堀内誠一展/世田谷文学館

シャクティとは直接関係ないのですが、世田谷文学館でやっている堀内誠一展は、ちょっと凄いです。http://www.setabun.or.jp/exhibition/horiuchi/
娘さんの花子ちゃんに誘われて内覧会を見に行って、ああ、すごい人だった、とあらためて思いました。二十歳の時にインドを中心に私が2年くらい旅していた時、パリのご自宅に2ヶ月居候していたのです。そのとき花ちゃんは中学生でした。いまは、二人ともけっこう歳です。
詩人の谷川俊太郎さんが遊びに来たり、夜遅くまで堀内さんととても興味深い雑談をしてました。ちょうど、堀内さんが、「こすずめのぼうけん」や「おやゆびチーちゃん」の絵を描いていた頃で、指輪物語の訳が出来るたびに、一巻一巻、瀬田貞二さんから本が届き、私はそれを読みふけっていました。
二人で、絵本業界「東西奇人変人番付」というのを作ったことを覚えています。良い意味、褒める意味での奇人変人で、出身地で東西に分けたのですが、西の横綱が丸木位里先生(原爆の図、ねずみじょうど)http://www.aya.or.jp/~marukimsn/、東が岸田衿子さん(かばくん他)でした。どうも西に奇人変人が偏る傾向があって、張り出し横綱に秋野不矩先生(うらしまたろう他)(http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/akinofuku/artist.htm)
東の大関に丸木俊先生(原爆の図、うみのがくたい他)が来て、なぜか、西の大関に堀内さんの強い要望で、私のオヤジが入りました。最近、この判断は正しかったかもしれない、と思い始めています。
今年も八月六日に、丸木美術館に行きました。
俊先生がなくなってもうずいぶん経ちますが、行くと姪の久子さんとジョージさんが居るので、丸木夫妻の思い出話にふけります。
その時、久子さんのほうから、堀内さんの展覧会行った?、と聞かれて、凄いよねえ、という話になりました。
大正時代からの日本のアートシーンが一人の人間を通して見えてきます。もちろん、堀内さんは大正時代は生まれていないのですが、その育ちが、すでにアートと関わってくるのです。そういう伝承の息づかいが感じられる、不思議な展覧会なのです。
雑誌アンアンのロゴも、ブルータスのロゴもみんな堀内さんが創っています。
ブルータス創刊の時に、ロサンゼルスにいた私に連絡が来て、誰かいいアーティストいませんか、と言われ、ロバート・ラニアンを紹介したこともありました。
(私が個人的に一番好きなのは、絵本の「七羽のからす」です。初期の作品ですが、絵が、子どもなのに大人、大人なのに子ども、なのです。それをセンス、と呼ぶのかな。ちょっと怖いくらい「世界」を感じます。)
そうそう、思えば、私が堀内さんのところに居候になっていた時に、俊先生と位里先生がアウシュビッツの取材に来られて、私をポーランドへ誘って下さったのです。
アウシュビッツの地下で尺八を吹いたのです。ああ、聴いてる、聴いてる、と俊先生がおっしゃいました。外は、雨が降っていて、砂利がきゅるきゅると音を立てて回っていました。
アウシュビッツと広島の原爆記念館はすべての人間に見てほしい、と思います。
アウシュビッツで見た、子どもの靴の山、を私はいまでも鮮明に覚えています。その一つ一つに履き主がいたのです。
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