知覧での講演・日本の伝統的家庭観・パラダイス

鹿児島県の知覧で講演しました

今回は行けませんでしたが、知覧には特攻平和記念館があります。私には、身の引き締まる思いで、若者たちの「思い」と向き合う、自分の人生を振り返る場所です。記念館の説明にこうあります。

「私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。

特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。」

遺書、遺品の展示の中に、一本の尺八があって、なぜかまだ若い尺八で、それがいつも語りかけてくるような気がするのです。

私も、この不思議な楽器を持って20歳の時にインドへ出ました。そして、いままでずっと一緒に旅してきました。

この若さで尺八を吹く人、というだけで、何かが私たちを引き寄せる気がします。

遺品として寄贈されたのかもしれません。でも、私は考えるのです。ここまで一緒に持ってきたんだ、と。故郷には置いてこれなかったんだ、と。そして、逝く前に毎晩、静かな音で吹いていたはず。

すると、みんながそれに耳を傾けて、月を見たり、目を閉じたりして・・・、とそこまで考えると胸がつまってくるのです。

そして、その人はこの一本の竹の笛をこの地に置いて、飛び立った。

何を守ってほしかったのか。

親、兄弟姉妹。息子、娘。この国の音色、この国の気配。

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伝統的家庭、この国の風景

伝統的家庭というと男が働きに出て女が家で子育て、と誤解する人が多いのですが、日本は違います。渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社)第十章「子どもの楽園」を読むと、160年前、江戸の末期から明治の初期にかけて日本に来た欧米人がそれぞれ様々な文献に、日本の男たち(父親たち)が常に子ども(特に幼児)と一体になって暮らしている姿を、驚きをもって書き残しています。

日本人は幼児をしからない、崇拝する、と欧米人が書き残しています。それなのに、何で10歳にもなるとあんなにいい子に育ってしまうのか。幼児のいる風景が、日本の風景であって、それがよほど印象に残るのでしょう。日本が嫌いな西洋人でも、日本の子どもは好きになる、と書いています。江戸で朝、男たちが十人ほど座っている。それぞれ幼児を抱え子どもの自慢話をしている。日本の子どもは、5歳まで父親の肩車を降りないようだ。男たちが寸暇を惜しんで幼児と過ごすのが、欧米人がパラダイスと呼んだ国の日常の風景だった。幼児と過ごす喜びを堪能する男たちがこの国を支え、穏やかにしていた。

幼児を知るものは天国を知る、とイエスは言った。だから、欧米人たちはこの国を「パラダイス」と呼んだのでしょう。それが、この国の風景だった。

それを、少しずつでも取り戻していかないと、日本も「ただの先進国」になってしまう。それではあまりにも申し訳ない。

日本の男たちを、それこそ小学5年生くらいから、おじいちゃんまで、早く幼児たちの元に返してやらないと、と思います。それには保育園や幼稚園を使うしかない。幼児と人間を出会わせる場に「保育」がなっていけば、きっと自然治癒力が働く。

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