より良い生活(Better Life)の幻想

25年前に書いた文章に少し加えます。日本で、状況がここまで進むには、まだこれから20年くらいかかるかもしれません。日本の状況は欧米に比べまだそれほど、いい。ひょっとして、こういう状況になることは避けられるのかもしれない。そうあってほしいと思います。いま、欧米の失敗に学んで、「民主主義も、学校も、幼稚園・保育園も、そして福祉さえも、親が親らしい、という前提の元に作られていること」そして、「その親を育てるのは、子どもたち、特に幼児期はその働きが強いこと」を思い出せば、この国なら、「先進国における社会現象としての家庭崩壊の流れ」はくい止められるかもしれない、と思うのです。

 

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「より良い生活(Better Life)の幻想」

こんなことはアメリカに住んでニュースでも見ていないと知らないことだと思うのですが、(25年前)すでに、シカゴの公立学校で働く教師の45%が自分の子どもを私立学校に通わせていました。私立学校にかかる費用の高さを考えると、これは公立学校に対する大変な不信です。公立学校の学級崩壊や治安の悪さを目の当たりにし、公立学校の先生の半数近くが公教育を見限っていたのです。

自分の子どもを私立学校に行かせるために、公立学校で共働きをしている夫婦がインタビューに答えていました。

ここに米国政府発表による、1992年共働きに関する調査結果があります。一般的な家庭における、共働きと家庭経済、そして子育ての相関関係をよく表している調査でした。

 

共働きが社会に定着する前、人々(特に中流家庭の人々)は主に「より良い暮らし(Better Life) がしたい」という理由で共働きを始めました。

やがて共働きが社会に定着すると、多くの親達がごく自然に子育てを学校に依存するようになりました。親子が過ごす時間が減り、子どもに無関心無責任でいられる親達が増えると、家庭で行われていたはずの躾けがいつの間にか、学校の役割になっていきます。結果的に(教師の精神的健康を守るための)画一的教育が出来なくなり学級崩壊・学校崩壊、「公立学校の極端な質の低下」を招いてしまいました。学校教育という仕組みが、これほど脆いものだったことに誰も気づかなかったのかもしれません。学校が教師の精神的健康で成り立つという実感が足りなかったのかもしれません。

その結果、子どもの将来に関心を持つアメリカの親達は、環境の選択として、子どもを私立学校に通わせざるをえない情況に追い込まれました。そして、私立学校に対する需要の増加は「私立学校にかかる費用の増加」につながっていきました。需要と供給の関係です。

(今から三十五年ほど前にアメリカで、金儲けをしたければ私立学校を開け、といわれるほど私立学校が増えた時期がありました。その多くが、厳しい校則、躾けと道徳教育を宣伝文句にしていました。親の子育て力が弱ってきていたのです。そこに市場原理が働き、やがて大学のサービス産業化を促し、現在の一流の大学なら年に500万円といわれる授業料の高騰に連鎖していきます。)

 

子どもに、より安全で質の高い教育を受けさせようと思えば、私立学校に行かせるために夫婦で共働きをせざるをえない。家庭で子育てをしたいと思う母親であっても、それが出来ない、という悪循環を招いてしまったのです。

私立学校に子どもを通わせるための教育費の増加は、共働きが今ほど盛んでなかったころの父親だけが働いていた家庭よりも、結果的に家庭の経済状況を悪くし、社会的に見ればそれが家庭崩壊にもつながってゆくという、非常に皮肉な結果を招いてしまったのです。

「より良い暮らしがしたい」

「共働き」

「親子関係の質の変化。愛着関係の希薄化」

「子育ての学校依存」

「教師の精神的健康が保てなくなる。教師の不足」

「公立学校の質の低下」

「私立学校に行かさざるをえない」

「私立学校にかかる費用の高騰」

「共働きをしないと私立学校に行かせることが出来ない」

「自分の手で子どもを育てたくても、出来ない」

「子どもの将来を考える親にとっては、共働きをしても、良い暮らしにならなかった」
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ここで、その調査は問うのです。「良い暮らし」とは一体何だったのか?

たとえそれが、経済的に豊かになることであっても、人間関係が豊かになることであっても、アメリカにおける共働きという手段で行われた「より良い暮らし」の追及は失敗に終わっているのです。米政府の発表したレポートは主として経済的な点に焦点を合わせ、「共働きによって我々の台所は豊かにならなかった」と結論づけていましたが、その背後に生まれた新たな問題、失ったものは、経済的なもの以上に大きかったのだと思います。

