保育崩壊の原点:以前、NHKの視点論点で専門家が言ったこと。

九州の若手保育園経営者の集まりで講演する機会があり、6年前、今の「子ども・子育て支援新制度」が民主党政権下「子ども・子育て新システム」と呼ばれていた時に保育雑誌に書いた文章を配りました。三党合意で進められた「子ども・子育て支援新制度」の原点です。

現在の異様とも思える保育士不足、待遇の問題と言われることが多いのですが、もっと根深い、保育・子育てに対する視点そのものが外側からも内側からも変質してきている。

こうした保育崩壊といってもいいような混乱状況を招いた出発点がこの「視点論点」にあると思います。「待機児童をなくせ」という観点から、保育園を増やせという目標を掲げて子育てを考えている。だから、現在の野党も今度の「子ども・子育て支援新制度」に関してはほとんど何も質問しないし、追求もしなかった。(11時間保育を標準と名付けるような仕組みに、誰も反論しなかった。犬には法律ができたのに。http://www.luci.jp/diary2/?p=174)

保育施策を雇用労働施策と見る点において与党も野党も政治家たちの視点にいまも変わりはない。だからこそ規制緩和と幼稚園の保育園化が進み、保育士不足が一気に加速してしまった。進む方向と動機が悪いから、保育士不足も質の低下もこのままでは改善しない。保育現場で心が一つにならない。そこに本当の危機があるのです。

 

(6年前の文章です。)

視点論点

NHKの視点論点という番組で、子ども・子育て新システムについて専門家が順番に語りました。大日向雅美氏(大学教授)、山村雄一氏(大学教授)、普光院亜希さん(保育を考える親の会)。保育に関わっている人が意見を述べられなかったことは残念でした。山村氏は新システムが「子どもの思いを受け止めていない」、普光院さんは「こども園が、幼稚園と保育園のそれぞれの機能を弱くするのではないか」という論点で、新システムに反対しました。

大日向さんの放送は、公共的放送で新システムを進める委員によって国民に語られた、という意味で責任が大きいので、私なりの反論をしておきたいと思います。

大日向さんは、「新システムは、すべての子供の育ちを社会の皆で支えるという、子育て支援の理念の画期的な変化です」と述べました。

保育園や学校で起っている摩擦や軋轢を見れば、自分の子どもの育ちさえ支えようとしない、保育園や学校に子育てを依存しようとする親が出始めている時に、「すべての子供の育ちを社会の皆で支える」なんてことができるとは思えません。夢のまた夢のような、人類史上かつてあり得なかった社会です。部族という社会単位であれば可能かもしれませんが、子育ては、夫婦(親)を中心とした「家庭」主体で行われてきたのです。

大日向さんは、「保育の友」九月号(当時)でも、「これまで親が第一義的責任を担い、それが果たせないときに社会(保育所)が代わりにと考えられてきましたが、その順番を変えたのです」と発言しています。

これは大変な発言です。人類の進化にかかわる発言です。

(現在の幼稚園教育要領と教育基本法を否定する発言でもあります。「幼稚園教育要領、第十条: 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって…」私は、本来こういう人間性の根源にかかわることは法律などで言うべきでないと考えています。ですからこういう論法は避けたいのですが、幼保一体化ワーキングチームの座長による発言ですから、幼保一体化の意味と意図を明確にするために書きます。)

この「社会」の意味が怖い。このインタビューでは(保育所)とキャプションがついていますが、通常誰もはっきり定義しません。視点論点では、「社会皆で支える」と言っています。(女性の社会進出、という言葉の意味さえ、あえて誰も定義しようとしない。経済競争という意味でしょうけれど、経済競争は社会のほんの一部でしかありません。)NHKのクローズアップ現代でも大日向さんから同様の発言がありましたが、「社会」が何を意味するか明確な説明はありませんでした。こういう曖昧な感じで「社会」という言葉を使うひとたちは、いつでもその意味をもっと幅広い、「家庭を含む」「隣近所のおじちゃんおばちゃん」まで広げて逃げる準備をしています。ところが、子育てを「社会化」すると、地域の絆どころか、夫婦揃ってやる子育て、社会の最小単位である「夫婦」の絆が崩れてゆくのです。夫婦が子育てによりお互いの人間性を確認し、育て、信頼関係を作ってゆく。そして、損得を離れた絆を社会に育み続けるために子育ては存在するのです。

