地球上で起こっていることは、それぞれの国や社会を比較することで明らかになってくる?

いま、地球上で起こっていることは、それぞれの国や社会を比較することで明らかになってくることが多い気がするのです。異なるやり方で、命が同時進行している。お互いに学びあうために。

部分的に再掲ですが、並べてみました。

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子どもは社会の騒音? 

去年、東京版の新聞に、

「騒音」に苦情/悩む保育園:ペアガラス「開かずの窓」・園庭使用制限、

という記事が載りました。

保育園に対する騒音の苦情が多く、待機児童をなくすために園を新設しようとしてもなかなかできない、という世田谷区長の嘆きが反響を呼んでいるというのです。

周囲に畑でもあれば、またちがうのでしょうが、家屋が密集している地区では、毎日子どもたちの声を聴いているのが苦痛なのかもしれません。100年ほど遡って、社会の原点に還って考えれば、幼児をこれほどたくさん一カ所に集めることが相当不自然なことです。人々の日々の生活、身の回りの風景から、日常的に幼児の声が聞こえなくなって久しい。

幼稚園・保育園は以前からありました。保育関係者から聴くと、ここ二・三年、近所からの苦情が増えている。いまほど幼稚園・保育園が迷惑がられる時代はない、というのです。学校もそうですが、運動会を開くにもびくびくし、ピアノを弾くのも何時から何時までと決めて近所に伝え納得してもらう。園庭でお芋でも焼こうものなら届け出を提出していても通報されてしまう。近所づきあいが希薄になった都会ではそんな話も頻繁に耳にするのです。だから、地下に保育所を作れるように東京の区長たちが国に要望したりする。(http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1060)

現代社会、という不自然にゆがめられた現実を踏まえたうえで、あえて別の視点で私は言いたいのです。

『幼児たちを保育園で一日平均十時間、年に260日も「人類」から隔離して、そのことが普通に受け入れられるようになると、神様たちが「騒音」に聴こえるようになっても仕方ないのではないか、幼児と接する機会が、すべての年齢層で激減していることが現代社会の人間関係を冷たく荒々しくしている。』

 

ある夕方のこと

子どもの発達を保育の醍醐味ととらえ、保育士たちの自主研修も月に一回やり、親を育てる行事をたくさん組んで保育をやっている保育園で…。

園長先生が職員室で二人の女の子が話しているのを聴きました。

「Kせんせい、やさしいんだよねー」

「そうだよねー。やさしいんだよねー」

園長先生は思わず嬉しくなって、「そう。よかったわー」

「でも、ゆうがたになるとこわいんだよねー」

「うん、なんでだろうねー」

園長先生は苦笑い。一生懸命保育をすれば、夕方には誰だって少しくたびれてきます。それを子どもはちゃんと見ています。他人の子どもを毎日毎日八時間、こんな人数で見るのは大変なのです。しかも、園長先生は保育士たちに、喜びをもって子どもの成長を一人一人観察し、その日の心理状態を把握して保育をしてください、と常日頃から言っています。問題のある場合は、家庭の状況を探ってアドバイスをしたりしなければなりません。子どもの幸せを考えれば、親と一緒に子育てをしているという意識は常に忘れてはいけない。そして、良い保育をしようとすれば、それは日々の生活であって完璧・完成はありえません。

保育士に望みすぎているのかもしれない…、と園長先生は思いました。それでも、いま園に来ている子どもたちのために、選択肢のなかった子どもたちのために、できるところまでやり続けるしかないのです。

そう思いだした時、職員室での子どもたちの会話が、保育士たちへの励ましのように聴こえたのでした。

 

