社会の常識が、崩れてゆく

日本でも変な事件が増えています。今まで暮らしていた社会の常識が、崩れてゆくような事件が、最近、繰り返し報道で流されています。

こんな事件が今の十倍になって欧米並み。欧米社会は、すでにそれに慣れ、その営みを続けている。そして、時々この国を批判するのです。平等ではない国だと言って。

欧米と日本の違いは、日本では「自分で育てられるのなら、子どもは自分で育てたい」という母親が、15年間まで9割居たこと。それがいま、7割にまで減っている。政府主導で減らされている、と言ってもよい。誰かが育ててくれて当たり前、と思う親が現れ、「社会で子育て」などと言って保育園に子どもを入れることを薦める学者さえ出てきました。

去年から今年にかけて、あちこちの役場の子育て支援課の人たちが言うのです。「0歳児を預けることに躊躇しない親たちが、急に増えてきた」と。

その先にあるのが、学校という仕組みなのです。義務教育が「義務」である限り、すべての親たちの子育てが、互いの子育てに影響する、そして、学校教育は「親が親らしい、という前提に元に作られている」。

アメリカの小学生の十人に一人が、学校のカウンセラー(専門家)に勧められて薬物(向精神薬)を飲んでいます。その薬物でかろうじて保つ画一教育で、義務教育に不可欠な教師の精神的健康を維持しようとしている。しかし、最近の「学問」が作った「専門家」が薦める薬物や保育・教育で、人間社会を維持することはもうできない。

幼児たちを眺めること、守ろうとすること、愛でること、祝うこと、そこから人間社会が始まるという、そのあたりの約束事を政治家たちが思い出してほしい。理解してほしい。この国もいま、とても危ないところに来ているのです。

 

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変な事件のニュースを聞くと思い出すのです。野生のゾウの群れが、突然サイを殺し始めたドキュメンタリーと、チンパンジーのカニバリズムについて。

 

ゾウがサイを殺すとき

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=290

サイを殺し始めたゾウのドキュメンタリーを以前、NHKのテレビで見ました。アフリカの野性のゾウの群れが、突然サイを殺し始めた、というのです。もちろん殺して食べるわけではありません。ただ、殺す。

巨大なトラックがなければゾウは運べなかった。それが可能になり、人間の都合で、その方がいいと思って、若いゾウを選んで移送し、別の場所に群れをつくらせたのです。すると、ゾウがサイ殺しを始めた。

考えたすえ、試しに、年老いた一頭のゾウを移送し、その群れに入れてやったのです。すると若いゾウのサイ殺しが止まった。

 

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チンパンジーとバナナ 

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=234

文化人類学者ジェーン・グドールのチンパンジーのカニバリズム(共食い)について研究は、その後新たな展開を見せ、餌付けという人為的な不自然な行為に問題があったのではないか、という推測を生むのです。仲間同士の殺しあい、群れの中で起こる子殺しを含む非常に残酷な仕打ち、その原因が、何十万年にわたって大自然が育ててきた遺伝子が、「平等に餌を与えられる」という突然の環境の変化によって、いままでの常識から外れた行動を誘発していったのではないか、というのです。理解に苦しむ事件が増えてきた時に、考えなければいけない考察がそのあたりにあります。

そして、もっと具体的な報道もすでにされているのです。

 

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クローズアップ現代(NHK)~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)

http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=267

クローズアップ現代は有名ですし、私は質の高い報道番組だと思って見ています。ここまではっきりと報道されている三歳までの愛着関係と「応答性」の大切さの指摘を、子ども・子育て支援新制度でもう40万人三歳未満児を親から引き離そうとしている首相はなぜ理解しようとしないのか、と思います。

十年以上前、厚労省が「長時間保育は子どもによくない」と保育界に向けて研究発表した時の長時間が8時間だった。それをいま13時間開所を保育所に要求し、11時間を「標準」保育、8時間を「短時間」保育と名付けて進める新制度の意図が、子育ての現場を追い込んでゆく。

政府が、この国の親子間の愛着関係を土台から壊し始めている。繰り返しますが、薬物や学問で子育てはできない。学校や保育という仕組みでもそれはできない。人間が、「育てること」から自らの人間性を学び、遺伝子の働きを理解すること、それが生きる力です。

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