思い出すのは、以前頻繁に使われていた「介護の社会化」という言葉です。それを進めて孤立する老人が急増し、無縁社会といわれる状況に一気に進んでしまったのです。(北欧で20年前に起ってしまった現象とほぼ同じです。)親身な関係を生むための助け合いと育ちあいを「社会化」することによって、人間性が社会から失われていく。結果から判断すると、学者や政治家がこの問題について発言するとき、「社会」はどうやらシステムのことらしい。

システムの変革が、人間の意識や本能が支えていた社会の構造を加速度的に変えて行く、人類史上かつてない過渡期に私たちは直面しています。子ども・子育て新システムが、介護保険制度と非常に似ていることを忘れてはいけません。これほど無縁社会を進めた介護保険を、厚労省は財政削減につながったとして、「成功」と見ているふしもあるのです。

大日向さんは、「働き方の見直しと、子育てと仕事の調和を目指す。何よりも、子供の健やかな成長を議論の大前提としている」と付け加えます。

「子どもの健やかな成長のために」というなら、子育てと仕事の調和を目指す前に、子育てを中心にした家族の調和を目指すべきなのです。こういう言葉をつけるだけで、状況に気づいていない人を言葉の上だけで説得しようとするのですが、何万年と続いてきた子育ての第一義的責任を親から「社会」へ替えるのであれば、それは人類の進化の根本にあった心の動きと親子の育て合いを放棄することになる。ヒトの遺伝子組み換えでもしないとこんなことはできない。

親と一緒にいたい、と思い、本能的に親をいい人間にする役割を担ってきた子どもたちの存在理由を想像すれば、幼稚園の保育園化を目指すよりも保育園しかない市町村に幼稚園を増やしてもいいはず。保育園を文科省管轄にしようという発想があってもいい。未満児を持つ父親の残業を制限するとか、この時期だけでも母親が子育てに集中できるように守るとか、子どもの願いを中心に「子育てと仕事の調和を目指す」べきだと思います。

新システムを考える時、絶対に忘れてはならないのは、これが始めから「雇用・労働施策」と定義されていることです。5年以内に新たに25万人の未満児を保育所であずかる、という数値目標が始めにあるのです。しかし、これをやるには、保育士の数が決定的に足りません。今ほとんどの地域で、保育士に欠員が出たら埋めるのが大変です。それでも進めようとしている。実は「子どものためではない」と知っているから、「子どものため、子どもの健やかな成長のため」と言ってごまかそうとする。子どもたちに対して、これほど白々しい嘘はありません。まだ満足にしゃべることさえ出来ない未満児に対する嘘は、自分の良心、人間性に嘘をつくことです。手ひどいしっぺ返しが社会に返ってきます。だからこそ、未満児たちを毎日見つめている保育士たち、そして、母親たちが子どもたちのために立ち上がらなければならないと思います。本気でいま、「子どものため、子どもの健やかな成長のため」と声を上げなければならないのです。

大日向さん:「なぜ新システムが必要か。子育て、働き方に関するこれまでの考え方や制度が、時代の変化と共に人々の生活スタイルや価値観に合わなくなっているから」。

人間性が失われてもかまわない、というなら別ですが、あきらかに現代社会はシステムが子育てを引き受けることによって、つまり親が親らしくなくなってくることで起こる多くの問題を抱えています。

