「社会で子育て」大日向教授、小宮山厚労大臣の新システム

(公開日時: 2013年2月28日)

派遣会社に頼り始めたり、非正規雇用を増やすと、入れ替わる保育士の回転が早過ぎて、保育園で心構えの伝承が行われないまま、マニュアルに頼って保育をし始める園が現れます。株式会社などは始めからマニュアルを用意する。(そうした方が良い保育園も、残念ながらある。)しかし、本来「子育て」は、人から人へ受け継がれてきた生きる動機の伝承であって、次の世代に未来を託し、信頼関係を深める儀式だった。

 保育士は養成校で育つのではない、現場で育つ、と昔はよく言われたもの。保育は子育てであって、どんなマニュアルを作っても基本は一対一。つまり人間対人間なのです。気持ちの伝承が中心あってこそ成り立つ。特に乳幼児は、そうした伝承の意味を肌で敏感に感じる。そういう役目を持っている人たちなのです。

 その子と私、であって、子ども対仕事ではない。

 良い園で、新人は、それを徹底的に仕込まれます。「仕事になってはいけないよ」「オムツを替える時は話しかける。給食の時もそう」、「なんで泣いているのか、担当の保育士にはわかるようになれば、いい。それでも最後は親に譲るんだよ」

 そして、ゆっくりと子どもたちが保育士を育て、保育士同士助け合いながら、いい園長や主任に見守られながら、保育士の心が縦糸と横糸のように伝わっていく。

 命を前に、心が一つにならなければ「親子関係が主体」という基本が次の世代に伝わらないのです。

 

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 去年、子ども・子育て新システムに携わり、現在社会保障制度改革国民会議委員の大日向教授が、新システムの説明で「保育の友」に、「これまで親が第一義的責任を担い、それが果たせないときに社会(保育所)が代わりにと考えられてきましたが、その順番を変えたのです」と言った。これが、新制度の出発点にある。これが存在する限り、どんな妥協点もありえない。闘うしかない。

 大日向教授:「若い世代は子供を産みたいと願っているが、産めない理由がある。」

 社会(仕組み)が育ててくれれば産む、ということなのでしょう。しかし、この発言は日本人を見くびっている。日本の少子化は、自ら育てられないのだったら産まないという美学、ととらえたい。その方が自然。日本人は、欧米人とは違った考え方をする。男性が結婚しない状況を、その理由を探ろうともせず、未婚の母を欧米並みに増やさなければ少子化は解決しない、と言い切る学者さえいるのです。そういう施策が、どれだけ将来の世代の負担になるっていくか、欧米の状況を見れば想像がつくはず。

 

 「社会で子育て」というキャンペーンを張り、自分で育てられなくても産む、という感覚が広がることの方が、人間社会に本能的な責任感の欠如を生むような気がしてなりません。実の親という概念が消えつつある欧米の犯罪率を見ると、「社会で子育て」は、人間性の否定につながるのかもしれない。

 

 小宮山洋子元厚労大臣が、自著で「希望するすべての子どもに家庭以外の居場所を作ります」書いている。

 現在進んでいる「子ども・子育て支援新制度」、小宮山氏が進めていた「子ども・子育て新システム」の表紙を変えたもの。家庭以外の居場所を子どもたちが希望するようになったら、それこそ人類の危機です。政府がそう仕向けることで、システム(居場所)から保育士の心が本能的に離れてゆく。

 

 行政が、親たちに保育園の満足度調査をする。園からそれぞれ数十万円徴収して行われる「第三者評価」もおかしな仕組みです。親が保育園の客ではない。保育所保育指針にもあるように、「子どもの最善の利益を優先する」、それが保育の第一義的責任。それを繰り返し確認していないと保育がただの労働、サービスになってしまう。国が行う匿名の「満足度調査」は保育園はサービス産業というイメージを親に与えるきっかけになる。これでは本来の保育は出来ない。問題のある親を指導する、という保育指針に書かれている園の役割を実行出来なくなる。

 保育園は場合によっては児童相談所と相談して子どもを親から一定時間引き離す役割を担っている。それほど現場では様々な場面が現れている。サービス産業にはそれが出来ない。

 「子どもたちの満足度+親たちの感謝度」調査ならわかりますが。

 調査と称して匿名で行われるやり取りが、子育てに必要な(育てる側の)信頼関係を壊し、子どもたちがそのように「社会」を理解しはじめたら、将来結婚や子育てに生きる動機を見出すことからますます離れてゆくでしょう。

