「卵が先か、ニワトリが先か」

https://www.youtube.com/watch?v=BoEc_UNNmPg
ライ・クーダーのThe Slide Areaというアルバムにある「卵が先か、ニワトリが先か」という曲で尺八を吹いています。思考するのに、ちょっといい感じです。

保育の無償化、子育ての無償化、という施策の危うさを考える度に思うのです。
今この瞬間、日本よりはるかに貧しい国々で、人々は子育てに人生の意味や喜びを感じ、先進国社会以上に子どもをつくり、育て、経済的には苦労しながらも、その苦労を分かち合うことに生きる動機を見出している。その人たちに、タダにしてあげるから子育てを「受け皿」に任せなさい、と言っても不思議な顔をされるだけ。

「卵が先か、ニワトリが先か」。親が子どもを育てるのか、子どもが親を育てるのか。

日本の子どもは6歳くらいまで父親の肩車を降りない。150年前に欧米人が驚き、書き残した「この国の」素晴らしさ、父親と幼児たちが自然に、常に一体で、ニコニコ暮らしていた描写を「逝きし世の面影」(渡辺京二著)に読むと、最近の経済優先(損得勘定)の施策とは別の次元に存在したこの国の価値が見えてきます。子育ては、国が「無償」でやるものではなく、人間が「無償」の意義を知るためにある。そんなことを考えます。

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