「小学校には待機児童がいないでしょ」・政府の緊急対策・保育士不足がどのように保育の質を低下させるか、公立と私立ではずいぶん違う・地域限定保育士制度・介護業の倒産過去最悪という記事

「小学校には待機児童がいないでしょ」

「保育園落ちた日本死ね」ブログ以来テレビのニュースやワイドショーでも関連した報道が続きます。新聞報道の方は、それなりに核心に近づいていますが、テレビはその内容が、まだまだ表面的で雑な感じがします。保育の専門家みたいな人が先日も待機児童問題で、「小学校には待機児童がいないでしょ。お金さえかければ保育でも出来ること」と言っていて、唖然としました。

ふむふむ、そうだそうだ、税金を払っているのにお金をかけない政府がいけないんだ、と思ってしまう人が居てもおかしくない。

誰かが「小学校は11時間預からないでしょう」とか、「6歳でも当初は半日です」「学童は待機児童いる」、「三歳未満児と小学生は違うでしょう」。

「喋れない乳幼児だから余計に気をつけて、大切にしなければいけない」

「0、1歳児は抱っこでしょう」と言えば、ほとんどの人が、「それはそうだ」と再び頷くコメントを言う人もいない、テレビ局はそういう当たり前の意見を放送しない。テレビ局が、幼児を保育園に入れることはいいことだ、と大雑把に決めている感じがする。小学校に待機児童はいない、なんていう馬鹿げたコメントをニュースでは放送しない、という判断さえできない。

もっと進んで、「5歳までの家庭での愛着関係が精神的安定の土台として育っていなければ、そもそも学校教育がなりたたないでしょう」という発言が、ほんのちょっとした本当の専門家、学校の先生でも保育士でもいいですが、合わせて放送されれば、今の保育施策や政府の方針が、保育が、同時に「子育て」でもあること、本来1歳児6人に育てる人1人では無理なことを知らない「専門家」たちの意見で進められていることが理解されるはずです。

待機児童対策においてサービス産業化が、すべての鍵、という学者がまだいるのです。これだけ保育士不足が進んでも、保育は双方向に心の成長の問題なのだ、と理解しない。

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社会福祉法人の役割(1人の若手園長からこんなメールが着ました。安易に社会福祉法人を待機児対策が進まない原因と批判する経済学者に対する、保育者としての憤りがそこにあります。)
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最近のメディアの状況・・・

まだ時が来ませんね。

わかりもしないで、ここまで書けるってすごいなと感心します。

http://diamond.jp/articles/-/89044

ダイアモンド社

こちらもTV出るので有名ですが、知ったかぶりですね。

http://diamond.jp/articles/-/88846

同じくダイアモンド社

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 この園長先生が指摘したいのは、自分たちの保育に対する思いは、こんな風に単純に批判されるものではない、ということ。

私も30年間、全国の保育園で多くの園長先生たちに出会った経験から、色々問題のある社会福祉法人もたしかにありますが、全体的に、その通りだと思うのです。

「小学校には待機児童がいないでしょ」とテレビで言っていた人もそうですが、補助を増やして、たくさんの子どもを預かれば、もっと産業として成長出来る。その妨げになっているのが社会福祉法人で、それを「既得権益にしてしがみついている人たちがいる。」「今までの社会福祉法人中心の保育の仕組み変えることが、待機児童対策だ」と見ている。しかし、この既得権益は、一部を除いては権益の拡大が押さえられている、いわば「欲」が抑制されている既得権益であって、その抑制が、保育の質を保つ大切な要素だった。簡単に言えば、親をしかれる、場合によっては強くアドバイス出来る仕組み、親へのサービスより、子どものことを優先する場面がしばしば起こりうる仕組みだったのです。人類の長い歴史から考えれば、見えにくいかもしれませんが、「祖父母の役割」に似た仕掛けがそこにあった。

そうした本質を考えずに、競争原理、市場原理に持って行けば、サービス産業として回り出す、というのはあまりにも学者らしい考え方だと思いますが、これでは「子どもの幸せを優先する」という、子育ての仕組みが機能しなくなる。