 子育てにおける第三者評価をする第三者は、神とか仏、または人間の善性のようなものでなければならないはず。

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 全国紙に載った、ベネッセの母親に対する調査に、

「子育ては大事だが、自分の人生も大切」 ○か×か、という質問がありました。6割が○をつけます。

 自分の人生が大切でないと言う人はいない。あきらかに設問に問題がある。子育てをしたら人生を大切にできない、と暗示している。それが事実なら哺乳類は成り立たない。背後に子育ての市場化が見え隠れします。こういう曖昧な意識の操作が近頃多いのです。

「母親も、一人の女にかえる時間が必要だと思うんです」という発言が以前雑誌に載っていました。母親と一人の女は本当は分けられない。

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 体罰問題でTVタックルに出ていた陰山先生が番組の最後に言っていた、「大阪、とにかく教師になり手がいないんです」。これが、いま子育てを中心に渦巻いているすべての議論の結果としてある。大人たちが自分本位に、自分の立場で、自分の権利を主張して議論している間に、子どもたちは誰に育てられているのかわからないまま不安を抱え育ってゆく。教育・保育に関するテレビの議論を聴いていると、子育ての押し付け合い、責任転嫁のしあい、のように思えてくる。それに教師が背を向け始めている。

 

 18年前の調査で、「できるなら自分で育てたい」という母親が9割いたそうです。

 それが、三才児神話は神話にすぎない、という三歳未満児を預けさせる厚労省の強力なキャンペーンで現在7割に減った。これが保育を苦しめる、と共励保育園の長田安司理事長は著書「便利な保育園が奪う本当はもっと大切なもの」に書く。これはもう雇用労働施策の域を越えている。本能に関係する負の連鎖が始まり、戻れなくなっている。

 

 政治家も厚労省も実は知っている。一日8時間働いても認可保育園に入れない地域もあれば、一日4時間、月に16日働けば週40時間預けられる地域もある。幼稚園が一つもない自治体も二割ある。つまり、全国で働いていないが保育園に子どもを預けてる親はたくさんいるのです。それほど仕組み自体が発展途上の、対応がバラバラな制度なのです。一部の親たちの要求が通ると、他の地域で必要ない保育時間と親の子育てに対する意識の変化を生まれる。だからこそ地方裁量がいいと言う論法もあるのですが、保育の基準を自治体の裁量に任せた時に、問われるのは首長の知識と意識です。そこが心配です。

(私は毎年、全国あちこちで講演して市長や子育て支援課長に会うのですが、非情に心配です。保育を福祉サービスだと勘違いして、子育てだということを忘れている人たちが多い。特に市長や議員がそうなのですが、待機児童をなくすことが、即ちいいことで、それが子どもたちの願いに反していること、親らしさを育ち難くしていることまで理解している人が少ない。子どもの育ち、親の親らしさが学校教育にどのように影響してくるかほとんど考えていない。行政の人には気づいている人が沢山いるのですが、現場の状況に気づいても数年で異動になってしまったり、国の施策との板挟みになって気力を失ってしまう。)

親たち、子どもたち、保育者たちの育ちあいを理解していれば、地方の実状に合わせて異なった基準を作るのは、そんなに難しい事ではありません。幼稚園と保育園の割り合い、公立と私立の割り合い、正規雇用と非正規雇用の割り合いで、地域の状況と意識はだいたい把握できますし、あとは勤務時間の正確な把握と行事の組み合わせで、親たちがそこそこ育っていく、義務教育が成り立つ基準をつくることは出来る。

 

  政府の、子ども・子育て支援新制度説明会で配られた資料に、「認定こども園に関する留意点について」、というのがありました。ネットでも検索出来るのですが、制度のやり方、進め方のことばかりで、保育内容についての留意点は書いていない。全く子どもの事を考えていない。一文字もない。

 認定こども園という新たな形で政府が進める幼保一体化で、一番留意すべき点は、三才まで保育園で育った子どもたちと、それまで家庭で育った子どもたちを年少で一緒にすることの危うさです。よほど子どもを仕切れる保育士の配置をしない限り、家庭組が恐い体験をする。(死を招いた保育/猪熊弘子著にも似たような状況が書いてあります。)0歳から保育園に居た子どもと家庭でのんびり過ごした子どもでは、出来る事出来ない事、それまでの人生の体験がちがうのです。そして、子どもは、知らず知らず残酷なことをしてしまう。

 

 「就学前の子供たちが、親が働いている、いないによって幼稚園と保育所に別れている現状が、子供の健やかな育ちを守り、同時に親が安心して働き続ける上で、大きな問題を生んでいる。」と政府の会議を仕切る大日向雅美教授は言うのです。

しかし、子ども、特に幼児を、他人に預けて親が「安心して」働けるわけはないし、保育士1人に乳児3人、一歳児で1対6という基準でそれを目指すのは尋常ではない。無理な要求が、保育をする側の人間性の欠如を生む。子どもの気持ちを考えると、自分たちの限界が見える。そして、幼稚園と保育園はまったく異なる仕組みであって、形だけ差を無くせばそれが安心につながると思っているのなら、あまりにも身勝手で稚拙。結局は、雇用労働促進のための幼保一体化でしかない。