児童養護施設は親による虐待が主な原因で満員になっています。いじめや不登校、モンスターペアレンツといった問題を抱え、学校の先生が精神的に限界に近づいています。埼玉県で6割、東京都で休職している先生の7割が精神的病です。引きこもりの平均年齢が30歳を越え、信頼関係を失った人間たちに生きる力がなくなってきています。日本とは一桁違う欧米の犯罪率を見れば、親が親らしくなくなること、特に父親が未満児との体験を持たないことは、人間社会からモラル•秩序が欠落していくことだとわかります。百歩譲って、価値観に合わなくなっているからシステムを変えるべきならば、その度に変えなければなりません。すでに20代の女性で専業主婦を望む人は増え始めている。経済競争だけが人生ではない。経済競争だけが社会でもない。日本人は気づき始めていると思います。欲を捨てることに幸せへの道がある、と説いた仏教の土壌がまだ色濃く残っている国なのです。

大多数の人間が子育てに幸せを感じることができなかったら、人類はとっくに滅んでいる。ごく最近まで、人類はその幸福感の第一を「子育て」に見ていたのです。損得を忘れることができるからです。発展途上国の貧しい農村へ行くと、村人たちの表情に心を洗われる、と海外へ経済援助に行って来た人たちがしばしば言います。人間は「子育て」を取り巻く信頼関係に幸せを感じ続けてきたのです。

大日向さん:「少子化が急速に進み、生産年齢が減少して社会保障の維持の上からも危機感が持たれています」

日本の少子化の大きな原因は結婚しない男が現在2割、十年後3割に増えようとしていることです。貧しい国々で経済状況が日本より悪いもかかわらす、人口増加が問題になっていることを考えると、これは性的役割分担の希薄さが原因で、経済問題ではない、という考え方もできます。男たちに「責任を感じる幸福感」がなくなってきている。ネアンデルタール人などを研究する古人類学では、性的役割分担がはっきりしてきたときに人類は「家族」という定義を持つようになった、と言います。性的役割分担が薄れた時に、人類は家族という単位で生きようとしなくなる、ということかもしれません。それでいい、という考え方もあっていい。しかし、それは人類が数万年拠り所にしてきた、頼りあう、信じあうという「生きる力」を土台から失うことでもあります。男女間の絆と信頼関係を失ってゆくことになるのです。

大日向さん:「若い世代は子供を産みたいと願っているが、産めない理由がある。」

経済的理由で、と言いたいのだと思います。社会が育ててくれれば産むのだ、ということでしょう。しかし、日本の少子化現象は、自らの手で育てられないのだったら産まない、という親子関係を文化の基礎にする日本の美学、ととらえることもできます。この考え方の方が、自然だと思います。日本人は、欧米とは違った考え方をする人たちなのです。

自分で育てられなくても産む、という感覚の方が、人間社会に本能的な責任感の欠如を生むような気がしてなりません。ひょっとすると、人間性の否定かもしれません。

大日向さん:「高学歴化、社会参加の意欲の高まり、更には近年の経済不況の影響もあって、働くことを希望する女性は増えている。」

心から希望しているのか、仕方なく希望しているのかによって対策は違わなければなりません。仕方なく希望しているのであれば、子育てを心の中では希望している女性のニーズに応えていくべきです。頼ろうとする、信じようとする、そのことこそが社会参加の基礎であることをもう一度学び直さなければなりません。

子育てが家庭のかすがいであって、子育てが育む信頼関係が人間社会を支えてきたのだ、という意識を強くもてば、子育てを親のもとに返してゆくことは財政的に充分可能です。未満児を育てている家庭に一律7万円支給したとしても、いま未満児に使っている予算に二千億円プラスくらいでしょう。欧米社会で起ってしまったモラル崩壊の流れを考えると、それによって抑えられる犯罪率や児童養護施設や乳児院、裁判所や刑務所にかかる費用を想像すれば安いものです。子育ての社会化を防ぎ、親たち、祖父母たちの手に出来るかぎり子どもたちを返すことは、財政だけではなく、この国の魂のインフラにかかわる緊急かつ最重要問題だと思います。