(アメリカの失敗を知っているからこそ、いま日本で政府が進める、4万人しか待機児童がいないのに、保育園で三歳未満児を預かる受け皿をあと50万人用意する、そうすれば女性が輝く、という労働施策が危うく見えるのです。20年前経済財政諮問会議が言った「保育園で子どもを預かって全ての女性が働けば、それによる税収の方が保育全体にかかる費用ようりも大きい」という進言は、あまりにも単純で浅い。欧米志向の学者が机上の経済論で進めようとする施策にはよほど気をつけなければいけない。経済的豊かさを求めても、「子育て」という、「人間の生き方に深く関わってきた行為」を軽んじると、結果的に、多くの人たちが経済的にも、より貧しくなる可能性が高いのです。)

 

60年代、70年代に、マスコミや進歩派が作ったイメージを大衆が追いかけ、気づいてみれば家庭という社会基盤を失いかけているアメリカ社会は、いま苦しみの中で自問しています。「より良い生活(Better Life)」とは何だったのか。

確かにアメリカが好景気と言われたこともありました。しかし国としての経済状況が良くても、中流以下の生活レベルはここ三十年間で確実に落ちています。(私がこの文章を書いた時、10%の人が86%の富を握っていると言われていました。)アメリカ社会における好景気は、あくまでも強い者が勝つというパワーゲームの論理が、格差社会を生みつつも、社会全体の景気という面では時々機能するという資本主義の一面を見せているに過ぎません。日本の経済学者が「アメリカはこうだから、日本も真似しなければいけない」と言い、当時、自由競争、市場原理、実力主義、起業家精神といった強者の論理を景気対策として政府に薦めているのを見る度に、私は、この人たちは、本当のアメリカを見ていない、と思ったのです。

 

(数字で考える経済学者や、場当たり的なタレント評論家の話を鵜呑みにし、終身雇用を廃止し、リストラや年俸制といった欧米式の実力主義を都合に合わせて取り入れていった経営者達は、実力主義の社会では、先輩が後輩を育てない、というごく初歩的な現実にさえ気づいていなかったと思います。

将来自分の敵になる可能性を持つ新入社員に、一生懸命仕事を教える人はそんなにいないのです。日本が国として、精神的にも経済的にもそれまで成功して来たのは、社会の隅々にまで浸透していた次世代育成能力、疑似親子関係、という欧米社会にはあまり見られない特殊な生活習慣のおかげだったのです。自分の地位が確保されてこそ、人間は次の世代を育てる、この日本独自の伝承基盤を失うことの危険性に経営者達はその頃気づいていたのでしょうか。

実力社会における師弟関係の崩壊と、家庭における親子関係の崩壊がパラレルであることは欧米社会を見れば明らかです。実力社会になって日本の経済が国として一時的に上向いたとしても、それによって家庭崩壊が加速し幼児虐待が増えたのでは、将来に負担を残すことになる。社会としては不幸な状況です。経済的に「より良い暮らし」を求めない方が、経済的にいい結果が出ることもある。数字だけを見ずに、欲を捨てることに教えの中心を置いた仏教的理念を、もう一度「子育て」を通して思い出す時が来ているのではないでしょうか。)

アメリカの 中流家庭が、この「より良い暮らし」という抽象的な言葉に踊らされ何を失ったかを考える時、景気が悪くても、貧乏をしていても、多くの人達が親子関係を軸にした家庭を守っていた日本の状況が、私には輝いて見えました。人権とか平等とか言いながら、幸福度を、地位や豊かさで計ろうとする欧米流のやり方に、この国の文化はよくここまで抵抗してきたと思います。経済的に状況が悪くても、内側から崩壊しない国の方が堅固で、より多くの幸福者を生み出すのだと思うからです。

 

(いま、子ども・子育て支援新制度という「雇用労働施策」に、日本の魂のインフラが揺るがされています。11時間保育を「標準」と名付けたこの制度は、日本の親子関係の定義を根本から変えようとしている。その危険性に、政治家達が早く気づいてほしい。)

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もう一つ、社会において家庭という幸福感の土台が崩れた時に起こる悪循環の例を挙げましょう。これは主として「自立」という言葉に社会が踊らされることに始まります。

六割以上の結婚が離婚に終わるアメリカで、子どもの将来を心配する親達が娘に送るアドバイスの一つに、「経済的に自立していなさい。離婚しても困らないように手に職を持つとか良く考えて、夫の収入に頼ることのない人生を心がけなさい」というのがあります。この考え方はすでにアメリカ社会では常識と言っても良いでしょう。

当時、すでに三割が未婚の母から生まれ、子どもが18歳になるまでに40%の親が離婚するという現実がありました。社会の流れを見れば、その確率は引き続き高くなるはず。離婚や、娘がシングルマザーになることを前提としたアドバイスも、子どもの幸せを願う親としては仕方のないことだと思います。

しかし、こうした親達のアドバイスがますます家庭に対する価値観、家族同士の絆意識を弱めていくのもまた現実です。悪い方向に向かっている社会現象に子どもの将来を思って親が対応することが、その社会現象の進み具合をより早めてしまう。この悪循環の根底には常に、子育てをシステム化(社会化・産業化)しようとした経済の仕組みと、子育てが親の幸福感で成り立っていた家庭との根本的矛盾、すれ違いがあるのです。

