弱者の権利は他者の想像力の中に存在する・保育士の悲しみ

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弱者の権利は他者の想像力の中に存在する

 

ツイッターから:「おたま@xykc2nkgwnOMihh
保育園増やして欲しい!って街頭アンケートで答える若者。保育園増やしてって言えばとりあえずいい事言ってるみたいなこの空気どうかしてる。将来この若者が子ども産んでそのやみくもに増やされた保育園に入ったら今度はどんな問題が起こるんだろうね。」

その通りだと思います。まだ、結婚していない若者たちでさえ、保育園を増やすことが大切だ、と言う。保育園を増やすということが、自ら主張できない0、1、2歳児の願いを裏切ることになるのだと気づかない。学校教育の中で、弱者の気持ちを想像するという人間社会に一番大切な幸福論を教えていないのでしょうか。弱者の権利は他者の想像力の中に存在するのです。

ーーーーーーーーーーーーーーそして

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakanoma…/20160617-00058938/
「企業内保育所、質は誰が担保するのか 働く親の「最後の砦」、復職への強制力にも」

という記事。

保育所を増やせば保育の質は落ちるのです。それほど保育士不足は深刻で、養成校の学生の質が急速に落ちていく仕組みの中で、育てられる親は自分で育てるという方向に向かわないとますますこうした事故が増えるのです。
三人目はタダ、働いてなくても預けられる仕組みを「子ども・子育て支援新制度」、などという名前で進めた政府があまりにも無責任なのです。

幼児の気持ち、が施策の中に抜けていて、経済活動がすべての中心になってきている。人間性を失った経済活動は喧嘩です。
その渦の中に、この国が飲み込まれそうになっている。
政治家は感性を取り戻してほしい。踏みとどまるなら、今しかないと思うのです。

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保育士の悲しみ

朝、たぶん車の中でお漏らししたのでしょう。「臭いますね。あちらの部屋でオムツを替えてください」と、保育士が母親に言う。すると「忙しいんだよ、あんたが替えなよ、仕事だろ?」と、さっさと立ち去ってしまう。そして役場に苦情を言う。

いつから、こんな風景が現れたのでしょう。保育という仕組みがない発展途上国ではあり得ない光景でしょう。日本でも、何百人に一人くらいは、昔からちょっとおかしな、親らしくない親は居たのかもしれません。それもダーウィンの法則で、進化には必要なのでしょう。でもそれが、常識を超えて増えてきたのはここ数年、特に「保育園落ちた、日本死ね」ブログ以来目に余るようになったのです。

去年、首相が国会で、あと40万人3歳未満児を保育園で預かる。そうすれば女性が輝く、と言ってしまった。しかし、この経済優先の計画は、消費税を上げても四千億円足りないという危ういものでした。それを、消費税を上げずに見切り発車で進めてしまい、確かに建物は出来て保育所の数は増えているのに、保育士が確保できない。

待機児童予備軍は、子育てに対する親の意識の変化もあって、どんどん増え続けているのに仕組みが追いついていない。(「保育の受け皿」をこれだけ増やして減らないということは、驚くべき勢いで増えているということなのです。)

去年から、特に地方で、0歳児を預けたがる親が増えています。預けたがるというより、乳児を預けることに躊躇しない親が増えています。政府が言うように小規模保育所を作っても、ベテランを主任や園長として確保するのは困難で、その結果乳児の安全が脅かされている。そして、保育士同士の人間関係に中身がともなわないから、保育の質は落ち、さらに人材不足に拍車がかかってしまった。

平行して、政府のせいで、行政のせいで、保育士のせいで、「輝けない」と思う母親が、確実に増えているのです。

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もちろん、乳幼児を保育園に預ければ「女性が輝く」という人類始まって以来誰も聞いたことのない首相の発言を真に受けない、「母親を馬鹿にするんじゃないよ」と思った人は7割くらいはいたと思うのです。(幼稚園という選択肢のある地域では、保育園に3歳未満児を預ける親は未だに3割以下ですし、今でも、乳児を自分の手で育てることは当たり前に、幸福感を持って母親たちに受け入れられているのですから。)

しかし、マスコミの報道や野党の後押しもあって、首相の発言を真に受けてしまった人たちもけっこう居たのです。そして、施策を実現させることが不可能とわかっているのに、政府は首相の方針を撤回しない。現場の事情を知らない市長や保育課長が、認定こども園を作れ、小規模保育や家庭的保育事業を増やせ、障害児の加配は無資格でいい、認可保育園も朝と夕方は無資格者を使っていい、などと、政府の40万人預かれ施策をいまだに進めているのです。現場は十分に対応できませんから、親たちのイライラはますますつのってくる。そしていま、その人たちの乱暴な言葉遣いで保育士が辞めてゆく。

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市長へのメールで、「保育士のしつけがなってないんだよ。しっかりやれよ」とか、一日保育士体験を園長から勧められて、市長宛に、「子どもが好きな親ばかりじゃないんだよ。うるさいんだよ」と人生の不満をぶつけてくる人の話を頻繁に聞くようになりました。

日本語は特殊で、言葉づかいが、この国のモラルと秩序を保ってきました。言葉づかいから何か大切なものが崩れてゆく。少なくとも、保育界からいい保育士は確実にいなくなる。子育てを共にする、という感覚が政治家の主導する「仕組み」によって消えてゆく。

マスコミや政治家が感性を取り戻して欲しい。高等教育が、感性を取り戻して欲しい。

背後に沈黙が感じられない言葉が騒音となって国を覆ってゆく。幼児の寝息が聞こえるような、あたたかい沈黙が分かち合われなくなったら、この国の本質が消えてゆく。

 

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0才児を13時間預かる保育園があります

夕食を提供する保育園もあって、それを利便性で正当化するひとたちがいます。でも、それをすることによって社会全体から何が失われてゆくのか。学校教育の中でも、親子の間の関係、愛着障害が指摘されているのです。

NHKのクローズアップ現代『~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/index.html

他人事ではないのです。義務教育が存在する限り子どもたちはいずれ交わる。自分の子どもにとっての環境は、他の子どもの親たちがどういう親たちか、ということなのです。社会学者や経済学者はわかっていない。でも、保育を専門としている学者たちはわかっているはず。サービスという仕組みの中で、人は育ちあわない。駆け引きという経済の中で、人は安心しない。安心しないと子どもを作らない。

 

保育士は他人だから

保育士は他人だから、一瞬の悪い保育が衝撃的な影響を子どもの人生に与えることがある。その瞬間に生まれる不信感が、幼児期の人間たちに刻印される。隔離されたケースだけならまだしも、その刻印が増え、いま重なり合ってゆく。そして、その悪い保育を眺めている子どもたちの心にも大きな影響を与えている。それを親たちが見ていない。

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