大日向さん:「依然として職場環境は厳しく、仕事か家庭かの選択を迫られている」

子供が乳幼児の場合、家庭(子ども)から離れる仕事と家庭(子育て)は本来両立出来ません。だから選択を迫られているのであって、選択を迫られるのは生き方の選択を迫られること。どちらがいいとは言いませんが、女性だけが選択を迫られるのは不平等というなら、そういう論議にするべきで、「すべての子供たちのために」と言うべきでない。

大日向さん:「更に、安心して子供を預けられる環境の整備が遅れている。」

その通り。認可外保育所がどんどん増え、規則が曖昧なため百人規模の「家庭保育室」がすでにあります。親へのサービスを主体に考える市場原理に基づいた保育をしようとする園長設置者が参入して来ています。犠牲者が出ています。新システムは、さらにこれを進めようとしています。

保育は市場原理では機能しません。なぜなら、保育士たちが「良心」を持った人たちだからです。日々、子どもたちに「心」を磨かれている人たちだからです。だから実は私は、新システムなんか怖くない。しかし、それが進められ、やがて市場原理が成り立たなくなる過程で、子どもたちがどういう体験をするか、ということを考えると恐ろしくなるのです。

「子どもの健やかな成長」は、「その子の命を感謝する人を増やす」ことです。そういう人がまわりに数人いれば、子どもは見事に生き、その役割りを果たします。

大日向さん:「都市部では深刻な待機児問題が続いている」

その深刻さは、待機児童が増えていることではありません。そこにどのような理由があろうとも、子どもを保育園に預けようという親が増え続けていることが深刻なのです。

待機児童は減らそうとすればするほど増える、現場で親を知る保育士たちは10年前から予言していました。

保育は親たちの意識の中で、権利から利権になりつつあります。

横浜市では待機児童の倍の数の欠員があります。待機児童の問題は単純ではない。最近目立ってきた偽就労証明書、偽装離婚、偽うつ証明書などの問題を、新システムを進めようとしている人たちはどうとらえているのか。気づいていないのか、いずれ仕分けするつもりでいるのか。覚悟のほどを聴きたい。

大日向さん:「保育所を整備すれば問題は解決するかというと、必ずしもそうではない。むしろ、修学前の子供たちが、親が働いている、いないによって幼稚園と保育所に別れている現状が、子供の健やかな育ちを守り、同時に親が安心して働き続ける上で、大きな問題を生んでいる。」

この文章は論点が飛躍しすぎています。なぜ幼稚園と保育園にわかれることが「子供の健やかな育ちを守り、同時に親が安心して働き続ける」ことを妨げるのかがわからない。

幼稚園に行く子どもと保育園に行く子どもとは一般的に家庭の事情、親の意識が違う。わかれる方が健やかな育ちを守る、と考えるのが自然です。しかもそうしてきた日本が、欧米に比べ、経済だけではなく、モラル•秩序、犯罪率、幼児虐待やDVという幸福に直接かかわる問題でははるかに状況がいいのです。

5時間預かる子どもと10時間預かる子どもを一緒に保育するのは大変です。私は、すでに地方で始まっている幼保園でそれを見ています。

「大きな問題」が誰にとってのどのような問題なのか。保育所に「平気で預けたい」人にとって問題なのでしょうか。それでは子どもがかわいそうです。幼児をシステムに10時間も毎日預けるのであれば、それなりの不安やうしろめたさを感じなければ哺乳類の一員ではないと思います。

大日向さん:「幼稚園は学校教育法に位置づけられているが、4時間保育を中心としているために、事実上、専業主婦家庭の子供しか利用できません。その結果、幼稚園は入園希望者が減り、特に地方では減少の一途を辿っている。幼稚園の無い自治体は2割、人口1万人未満の自治体では5割に及んでいる。」