人間は一人では生きられない、絶対に自立できないことが「家庭・家族」という社会の基盤となる幸福論を支えてきたことを思い出す必要があると思います。この国の個性や存在意義を守ることはできないと思います。

 

似たような悪循環のサイクルが、幼児虐待や、歪んだ愛情表現でもある近親相姦の急増、幸せを求め、子どもを産みたくて産む少女たちの増加、生活保護を受ける家庭の増加、といった現代アメリカを象徴する数々の現象の中に見られます。(ヨーロッパでも同じようなことが起こっています。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=976)

孤立が自立を余儀なくし、自立が一層の孤立を生む社会構造がそこにはあります。そして結果的に、「自立」という言葉がもてはやされる時、必ず犠牲になるのは「自立していないことで、その社会的役割を果たそうとする」子ども達です。

親たち、特に父親たちと幼児たちとの付き合いが希薄になると、「子どもの幸せを優先する」という人間社会の求心的な力が弱まっていきます。これは欧米社会に私が見た現実であって、どんなに美しく賢いことを言っても教育を使って「自立」を目指すことは、やがて次の世代の子育て放棄につながって行きます。

 

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ーーーーーーーーーーーここからは、子育てにおける損得勘定がいまに続く話、現在の話です。ーーーーーーー

 

いま、アメリカの中流・高学歴層の女性の間で専業主婦回帰が進んでいます。すでに、専業主婦になれる環境、つまり両親が揃っていて、父親にある程度の収入がある、という家庭が全体の半数を切っていることを考えると、専業主婦になれる環境にある女性の一割以上が、ここ10年くらいの間に、新たに専業主婦に回帰しているのです。豊かさを目指すだけでは幸せになれないことに気づき、子育てに新たな魅力を感じる人が増え、それに伴いマスコミでも専業主婦の幸福論が堂々と語られるようになったこともあります。しかし、独特な損得勘定もそこに働いているのです。

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母親が、自分のキャリアよりも子育てに専念して、子どもに丁寧に、しっかり無理なく、将来に意欲を持つように勉強させ、子どもが大学に行った時にフルスカラシップ(全額奨学金)を獲得できれば、それまでに夫婦共働きで一家が得る収入より「お得」という計算が成り立ち始めている。それほど、アメリカの大学は費用が高騰していることがその背景にあります。

親が支払うか、卒業後に子どもが数千万円の借金を抱え込むより、トップ5%くらいの成績に子どもを高校卒業までに押し上げ、返済不要の奨学金を内申書で勝ち取ったほうが得だと気付いた親たちが、いわゆる「サッカーママ」「ティーパーティー」に代表される保守といわれる主婦層をつくりはじめている。しかも、その時点の損得勘定だけではなく、子どもが意欲を持っていい大学を優秀な成績で卒業すれば、いい就職ができる可能性が高くなり、後々の人生も安定する。子どもの一生を考えればその利権は計り知れないというのです。その経済的価値は、夫婦が共働きをして得る収入よりはるかに大きい。しかも、そうしているうちに、親子の絆が自然にしっかりと育てば、ひょっとして、親の老後も、三世代一緒に輝くかもしれません。これは、とても現実的かつ合理的選択だと、私も思います。

三十年前に「金儲けがしたければ、私立学校を作れ」と言われた時代の「親の子育て依存」が、貧富の格差の急速な広がりとともに大学の学費の高騰を招き、その結果、市場原理、損得勘定が働いているとはいえ、人間の幸福の見つけ方としては原点回帰が始まっている。大学教育を一つの利権とし、勝ち組の中で伝統的家庭観が一周し、戻ってきているのです。

 

しかし、格差社会で取り残された層は、いつまでもそこから抜けられない。競争原理や市場原理が機能する余裕さえもうそこにはない。そのイライラが、犯罪やテロ、トランプ支持現象にも現れいる。共和党の大統領候補に選ばれたトランプ氏があれだけ女性蔑視や、異教徒、異人種に対する偏見をあからさまに発言しても、支持率が4割近くあるのです。

底辺から抜けられず、しかも「自分の人生に納得が行く方法」(子育て)を奪われた階層の怒りが、そこに表れてきているような気がしてなりません。

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(八月四日、今日は、俳優・渥美清さんの命日です。私も寅さんにはずいぶんお世話になった人間です。もちろん、映画を通してです。ですから、時々帝釈天のルンピニー幼稚園で講演させていただき、参道の鰻屋さんで園長先生(帝釈天のお嬢さん)にうなぎをご馳走になったいすると、つい嬉しくなります。その寅さんが逝って20年になります。寅さんが守ろうとしてくれた美しい日本が、政治家達の閣議決定によって壊されようとしている。そんな気がしてなりません。)

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