茅野市の一日保育士体験、三年間で三千人の意味。

 香川県の坂出市での講演のために高松空港に降りたとき、携帯電話が鳴りました。

 長野の新聞社から、茅野市で3年目になる一日保育士体験に、すでに三千人参加、それが記事になるというのです。いくつか確認したいことがあってという記者の声が嬉しい。一日保育士体験は、一日親一人ずつが基本。三千人の親たちが、1人ずつ幼児たちに8時間囲まれたのです。

 子どもたちの信頼と笑顔が、親たちに「親は、みんなの子どもに、少しずつ責任がある」と思わせたかも知れない。「自分はいい人間なんだ」と親たちに8時間感じさせることによって、生きる喜びを憶い出させたはず。そんな親たちの顔を、保育士たちが見て安心したはず。

 子どもたちも、お友達のお父さんお母さんお祖父ちゃんお婆ちゃんに1人ずつ一日かけて出会い、世話してもらい、一緒に遊び、これできっと将来いじめなんかなくなるのです。いつか困った時に助けてもらえるのは、お友達のお父さんかもしれない、お婆ちゃんかも知れない、これが部族の感覚、昔の村なら当たり前、みんなで一緒に生きている自覚が安心となって子どもたちを守るのです。

 茅野市では三年間に全ての園で、一年目母親、二年目父親、三年目は祖父母に合わせて三度話しました。「保育士と親の信頼関係が子どもたちを育てること。人生で一番嬉しい時間の過ごし方を一日保育士体験から感じて下さい。子育てから生まれる大人たちの絆がイジメをなくします。幼児が親心を育て、社会にいい人間だと感じあう絆が生まれるために、わたしたちは0歳児を授かるのです。etc

 三年前に「一日保育士体験」をマニフェストに入れて当選した市長と、役場の人たち、そしてほぼすべて公立園の現場の保育士たちの、「子育てに関する一体感」が嬉しいです。(今の国の施策は、総理大臣、内閣、厚労省、文科省、学者、会議、すべて心も意識もバラバラです。「子どもを思う心」でまとまれない人たちは、子育てや保育について口出ししてはいけないと思う。)

 茅野では、いつ役場へ行っても子ども課で、すーっと出て来るお茶とお漬け物。心が和みます。講演に行くと、園長先生が、美味しい給食に加えて心のこもった手料理をつけて下さいます。そして、園長先生の畑で作った野菜のお土産をもらいます。

 ある園では一日保育士体験の参加率が、母親100%父親80%になりました。夫婦別々の日が原則です。何より、茅野の保育士たちが全ての園で「いつでも親に見せられる保育をしている」ことが心強い。その心持ちに自信がある。

 当たり前のようで、これが出来ない保育所がいま国によって増やされているのです。

 ガード下の一部屋保育で20人以上の子どもが過ごしていたり、ラジカセから子供用の音楽が一日中流れていて誰も何も言わない。公園に園児を忘れてくるような保育士が勤務していたり、新任の保育士に、あとで面倒だから0、1、2歳には話しかけるな、抱っこするな、と指示をする主任がいたり。保育の基準が、規制緩和と市場原理で、空中分解しつつある。

 いまの流れは、この先40万人の未満児をあずかるために、国基準、保育の最低基準が小規模保育という名で規制緩和され、形だけ変えて何かしたように見せかける姑息な手段で待機児童解消を目指し、保育が一部で急速に産業化させられ、ますます親本位、経済対策になってゆく。そういう保育園にも子どもは毎日行く。環境的に、心情的に、風景として、八時間はとても親に見せられない保育を毎日していると、国全体の子育ての心の質が落ちてくるのです。心の質の低下、これがいま、国家の存続に関わる緊急かつ最重要問題です。後戻りが難しくなるのです。

 このまま国の施策通りやっていたらもう乳幼児を守れない。児相、乳児院、児童養護施設が手一杯になり、家庭も保育所も安全なところではなくなってくる。子育ては誰かがしてくれるものと勘違いした親が学校教育の存続さえ脅かしている。子育てのたらい回しが始まっている。

 だからこそ、茅野市で最初の三年間に三千人の親が、年にたった一日でも1人ずつ幼児たちに囲まれ保育士と信じ合おうとする体験を持ったことが、何か大切なものを国に取り戻すきっかけになると思うのです。

(坂出市の講演では市長さんも聴いてくださり、また一日保育士体験が広がるかもしれません。公立と私立の園長先生たちが仲が良く、一体感を持っているのが何より心強かった。次の日は頑張って金比羅山の奥の社まで、這うようにして登りました。天狗の写真も携帯に入れました。)

 

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潜在保育士は「即戦力」にはなりません。「潜在保育士は、子育て経験者が帰って来るから即戦力」という暢気な、現場知らずの記事を読みました。まったくわかっていない。子育てを経験した人は子育ての意味・幸福感を知っています。それがすでに出来なくなっている現場の現在の環境には呆れて、参加しません。一度再復帰して半年で「こんなのは保育ではありません」と言って辞めていった同志を幾人か知っています。こういう保育士が次の世代を育てる人たちだったのに、子どもを思う人たちを怒らせる仕組みになってきています。土曜日も「親のニーズ」があれば、就労証明書がなくても保育するように、などと県から通達があったりすれば、それだけで本気の保育士は去ってゆきます。

 もう昔の保育とは環境も質も、社会の見方さえも変わってしまった。子ども・子育て会議の議事録を読めばわかるように、保育所は子どものためにあるのではない。子どもの権利条約や保育所保育指針の精神は死にかけ、政府が進めるのは、ただの雇用労働施策になっている。今の保育の状況を容認して帰ってくるような保育士は、たぶん子どもにとっては、掘り起こしてもらっては困る潜在保育士なのです。潜在保育士を掘り起こすよりも、潜在親心、潜在祖父母心を掘り起こす方が、はるかに簡単。自然です

 

茅野市の一日保育士体験:http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1000000124000/index.html

http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1360914331329/index.html

 

一日保育士体験:埼玉県の取り組み http://www.pref.saitama.lg.jp/page/24moderu.html

 

「保護者の保育参加事例集」・ http://www.pref.saitama.lg.jp/page/oyashien.html

高知県教育委員会の取り組みhttp://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/311601/hogosyanoitiniti.html

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