保育の「受け皿」という言葉・社会進出を阻む壁

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「保育の受け皿」という言葉を耳にするのです。

こんな新聞記事がありました。

安倍晋三首相は6日、東京都内で講演し、保育所などに入れない待機児童の解消に向け、「50万人分の保育の受け皿を整備したい」と述べた。政府はこれまで、2017年度末までに40万人分の受け皿確保を目標としていたが、上積みをめざす。』

『首相は、政権が掲げる「1億総活躍社会」の目標「希望出生率1・8」について、「20年代半ばまでには実現せねばならない」と強調。その具体策として、保育の受け皿確保のほか、新婚夫婦や子育て世帯が公的賃貸住宅に優先的に入居できるようにしたり、家賃負担を軽くしたりする考えを示した。』

本来なら「子育ての受け皿」というべきかもしれません。でも、そう言ってしまうと、そこに危うい闇が見えてしまうから、みんな言わない。

その人の人生のあり方を決定づける「親子の関係」は、双方向へ重なる日々の体験の中で育ち、築かれてゆくものです。子育てを、親子という特別な関係が形造られる営みと考えた時に、「受け皿」という言葉自体がすでにおかしい。非人間的、非現実的なのです。それに、もう誰も気付かなくなってしまった。マスコミや教育を通しての情報の共有が、不自然を、すっかり当たり前に見せている・・・。

本当は、子育てに受け皿などありえない。一歳の時の一年は、その親子にとって一生に一度の、2度と体験できない特別な一年で、それはゆっくり流れるように見えて、あっという間に過ぎてしまう。人間社会の絆の土台となるその体験を犠牲に、国が経済のために、「希望出生率」を目標に、一日11時間親子を切り離すのであれば、できるかぎりその時間を価値あるものにしなければいけない。「受け皿」を用意する人たちには、その質に関して相当の責任がある。

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「新婚夫婦の家賃負担を軽くし」結婚しやすい環境をつくるという。子どもを産んでほしいから。

そして、こんな記事もありました。

 配偶者控除見直し検討・自民税調会長が表明:「伝統的な家族観や社会構造の変化にあわせ、女性の社会進出を阻む壁をなくしつつ、結婚を税制面で後押しする狙い」

社会進出を阻む壁は「子ども」とハッキリ言わずに、結婚して子ども(壁)を産めと言う。これがたくらみでないのなら、支離滅裂です。その根っこにある矛盾をごまかすために、「受け皿」という言葉が使われている。

ある保育園の園長先生が首を傾げていました。受け皿で育った子どもが、受け皿で育てることに躊躇しなくなったら、もちろんその逆の場合もありますが、全体的にそれが当たり前になっていったら、保育界は本当に受けきれるのか、誰が子どもの成長に責任を持つのか、社会としてそれでいいのか心配です、と。

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