保育所に仮児童養護施設の役割を押し付けてくる

どうしても、この子たちのことが気にかかる。この子たちを大事にしなければ福祉という仕組み全体が壊れて行く気がする。

親に守られなかった子どもたち。自分を守れない年齢の子どもたち。家庭という生きる場所を失った子どもたち。だからこそ、福祉が心を込めて助けなければいけないひとたち。政府の言う「福祉の歳出削減」の最初の犠牲者になってはいけない人たち。

「厚生労働省は7月31日、虐待などのため親元で暮らせない子ども(18歳未満)のうち、未就学児の施設入所を原則停止する方針を明らかにした。施設以外の受け入れ先を増やすため、里親への委託率を現在の2割未満から7年以内に75%以上とするなどの目標を掲げた。家庭に近い環境で子どもが養育されるよう促すのが狙い。」毎日新聞

この記事に載っている「家庭に近い環境」という言葉は、政府の財政のつじつま合わせを実行するための厚労省の誤魔化しに過ぎない。本当にそれがいいと信じるなら、子ども・子育て支援新制度で11時間保育を「標準」とは名付けないはず。働いていない親も保育園に乳児を預けられるような規制緩和はしない。

講演先で、「未就学児の(児童養護施設、乳児院)施設入所原則停止」について、現場で関わる役人たちに、「こんなことして大丈夫ですか?」と聞いてみます。すでに市町村をまたいだ地区の児童相談所から説明を受けた課長もいます。まだ知らない人もいる。

親元へ帰る道、還す道を安易に閉ざしていいのでしょうか、という声がありました。

施設入所がいいのか、里親を探すのがいいのか、危うくなっていても何とか家庭を維持し実の親子関係を細心の注意を払いつつ見守るのがいいのか、一つ一つのケースに異なった事情と複雑な状況、そして子どもたちの未来があります。一概には何も言えない。それが子育てに関わる福祉の現場です。

こうした施策を上からの指示で進めることによって、施設に居る間に親に立ち直ってもらう可能性を追求する努力が薄れ、なるべく実の親が育てるように行政が指導する姿勢が薄れるのではないか、という危惧があがります。この辺りが、実は「これからの福祉」全体の「姿勢」が問われる、重要な問題です。

政府やマスコミ、政治家は簡単に、それが正論のように、みな「待機児童をなくせ」と言いますが、それは同時に乳幼児を家庭から保育園に移すこと。子どもたちから長時間「親と過ごす時間」「親を体験する時間」を奪うことでもあります。親子の絆、就学前に親子が過ごす時間の質は、いまや学校教育が成り立つか成り立たないかを左右する問題です。肉親とか家庭という言葉の意味を真剣に考え、その存在意義や価値を大切にしておかないと、やがて福祉は重荷を背負いきれなくなる。それが見えています。

親に虐待される、家庭が崩壊するなどして、身勝手な大人たちによって追い詰められた就学前の弱者たちにとって、人生の岐路ともなる選択を、「施設入所原則停止」という決定で政府が決めてしまっていいのか。親身になるほど現場で(神の役割にも似た)重要な判断を迫られる人たちの悲鳴、葛藤が聞こえてきます。

何気なく進められる国の施策の陰で、実際に現場でその子たちと関わり、懸命にその子たちの幸せを考えようとする行政の人や指導員が追い詰められている、そして、やる気を失ってゆく。11時間保育を標準と名付けた施策もそうですが、こんな乱暴なやり方をしているから、行政や福祉という仕組みに「心」がなくなってくるのです。いい人材が去ってゆくのです。

児童養護施設や乳児院はお金がかかる。今の状況ではよほどの待遇改善が行われない限り有能な指導員は確保できないし仕組みとしての限界を超えている。たぶん、その辺りがこの施設入所原則停止の主な理由なのでしょう。しかし表向きには「家庭に近い環境」と言い、欧米では里親制度が主流だから、という学者たちの意見や受け売りの研究を政府が鵜呑みにし、渡りに船とばかり利用しているのではないか。この施策を説明する厚労省の文書に出てくる横文字の多さには辟易とします。英単語を知らなければ理解できないような文章から、施策の向こうに欧米かぶれの、日本の状況を知らない学者たちの存在を感じます。こういう問題で政府が数値目標を出してくるとき、たいていその裏に「欧米の数字しか見ていない」御用係のように集められた「専門家」たちがいる。(保育新制度の議論の時もそうでした。)

