市長の決断、保育士さんの発言、母親の気づき、そして小野省子さんの詩

以前、「育休退園・所沢市の決断」

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=279 をブログに書きました。

施策の内容は簡単に言えば、育児休業をとっている親の在園三歳未満児は、弟か妹を出産後、母親が育休に入って三ヶ月までは預かるが、それ以降は原則退園してもらう、という方針です。簡単に言えば、育児休暇をとって家にいるのですから二歳以下の上の子は一緒に育てて下さい、ということ。そして、育児休業期間が終わった時には、園に戻り、その際は弟妹も兄姉のいる園に一緒に入れる、という特典つきでした。三才以上の在園児は一号認定で保育園に残れますし幼稚園に入ることも可能です。

市長がマスコミやネットで激しく批判されていたころ、新潟市で講演後の質疑応答の時に「所沢市の育休退園」について一人の保育士さんが意を決したように手を挙げ、発言しました。

「市長さんの、『子どもは親と居たいはず』という答えに感動しました。誰も言わなくなりましたが、あれが本当の答えでなければいけないはずです。他に待機児童がいるから、なんていう答えではいけないんです。どう思われますか?」と。

マスコミが半ば呆れ批判していた「市長が言ったこと」が、実は一番深い次元で、遺伝子のレベルで、双方向に正解で、それが土台になければ保育も子育ても成り立たない。子どもの思いを優先しなければ、保育自体が現状から立ち直れない、それを最近のサービス産業化する保育界全体の流れの中で、この保育士さんは直感的に感じていたのだと思います。何かが根本的に間違っている。どこかで誰かがこの流れを変えなければ、自分たちの意志とは関係なく、自分たちの存在が子どもたちの不幸に連鎖していく、その現実が一番歯がゆいのだと思います。

保育園に通う子どもたちの日常を足し算すると、預ける時間が十時間近くになってきた今、子どもの気持ち、願いが一番気になっているのは保育士かもしれない。その視点や気持ちを施策の中心部に置いていない、ほとんど考慮もしていないことが、現在の保育に関わる施策の決定的な欠陥なのです。この人たちの気持ち、そして存在が保育そのものだという当たり前のことを忘れて議論が飛び交っている。

この保育士さんは、市長がこういう施策を「当選するため」にしていないのを知っている。

1年後、育休退園に反対していた母親が、仕方なく上の子と一緒に乳児を育てていて、それは大変だったのですが、ある日「上の子が下の子を可愛がる姿に感動したんです」と役場にわざわざ言いに来てくれたのです。こういう真実をマスコミは報道してほしい。

兄弟姉妹が一緒に過ごす「権利」、についてもだれも言わない。何か大切な「次元」が後回しになっているのです。

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姉弟

 

「幼稚園でもらっためずらしいおやつ、

こうちゃんにもあげたかったの」

お姉ちゃんがそっと小さな手を広げると

にぎりしめたワタアメが

カチカチにかたまっていた

 

「ひかりちゃんがいないと、つまんないわけじゃないよ

ただ、さびしいだけ」

私と二人だけの部屋で

弟は たどたどしくうったえた

 

人間は

かたわらにいる人を 愛さずにはいられない

幼い子供から それを教わる

 

by小野省子

HP:http://www.h4.dion.ne.jp/~shoko_o/newpage8.htm