「村人が通るだけで」・「訴訟と保険で崩壊してゆく福祉社会」・『先進国社会で、少しずつ「子育て」を奪われた人間たちが孤立している』・嬉しいメール「子育ては自由だから」

「村人が通るだけで」

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更生施設の所長が懇親会で話してくれました。以前、学校が荒れ、校内暴力が蔓延していたころ、まったく荒れていない中学校があったそうです。その中学校は、村人の通り道になっていて、日常的に村人が校内を通り抜けていたそうなのです。それだけのことで、校内暴力がまったくない学校が維持されていた。

 

こういう実話や伝聞に、現代社会の子育てに関わる様々な問題の解決策が埋まっている。人間が無意識に作り出す風景の中から、何かを学び、感じ取っていれば、そうそう間違わない。伝達メディアの発達とコミュニケーションツールの進歩で、「風景が人間を育てる機会」が減ってしまったのだと思う。

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 人間は、日々の風景、特に調和を感じる風景によって育つ。
 そして、「育つ」ということは「安心する」ということだったのだと思う。
 
 日々の風景が環境となって人間の心に何かをコツコツと刻む。安心の仕掛け、遺伝子の働き、それらが、人々が作り出す風景として現れ、刻まれ、人間は本来の自分自身をより深く体験する。その内側の体験が幸福だったから、人類はここまで来たのだと思う。
 
 一人の良くない保育士の、手のかかる子に対する扱いが保育室の風景になることを忘れてはならない。それを見て、心を痛め、辞めてゆく保育士の陰に、その風景を毎日見続ける幼児たちがいる。それが保育という仕組みの恐いところだと思う。

 

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政府が施策として、三歳未満児をあと40万人保育園に預けることを「女性が輝く」「一億総活躍」と言ってこれほど奨励するのであれば、その子育てを代行する保育士たちが「子どもに親身なる権利」は絶対に守られなければいけなかった。しかし、そこが「保育は成長産業」という閣議決定で崩れてゆく。日々子育てをしている保育士が輝く権利、活躍する権利が、親たちの「預ける権利」によって徐々に奪われようとしている。

子育てをしている人たちが輝かなければ、子育てはその本質を失う。親身になることで輝く人たちが、この国の伝統文化そのものだったはず。

保育士が子どものために親に苦言を呈することが出来る権利、権利というより空気、常識、人が生きる術といってもいいかもしれない、それだけは守らなければいけなかった。それがあったから、保育はかろうじて、ぎりぎり「家庭」の役割を代行することができた。それが「保育はサービス」という言葉で消えてゆく。「親身になる権利」と「預ける権利」は存在する次元が違う。「遺伝子の法則」と「近頃、人間が作った法律」ほどの違いがある。「宇宙の法則」と「個人情報保護法」くらい「深さ」が違う。混同してはいけない。ぶつかりようがない。いま、「利権(りけん)」になりやすいほうが、優先されている。

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人間にとって、国にとって、子どもたちの幼児期の過ごし方がどれほど大切なことか理解していないいくつかの閣議決定が、三歳未満児を保育園で預かることを雇用労働施策として掲げるから、そして県の説明会で「財源はあるのですか?」という園長の質問に厚労省が「努力しています」としか答えられないから、市町村の保育課長たちと現場の保育士たちの溝がますます広がってゆく。

二年前、「人材はどうするのですか?」という質問に、「掘り起こせばいいのです」と国が答え、「70万人潜在保育士がいるのです」と学者が言った。ところが実際に県や都が主催しても、「掘り起こし大会」にはパラパラとしか潜在保育士はやって来なかった。人材探しの保育園の数の方が多いくらいの、不可思議な光景だった。その光景が、今の国の施策を暗示していた。

潜在保育士の多くが専門学校や大学で保育実習を体験し、自分には無理、と自らを埋めてくれた人たち。「掘り起こさないでほしい。できることなら、一生埋めといてほしい」と現場が願っている人たち。そういう実態が、国や学者はわかっていない。保育士不足で仕方なく、「三年前、やっと埋めた保育士を掘り起こさなければならないんですよ」という市役所の保育課長さんの嘆きを理解できる人が、施策を考える人たちの中にいない。いまの保育崩壊は学者や政治家の単なる勉強不足の結果だと思う。

(保育資格を持っている人を、募集すれば倍率の出る、正規、地方公務員として面接し、雇っても、ハズレが出る場合はある。この場合「埋める」ということは、現場から外す、少なくとも幼児と接する仕事から異動させる、ということ。)

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「訴訟と保険で崩壊してゆく福祉社会」

 制度を市場原理化すると、保険料と訴訟がその仕組みの危険度のバロメーターになってゆく。つまり、危ない事業には保険会社が手を出さない。渋々手を出したとしても、補償の額を極端に下げてくるか、保険料を極端に上げてくる。

 日本経済新聞に以前「小規模保育」に関して記事が載っていた。この記事は、小規模保育も保険に入れるから大丈夫、と言っているように見えたが、支払われる数字の低さと、補償がこれから長く続いてゆくのかを考えると、危うい感じがした。

 アメリカの大都市で保険料が払えなくなって産婦人科医が次々と撤退していった頃のことを憶い出す。もう30年くらい前のこと。訴訟大国で訴訟対象になりやすい職種が保険会社のリスク算定によって採算がとれなくなってくるのだ。