「福祉という仕組みの一部としての里親制度」は、実の両親に育てられる子どもが半数を切ったような国々で定着し、常態化し、里親先進国アメリカにおいてはネット上で子どもをやりとりするような、大人たちの市場原理に近い異常な状況を生み出しています。ドキュメンタリー「捨てられる養子たち」(http://www.luci.jp/diary2/?p=1413)。それは「家庭に近い環境」というより、市場原理に頼らざるを得なくなった「福祉」の成れの果ての風景です。

欧米に比べて奇跡的にまだ家庭が崩壊していない日本で、欧米並みにこの国も、という考え方はあまりにも短絡的で無責任。

欧米など、まったく真似する必要はない、価値もない。

以前フログに、「幸福度1位と51位・国連のものさし、この国のものさし」http://www.luci.jp/diary2/?p=1990を書きました。

「国連の幸福度1位のノルウェーでは、女性がレイプにあう確率が日本の20倍。殺人事件の被害者になる確率が2倍、泥棒に入られる確率が4倍。14ヶ月の徴兵もある。」「そして、13歳から始まる低年齢のシングルマザーが問題になり、傷害事件の被害者になる確率が日本の15倍、ドラッグ汚染率が5倍というデンマークが、この幸福度調査では第2位になっているのです。」

政府は、こういう強者の幸福度でしか見れない国連が決めた「日本に女性の地位の低さ」を気にしているようです。

「政治家になる女性が少ないこと」でその「地位」を決めるような愚かなものさしをなぜ真に受けるのか。最近の政治家たちの醜いドタバタを見れば、よほど「欲」を持たない限り、そんなものに成りたくないという判断の方が賢明なように思えます。

経済的に成功すれば「幸福」という欧米的なものさしから、幼児たちが「女性が輝く」ための障害になっているという考え方が生まれるのでしょう。こういうひとたちは、砂場で遊んでいる三歳児四歳児が一番幸せそうなひとたちだ、ということにさえ気づかない。

政府が主導する「仕組みとしての里親制度」は、実の親、血のつながりという言葉にまだ価値を見出している日本では制度として定着しない。(たぶん、役場や保育園に里親募集のポスターを貼っておしまい。「虐待ダイヤル189」と同じ。)誤解を恐れずに言えば、この定着していないことを、「いいこと」と考える人がなぜ政府にいないのか。40万人保育所で預かれば女性が輝く、ヒラリー・クリントンもエールを送ってくれました、と国会で首相が言ったことにも表れているのですが、欧米ではこうだから、(こうしないと国連の幸福度調査が上がらないから、)という欧米コンプレックスが未だに日本の福祉施策(雇用労働施策)の土台にあるような気がしてなりません。

そのコンプレックスが、「欧米では」という言葉を持ち出すことによって行われる利権争いや、経済施策や失政の言い訳に利用されている。そして日本の文化、弱者を優先する伝統的家庭感、価値観が崩れてゆく。施策で家庭崩壊を進めながら、福祉で支えきれなくなると、「家庭に近い環境」などと言って逃げようとする。歳出削減の犠牲者が抵抗できない幼児たちであることを誤魔化そうとする。政府の施策で、日本の美しさが消えてゆく。

最近常套句のように言われる、「生活スタイルの変化や価値観、多様化するニーズに応えること」より、いまこそ、将来福祉が成り立つために、「変えてはいけない価値観」がある。そう考える政治家が現れて欲しい。

現在、制度としてはまだ定着していない日本の里親制度は、実は欧米よりも心がこもった、子どもたちの安全に細心の注意を払おうとした、より真剣な人たちによって支えられている制度ではないのか。だからこそ、広がらない。高いハードルをクリアできない。希望者が少数しか見つからない。そう考えるほうが自然です。

里親という幼児の一生に責任を持とうという人たちは、待遇を改善し、規制緩和し、ハードルを下げ、掘り起こせば簡単に見つかるわけではない。

保育士不足対策として行われている「資格者半数でいい小規模保育」「基準を下げた地域限定保育士資格」「家庭的保育事業」「保育補助員制度」などを見ればわかるのですが、今の子育てに関わる施策は、子どもの安心安全が置き去りにされた、大人の都合と労働施策主体の危険な規制緩和です。