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トルコからの手紙

ご主人の海外勤務で、トルコに4年間住んでいた教え子が帰ってくることになりました。

保育と子どもの発達をテーマに博士論文を書いている彼女は、本来理論派ですが、独特な感性があって、トルコ語も積極的にマスターし「昔から続いてきた子育てと、人間社会における子育ての役割」について貴重な報告をイスタンブールから送り続けてくれました。人間同士の育てあいや絆の役割りを、祈りの次元で眺めることが出来るひとでした。学生時代日本にいたころから討論を重ねたこともあって、私は彼女の報告を、自分がその場に居て見ているように実感したものでした。ご主人が、一流企業に勤めているにもかかわらずトルコ人とのサッカーに熱中しているような人だったことも、彼女の日々の感性を助けたのだと思います。

一時帰国することも出来たのに、彼女はトルコで第一子を出産しました。おかげで、トルコ人の(または昔の人の?)赤ん坊に対する目線を肌で感じ、その目線に囲まれて育つことの意味を日々の生活の空気の中で感じ報告してくれました。これが、最後の手紙かもしれません。

 

(最後のメール?)

菜々はすっかり、「全ての大人は自分を愛してくれるもの」だと思っています。

トルコ人から愛情を受けるのが当たり前になっている彼女。

ありがたいやら、今後がおもいやられるやら。

そして改めて、トルコ人がどんな状況でも、祖国や自分、家族といった自分の基盤となる部分を積極的に肯定し、是が非でも守る理由がわかります。幼い頃、こんなに誰にでも愛されていれば、何があっても自分を否定しない。人や自分を愛する力がつくんですね。

里映

 

(二年前のメール)

トルコで菜々を抱えていると、1メートルもまっすぐ歩けない位、沢山の人に声をかけられます。皆、菜々に話しかけて触って、キスをしてくれます。トルコの人たちは、赤ん坊がもたらす「いいこと」をめいっぱい受け取っていると思います。菜々のお陰で、私は沢山の人の笑顔に触れられて、沢山の人から親切にされて、幸せです。日本に帰るのが少し怖いです。

里映

 

(四年前のメール)

「トルコ語に『インアシャラー(神が望むなら)』という言葉があります。イスラム圏全体で通じる言葉でしょうか?

停電がしょっちゅうあるので、私が近所の人たちに色々聞きに行き、『あと少しで回復するかな?』と聞くと、『インアシャラー』と言われたりします。この言葉がよく使われるように、トルコでは、自分(人間)がどうにもできないことがあるという前提で物事を考え、そういうことが起こったら、じたばたせずに神様が導いてくれるのを穏やかに待っているようなところがあります。その分楽天的で、ひやひやすることも多いのですが」

やはりポイントは、自分、というより人間には、自分自身で解決できないことがあるということを前提にしているというところでしょうか。何もできないということと、幸せであるということは、裏表なのでしょう。松居先生の、0歳児が完璧な人間である、ということと近いと思います

里映

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教え子がしている体験が、肌に伝わってきます。そして、なぜか伝えてくる「文字」の存在に少し感動します。人間は絆を深め、時空を越えて体験をわかちあい守りあうために「文字」を創ったのだ、と実感します。そして、これを書きながら,彼女の体験を日本の保育者とわかちあえることの不思議ささえ感じるのです。

社会に、信じること、祈ることがもっと存在していたら、大学も専門家もこんなに必要ではなくなるし、学者も要らなくなるのではないか、そんなことを考えます。

先進国社会において、神の作った秩序と人間の作った秩序が闘っています。本来次元の異なる、住み分けが出来るはずのものたちが闘い始めています。

子育てで一番大切な言葉が、「神が望むなら」なのかもしれません。「神が望むなら」という生き方を親たちが身につけるために、幼児、特に未満児が存在するのではないでしょうか。

 

(帰国半年前のメール)

こちらでは、列車は発達しないです。どんな遠くへもバスで行きます。丸一日かけてバスを乗り継いで帰郷します。一説では、マフィアがバスに関する権利を持っていて、電車の普及を邪魔しているから発達しないらしいのですが、それ以前にトルコ人が、電車を必要としていないということなのでしょう。

バスではまず、コロンヤ(すっきりする香水みたいなもの)が配られ、バスの係の人が1人ひとりの手にかけに来ます。1時間毎くらいにトイレ休憩、ごはんの時間にはごはん休憩があります。途中チャイやお菓子も振る舞われます。

