「社会で子育て」の実態と虚偽

「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2498

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11時間保育を標準としたこの政策パッケージが言う「保育の受け皿」は、「子育ての受け皿」で、子育てを「保育」が肩代わりすれば「親が安心する」と言っているのです。「社会で子育て」の実態と、不可能な現実、虚偽がそこにある。

「幼児を可愛がる」、一番簡単に幸せになれる人たちを、生きる指針として大切にする、育てる、という大自然の作った一つの「かたち」が土台にあれば、人間の作った福祉や教育という「仕組み」もそれほど崩れない。しかし、「幼児を可愛がる『かたち』」が日常生活から欠け始めると「自分のいい人間性を体験する」という生きる動機そのものが崩れていく。そして、社会全体で、モラル・秩序の崩壊が始まる。

AIや技術(特にコミュニケーション能力)の進歩とは異なる次元で、人間の作った子育てに関わる「仕組み」の崩壊がすでに始まっています。AIや技術の進歩は正直ですから、「平等」などという有りもしないまやかしをその係数には入れません。

すると、人間性を失った技術の「進歩」は、様々なかたちの「戦い」での決着を目指そうとする。

そうならないように、「幼児を可愛がる」という「かたち」を意図的に取り戻していかなければならないと思う。しかし、現実は真逆の方向に動いている。

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「保育の現場 潜む虐待 突き飛ばす、怒鳴る、差別する。」東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/…/…/201811/CK2018111602000147.html

これが政府による保育の規制緩和とサービス産業化の結果なのです。保育士不足と質の低下が止まらない。園児たちが、強者が弱者をいじめる姿を日常的に見ている。強者が弱者を手荒く扱う風景を、毎日見ている。そこにこの国の未来があることに気づいてほしい。