カナダのケベック州における「全員保育」という試み。

「全員保育」

カナダのケベック州で「全員保育」という試みがされました。それがどういう影響を子どもの育ちに及ぼしたかという報告があるのです。

「全員保育universal daycareプログラムが子どもにどのような影響を与えるか。ケベックの(全員保育)システムで育った子どもたちは、他の地域に比べ、10代以降、主観的な健康状態も低く、生活に対する満足度も低く、犯罪率も高かった」http://itsumikakefuda.com/child_Quebec.html

(「全員保育」「ケベック」でネット検索すると報告が読めます。)

いま欧米で、子どもはなるべく親が育てた方がいい、という考え方が施策の主流に還ってきています。北欧では、子どもを持つ親の労働時間を制限する動きも進んでいます。子育ての社会化で家庭崩壊が始まると福祉の予算が追いつかなくなり、それに加えて治安が悪化することは、ケベック州の報告だけでなく、すでに繰り返し実証されている。最近、家庭に居場所がなかった子どもによる犯罪が増え、裁判で生育歴、愛着障害が減刑の理由になる事件が日本でも起こっているでしょう。(以前この連載にも書きましたが、『クローズアップ現代(NHK)~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』という放送が去年ありました。http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/index.html)

しかし、日本は家庭が崩壊していないという面では、数字的に見ても欧米の半世紀くらい前の状況で、まだまだ奇跡的にいい。欧米の数倍の確率で実の父親が家庭に存在する。子育てが人々の生活の中心にあったからだと思います。

日本の父親は子育てをしない、などと言う馬鹿げた学者がいましたが、家庭に居て、収入を入れているというだけでも相当立派なもの。家庭に居ない、収入も入れない実の父親が半数近い欧米に比べれば、驚くほど子育てをしているのです。だからこそ、いま父親の一日保育士体験を実施して、幼児に囲まれる幸せ、幼児に信じてもらう幸せを取り戻して欲しい。(まだ間に合います。日本を救うと思って、よろしくお願いします。)

昔から幼稚園と保育園の選択肢がある地域(例えば埼玉県とか横浜市)では、3歳までは自分で育てそのあとは幼稚園という選択をする親がまだ7割いる。それをもってして「日本は遅れている」という人もいるのですが、それは遅れているのではなく、欧米が4、50年前に選んだ「社会で子育て」という選択を前に踏みとどまっている、ということ。人類の長い歴史を考えれば、この躊躇は適切で合理的だと思います。

「女性の議員が少ない」とか「会社の役員に女性が少ない」と批判されても、パワーゲームやマネーゲームに勝つことに目標を置く偏ったものさしは、日本の風土には本来合わない。文化や歴史が違う。「欲は、なるべく捨てた方がいい」と教えてきた仏教や儒教の価値観と相容れない。しかも、すでに欧米の失敗を遠目に見ている。日本ではあり得ないほど露骨に差別的な発言を繰り返した選挙中のトランプ大統領やクルーズ候補があれだけの支持を得ているアメリカを見ていれば、彼らの言う「平等」は「機会の平等」でしかないことがすぐわかる。心の中では誰も「平等」なんて信じてはいない。

突然右傾化しはじめたヨーロッパの状況を見ていると、景気が悪くなると、人種差別も民族主義、排他主義も簡単に還ってくることがわかります。欧米人が言う「機会の平等」は、経済戦略に利用されて来た弱肉強食、適者存続を正当化するための方便です。だから「家族」「家庭」という「利他や無私」の出発点がその犠牲になった。

日本人には、欧米の真似をしない方が経済的にもうまくいく、という体験があります。戦後の日本の発展は、親が子どものため、子どもが親のために頑張った結果だと思います。人間は自分のためにはあまり頑張れない。1人では生きられないことを知り、助け合うことに幸せを感じるようにできている。平等などと言うパワーゲームの裏返しのような言葉に操られるよりも、子どもを育てる者たち、弱者を眺める者たちの「和」で成り立つ国であってほしい。

だらら、保育園に子どもが落ちたからといって、「日本、死ね」と本気で言ってはいけない。こういういい国は大事にしなければならないと心の底から思うのです。

 

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なぜ、いまアメリカで専業主婦が十年間に10%も増えているのか。政府はもう一度考えてみる必要があると思います。未婚の母から生まれる子どもが4割、専業主婦になれる状況にいる母親の割合を考えるとこれは大変な数字です。

性的役割分担が薄まると「家族」という定義が弱まってゆく。アメリカという市場原理の国で、それがわかってきた人たちが原点回帰を始めている。いま日本の政府が追いかけているのは40年ほどの前の欧米社会。社会学者が自分の研究と人生を肯定するためにしがみついている「平等論」は、欧米では家庭崩壊と並行し、すでに崩れかかっている。現在のアメリカの大統領選や、ベルギーやデンマークで起こっている排他主義の復活を見ているとわかる。状況はすでに一周している。日本もそのあとを追おうとしている。

男女共同参画社会の本来の姿は、役割分担であって、東洋的陰陽の法則ではないか。手遅れだとは思いますが、欧米がそれに気づき始めている。自然回帰は始まっています。