 「子育て」に関わる、しかも初期の子育ての社会化に関わる仕組みが、市場原理で広まり、やがて「保険」という別次元の市場原理によって排斥され淘汰されてゆく。これは信頼関係がまだ土台にある日本という国がまだ未体験の、弱者切り捨ての市場原理です。いま政府が保育園で預かる子どもの数を雇用施策で増やしても、数年後、その仕組みの質が保てなくなり、保険制度という市場原理の中で存続出来なくなってきた時に、「家庭」という、何十万年にもわたって培ったきた遺伝子に適う仕組みを取り戻すのはすでに非常に難しくなっている。

 規制緩和を進める政府は、何を壊そうとしているのか。それは単なる仕組みではなく遺伝子に沿っていた常識や伝統を一気に壊そうとしているのだ、ということを理解していないのではないか。

 経済論が幸福論の主体になりうるのであれば、いままで主だった宗教の言っていたことは何だったのか、と思う。(来日したムヒカ元大統領も言っていましたが)幼児を産み育てることは、自由を失うことに幸せを感じる、利他の心持ちでモラルと秩序を保つ、人間社会に必須の自己発見の道筋ではなかったのか。

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先進国社会で、少しずつ「子育て」を奪われた人間たちが孤立している

 奪われたというより、子育ての意味を伝承されないまま自ら放棄した、という方が正しいのかも知れない。ほとんどの場合、選択肢はあるのだから。

 孤独ほど人間たちにとって辛いものはない。人間は本来一人では生きていけない。一人では生きていけないことを自覚することに「幸せ」を見いだすように出来ている。幼児を眺めることで自然にそれを学んできたのだと思う。

 いま、日本で一人きり家庭が三割になるという。若者も老人も、いる。一人で生きていけることは、人類未体験の「豊かさ」の弊害とも言える。保育の問題と同じで、実現が可能になり「心」の問題が後回しになった。

 若者も老人も、政府の三歳未満児を保育所でもう40万人預かれという意図に現れる経済論のもと、保育や教育という名で子どもたちを集団にして長時間家庭から離す仕組みのもと、集まる意味、絆の中心を失い、ますます孤独になってゆくのが見えるのです。(福祉が進んだと言われた北欧の老人たちのインタビューを見たことがありますが、老後、弱者になった時の孤立感は苦しい。)寂しさの中で生きようとするもがきが犯罪につながったり、自死につながる。

 子どもたち、特に男の子たちの弱さ、いじめや不登校も、社会から分かち合うこと、集うことが欠如していることから生まれる現象だと思います。これ以上人間たちから「子育て」を奪わないでほしい。しゃべれない乳幼児を眺めていないと、人間たちは想像力を失ってゆく。乳幼児を育てるということは、日々、言葉では教えてくれない人たちから、「理解しようとすること」の重要性を学ぶこと。「理解すること」ではなく、「理解しようとすること」が人間性だったとはず。乳児との会話は、想像力の中で、自分の人間性を体験することだった。

 

 「社会で子育て」と言いながら、社会の原点である家庭を壊してゆく人たちの意図がわからない。しかもそれで経済が上向くと思っているのだとしたら、人間の本質を理解しない、浅い経済論でしかないのだと思う。孤立すると人間は必死に生きてゆくために、最後の力を振り絞って競争する。それはわかる。(アダムスミスが言った資本主義社会のエネルギー。不安と不満。)しかし、それは同時に男女という社会の最小単位が信頼関係を失うということでもある。(欧米先進国では、すでに3割から6割の子どもが未婚の母から生まれている。)家庭が吸引力を失い分裂すれば、一つでよかった炊飯器が二つに、冷蔵庫も二つに、冷暖房も二つになり、しばらく企業は儲かるかもしれませんが、地球温暖化や異常気象も、家庭崩壊が大きな原因になっている。

 助け合う絆がないと、すべての人間の持つそれぞれの欠陥、それぞれの発達障害と呼んでもいい、パズルを組むために必要な不完全さに、自分1人では対応できなくなって、自己責任に耐えられなくなった人間たちは精神的なバランスを失ってゆく。

 

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ママ、あんなところに行きたくない!?子どもを蝕む「ブラック保育所」急増の裏側

ジャーナリスト・小林美希「ルポ保育崩壊」の著者

http://diamond.jp/articles/-/74296?page=5

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「嬉しいメール」

(障害者の施設で働くのが好きで、そこで子供たちとかけがえのない時間を過ごして、でも、ある日、繰り返される風景に耐えられなくなって辞めていった、感性豊かな女性からメールが来ました。いまは結婚して子どもがいます。「子育ては自由だから」という言葉に、彼女が手に入れた広い世界を感じます。)

こんにちは!
春ですね!お元気ですか?
息子は8カ月になり、人間みたいになってきました。かわいいです。
子育ては祈りの連続なんですね。そして私は親からのたくさんの祈りで大きくなってきたたんだなぁとしみじみしています。
施設で働いていたときみたいに、子育てでいろいろな景色をみています。働くといろんな制約やきまりがあるけど、子育ては自由だから楽しいですね(笑)
寝不足だけどがんばります。
かずさんも講演がんばってください。

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