幼稚園のない自治体が2割、これは主にその自治体の歴史がそうさせてきたのであって、幼稚園が親の生き方の変化によって淘汰されたのではありません。幼稚園が選択肢としてあるところでは、例えば埼玉県では幼稚園を選ぶ親と保育園を選ぶ親の比率は7:3、恵庭市や小樽市では8:2、現在の経済状況を考えれば、自分で育てたいと願っている親の方が圧倒的に多い。自分で育てる、そういう本能が人間の遺伝子に組み込まれているのでしょう。本能から来る願いを優先することが、社会に人間性を保つのです。その願いは子どもたちの願いと一致する。親子がなるべく最初の数年を一緒に過ごすことができるように、この国は施策を進めるべきだと思います。多くの親子が何を望んでいるか、という視点が「新システム」には決定的に欠けています。

大日向さん:「保育所は、働く女性の数が増え、保育所の整備が追いついていません。女性の社会進出は経済成長を支える鍵でもあり、保育所の果たす役割は、今後も更に大きくなっていきます。保育所は、幼児教育をしていないという、誤解が一部にあります。子供を幼稚園に通わせるために、仕事を辞める女性もいます。」

「女性の社会進出は経済成長を支える鍵」と言う根拠がない。この論理が正しいのであれば、女性の社会進出が日本よりはるかに進んでいるヨーロッパ諸国の経済がなぜこれほど悪いのか。社会進出して稼いでも、加速度的に福祉に吸い取られ、家庭崩壊によるモラル•秩序の崩壊に国の予算が対処しきれなくなっているのが現状でしょう。EUの経済危機が「家族」という概念の崩壊に根ざしていることを、なぜ日本の学者は理解しないのか。しようとしないのか。

終戦直後の混乱期を除けば、ヨーロッパの国々が一度として経済的に日本を上回った時はない。親が子どものために、子どもが親のために頑張ったから高度経済成長があったわけですし、先進国の中では奇跡的に家族という定義がまだ色濃く残っている日本が、なぜアメリカや中国という大国に続いていまだに世界第三位の経済大国なのか。実は、家庭や家族がしっかりしている方が、経済成長につながるのです。絆が安心感の土台になり、家族のために頑張るのが人間だからです。人間は自分のためにはそんなに頑張れるものではないのです。本来、頼りあう、支えあう、信じあうのが好きなのです。

アメリカという資本主義社会を代表する国で、家庭観を発展途上国で身につけ、教育も発展途上国で受けた英語も満足に話せない移民一世が、二世や三世よりも経済的に成功する確率が高いのです。家族がいて、子育てが中心にあると、人間は、生きる力が湧いてくるのです。

民主主義も学校も幼稚園も保育園も、親が親らしい、人間が人間らしいという前提のもとに作られています。人間らしさを失ってくると、人間の作ったシステムは人間に牙を剥き始める。地球温暖化と似ています。

子どもを幼稚園に通わせたいという親たちは、教育を求めてというよりも、子供の成長を自分の目で長く見ていたい、という本能的な気持ちが出発点にあるのではないか。子育ては、この国では、未だに仕事よりもはるかに幸せの原点になっている、人生の華なのです。

大日向さん:「これはあきらかな誤解です。保育は、養護と教育が一体となったもの。保育所は幼児期の教育を十二分に行っている。」

幼稚園によっては意識的に教育的保育を避け、子どもたちの「遊び」を尊重する保育をやっています。幼稚園よりもっと教育的保育をやっている保育園もあります。どちらでもかまいません。しかし残念ながら、「保育所は幼児期の教育を十二分に行っている」と言われても認可外を含め、保育の内容のばらつきは今でさえ見過ごせるものではありません。ここ10年くらいの間に、規制緩和により保育資格のない保育者を増やし、認証保育所や家庭保育室、保育ママを行政が薦め、園庭のない一部屋保育や駅中保育、短時間のパートでつなぐような保育園が意図的に増やされている状況で、大日向さんのこの発言は事実ではありません。公立保育園の非正規雇用化が進み、自治体によっては九割が非正規雇用という市もあります。まず、保育とは何か、どういう役割りを社会で担っているのか、その意識を整えなければならない段階なのです。

