「嫌なら転園しろ」・保育士のメイド化・保育者と親たちとの間に、「一緒に子どもを育てている」という感覚を忘れたように、溝が広がっていきます。

保育者と親たちとの間に、溝が広がっています。「一緒に子どもを育てている」という感覚が薄れて、サービス産業的な関係が広がっています。

 

「保育園落ちた日本死ね!」ブログの保育界へのインパクトは大きかった。あれを機会に政治家やマスコミが待機児童問題を一気に取り上げたのだから無理もないのですが、この報道を境に、役場の窓口や現場の保育士や園長・主任に対する親の言葉使いが急に荒くなった、とよく言われます。言葉を荒げ、乱暴にクレームをつけ、強引に主張すれば通る、という意識が一部の親たちの間に広がっている。

保育現場も行政の役人も、親に向かって「あんたの子だろ!」とは言えない。(というツイートを私がしたら、以下のツイートが返ってきました。)

『逆に待機児童がいる地域では、保育士の態度が横柄になっているという話も。「嫌なら転園しろ」「入りたいならそれ相応の誠意を見せろ」みたいな感じで。世の中難しい。』

こういう親に対して横柄な、嫌な親の子どもには「仕返し」をするかもしれない保育士が、20人の三歳児を8時間保育し、その中に二人多動の子供がいたら、保育室は修羅場になってしまう。キレる、怒鳴る、小突く。親は、朝と夕方5分間目をそらして、我慢すればいい。しかも、そこに子どもを入れたのは自分の決断です。自分の責任。その「自分」に目をつむればいい。でも、子どもたちはそこから逃げられない。それが一日10時間、年に260日、運命のように続く。選択肢はないのです。自分の決断でもないのです。

この時期に、こういう保育士に一年間担当されることで子どもの一生が変わる(かもしれない)。生まれつきの繊細さゆえに、一生その時のトラウマに怯える子どもがいる(かもしれない)。小学5年生くらいで、親にキレるようになる子どもなど、反応の仕方は様々ですが、その時親たちは、どうしてそうなるのかわからない。その子どもが体験した幼児期、その子どもの周囲にいる子どもたちの幼児期を、親が知らないからです。

以前、こういうキレる保育士を、「◯◯先生呼んでくるよ!」と園児を脅す道具に使っている光景を見ました。これではもう◯◯先生は保育士ではなくナマハゲ。ナマハゲも年に一度大晦日に来るならわかりますが、毎日ナマハゲと出会っていたら、それは心の傷、人間不信になって子どもの人生に存在し続ける(かもしれない)。

家庭における虐待が、世代を超えて連鎖するように、幼児期の体験は、それほど子どもたちの将来に影響を及ぼすのです。そして、悪い保育も連鎖する。

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「保育士がメイド化していますよね」というツイートが来ました。

 

住み込みのメイド・乳母だったらまだいいのでしょう。アメリカの富裕層は子育てを中南米からの違法移民の女性に代わってもらっている、と言う報道が、20年ほど前にアメリカでされていたことがあります。

お金持ちの住む地域にある公園は、昼間、スペイン語で話す幼児連れの住み込みメイドの集いの場になります。違法移民を取り締まる法律をつくった上院議員たちの多くが、子育てを違法移民に頼っているのではないか、という報道がされたこともありました。パワーゲームやマネーゲームに浸かっている高学歴の頭のいい親たちが育てるよりも、心が人間的で素朴な違法移民に育てられたほうが子どもにとってもいい、しかもバイリンガルになる、という計算も働いています。お金があれば選択肢はある、強者に有利な社会の象徴のような現象です。

しかし、今の日本の保育士不足と養成校へくる学生の質を考えれば、保育園で1対4とか、3歳児1対20はもう無理、限界にきていると思うのです。

以前、外国人労働者を雇っている東京都の認可保育園で、園長が新入りの保育士に「0歳児は言葉がわからないから外人でいいのよ」と言ったのを思い出します。

もちろん、外国人労働者の方がより人情味があって幼児の成長にいいこともあります。でも、保育という仕組みの中で園長がこれを言うことは、この国の保育に対する認識が「子育て」から外れ始めているということ。

小規模保育所からの転園児を避ける保育園があります。「自分の園で保育した子なら、責任を持てるのですが」、と園長先生は顔をしかめます。充分に抱っこされていない、話しかけられていない、どんな保育をされていたのか見えない。そして、受け入れて気になるのは、保護者が育っていないこと。みてもらう、やってもらうのサービスに慣れていて、子育ての主体は家庭という意識が薄い保護者がいる。

ーーーーーーーーーーツイートやメールがきます。

『SIDSも不安で、皆、乳児クラスを離れて休憩などできません。何か事故があると「保育士何してた?」と批判されている。でも、皆いっぱいいっぱい。「休憩とってました!保育士一人で見てました」って言ったら?暗に保育士は(特に乳児)休憩なんかないぞ!と言われている』

