきた自分の子どもたちにそれをしているのだったら、私は何の違和感も感じなかったはず。

風景の中で、保育士の心が一つになっていないと、その姿、動きが、保育ではなく飼育に見えることがあります。保育という仕組みそのものの、怖い部分がそこに見えるのです。

 

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(最近は中学・高校の授業で、保育や「福祉のこと」をあって当たり前のように子どもたちに教えます。新聞を読んだのか、待機児童は解消しなければいけない、と女子高校生がテレビでインタビューに答えて言っていました。そんなこと以前に、幼児は親と一緒に過ごしたがっている。乳児は母親に抱かれたがっている、という当たり前のことを学校で教えるべきだと思うのです。そいういう一番人間的なこと、大切なことを、「それは男女平等に反する」「親にも働く権利がある」などという経済競争に巻き込む「罠」のようなものに捕まって学校が教えられなくなっている。百歩譲って、教えなくてもいいのです。幼児との時間を繰り替えし体験させ、あとは子どもたちの感性に任せるのでもいいのです。遺伝子に任せるのでもいいのです。)参考:中学生の一日保育士体験:

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=260

 

(杉並区の公園問題に関して、「子どもの遊び場と待機児童の問題とどっちが大切なんだ」とテレビの番組で、公園を守ろうとするお母さんたちに対して語気荒くコメントしていたタレントがいました。子どもの遊び場は子どもの都合、待機児童は大人の都合、いまこれほど社会が荒れ始めた時代に、どちらを優先にしなければならないか。そこがこれからの日本の分岐点になることがわかっていない。お母さんたちの決意の深さを、感じていないのです。最近の経済論と太古の法則が、公園でぶつかっていることを知らない。

待機児童の問題は、保育の質が保育士不足によってこれほどまでに危機的状況に陥っているいま、実は保育園を作らずにすむ解決方法はいくらでもあります。もう、その方向でなければ解決しない。「保育士の良心」が納得しない問題なのです。そして、保育の問題は「保育士の心」を真ん中に語られなければいけない。

まず、乳幼児の気持ち優先に考えればいいのです。例えば偽就労証明や偽装離婚を使った福祉の乱用を罰則を設けて取り締まる、働く時間と通勤時間だけの保育にする、それだけでもずいぶん保育士は納得します。サービス産業ではない、子育てなのです。そして、例えば自分で育てる親には一律月七万円の子育て給付金を出すとか、子育て支援センターを充実させ親のネットワークをしっかり作る、など。これまでも繰り返し議論されてきたことですが、困ったことに、区長や国の待機児童解消の目的の根っこにあるのは、女性の労働力で税収を増やすこと。自分たちの政策の失敗や赤字を、乳幼児の気持ちを犠牲に取り繕うことなのです。本当に働きたい、そうしなければならない母親の子どもだけ預かっているのであれば、保育園も保育士も足りています。それを厚労省は知っています。

夜、公園の横を自転車で通りました。もう子どもはだれもいない公園が、気を鎮め、明日を待っている気配がしました。お母さんたちの決意が、寄り添っているようでした。)

 

 

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