竹村先生のこと・父親にお泊まり保育をさせる

竹村先生のこと

 

もう、30年前のことです。

奈良の真美ケ丘保育所に、園児を扱ったら魔法使いのような、竹村寿美子先生という園長先生がいました。私の第一師匠のような人でした。保育士たちに丸太ん棒を一本与えて、「きょうは、これで保育をしてごらん」と言うような人でした。

ある年、園児の保護者に子どもに普段から無関心な三人の父親がいたのです。

「子どもに関心さえあれば、どんな関心だっていいの。関心があり過ぎなんてことはない。その関心が、少々ひん曲がっていたっていいの。それはその親子の運命。良くないのは無関心な親です」と竹村先生は常々言っていました。その三人の父親を、先生は園長命令で、園児たちのお泊まり保育に引っ張り出したのです。そういうことが言える時代でもありました。簡単にニコニコそういうことが出来る、太陽のような気合いの人でした。

「敷地の中に居ればいいの」。ただ、それだけ。

幼児百人に24時間囲まれると父親の人生が変わるのです。

子どもに無関心だった三人の父親が、24時間で変わりました。お泊まり保育のあと三人で「父の会」を結成しました。この辺が、「気づいた」男たちの単純でいいところだと思うのです。私を東京から奈良まで呼んで、必死に、その時の体験を話したのでした。

最近まで「しょうもない父親」だった三人が、「なんて人生を送ってたんだろう」と口々に、真剣に言うのです。その時の父親たちの嬉しそうな顔、横で笑っている竹村先生のしてやったりの顔が、私にとって「保育園」の原点にあるのです。

子どもたちの中に、一人ずつ大人たちを漬け込むこと。それだけで保育園は生きる。師匠の教えはそこにあったのです。

 

(親側に「自由に生きたい」という概念が身につくと、時として子ども達の「自由さ」が腹立たしく、それが近頃は虐待の原因になってゆくことがあります。自分もそうだった、ことを思い出す、そして誰かがそれを許してくれたことを思い出すためにも一日保育士体験が生きてくる。自由とは心の持ちようなのだ、ということに気づく。)

 

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