 自分で育てたい親と、その子どもたちのための日常的な配慮が「こども園」を進める施策にはない。

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 ユニセフの「世界子供白書2001」に、三歳までの、親や家族との経験や対話が後の学校での成績、青年期や成人期の性格を左右する、と書いてあります。必ずそうなるとは思いませんが、たぶんそうだろうな、と思います。

 一昨年、朝日新聞でも一面で保育園に通った子と幼稚園に通った子の、中卒まで縮まらない学力の差を報道していました。保育の質の差がそれを生んでいるのなら、体力の差と同じように小学5年生くらいで差はなくなるはず。そこに現れるのは親子関係の差ではないか、子どもの安心感、特定の人間との愛着関係の差が子どもの将来に影響するのだと考えられないか。「勉強しなさい」という言葉は、言う人と言われる人の愛着関係によって、その質量が変わってくるということです。

 税収を上げるための雇用労働施策で、三歳児神話は神話に過ぎないと否定しようとする人たちは、未だに親の意識の変化を心配する園長たちの話に耳を傾けようとない。

「せっかく良い保育をしても、また月曜日噛みつくようになって戻ってくる。週末親に返すと、お尻が真っ赤になって戻ってくる」。そして、そんな常識を逸脱している親の子たちが沢山の子どもたちと一緒に過ごす。1才の時に、何度か噛みつかれた子どものPTSDなど、誰にもわからない。それが将来どういう行動になって出てくるのか、誰にもわからない。保育士不足、保育士の意識の低下も重なり、現場は追い込まれている。

 

 定員割れを起こしている保育者養成校の問題が保育士不足の現状をますます危機的にしています。来期の生徒募集に関わるのでしょう、資格を与えるべきでない学生をなかなか落とせない。

 講師が園長に、自分たちは落とせないので実習で落としてほしいと秘かに頼む。これはいい教師。でも情けない仕組みは、なんとか落とさないでくださいと園長に頼む。園長も、また他の園で迷惑をかけても困るからと、渋々合格にする。市場原理とはこんな物。厚労省は自治体で養成校を増やし保育士不足を解消しろ、安心基金で金は出す、と言うのですが、このままではますます学生の質が落ち、講師がやる気をなくしていきます。

 保育に本気の学生たちが、「全員に国家試験を課すべきです」と私に言うのです。

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 日本人は仕事と、人生や生き甲斐を重ねる人たちでした。市場原理主義の欧米の価値観とは人生観が違うのです。だからこそ、学者の経済論で計りきれない動きをする。預かる事で子どもの不幸に手を貸しているのではないか、と思えば保育士が辞めてゆくのです。子どもたちの願いと自分の人生を重ねることが出来る人たち。この人たちがいつか日本を守る。この人たちがまだ居るうちに、政府が保育施策の中心を、保育のサービス産業化から、子どもの最善の利益を優先する、に戻してほしいのです。

 

 

「高学歴化、社会参加の意欲の高まり、経済不況の影響もあって、働くことを希望する女性は増えている」と大日向教授。

 心から希望しているのか、仕方なく希望しているのかによって施策は違わなければならない。仕方なくであれば、直接給付などで、子育てを心の中では希望している女性のニーズにもっと応えていくべき。子どもたちの希望とも重なります。

 

 幼保一体化と簡単に言いますが、5時間預かる子どもと10時間預かる子どもを一緒に保育するのは大変なことです。親たちのプライドの持ちどころも異なる。人生観がちがう。一緒にしてもなかなか交わらないのです。「幼稚園は初めての社会、保育園は家庭の延長でなければいけない」と、こども園に関わっている主任が、実感を込めて私に言ったことがあります。

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 規則が曖昧にされ、規則の合間を縫って、百人規模の「家庭的保育室」が現れている。市から補助も出る。そんな人数で「家庭的」はあり得ない。親へのサービスだけを考える園長のもとでは犠牲者が出るかもしれない。いま進められている国の新制度は、保育ママでさらに危ない状況を進めようとする。

保育は市場原理では機能しません。いずれ事故が増え、訴訟と損害賠償、保険料の急騰で撤退してゆくのでしょう。しかし、それでは子どもの犠牲がともなうことになる。

 

 0、1、2歳との会話は、神との会話。神話の領域。人間のコミュニケーション能力が次元や時空を超えるのは、この人たちの指導のおかげです。

人生は、自分を体験することでしかない。理解できないことを理解しようとする。それが自分自身を体験するということなのです。

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