『保育を知らない自治体が政府の方針に沿って進める幼稚園の子ども園化を見ていると、その安易さに怖くなります。3歳未満児を預かることは命を預かること。それを自覚していれば、保育士不足のいま簡単に引き受けられることではありません』

『3歳未満児保育所に勤務していた昔、卒園し幼稚園に通う子が登園を嫌がり、保育所経由で私が幼稚園に送った。受け入れる教諭の様子から、当時から叫ばれていた幼保一元化は無理だと悟りました』

よくわかります。あるこども園の主任さんが、幼稚園は子どもが始めて出会う社会、保育園は家庭の代わりをしなければならない、と言っていました。子どもの成長にとってそれほど家庭と社会の「役割」は大切です。だから難しい。境界を崩してはいけない。

 

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私のツイッターに、私が保育園に子どもを預ける親の不安を煽っている、という指摘がありました。

現状を考えると、乳幼児を預けるならしっかり不安を感じて欲しい、と思います。国の施策はけっして幼児優先の施策ではないことを知ってほしい。経済優先で、幼児の安全さえないがしろにしている、と伝えたい。本来、自分の赤ん坊は、自分の親に預けるのだって、親友に預けるだって不安なのです。それで当たり前。それを思い出してほしい。

保育園という国が認可している仕組みだから安心、という論理に根拠がないことに気づいてほしい。その上で、「一緒に育てている」という感覚を保育士たちとの間に持ってほしい。

でも、その先が、いま見えない。

 

「女性活躍」はウソですか 配偶者控除廃止見送り

 「ああ、また。やっぱりね」。政府が配偶者控除の廃止を見送ると知った働く女性の多くは、こう感じたのではないか。

 

という新聞記事。「経済活動」だけが「活躍」ではない。それに、マスコミが気づかないと幼児の存在はますます希薄になってゆく。

 

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私が書いた、「米国におけるクラック児・胎児性機能障害(FAS)と学級崩壊」http://www.luci.jp/diary2/?p=1428に、こんなメールをいただきました。

5才の保育園児の母です。

私は離婚して、仕方ないとあきらめて預けています。今通う保育園は、怪我さえしなければ良いという考えのみです。ごあいさつも皆でしません。親達も共働きですが、やはり生活レベルを少し下げる(海外旅行とか)をしたくないから預けてる人が多いのに驚きました。

保育園も責任逃れの為のルール作りと言い訳に力を注ぎ、親達も「子供は任せたはずだ! 」と、ネグレクトみたいな責任逃れをしています。

私は、保育園の我が子にたいしてのみ発言権が有るので、区役所や子育て支援センターに無理をしてでも相談に行きます。親です。大事な人格形成です。コミュニケーションの前にモラルとマナーだと思うから。

結果は、当然 ! モンスター扱いされ、子供に保育士は仕返しをしてきます。

保育士も子育て中の親です。保育園に預けてる方もいます。

「預かってやってるんだ、有り難いと思え」ですね。

依存症等の原因がなくとも、周囲の大人の接し方で発達障害の疑いにつながる成長になります。子供に責任は有りません。産み育てられる、こんなに幸せな事は有りません。産み育てるのは、親です。産む覚悟とは、育てぬき一人の人間を創る覚悟だと思います。産まれてくる子供たちの、育ち行く時の気持ちを、思いやってください。

地域の母子に、もっとお節介に「お酒はだめだよ。」「煙草はやめなきゃだめよ~。」と、昔ながらに関わってあげてください。

産まれた後も、母子は周囲の方に感謝し、頼りに出来れば孤独から依存症やネグレクトにはなりません。

長く、支離滅裂かもしれません。お読みくださって、ありがとうございました。

 

松居 和

ありがとうございます。とてもよくわかります。どういう保育園、どういう保育士に出会うかで、親子の人生が変わってくる、ますますそんな状況になってきました。問題は多面的で、複合的で、だからこそ数人でもいいから、絆をつくり、一緒に祝ったりすることで、その絆を深めてゆくしかないのだと思います。シングルマザーも、子育てに専念するという選択肢が選べるようになっていなければ、本当の子育て支援とは言えません。

「子供に保育士は仕返しをしてきます」。そうあってはいけないのですが、現実ですね。それを親が知らないのも怖いのですが、知ろうとしない、というところまできている。

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子育てから生まれるはずの、社会に必要な絆や信頼関係が、いま「子育て」を真ん中に崩れようとしている。

「子育て」を「女性の社会進出(?)」の「壁」と勝手に決めておいて、その「壁」を産んでくれ、産むために結婚してくれ、そうしないと経済や年金や社会保障が維持できない、と言うのです。

その「壁」こそが、一番幸せそうに生きている、一番幸せそうに生きることで人間たちの「目標」となる人たちだったのだ、ということを、もう一度思い出してほしいと思います。

 

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