新規参入を奨励する新システムを進めようとしている人たちは、全国的に起っている大学や専門学校の保育科の定員割れをどう考えているのか。願書さえ出せば入学でき、ほぼ全員国家資格がとれるような仕組みの中で、子育てを任せられる保育士を確保するのは急速に難しくなっています。実習に来る学生たちの態度の悪さに驚愕している園長たちに話を聴けば、とても「社会で子育て」などと言えないはずです。

新システムは、客観的に見て、保育園のさらなる託児所化と、幼稚園を雇用労働施策に取り込むことによって託児を兼任させることを目指しています。

自治体が、財政上の理由で規則をゆるめ、罰則規定も整備されていない状況で、財政難+新システムでは、「大人たちの都合で」ますます保育は認可外へ移行するかもしれません。

大日向さん:「保育の必要性については、市町村が客観的な基準に基づいて認定し、それに基づいて、保護者は施設を選択して契約する、いわゆる公的契約とするが、待機児の多い場合、障害や虐待、経済的事情がある子供の行き場がなくならないよう市町村が調整に勤めることも責務としています。」

ここが問題。「勤める」という言葉が使われる時は、できなかったら仕方ないという場合が多いのです。認可外保育の規則がたびたび「おおむね」と「望ましい」という言葉を使い、規則を守らせる立場の役人たちでさえ、設備の不備、人材不足の問題を取り締まりようのない状況になっているのです。

大日向さん:「第三に、保育の質と恒久財源の確保を目指します。新システムは単なる待機児対策ではありません。すべての子に良質な発達環境を整備することを目指している。施設の物理的な環境整備。保育士の人員配置、待遇改善、研修システムの充実など、保育に携わる人の就労環境の整備があってこそ、保育の質が守られる。財源確保は最重要項目です。」

保育の質が子ども主体に守られ、財源確保が行われればいいですが、新システムは、現時点では何も保証していない。財源の議論をしようとしても、保護者負担の割合さえ決まっていない状況では試算しようがありません。実は、新システムを導入は、消費税がらみの増税に理解を得るための看板に使われようとした可能性が高い。(財務省か厚労省が、増税のため、民主党や学者を操った可能性も少し感じます。)

大日向さん:「第四に政府の推進体制、財源を一元化する。これまで、幼稚園は文科省、保育園は厚労省、財源も制度ごとにばらばらでした。新システムでは、こども園給付を創設して、財政と所管を一元化して二重行政の解消をめざす。就学前の子が過ごす場が親の生活状況によって幼稚園と保育園に別れて60数年です。幼保一体化は、多くの関係者の悲願でした。」

23年にわたって保育の現場を見、多くの関係者と話をしてきましたが、「幼保一体化は多くの関係者の悲願」ではない。政府の幼保一体化ワーキングチームの座長が、公共放送で問題の本質に関わるまったく事実ではないことを言うことに、保育団体は、政府に正式に強く抗議するべきだと思います。

業界的考え方をする経営者の一部が地方の幼稚園の生き残り策として望んでいたかもしれない。しかし絶対に幼稚園全体の希望ではなかった。それは去年から全国の私立幼稚園で進んでいる幼保一体化反対署名運動の広がりを見ればすでにあきらかでしょう。

保育園で保育士が幼保一体化を望んでいた、という話も聴いたことがありません。預かる人数を増やし、しかも支出を抑えたい行政が望んでいたかもしれない。ジェンダーフリー的考え方をするひとたちが差別感を解消するために望んでいたかもしれない。幼稚園を厚労省管轄にし、雇用労働施策に取り込むことによって労働力を確保しようという財界が望んでいるのかもしれない。しかし、当事者である親や子供たちがそれを望んでいるという調査結果はないはずです。