学童の指導員、ファミサポ、民生委員や保護士もそうですが、半分ボランティアのような仕組みに頼れる時代はもう終わりかけている。真心が、福祉という仕組みの中で裏切られる状況に拍車がかかっている。善意を裏切られると、一番福祉に向いている「その人たち」はもうなかなか返ってこない。

そして、私が現実的問題として最も危惧するのは、「未就学児の施設入所を原則停止」が、すでに疲弊してきている保育所に、仮児童養護施設的な役割をさらに押し付けてくることです。

その傾向はすでに7、8年前からありました。

「認可保育園を増やせと言っても、いま保育園は、最前線の児童相談所、仮児童養護施設の役割さえ果している。児童虐待やDVを一つでも止めようとすれば、園長は家庭に踏み込んで行くだけの気力と決意を必要とされる。それをしないと他の児童とその人生に直接影響が出てしまうのが保育園。規制緩和で保育園が崩れたら児童福祉全体が危ない。」と以前ブログに書きました。http://www.luci.jp/diary2/?p=211

「保育の質の低下」は単に幼児が過ごす時間の質、保育士の質の問題だけではありません。最近特に著しいのは、園と家庭、保育士と保護者の信頼関係の質の低下です。私立保育園の定款に「サービス」という言葉が入れられたころから、親が役場に保育園に対する苦情を言うと、役場が保育園に「文句が出ないようにしてくれ」と言い、親身な園長たちが次第に口を閉ざしていった。役場と現場の保育者の信頼関係さえも危うくなっている。

十年ほど前までは、問題のある親子を長時間引き離すために保育園を使う場合、行政から園の方にそれなりの説明がありました。でも、ここ数年、行政が問題のある親子を黙って「措置」(昔の言い方ですが)してくる。4月の親との面談で、園側は初めてその状況を知る。様々な問題のたらい回し、先送りの終着点が保育園になりつつある。確かに5歳までの子育て・親育てが人間社会の土台をつくってきたのですから、当然なのかもしれない。しかし、「保育界」は、それを受け入れる、引き受けるだけの仕組みにはもうなっていない。

「未就学児の(児童養護施設、乳児院)施設入所原則停止」。この言葉がいかに恐ろしいか。政府の施策がいかに現場を知らず、浅いか。この国からどれほど優しさを奪っていくか。マスコミは真剣に取り上げ、みなで考えてほしいと思います。

「虐待ダイヤル189(イチハヤク)」

あちこちでポスターを見ます。でもこれが進められた時、ダイヤルした先の仕組みの改善はほとんど行われていなかった。いわゆるやったふり施策だった。イチハヤク連絡しても、イチハヤク対応できなかった。

こうした子どもの生死に関わるキャンペーンを国が真面目に本気でやるなら、電話を受ける人員を増やし、そこで相談にのる人、児童相談所の仕組みを充実させ、虐待の疑いがあった場合に子どもたちを受け入れる施設、乳児院や児童養護施設の量的質的改善、人材の確保を同時にしなければならなかった。

それをせずに、いきなりその1年後に「未就学児の施設入所を原則停止」です。乱暴すぎる。最近の政府のビジョンのない福祉施策の典型だと思います。

こんなこと無理だとわかっている児相は、各市町村の課長に「里親を見つけてください」と指示し、そんなものどうやって探せばいいかわからない課長(数年の任期で移動する、元土木課長だったりする人?)は、送られてきたポスターを保育園や公民館に貼って、おしまい。

そして、「未就学児の施設入所を原則停止」という現実だけが残る。

 

 

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(この文章をフェイスブックでシェアしてくれた音楽家の友人に、)

塩入さん、シェアありがとうございます。もう三十年も前に米国の里親の問題とドラッグの関係について書いたことがあります。里親制度が先進国社会特有の家庭崩壊をその原因としてある一定の定義、範囲を超えてしまうと必ず起こってくるのが、妊娠中のアルコール摂取、麻薬使用の問題です。(ブログに載っています。)http://www.luci.jp/diary2/?p=1428 こうした家庭崩壊に関する問題で、日本の状況は、まだ欧米の50年前くらいの数字ですが、それがいま急速に進んでいる、政府、政治家によって進められている。経済優先、で。そんな時、ふと音楽の出番を感じることがあります。子守唄とか祈りとか。優先順位を思い出させてくれるもの。いにしえの法則を感じさせてくれるもの。