保育士の喜び

「同居は福祉における含み資産」。こういう真っ当なことが1978年の「厚生白書」に書かれていた。

 その辺りがこの国の賢さだった。絆や、人々の心持ち、数字には表れない心情を、資産として評価する姿勢が行政や学問の中にあったのだ。つい、40年前のこと。

経済を金の動きという一面だけで見ない、人間の心理、幸福論まで含む経済論が確かにこの国には存在していた。そうした一見非論理的な計算能力を伝承することで、集団としての人間たちが、互いの存在に安心する「知恵や常識」が維持されていた。

子育てを最近の経済学者が「雇用労働施策」に取り込んだあたりから、そうした「知恵や常識」が一気に崩れはじめたのです。

いつの間にか人々をつなぐ「絆」の次元がとても平板に、白か黒かみたいなことになってしまった。税金を納めているかいないかで人間の価値が測られ、「平等」という現実にはあり得ない関係性が指針を惑わし、より多くの人々が競争に追い込まれ、まるで地球温暖化のように市場原理、競争原理がヒートアップしていく。「平等」を目指すパワーゲームに慣れてしまい、戦える者たちの陰で弱者がその存在価値を失っていく。結果的に、格差は、なお一層広まってしまった。

平等という言葉は実は「機会の平等」(Equal Opportunity)であって、民主主義における社会正義として必要ではあっても、結局、強者たちによる勝者の免罪符にすり替わっていく。その過程で捨てられる物差し、「人間性」の喪失が、世界中で様々な形の摩擦や軋轢を生んでいる。

格差で生じる不満、不安が資本主義社会のエネルギーとアダム・スミスは言ったが、それはすなわち利他や無私の心を捨てる道でもあった。その道を行くと、幼児という弱者を可愛がり、彼らに寄り添うという種の保存法そのものでもある本能的な幸福論が見えにくくなる。表層的で短絡的な経済論(欲の幸福論)によって、人間の共生本能が覆い隠されていく。

三歳までに、主として親や祖父母から肌を通して伝えられてきた「何か」の絶対量が決定的に欠けてくると、競争意欲に歯止めがかからなくなり、これでは欧米社会の二の舞になってしまう。

心を伴わない「情報」で頭が一杯になった人たちは、相対的に、拠り所としての自分の感性、本能に基づく判断力を失い始める。すると、正論や事実であっても、自分の思い、願いに合わないものは「フェイクニュース」(偽情報)として簡単に片付けることができるようになる。

思い出してほしい。「千と千尋の神隠し」もフェイクニュースといえば、そうなのだ。人間が社会を形成するのに必要なのは、共有できる真理を見つけ出す力、調和への道を示唆する物差しを嗅ぎ分ける感性なのだ。

「千と千尋の神隠し」という不可思議な作品が日本の映画史上、いまだに観客動員数第一位。そこにこの国の素晴らしさ、本質がある。それを真剣に見てほしい。

 

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保育士の喜び

少人数、透明マスクをつけ、距離を保ちながら保育園の主任さんたちに講演し、その後座談会になった。敢えて、ここ数ヶ月、コロナ禍の中で保育士として嬉しかったこと、を聴いてみた。

保育士や子どもたちの安全を考え、保護者に登園自粛をお願いしたところ、大体どの園も登園児が定員の三分の一になったといいます。その時のゆとりある保育がとても嬉しかった。子どもたちの願い、要求に3倍応えられる、それで保育自体が楽しかった、と言うのです。

保育の基本は、子どもを可愛がる、そして寄り添う。それができた時に保育士は幸せを感じます。そういう人たちなのです。言い換えれば、普段の国基準の1対4、1対6、1対20、1対30の保育が、保育士たちの幸福の基準を超えてしまっているということ。そして、保育士たちの喜びが、保育の質なのです。

その次に、親たちが規則をちゃんと守るようになったのが嬉しかった、という発言がありました。

「コロナの問題がありますから、少しでも熱があったら登園させないでください」と言う園からのお願いを親たちが聴く、のだそうです。普段は、登園前に抗生物質を呑ませて、登園時だけ熱を下げるようなことをする困った親たちが、ちゃんと子どもを休ませる。

お迎えに平気で遅れてくるような親が、「コロナの問題がありますから」と言うと、時間通りにきちんと迎えに来る、と嬉しそうに言うのです。

そう、保育士たちは、親たちが子どものためにルールや規則をちゃんと守ってくれるのが嬉しい。そういうあたり前のことが保育士を元気にする。言い換えれば、そういう当たり前のことをしてくれない親たちが、当たり前のように増えてきたことが、保育士を疲弊させ、保育士不足を生んでいるのです。

そして、最後に、「今年新任で入った子(保育士)が、私が保育士になって最初の年に受け持った子だったんです。先生が好きで、保育士になったんです、って言ってくれたんです」。もう、涙が止まらない。周りに聴いている他の主任さんたち、私も涙が止まらない。これが保育士の本当の喜びなんだなぁ、と思いました。

毎年、保育士がどんどん代わっていくような園では、もう絶対に起こらないこと。政府の「保育は成長産業」という閣議決定が、これほど馬鹿馬鹿しく思えた瞬間はありませんでした。

人間は、生きている意味を探しながら生きる。喜びをわかちあいながら、人生がつながっていくことを嬉しく思う。それが「生きる力」、そんな法則を、主任さんたちから学びました。

政府がつくり出す非人間的な光景と、園長先生からの三通の手紙/集団の中での幼児の発達/追悼ジェームス・ホーナー