大日向さん:「新システム中間の取り纏めはまだ完璧なものではありません。財源は一元化されますが、施設類型、保育所指針の一元化、3歳未満児の保育に、法制度上の教育をいかに保障するか。市町村との調整、事業主負担の在り方など、今後引き続き検討を進めていく予定。幼稚園と保育所の歴史、文化の違いを考慮して、改革を拙速に過ぎてはいけないという意見もあるが、今日の子供や親の生活実態を見れば、改革は待ったなしです。」

引き続き検討を進めていく予定の中に、システムの根幹にかかわる部分が多過ぎます。なぜそれでも進めようとするのか。「今日の子供や親の生活実態を見れば」というのがまた意味不明です。どういう地域のどういう親子をイメージしているのかがわからない。私が見た「今日の子供や親の生活実態」からすれば、子育ての幸福感を親たちに取り戻してもらい、家庭と保育現場の信頼関係を築いていくことの方が大切です。「改革は待ったなし」と言っているのは誰なのか、そろそろそれをはっきりさせないと、正しいように思える言葉のやりとりで、人間にとって一番大切な「子育て」が親の手から離れていくような気がしてなりません。

大日向さん:「子供の今を、日本社会の未来を守るために、新システムの理念を実現すべく、恒久財源を確保して時代に即した、新たな歴史を築いていくことが必要と考えます。」

子どもの今を、日本社会の未来を守るために、新システムの理念を否定し、保育の質を上げるために恒久財源を確保し、人間性に即した、子ども中心の保育を築いていくことが、必要なのです。この新システムを議論することによって、保育の大切さ、それがこの国の土台を支えているのだ、という意識が高まることを期待します。

子ども・子育て新システムの出典?

小宮山洋子著「私の政治の歩き方」(すべての子どもたちのために)という本があります。著者は、現厚生労働大臣です。

本の副題が新システムのサブタイトルになっていて、新システムはこの本から出発したのではないか、とも思えます。だから、民主党はこの人をいま厚生労働大臣にしたのでしょう。けれども、本の中身も新システムも、出発点から「子どもたちのため」になっているとは思えない。「子どもたちのために」と繰り返し、繰り返し書かれていますが、大人たちのために考えられている。

児童虐待が増えたから、それを守るために社会が育てなければいけない、というのですが、子育ての社会化によって人間性が失われると、人間は孤立化しよりいっそうモラル•秩序が希薄になり、それが犯罪率に反影するのです。家庭という概念が希薄になり、子育ての社会化が進んだ欧米で、犯罪率(たとえば傷害事件)を比べれば、アメリカは日本の25倍、フィンランドは18倍、フランスは6倍です。日本がなぜこれほどまだ良いのか。子育てによって培われる弱者に優しい「心」が残っているからです。0才児を預ける親は一割以下なのです。男女が協力し子どもを育てる姿勢が、欧米に比べ奇跡的に残っている。子どもを生み育てる、という大自然が我々に課した「男女共同参画社会」が、この国には根強く残っている。アメリカで3割、イギリスで4割、フランスで5割、スエーデンで6割の子どもが未婚の母から生まれています。欧米で「男女共同参画子育て社会」(つまり家庭)がこれほどまでに崩壊してしまった今、日本が、「子育て」という男女共同参画の根本にある人間性を維持していけば、いつか人類の大切な選択肢になるはずです。

  1. :子ども・子育て応援政策」にこう書かれています。

「就学前のすべての希望する子どもたちに質の良い居場所を。==幼保一体化など」

私は、言い続けるしかない。子どもたちは希望していない。

待機児童のほとんどが未満児(0.1.2歳)です。未満児は希望を発言できない。だからこそ、未満児たちが何を希望しているかを想像するのが人間性。未満児は、親と一緒にいたいと思っています。(老人だって、孫や子どもと一緒にいたいと思っています。)

自ら発言できない人たちの希望を想像することは宇宙のエネルギーの流れを知ろうとすること。注意深く、感性をもって行わなければなりません。なぜなら、それは自分の生き方を決定づけることになるからです。