バスに乗っている人は貧しい人もいるので、バスの中での持ち込み飲食は禁止。トルコではこういう考え方があります。目の前に食べられない人が居るのに、自分だけ食べるのはとても悪いこと。

男女が隣同士に座らないように、バスの停留所で人が新たに乗り込んで来ると、しょっちゅう席替えをします。ただ、ひたすらバスに揺られて、故郷や、リゾート地や、仕事を求めて新しい場所へ。

チグリス・ユーフラテス川を通ったことがありますが、周りはただ茶色の大地で、時々数軒の民家、商店が見られるようなところに、細い川がひっそりとありました。バスは川を気に留めることもなく、ただ走っていきました。

松居先生のメールで、アナトリアを旅したことを思い出しました。

里映

 

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「目の前に食べられない人が居るのに、自分だけ食べるのはとても悪いこと。」だからバスに食べ物を持ち込めない。

発想の原点が他人の気持ちを想像すること。それが日常的にあるのです。そして、想像する方向性が子どもたちの目線によって守られている。祈る方角が決まっているように。一応民主主義のトルコという国で、人々の意思によっていまも守られている。こういう人たちの意思の力を見誤ると大変なことになる。先進国社会が抱えている問題点を理解し、学ぶべき相手を間違わないことです。日本はいまどっちの方向から学ぶべきか、学問とか経済競争の視点を離れて、もっと古い、いにしえの法則について、立ち止まって、ゆっくり考えてみる時だと思うのです。

 

(帰国半年前のメール2)

そろそろ、近年で最悪の(?)難関、真夏のラマザン(断食)に入ります。ラマザンは毎年一ヶ月ずつ日程がずれるので、いつかは真夏に当たってしまうのです。真夏は、気候条件だけでなく時間の長さも最長。断食は、夜明けのお祈り(真夏は朝5時前!)から日が落ちるお祈り(夜8時頃。)の間行い、唾も飲み込めません。

そして皆、長い一日の断食に備えて朝3時に起きて(太鼓をたたいて街中を歩き、皆をこの時間に起こす係がいる。迷惑。笑)食事をするため、寝不足。それでも、「この状況でイライラしたり仕事が手につかない人は、断食をする資格が無い」と考えられるため、いい人間性を保たなければなりません。

去年の断食月もかなり暑く大変そうでしたが、皆変わらず親切でした。

断食の目的は、「食べることが出来ない人の状況を理解するため」ということで、それはトルコの基本的な考え方の一つです。でも、それ以上に、断食という苦しさを共有してものすごい一体感を得ているのだと思います。そして断食明けに訪れる砂糖祭では貧しい人に施しを行いまくりますが、断食を行うことにより、この施しが大変気前良く行われるのです。自分がつらさから解放され、増々神に感謝できるというか。本当に、この断食が、社会をいい方向に運営するシステムの基軸を担っていると思います。

このシステムは、本来人間は不平等な立場にあるということを認めないと成立しません。富める者と貧しい者は平等ではないというのは、民主主義国家では大失言にあたるような文言ですね。でも、人間平等じゃないし、自由なんかないって、トルコの人たちは知っています。知っているから、神のもとに集まり、富める者が貧しい者を助けるというシンプルな構造で生きているんです。

里映

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日本で、社会に絆を取り戻すために「断食」を法律で決め実行することはもう絶対にできないでしょう。進歩の名のもとに人間はずいぶん大切なものを一つずつ捨て始めている。

0歳1歳2歳児という、毎年違う特別なひとたちとしっかりつきあうことさえ、政府が施策を使って捨てさせようとしている。だからこそ、いま幼児たちと人間たちが意識的に一人ずつ交わる「一日保育者体験」の普及が必要で、これからこの体験がますます一人一人の人生の中で生きてくるのだと思います。

幼児との体験を記憶の中で共有することで一体感を社会に取り戻す、ある程度法律の範疇内にある仕組みの中でこれなら出来る。この国がどちらの方角に行くか、境界線上の行事です。

