主任さんの涙

5、6年前に保育雑誌「げんき」の連載に書いた文章です。

役場に頼まれ、老舗の幼稚園を認定子ども園に移行させた園長先生と隣の小学校の教頭先生と三人で、新しい、未満児用の保育室で話をしていたのです。園長先生は、長年幼稚園で先生をやっていた保育士資格を持っている主任さんに乳幼児保育を任せたのですが、素晴らしい人だというので、呼んでもらったのです。

 

主任さんの涙

私は、その日、目の前にいる主任さんに尋ねました。「学生時代、何園に実習に行きましたか?」

「二〇年前になりますが、六園行きました」

「そのうち何園で保育士による園児の虐待を見ましたか?」

一緒にいた園長先生と教頭先生が驚いて私を見ました。

しばらく黙っていた主任さんの目に涙があふれました。私を見つめ、はっきりと言いました。「六園です……」

沈黙が流れました。

「二〇年間、誰にも言いませんでした」

主任さんは私の目を見つづけます。「あの実習で、私は保育士になるのをやめたんです。本当は保育園で働きたかったんです。私は保育園の先生になりたかったんです。でも、免状を取り直して幼稚園の先生になったんです」

二〇年間、苦しかったろうな、と思いました。

このしっかり者の母性豊かなやさしい心の主任さんは、長い間ずーっと、どこかであの風景が毎日続いていることを知っていた。

「実習のレポートに少し書いたんです。園長先生から、こういうことは書かないでほしい、と言われて、消したんです」

主任さんの声は、幼児たちの叫びでもありました。それを知らなかった親の悲しみでもありました。

「あのとき、私は、自分の子どもは絶対に保育園には預けない、と決めたんです」保母さんの目の中で何かが燃えました。

二十三年間、私の同志の多くは保育者と園長先生でした。この話題になると同志の顔が暗くなるのを私は知っています。私がこの問題に関して調べ、質問した大学や専門学校の保育科の学生の半数が、実習先の現場で「親に見せられない光景」を目にする。

これは、保育園に通う日本の子どもたちの半数が、そういう光景を目にする、ということでもあります。

子どもたちに与える心理的影響を考えると、恐ろしくなります。幼児期に、脳裏に大人に対する不信が植えつけられる可能性は十分にあるのです。

卒業生からの伝達で、「あの園に実習に行くと、保育士になる気がしなくなるよ」という園があります(同様の話を介護施設に実習に行った福祉科の学生からも聞きます)。

「ほかの実習生が、一週間の実習で同じことを始めるんです」と涙ぐむ学生もいました。「卒業すれば資格がもらえるんではだめです。国家試験にしてください」そう訴える学生がいました。

私はそれを幼児たちからのメッセージとして受け止めました。

〇、一、二歳の乳幼児を、親が知らない人に違和感なく預けられるようになったとき、人間は大切な一線を越えてしまったのかもしれない、と時々不安になります。絆の始まりは、親が絶対的弱者である自分の子どもを命がけで守ることだったのではないのか……。

「親に見せられない光景」を園からなくすためにも、一日保育士体験を早く進めなければなりません。保育士を見張るのではなく、親と保育士の信頼関係が子どもを守るのだということを信じて。

保育の現場に親身さや優しさがなくなって、保育=子育てという図式が、保育=仕事という方向へ動き、大学や専門学校の保育科を志望する学生が減っています。待機児童をなくせ、というかけ声のもと、政府が積極的に保育科を増やそうとしていた矢先、幼稚園・保育園に通っていたころ、保育園の先生になりたいと夢や憧れを抱いていた子どもたちが、その夢を捨て始めているのです。

短大の保育科で八年教えたことがあります。保育科にくる学生は選ばれた人たちでした。お金持ちになりたいという人はまずいません。高校時代に人生を見つめ、子どもたちと過ごす日々の中に、自分を幸せにしてくれる何かがあるに違いないと考えた人です。親心の幸福論に直感的に気づいた人です。その選ばれた人たちが、幸せになる夢を捨て始めています。

保育科の乱立から、教える内容と教師の質も落ちています。保育科が専門学校化してくると、就職先のニーズに応えようとします。そしてそのニーズがばらばらなのです。

保育士の資質は、子どもの幸せをいかに強く願うか。そして、保育士は経験から、子どもたちの幸せは親子関係にある、と知っています。この二点が保育の柱です。

この柱を社会全体でぐらぐらと揺らしているのです。

子どもの幸せを第一に考えるのなら、保育園を閉め、抗議しなければいけない時期が近づいています。

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