「希望するすべての子どもに家庭以外の居場所を作ります」

人類の歴史を考えれば、子どもたちの希望は家庭に居場所があることです。それがまわりにない状況ならば、だいたい親の人間性と社会の絆の欠如の問題です。家庭以外の場所に意識的に子どもたちの居場所を作ることは、家庭という居場所が減る動きにつながります。もし、子どもたちが親と一緒に過ごすことを希望しなくなってきたとしたら、希望するように親が変わらなければならない。社会の仕組みが変わらなければいけない。

それが、人類が健やかに進化し、自分を「いい人間」として体験するための道です。

「最近では、働いていなくても、子どもと接する時間の長い専業主婦に、育児不安などで子どもを虐待してしまう人が多いのです。このことからも、保護者が働いていない家庭の子どもにも、質のよい居場所が必要なことは、おわかりいただけると思います。」

育児不安の原因になる子どもを家庭から取り除いても、子どもが園から帰ってくれば、そこにいるのは育児不安になりやすい親に変わりはありません。

「子育て」は、子どもが親を人間らしくするためにあるのです。親たちが忍耐力や優しさ、祈る気持ちや感謝する姿を、育児を通して身につけ、頼りあい、助け合うことに生き甲斐を感じ、絆をつくり、社会に信頼関係を生み出す。そのためにあるのです。

母親の不安は夫の育児参加が足りていないことや、孤立化から起っているのであって絆の欠如の問題です。子どもに新たな居場所を作っても問題の解決にはなりません。

孤立化や絆の欠如に福祉や教育で対処しても、やがて財政的に追いつかなくなります。親心や親身さに福祉や教育が代わることはできません。

いま、こういう時代だからこそ「保育」の大切さを保育界や教育界が認識し、うったえなければなりません。週末48時間親に子どもを返すのが心配だ、と保育士が言う時代です。せっかく五日間良い保育をしても、月曜日にまた噛みつくようになって戻ってくる、せっかくお尻がきれいになったと思ったら、週末でまた赤くただれて戻ってくる、家庭と保育園が本末転倒になってきています。

母親が、妊娠中に預ける場所を探し始めるという行為が、人間にとって実はどれほど不自然か、社会全体が気づかなくなっています。

 

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ある夕方のこと

子どもの発達を保育の醍醐味ととらえ、保育士たちの自主研修も月に一回やり、親を育てる行事をたくさん組んで保育をやっている保育園で…。

園長先生が職員室で二人の女の子が話しているのを聴きました。

「Kせんせい、やさしいんだよねー」

「そうだよねー。やさしいんだよねー」

園長先生は思わず嬉しくなって、「そう。よかったわー」

「でも、ゆうがたになるとこわいんだよねー」

「うん、なんでだろうねー」

園長先生は苦笑い。一生懸命保育をすれば、夕方には誰だって少しくたびれてきます。それを子どもはちゃんと見ています。他人の子どもを毎日毎日八時間、こんな人数で見るのは大変です。しかも、園長先生は保育士たちに、喜びをもって子どもの成長を一人一人観察し、その日の心理状態を把握して保育をしてください、と言っています。問題のある場合は、家庭の状況を探ってアドバイスをしたり、良い保育をしようとすれば、それは日々の生活であって完璧・完成はありえません。

保育士に望みすぎているのかもしれない…、と園長先生は思いました。それでも、いま園に来ている子どもたちのために、選択肢のなかった子どもたちのために、できるところまでやり続けるしかないのです。

そう思いだした時、職員室での子どもたちの会話が、保育士たちへの励ましのように聴こえたのでした。

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救われている

子どもたちに許され、愛され、救われて私たちは生きていきます。子どもたちは、見事に信じきって、頼りきって私たちを見つめます。その視線に、私は感謝します。

子どもたちによってすでに救われている、そう感じた時に、人間は安心する。