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政府の緊急対策

いま、政府が待機児童対策として緊急に進めようとしている保育士配置の国基準の規制緩和、1才児は保育士1人で6人という国基準があるのだから、条例で1:5(埼玉県は1:4)にしている自治体はもう1人受け入れろ、そうすれば数千人待機児童が減る、ということなのですが、この「1人くらい」という数字しか見ない安易な考え方が、今回の保育士不足騒動の根幹にあることが厚労省も厚労大臣もわかっていない。1:6でもひなたぼっこ保育ならできるかもしれません。ただ見ているだけなら1:10だって出来るのです。でも、この時期の子どもたちは、人類に向かって「抱っこ」を求めているのです

1:6では、抱っこされない子が必ず出てくる。それが一日二日ではない。年に260日だということ。そして、この時期特有の発達はほぼ一対一の愛着関係を要求しているということを理解していないと、知らないうちに取り返しがつかないことになる。いい保育士に当たればまだしも、いい保育士に当たる確率を政府が待機児童対策で下げている。

最近の噛みつく子の増え方や、小学校の学級崩壊の現状を見て、今まで1:6だった国基準を1:3にするというのならまだわかる。いまの一歳児は30年前の一歳児とは違う、政治家たちはそれさえわかっていない。保育士たちが繰り返し言う。親の意識が変化している、子どもに向ける目線が違う。子どもに向ける笑顔の質が違う、という主任さんさえいる。

 

現場に無理を強いて待機児童解消をしても、今のやり方ではますます待機児童は増えてゆく。いまだにそれに気づかない。気づかないのか、次の選挙だけを考えて生きているのか、よくわからない。

子育ての責任は、自分ではなく「社会」にあると考える親が増え、同時に、いまの施策は子どもの幸せにつながらない、と感じる保育士が辞めてゆくのだから、いくら少子化が進んでも追いつかない。いつか追いつくかも知れませんが、このまま進めば数年間は混乱する。そして、その混乱を一番身近に体験した子どもたちは、やがて学校に行き、数十年生きる。だれもそのことには責任を取ろうとしない。

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 保育士不足が危機的状況を迎えているのに、何か、論点が完全にずれてしまっている。

 待機児童対策に一兆円をかけたとしても、それは一兆円かけてより多くの幼児たちの願いを私たちの日常生活から切り捨て、彼らの私たちへの絶対的信頼を裏切ることでしかない。それに気づかないから、論争の間に、保育の質の低下は急加速していくのです。

 

国は、待機児童対策で、小規模保育の定員を増やし規制緩和するという。小規模保育は、保育指針も守れない、子ども優先なんて最初から視野にない仕組みです。数年前まで「認可外」と呼ばれ、補助さえ限られていた。それを認可にした上に更に規制緩和している。0〜2歳は保育所ではなく託児所でいいということ。

閣議決定された「サービス産業化」では、保育士は絶対に問題のある親に注意できないのです。それがわかっていながら、小規模保育は、資格者半数でいいことに目をつけた政府の付け焼き刃の待機児童対策でしかない。

保育園は長年、児童相談所的、養護施設的役割を果たしてきました。0〜2歳児の親にはアドバイスが必要だった。ここで適切なアドバイスをしていれば、その一家の一生が変わった。それがほとんどできなくなってしまった。そしていま児童虐待の増加が止まらない。5年前、11時間預けるのは児童虐待と私に言った園長がいた。それをいま政府が標準と名付けている。これでは児童虐待もDVも止まらない。

「保育園落ちた、日本死ね」のブログをきっかけに、保育士の待遇改善が叫ばれています。給料を月五万円上げる、十万円上げる。保育界をここまで追い込み保育士不足を一気に進めた両党の政治家たちが、やってる振り論争を国会で繰り広げる。もう40万人園児を増やし、保育士の給料を月五万円上げるとして、毎年一兆円恒久財源を確保できるのか。本当に、本気なのか。消費税上げても四千億円足りないと言っていたのに、上げずに新制度を始めてしまったのが去年のこと。幼児のこととなると、政治家たちはいい加減過ぎる。

