中学生の保育士体験/「あの人、変」/役場の人からのメール

2014年11月

中学生の保育士体験

 長野県茅野市で、家庭科の授業で保育士体験に行く中学二年生に、幼児たちがあなたたちを育ててくれますよ、という授業を一時間して、私も一緒に保育園について行きました。生徒たちは、図書館で選んだり自宅から持って来た絵本を一冊ずつ手にしています。

 昔、運動会の前日てるてる坊主に祈ったように、持っていく絵本を選ぶ時から園児との出会いはすでに始まっているのです。男子生徒、女子生徒二人ずつ四人一組で年中組の4才児を二人ずつ受け持ちます。四対二、これが中々いい組み合わせです。幼児の倍の数世話する人がいる、つまり両親と子どものような関係です。もし中学生二人が一組だと、組み合わせや役割りに余裕がなくなります。四人いると一人が座って絵本の読み聞かせをし、二人が園児を一人ずつ膝に乗せて、もう一人の中学生は自分も耳を傾けたり、園児を眺めたりウロウロできます。お互いに馴染んできたところで、牛乳パックと輪ゴムを利用してぴょんぴょんカエルをみんなで作って、最後に一緒に遊びます。

 見ていて気づいたのですが、14歳の男子生徒は生き生きと子どもに還り、女子は生き生きと母の顔になる。お姉さんの顔になる。慈愛に満ちて新鮮にキラキラ輝き始める。保育士にしたら最高の、幼児に好かれる人になる。(遺伝子学の村上和雄教授が「命の暗号」の中で書いている「遺伝子がオンになってくる」というのはこういうことなのだろうと思います。)

 そして、考えました。

 同級生四人なら、幼児を守って旅が出来る。そんな人類の法則を学んだ気がしました。

 帰り際、園児たちが「行かないでー!」と声を上げます。泣きそうな子も居ます。ほんの一時間の触れ合いで、世話してくれる人四人に幼児二人の本来の倍数の中で、普段は保育士一人対三十人で過ごしている園児たちが、離れたくない、と叫ぶのです。私はそこに日本中で叫んでいる幼児たちの声を聴いたような気がしました。


 中学生が幾人か涙ぐんで中々立ち去れない。その子を守るように同級生が囲んでいます。それを保育士さんと先生たちが感動しながら見ています。

 

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 以前、発達障害児専門の塾をしている人が、子どもを落ち着かせるためには、送ってきた親の挨拶の仕方から始めると言っていました。子どもたちはそれを社会に望んでいるのかもしれない。心のかたち、絆のかたち、それが子ども中心になっていないことに警告を発しているのかもしれない。

 

 

「あの人、変」

 

 「あの人、変」と、園児が保育士養成校から来た実習生を指差して言うのです。ぶつぶつ呟きながらうろつく明らかに園に居るべきではない若者。子どもたちは怖がって寄り付かない。園長は学校にやんわりと抗議をするのですが、いつか資格者を回してもらわなければ困ることになる。養成校がビジネス優先になり、園児の安全のことさえ忘れている、見ないふりをしている。政府の子育て支援策(全ての政党の子育て支援策)が、幼児の気持ちと願いを無視しているからこういう仕組みになってしまう。

 そして、養成校の教授が「これからは、幼児は専門家が育てるべきです」と免許を更新に来た保育者に言うのです。保育界が根底から崩れようとしているというのに、教授の視点はすでに現場の思いとはかけ離れている。その方向で施策が進めば、保育士不足が進むだけでなく、ますます崩壊家庭が増え、人々は生きる意欲を失い経済が疲弊してくるのが学者や政治家にはわからないのだろうか。

 保育は、知識も必要ですが心の方がもっと大切で、教授の言う「専門家」は5歳までしか関われない。しかも毎年担任は変わる。そういう子どもにとっての現実を教えないで、ただ「専門家」という曖昧で現実味のない単位でしか子育て(保育)を見ていない。

 そして、いい保育士を揃えられないとわかっているにもかかわらず、発達障害児のデイサービスのような仕組みがビジネスとして広まっていく。北の街で、虐待まがいの風景、詐欺師のような設置者から逃げ出して来た若い指導員の母親が、私にその実状を訴えるのです。

役場の人からのメール

今週の水曜日から、来年度の入園受付が始まりました。連日、長蛇の列です。昨年よりまた一段とお母さん達が殺気だってるような気がします。なぜか?皆さん、必死なのです。待機児童になったら、どうするの?!会社を辞めろというの?!と、こんな調子です。

また、年々乳児の申込みが急増しています。待機児童になる確率を下げるため、少しでも早く入園申込みをする傾向が加速しているのです。受付をするあいだ、こどもを預かっているのですが、(その子の発達をみることが目的でもある)、生まれてはじめて母親から引き離される時の乳飲み子の泣き声、受付会場は凄まじい状態になります。

気になるのは、こどもに無関心な親が増えているということ。親心の喪失も加速化し、養育の主体性も欠落しています。入園を希望する保育園選びをしていて、受付の最中に夫婦喧嘩さながらの光景もあります。(夫婦の絆も喪失?)