一日保育者体験でなくても、園や学校で、すべての親が毎週一緒に踊る、歌う、みたいなことでもちろん構わないのですが、そこまで根源的な一体感を求めようとしても、それが祈りの領域に近すぎて、いまの仕組みや常識の中では理論的説得力に欠けるのかもしれません。

こうした一体感の復活を取り戻す努力をしないと、義務教育や福祉がもちません。そのうち、「共に闘うことによる一体感」という古代の手法が復活するかもしれません。兵器がこれだけ進化している状況で、これは人類にとって非常に危険です。

断食を行うことで施しが気前よくなる。人間は自分の体験から学び反応する。そして、一体感を感じようとするのです。

 

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(こんな記事がありました。)

東京)保育士不足深刻化 来春開園なのに「まだゼロ」も:http://www.asahi.com/articles/ASJD26HDDJD2UTIL05X.html:

保育士不足が深刻化している。待機児童対策として、来春には都内で多くの民間保育施設がオープンするが、必要な保育士数がまったく確保できていない事業者もある。

来春に民間の20認可園などが開園し、保育の充実を急ぐ杉並区。計2220人分の子どもの受け入れが新たにできるようになるが、新規で300人の保育士が必要と見込む。

11月末、各施設の求人活動を後押ししようと、隣の中野区やハローワーク新宿と合同で「保育のおしごと 就職相談・面接会」を開いた。会場のホールに保育事業を営む26業者がブースを開設。「うちの話を聞いてほしい」と来場者を必死に呼び込んだ。

杉並区で来春、定員約100人の認可園を開く都外の社会福祉法人は17人の保育士が必要という。今年1月から求人を続け、確保できたのはまだ12人。求人はこの4年でどんどん厳しくなっているといい、採用担当者は「来てくれる保育士はもう『神様』です」とため息をついた。

来春に杉並区で新たな保育施設を開設するが、必要な保育士の確保は「まだゼロ」という区内の社会福祉法人もある。担当者は「4月ごろからずっと募集しているけど、全く集まらない」と話した。

この日の就職相談・面接会の来場者は105人。来春に区内で「山吹あさがやきた保育園(仮称)」を開園する社会福祉法人・山吹会は、3人と今後の面接の確約をとった。採用担当者は「とりあえず必要な保育士は確保できそう」とほっとした表情だ。都が保育士の家賃を1戸あたり月8万2千円補助する制度を導入することや、区が新規の保育士に5万円の商品券を配る方針を決めたことで、「地方から集めやすくなった」という。

杉並区保育課によると、区内で保育施設を営む事業者に求人状況のアンケートをしているが、11月末現在、保育士を完全に確保できたのは新設施設のうち数施設という。民間保育施設の求人のピークは、公立保育施設の採用が終わる11月以降といい、渡辺秀則課長は「これからの追い込みに期待したい」とする。

来春、約2千人分の保育定員増をめざす世田谷区。うち約1600人分(新規園など20施設)について、入園申し込みの受け付けを始めた。保育施設ごとに担当する区職員を固定し、保育士の確保状況などを細かくチェックしている。

区子ども・若者部によると、新設園の3分の1が必要な保育士をまだ確保できていないという。保育士集めに苦戦しているのは、都外から進出してきて知名度がまだない事業者や、久々に新設園を開く事業者。同部の担当者は「保育士が確保できたと言っても、その保育士が複数の内定をもらい、二股をかけているケースもある。必要な保育士が集まるか、来年2月まで心は休まらない」と話した。(別宮潤一)

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インドのシスター・チャンドラから、新年のメールが届きました。タミルナード州のシャクティセンターでも、日々の生活は続いています。新しい建物がなんとか出来上がりました、今度来た時はホテルに泊まらないでくださいね、というメッセージがありました。

(シャクティの活動に関してhttp://kazumatsui.com/sakthi.htmlから、映像を、ぜひご覧になってください。)

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