 

働いていない時間は基本的に親が育てる、その方向へ向かうしか方法はない。それでないと保育士が納得しない。

しかし、いまそれをやると票が減るという怖れが、幼児の安心・安全より優先するから、政治家は誰も言わない。三人目無料、などという幼児の気持ちを無視した非人間的な施策を進めたのがつい去年なのですから、論争が幼児優先にまったくなってこない。乳児も含めて、幼児は生きている、呼吸している、反応している。そのことにまず気づくべきです。

保育士不足はもう待った無しです。昨日も県の保育士会の会長まで務めた園長から、もう駄目です、辞めます、という電話があった。根性のある、行政を叱り、保育士を鍛える人だっただけに涙が出そうになる。

保育界の魂のインフラが崩れてゆく。

 

保育士不足がどのように保育の質を低下させるか、公立と私立ではずいぶん違うのです。

公立でも正規、非正規の割り合いが1対9か9対1かでまったく違う。私立でも園長が(政府の方針に従って)サービス産業化しようとしているか、(保育所保育指針に従って、または良心に従って)幼児の最善の利益を優先しているかで、まったく違う。

待機児童がいる地域か、過疎化が進んでいる地域か、でも違う。処方箋が異なる。だから、市の役人にアドバイスをする時は、こうした基本的な状況をまず訊ね、それから話をします。基本は保育士たちの精神的健康を第一に考え、保育士を守ること。それなくしてこの状況は乗り切れない。保育が集団制になる三歳未満児の部屋に、1人でも良くない保育士を入れると、良い保育士が去ってゆくからです。

全国で、幼稚園がない自治体が2割あるのです。そして同時に、幼稚園を選ぶ親が7割という県もある。それほど地域によって人々の気質や習慣が違うし、仕組みが違う。

幼稚園と保育園の違いは単純に保育の内容だけではありません。様々な側面で生じてきた役割り、対立、均衡を理解せずいきなり手を突っ込んでかき回したのが今回の新制度。何度も無理だと忠告したのに、経済優先で進めてしまった。

まだ引き返せるのですが、政治家と学者が非を認めず、ますます子どもの人生が犠牲になってゆく。この国のゆく末を、選挙よりもっと本気で考える政治家が現れてほしい。

 

地域限定保育士制度

地域限定保育士制度、国家試験の他に県で試験をし、地域限定の保育資格を与える。その県で三年働けば全国で通用する資格になるという。http://www.e-hoikushi.net/column/17/、これでは保育士養成校は存在意義無し。保育という学問の否定。ここまでないがしろにされた学者たちが「社会で子育て」などと、保育=子育ての現場をまったくわかっていないことを言って、三歳未満児を親から引き離すことを国に薦めたのだから自業自得かもしれません。保育園が増えれば自分たちのやっている保育士養成校が繁盛するとでも思ったのでしょう。しかし、そんな思惑を飛び越えて、保育士は辞めてゆくし、国はなりふり構わず規制緩和に走ったのです。

 

入れればいい、という親が激増している。入ってからの方が本当の問題なのです。ただ眺めているだけの保育士に4、5人の子どもを一日十時間、年に260日預ければ、その子たちの一生に何らかのかたちで「愛着障害」という負の影響を及ぼすことは、厚労省も、国連も、ユネスコも繰り返し過去に言ったこと。それがはっきり見えないからといって、見えるようになってからではもう遅い。だから北欧では、子どもと親が一緒に過ごす時間を取り戻す方向へと施策が進められている。(手遅れだと思いますが。)。

以前、経済財政諮問会議の座長の経済学者が、0才児は寝たきりなんだから、と言ったことを憶い出します。人間たちをいい人にしてくれる三歳未満児の存在意義を理解していない。幼児を蔑ろにして、この国の将来は輝かない。

 

