義務教育に「子育て」を引き受けることはできません。

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義務教育に「子育て」を引き受けることはできません。子育てを社会(仕組み)に依存しようとする親を、政府が経済施策として意図的に増やしている限り小一プロブレムや学級崩壊は止められない。そのことに気づいてほしい。子育てと「教育」を混同すると、心をともなわない「仕組み」はその責任を負えなくなる。

福祉や教育で壊された「心」を福祉や教育では補うことはできない。それが私が30年住んで欧米社会に見た結論でした。虐待防止と言って政府がチェック機能を強化しても、一度子育てに対する意識が変わってしまうと焼け石に水。価値観の変化、などと言っているうちに進む人間性の欠如は、本来、法律で取り締まれる問題ではありません。(家庭崩壊が進んだアメリカで、人口の140人にひとりが刑務所にいて、そこに市場原理が働く。刑務所が成長産業になっています。)

日本の保育(子育て)も、こういうことが起こりやすい仕組みに政府の施策によって作り変えられつつあります。欧米より安定していたこの国の家庭を、福祉によって親子関係が育ちにくい仕組みにしている。そうしておいて虐待防止ダイヤルとか、乳児期における身体検査、法律の強化を進める政治家のやったふり施策が、この国の義務教育のみならず、未来のあり方を追い詰めているように思えてなりません。

「人が仕組みをつくるのであって、仕組みが人をつくるのではない。」

保育の無償化を「人づくり革命」と名付ける人たちは、人間性の根元に流れる「生きる動機」、「人づくりは、人が自分自身を発見し体験すること」だということを忘れている。労働力を得るために親子を引き離しても、保育や教育で「人づくり」が出来るという発想は、「新しい経済政策パッケージ」を書いた「子育てを教育と勘違いしている人たち」の思い上がりだと思う。

子育ては、育てる側が人間性を身につけ(人間性を引き出され)、育てるもの同士が心を一つにすることが第一義でした。そして、一人で子育てはできないからこそ、人脈や絆が生まれ、弱者を見つめる思いの絆が社会の土台となって、人間は助け合うことに幸福を感じ進化してきた。

保育にしても学童にしても、「子育て」を市場原理に任せて誰でも参入できる仕組みにする方向に国は動いています。保育に理解のない人たちの参入を国が促しています。

子どもたちが利益追求の対象にされている。子育てはもう国に任せられるものではない。みんなで、それに気づいてほしい。