大酋長ジョセフと学校教育

ジョセフ酋長の言葉

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 私の好きなインディアンの大酋長にジョセフという人がいます。150年くらい前に生きた人です。あるとき、ジョセフが白人の委員とこんな会話をしたのです。

 ジョセフは、白人の学校などいらないと答えた。

 「なぜ学校はいらないのか?」と委員が尋ねた。

 「教会をつくれなどと教えるからだ」とジョセフは答えた。

 「教会はいらないのか?」

 「いらない。教会など欲しくない」

 「なぜ教会がいらないのか?」

 「彼らは神のことで口論せよと教える。われわれはそんなことを学びたくない。われわれとて時には地上のことで人と争うこともあるが、神について口論したくはない。われわれはそんなことを学びたくないのだ」

(『我が魂を聖地に埋めよ』ブラウン著、草思社)

“Why do you not want schools?” the commissioner asked. 

“They will teach us to have churches,” Joseph answered.
“Do you not want churches?”
“No, we do not want churches.”
“Why do you not want churches?”
“They will teach us to quarrel about God [translated Great Spirit in other places],” Joseph said. “We do not want to learn that. We may quarrel with men sometimes about things on this earth, but we never quarrel about God. We do not want to learn about that.”
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 もともと西洋人が学校を作った背景には、識字率を上げ聖書を読める人を増やす、という目的がありました。アメリカ大陸に移住してきて、「神」を知らないインディアンを西洋人は不幸な人、野蛮な人と見て、学校教育が必要だと考えたのです。

 ところがジョセフは、神はすでに在るもので、議論の余地のないものと思っていた。これは学校という西洋的な仕組みの本質をついた視点です。こういう視点は嬉しくなります。

 なぜジョセフがそれを見破ったか。大自然と一体になった人間の感性が、白人たちの子育てに何が欠けているかを見抜いたのかもしれません。古(いにしえ)の法則で生きている人たちなのでしょう。神を広めようとする白人の行動に、自分が知っている神の存在を感じなかったのかもしれません。

 『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社)に出てくる150年前の日本人の姿と大酋長ジョセフを私は重ねます。西洋人が、日本人は無神論者的だと感じた風景の中に、実は幼児を眺め、幼児を拝み、同時に神や宇宙を眺めることができる特殊な文明が存在していた。神はそこら中に居た。そして、西洋人はその無神論者的な社会に、なぜか一様にパラダイスを見たのです。http://www.luci.jp/diary2/?p=205

 ジョセフがこの発言をしたちょうどそのころ、欧米人は日本というパラダイスを見ている。インディアンの生活が一見原始的であったがために、そこに日本を見て感じたパラダイスが見えにくかったのでしょう。インディアンたちに対しては同じ人間の営む文明として敬意を払うまでにいたらなかったのだと思います。

 当時日本にきた欧米人が、驚いたことの一つに「日本の田舎ではすべての家の中が見渡すことができた」というのがあります。この不思議さは外国人だからこそ気づいた、日本の文化の特徴です。塀や壁や扉をなるべく作らず、作ったとしても昼間は開け放つ。当たり前のように時空を共有することが、パラダイスを形成する安心感の土台にあったのでしょう。もし、同じような観察をアメリカインディアンにもしていたら、西洋人はもっと大きなパラダイスを発見していたのかもしれません。

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 西洋人が学校でインディアンに教えようとしてなかなか教えられなかったことの一つに「所有の定義」がありました。共有の中で生きてきた人たちは、西洋人が正当なやり方でインディアンから土地を手に入れても、そこから立ち退かなかった。大地は天の物、神の物であって、人間が所有できる物ではなかった。この視点の違いから、悲惨な闘いの歴史が始まります。

 日本では、土地の所有に関して血で血を洗う闘争の歴史がありました。しかし、それは主に武士階級の間で行われ、村人の日々の生活の中に別の次元の現実としてあったのは、共有の精神だったと思います。一人の赤ん坊を育てるには数人の人間が必要で、そのことが未来を共有する感性を人々に与えたのだと思います。システムだけ見ているとわからない、魂の次元での一体感や死後へも続く幸福観を村人はちゃんと持っていた。西洋人の観察の中に「確かに日本には封建制はある、武士は一見威張っているように見える、しかし、なぜか村人は武士を馬鹿にしているようなふうがある」とあるのですが、このあたりが本当の日本の姿だったのではないでしょうか。

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 最近の学校教育へ視点を戻します。先生が子どもたちに「夢を持ちなさい」という。その先生たちに、「先生は夢を持っていますか?」と質問すると言葉につまってしまう。「昔は、こんな夢を持っていました」「退職したらこんなことをしたい」といった答えが多かった。

 矛盾に囲まれて子どもたちは生きています。伝承のプロセスに信頼関係や現実味が薄いのです