介護業の倒産過去最悪という記事

介護保険で老人福祉に競争原理を導入し、家庭崩壊が加速、人手不足の直撃を受け経営に行き詰まる業者が増えています。

心のこもらない福祉から人材が去ってゆくのです。経営が下手な場合もあるでしょう。しかし倒産に至るまでの過程で施設に居た弱者の人生に何があったのか。そこが一番問題です。最近になって「抜き打ち立入り調査」を実施します、などと政府は言っていますが、これをやったら介護施設不足は一気に進んでしまうから、実は手をつけられないのが現状です。抜き打ち立入り調査をして問題が発覚しても、それを止められない。

保育は成長産業と位置づけた閣議決定の先に、介護と同じことが起これば、その影響は半世紀に渡って人と国に影響を及ぼします。

民営化、市場原理、競争原理で福祉の予算を減らせるという、保育を知らない保育の専門家と学者や経営者の「子どもを優先しない」論理に内閣が簡単に乗った。それが「子ども・子育て支援新制度」。介護崩壊が保育崩壊を暗示していることは仕組みを見れば明かだと思います。保育資格を持っている者が全員保育出来るのではない。保育は保育士の心。学校教育とは違う。そこを考えずに数字の上で「保育の義務教育化」などと社会学者が言う。社会は仕組みではない。心のジグゾーパズル。幼児を眺めていないと組めないパズルです。

家庭という人間関係を、一部の人間が儲けようとする利己的な経済論で壊しておいて、「一億総活躍」「女性が輝く」と言っても、保育士たちの目線は冷ややかです。保育の現状から見ると現実離れした絵空事でしかない。国の根幹を揺るがす保育崩壊が始まっている。保育は心。子育ては信頼関係。国がそれを壊している。

非正規の方がいいです

地方で、公務員(正規雇用)で保育士をやるより、非正規の方がいいです、という保育士が出始めている。これが何を意味するのか。児童数の現象と財政削減のため、これから教員の数を減らしていこうとしている国はよく考えた方がいい。保育や教育に「子育て」の肩代わりをさせればさせるほど、保育や教育の定義が揺らぎ、質を保つのが増々困難になってゆく。

去年から今年にかけて、都市部では第一希望の保育園を見学に行かない親が急に増えています。地方でも入園の説明会の案内に「会社を休んで行かなければいけないんですか」と気色ばむ親が行政を怯えさせている。こんなことを続けていていいんだろうか。去ってゆく年輩の保育士を止める気さえなくなります、と課長補佐が寂しそうに言うのです。

保育士の待遇問題を言う人たちが多い。確かにそうなのですが、保育士不足の本質はそこにはない。法律でも決まっていた「子どもの最善の利益を優先する」という保育の根幹が国の施策で揺らいでいること、親の意識が変わり始めていること、それが保育士を精神的に追い詰めている。それを現場で伝えていた年輩の保育士があきらめ始めている。

(「地域限定保育士」は、試験を受けた都府県内のみで保育士として仕事に就けるものとして新しく創設される予定の資格です。最初は就職する地域の制限がありますが、3年間「地域限定保育士」として活躍したのちは全国で働けるとされています。 )

子育て支援員

子育て支援員、支援員研修で儲けようとしている企業との出来ゲームのような気がします。第三者評価が行政の天下り先になっていた仕組みと似ているのです。子育てを損な役割、これをしていては女性が輝けない、というイメージ付けをしておいて、学童、乳児院、小規模保育、家庭的保育事業、事業所内保育事業、すべての資格を数日の座学でとれるような規制緩和が行われる。保育(子育て)とはそんなものだったのか。「子育て支援員」が、無資格者を雇う時の方便になっている。ちゃんと厳選すれば、資格を持っていない人でもいい保育士はいるのですが、これほど資格を蔑ろにすれば、保育科に来る学生の質はますます下がってゆく。

司法試験合格者「1500人」に半減。/政府の目標の半分

素晴らしいことだと思う。日本人は闘うのが好きではないという宣言だと思う。司法制度というパワーゲームの道具を拒否しないと、日本が一気に西洋化して、荒れてしまう。

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