保育園は働く親のためにあるから学級閉鎖できない?

市議会議員や市役所の人に講演することがあります。人材的にも財源的にも、いまの保育施策が現実的でないこと、不可能なことは30分も話せばみな理解してくれます。そうだろうと思っていたが、見ないふりをしてきたという人がほとんどです。
行政の一部として国の決めたことはしなければならないという立場上の問題もあります。議員や市長であれば、選挙との兼ね合い、ここが一番難しいのですが、選挙権を持っている大人たちの要求が優先される。マスコミの報道姿勢も問題だと思います。「待機児童をなくせ」という報道には、乳幼児たちの願いや人権がほとんど含まれていません。

就学前、目覚めている時間を一番長く一緒に過ごしているのは保育士たち、今回の「子ども・子育て支援新制度」によって、そんな幼児期を過ごす子どもがますます増えています。だからこそ、保育の質は保たれなければならないのです。
子どもの気持ちを親に向かって、行政・政治家・学者・マスコミに向けて発信し、保育界の窮状を伝えるのが保育士たちの使命かもしれない。国の子ども・子育て会議の「専門家」たちに11時間保育を「標準」とされ、労働力確保で進む家庭崩壊のつけを里親制度や保育士たちに押し付けてくる政府のやり方に、現場から声を上げてほしいのです。

 先日、ノロウィルスの感染で、子どもたちだけでなく保育士が倒れ始めている保育園の看護師から、なぜ保育園は学級閉鎖できないのか、と厚労省に手紙を書きました、というメールをもらいました。
こんなことしても厚労省は取り合わないだろうし、効果はないと知りながらも、その看護師は書く。園長や設置者に咎められても、制止を振り切って、書く。保育士の数は、ウイルス感染で国基準を割り、保育士不足で緊急の補充は不可能です。

保育園は働く親のためにあるから学級閉鎖できない、という論理は、親が親らしかった、他の子どもたちにある程度配慮をしていた時代には通用していたかもしれませんが、少々熱があっても、薬を飲ませて黙って保育園に連れてくるような親が増え始めている現状ではとても成り立つ論理ではありません。保育園が感染症を広げる場所になっている、とその看護師さんは嘆くのです。自分の子どもが病気になったら、他の子どもたちや保育士のことを考えて、休ませる、そんな配慮、常識が消えかかっているのです。

(園に看護師がいることで、ますます常識が消えていく。看護師さんには見えます。保育という「便利な仕組み」が「権利」となって、思いやりと絆を希薄にする。「保育は成長産業」という閣議決定が根っこにある、政府のつくろうとしている仕組みがすでに「子ども優先」ではないからです。)

自分の子どもの環境は「他の子どもたち」「他の親たち」という運命共同体的な意識が弱まっています。先進国に共通した問題ですが、人間同士の直接的な助け合いが不要になり、思いやりや忍耐力が育たなくなってくる。「豊かさ」ゆえの宿命でしょう。しかし、そうなってくると保育という「仕組みによる子育て」は成立しなくなる。
保育も、学校教育も、民主主義も、先進国がそれ無しには機能しなくなっている「最近つくられた巨大な仕組み」は、実は「親が親らしい」「幼児たちがその存在意義を果たせる」という大前提のもとにつくられていることに、この国だけは、欧米のように家庭崩壊が決定的になってしまう前に気づいてほしい。
ノロウィルスの感染の広がりは一つの象徴であって、本当は、0歳児を預けることに躊躇しない親たちの増加の方が社会にとって致命的かもしれない。その先にある義務教育に「子育て」を引き受けることはできません。子育てを社会(仕組み)の責任にしようとする親を、政府が経済施策として意図的に増やしている限り、小一プロブレムや学級崩壊は止められない。そのことに気づいてほしいのです。

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com または、ファックスで03-3331-7782までどうぞ。)