何かが麻痺している・「子どもショートステイ」宿泊型保育

公立の保育園が9割の街、1割の街、幼稚園が一つもない街、ほとんどの子どもが幼稚園を卒園する街、地域によって保育士不足が生み出す問題は様々ですが、去年から今年にかけて、各地で役場の人たちが共通して私に言うのは、「0歳児を預けたいという親が突然増えました」(だいたい倍くらい?)と、「0歳児を預けるのに躊躇しない母親が増えました」の二つです。預けることに躊躇しないから預けたい親が増える、当たり前といえば当たり前ですが、長く保育課にいた人からすれば相当違和感がある現象なのです。人間の本質に関わる違和感です。新制度で、政府がもう50万人乳幼児を保育園で預かる、そうすれば女性が輝く、と言い、マスコミが待機児童問題を「政府は何をしているんだ、もっと保育所を整備しろ」という論点で繰り返し扱い、親としての子育てにおける常識が、「権利」とか「利便性」という言葉で突然崩れ始めている。その矢面に立っているのが、役場の保育課の人たちと現場の保育士たちです。

そして、保育課長から三番目によく聞くのが、「ベテラン保育士が辞めて行くのを止められない」なのです。

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友人からのメール:

「『子育てを他人任せにした後ろめたさ』、忘れないようにと思いながら、0歳から子ども二人を預けてしまうと、実際、麻痺している部分があります。 結果的な麻痺、意図的な麻痺、社会的な麻痺、麻痺への麻痺。子育てという営みとは何か、に結局行き着いてしまうと思いました」

このちょっとした麻痺が、待機児童という真実とは無関係の(待機しているのは児童ではない)言葉を作りだし、それを受け入れ、幼保一体化や規制緩和が進んでいる。大人の都合が子どものニーズと錯覚され、経済活動の上でにしか過ぎない女性重視、女性の活用がいい事で、多くの女性が(競争)社会進出を望んでいるように語られ、知らぬ間に、宿泊型保育が国のニーズ調査に載せられている。

 

「子どもショートステイ」宿泊型保育

国の、子ども・子育て会議・保育のニーズ調査にも項目として載せてあった「子どもショートステイ」。すでに数年前から始まっていて、四年前に幼稚園で配られた可愛いイラスト入りのチラシにびっくりしたことがあります。杉並区から配られたチラシでした。育児疲れ、冠婚葬祭でもOK、二才未満児一泊五千円、一日増えるごとに二千五百円、一回7日まで、子育て応援券、使えます。預かる施設は乳児院と児童養護施設です。数時間預かってもらう「ひと時保育」とは違うのです。一回7日まで、という仕組みです。

二才未満児を7日間、よほどのことがない限り親が知らない人に預けてはいけないと思う。日本は戦場でもないし、飢餓に苦しんでいる国でもない。それほど貧しく、それほど絆や助け合いが無くなってしまった社会だとも私は思わない。むしろ世界で一番豊かで、弱者に優しく、安全な国だと思う。欧米を追いかけるように数字が年々悪くなってきてはいます。それでも犯罪率や幼児虐待・女性虐待の発生率は欧米の十分の一以下。豊かさの中で、絆や助け合いを作ることが面倒になっているだけで、子どものために本気で信頼関係を身の回りに作ろうと思えば必ずできる国。子育て支援センターもあるし、祖父母との関係だって欧米社会ほど断ち切れているわけではないのです。

こんなことを政府や行政が少子化対策を目的に、チラシを配って薦めること自体おかしい。根底にある趣旨に、強い違和感を感じるのです。子育ては、誰がやっても同じというものではない。誰に預けてもいい、というものでもない。そのあたりの感覚を忘れ、施策を作る側、実行する側で何かが不気味に麻痺している。だから、躊躇せずに、知らない人に、乳児を数日間預ける親が出てくる。これだけたくさん区議会議員がいて、都議会議員がいて、国会議員がいて、誰も異論を唱えないのはどういうことなのか。

子どもショートステイ、預かる側の乳児院や児童養護施設は親の虐待が増えた上に人手不足もあって、余裕を持って子どもを預かれる状況ではとっくにない。それは行政が一番よく知っている。議員もマスコミだって数日調べればすぐにわかること。「慣らし保育」もせずに、知らない子どもの気持ちを汲みながら数日間面倒を見れる施設職員などどこにもいない。そういうことは子育てを体験した人ならわかるはず。

そうした現状と子どもの願いを考え合わせれば、こういうやり方は最後の最後の手段であるべき。のっぴきならない事情で、どうしようもなくなった、追い詰められた親が区役所に相談に行き、こういうのがありますよ、と教えてもらう種類のもの。チラシを配って、自慢気に宣伝することでは絶対にない。いったい誰が、このチラシで何を得ようとしているのか、みんなでよく考えたほうがいい。チラシに生活保護世帯、非課税世帯は費用免除とある。こういうチラシで親の意識を変化させてゆけば、乳児院や児童養護施設は一層、火の車になってゆく。

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人間は窮地に陥り絆を深める。そもそも信頼関係や相談相手がいなければ生きていけない。絆をつくることが人生の目的と言ってもいい。幼児を抱き、絆をつくることの目的を実感し、天に向かって本気でオロオロし、祈り、助け合って、幸せになる方法を覚えていった。しかし、最近、子育てから生まれる、人間に必要な親身な絆が出来る場面を福祉が奪ってゆく。それをすれば選挙で票が集まるとでも思っているのだろうか。

こういう仕組みを最後のセーフティーネットとして作るなら、まず、早急に乳児院や養護施設の現状を改善し、子どもを宿泊保育に預けたい人たちには、まずふだんから絆を作り、幼児の笑顔をたくさんの人々に見せ、自分で考え対処することの大切さをよく説明し、また子育て支援センターなどで友だちを作る機会を作るように促し、どうしても無理なら、それからでもいいと思う。

宿泊型一時保育(子どもショートステイ)、チラシを配っても、実際使う親はまだそんなに居ないと思う。このチラシにあるいくつかの状況を重ね合わせると、これはほぼネグレクトと言っていい。非常事態、大災害に見舞われた時ならともかく、これを行政が薦めることは、子どもの権利条約違反だとさえ思う。

 

数年前、「子どもショートステイ」に私がその時こだわったのは、子どもたちが子犬と笑っているイラスト入りチラシに、見過ごせない異常さを感じたからです。そして、それが政府の子ども・子育て会議が作ったニーズ調査に、「自治体が外してはいけない項目」として載ったからです。福祉はサービスだ、と厚労省は言います。しかし、このサービスに慣れることが、子育ての意識を一気に変えてゆく。社会全体で、何か大切な感覚が麻痺していく。

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カリフォルニア州ストックトン市、とてもいい街だったのに投資の失敗で破産宣告。警官を25%削減し一気に犯罪都市に。税収と福祉、教育、司法などの仕組みに頼る人間社会の危うさと脆さがそこに読み取れます。絆で保たれる安心感、人間性から生まれるモラル・秩序が失われた国の宿命ともいえる風景です。弱者の存在意義を忘れ、力で抑えても、力を失えばあっという間に、無秩序になる。

(母子家庭から子どもとりあげて政府が育てようとしたタレント・フェアクロス法案を思い出します。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1054)

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