こどもを慈しむという人間本来の感情でさえ、失ってしまったのでしょうか。1日10時間の入園受付をしていても、まだ終わりません。土日も受付をします。結局のところ、保育園を新設すればするほど、待機児童の掘り起こしになることが、新年度の入園受付で確証できたのですが、誰も増設に異論を唱える人はいません。

認可園増設=待機児童減少

愚策です。

いままで拒んでいた株式会社も公募対象として決まりました。この国の子育て政策に危惧する者は、行政の中にも官僚の中にも、皆無なのかもしれません。

(こうした現場の本音が、誰にも伝えられない。配慮と言う言葉で自らを縛り、口先だけの、形だけの思いやりのようなもので誤摩化し、人間性も絆も育たなくなってきている。)

 

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平方幼稚園で保護者に講演

 埼玉県の数少ない公立幼稚園の平方幼稚園は、私の好きな園で、長屋のように並ぶ保育室を見ているだけで、園児たちの日々の充実した生活を感じ、笑い声が聴こえてくる。公立幼稚園なので、親に対するサービスがほとんどない。給食なし、園バスなし、預かり保育なし。すると親たちが活き活きとしてくる。助け合いが結束を固める。講演でも、私の言うことを隅々まで理解してくれる。それを感じ、人類が幼児と過ごす時間の大切さを実感する。

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  選挙戦の最中テレビで全ての党が、待機児童を「なくせ」と言う。政治家は簡単に言うのですが、6人の一歳児を8時間笑顔で保育出来る人間はそんなにはいない。以前、保育士は「選ばれた人たち」だった。それを、誰でも資格さえあれば出来るようなことを政府が言うと、親たちも「誰に預けるのか」という責任に無感覚になってくる。保育という「仕組み」が預かっているのではない。保育士という「人間が」預かっているのだということを絶対に忘れてはいけないのです。子ども側から見れば、保育は常に一対一なのです。

 

 三歳未満児と人間の関係は非常に直接的な心の関係であって、その質が大事だということを国が忘れてはいけないのです。本当に保育を必要とする親たちのことを考えるなら、テレビの報道も、あっちこっちで必要ないのに預けてゆく親、保育園に子どもを預けて悪びれることなく遊びに行ってしまう親の姿も繰り返し報道してほしい。それをしないと、幼児たちに対しても、保育士たちに対してもフェアではない。そして、慣らし保育の時に泣き叫ぶ幼児たちの映像を流してほしい。それをしないから、いい保育士が辞めてゆく。

 ますます増える待機児童の本当の中身を知っているのは保育士だけ。

 待機児童が二万人なのにもう40万人保育園で預かることを目指す施策は、経済論から出た数字合わせであって少子化対策でも「女性の輝き」のためでもない。本気でそれで女性が輝くと思っているのなら、それは「一部の」女性であって多くの女性ではないはず。もともと選択肢さえあれば、幼稚園に預ける親の方が多かったわけだし、その人たちの方が子どもをたくさん産んでいたのです。それを減らそうとしたのですから、過去十五年間の少子化対策で子どもはまったく増えなかった。計算違いというより、愚策です。

 親が幼児に見つめられ、親が幼児に愛される。時々許され、救われ、自分のいい人間性を確認する。そして、いい自分を体験できたことに感謝する。「逝きし世の面影」渡辺京二著で150年前に日本に来た欧米人が驚くのです。日本人は子どもを罰しない、教育しない。それなのに子どもはいい子に育つ。魔法だ、と。幼児の中に仏性を見、拝む。そんな伝統がこの国を支えていたのです。http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=279

 

再び中学生に講演

 

  二週続けて中学生に講演。全校生徒330人が体育館に集まり90分。妥協を許さない中学生たちにこの長さの講演はとても難しい。自分が試されているのがわかる。確かに、この人たちの役に立とうと思っているのですが、不安で、緊張する。腹をくくって必死に訴えるのです。「人間社会における幼児たちの役割り、その人たちとの出会いで人間は自分自身のいい人間性に気づくこと。」「幸せは自分自身の持つものさしにあって、つかみ取るものでも勝ち取るものでもないこと。」「子育ては昔から男女という社会の最小単位が信頼し合うためにあったこと」など。

 

 前もって区長と校長から、その地域で児童虐待や崩壊家庭が多いことを聴いていたので、内心オロオロしながら話す。しかし、いつしか、生徒たちが私を支えてくれていた。講演後に自分が少し、洗われたような気がする。

 校長先生から翌日お礼のメールが入り、ホッとする。

おはようございます。昨日はありがとうございました。

今朝、興奮冷めやらぬ職員が、何人も私に「素敵な講師の先生を呼んでいただいてありがとうございました。」と感謝の言葉をかけられました。

 一人でも二人でも、心で感じてくれる職員ができればと思っていたので、うれしい限りです。

 養護教諭のところへは、何人もの三年生女子が訪れ、「良かった」「面白かった」等、話をして帰ったそうです。地域や役所、教育委員会の方々に先生の存在を知っていただけたことも、とてもうれしい限りです。

 またどこかで先生のお話を伺い、自分の中に勇気と元気とアイデアを育てたいと思っています。

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介助員つき授業が急増、先生でない人が教室で子どもを注意
http://hoiku-news.blogspot.jp/2014/12/blog-post_93.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
 
 
保育ママ不正請求
つなぎ国債
元保育園園長わいせつ

虐待相談:児相の子供安全確認 48時間以内にカベ

http://hoiku-news.blogspot.jp/2014/11/blog-post_0.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

今年の都市部周辺の保育課窓口へ殺到する人たちの状況を役人から聴いていると、行政が対応出来る限度を超えているのです。それが虐待事例への対応にも表れます。仮児相の役割りを果たしてくれていた保育園を政治がサービス業にしようとした結果です
児童わいせつ
人間の孤立化で潜在的な事件は増えている。にもかかわらず学童保育は現場無視の新制度で6年生までになる。財源・人材不足で指導員を選べなくなっている。政府の対応は保育と同じ民間委託と市場原理。無理なことを押し付けられた自治体の対応は極めて遅い。

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