「政府がやる子育て?」「福祉の危険性 」「人間の愛と常識の崩壊 」

以下は、1999年に私が書いた文章です。「フランスでは37%の子どもが未婚の母から生まれます」とありますが、それがいま50%。スウェーデンでは60%です。欧米の家庭崩壊には歯止めがかかっていない。

 

政府がやる子育て?

「養育費を払わない父親からは運転免許証を取り上げよう」、この法案は既に幾つかの州で通りました。クリントン大統領も公に支持しています。しかし、「子育て」は免許証を取り上げられるからやるものではありません。昨年(98年)、ウィスコンシン州で、子どもが犯した罪で親を罰するペアレンタル・ファインという法律が通りました。罰金を科せられるから子育てをやる、それでは困るのです。そこに幸福感があるから、ということでないと困るのです。

母子家庭が必ずしも悪いとは思いません。中日ドラゴンズの星野監督も、立浪選手も母子家庭だといいます。立派な人達のように思います。(私がなぜこの二人のことを覚えているかと言いますと、立浪選手の入団の時に星野監督が、母子家庭だから伸びる、と言ったことを覚えているからです。)ビートルズのジョン・レノンは、親に捨てられたような環境で育ちました。社会に子育てをする空気が備わっていれば、一人で頑張る母親を見て、親思いの、しっかりした子どもが育つことはよくあったのです。しかし、家庭崩壊が大きな流れとなってしまった先進国社会で、数字で見ると、例えば今、アメリカで少年法で服役している少年の70%が母子家庭から来ているとか、10代で少女が妊娠、出産する確率が母子家庭は両親が揃っている家庭の倍であるとか、いろいろな数字が出てきてしまうのです。今、アメリカでは母子家庭に問題があるんだと多くの人が平気で言い切るようになりました。

そうした世論を受けて、去年の1月にタレントという上院議員とフェアクロスという下院議員が日本の国会に当たる連邦議会にタレント・フェアクロス法案という法案を共同提出しました。要約すると、「21歳以下の未婚の女性が子どもを産んだ場合、生活保護費や福祉のお金を一切出さずに、その分を溜めておいて政府が孤児院を作り、そこに子どもを収容して育てよう」、親がいるにもかかわらず、政府が子どもを育てようという法案でした。母子家庭をここまで一律に否定する法案、まるで近未来映画に出てくるような法案が去年の1月に連邦議会に実際に提出されました。福祉はここまで進む可能性をもっているのです。

さすがにこの法案は議会で否決されました。しかし、これを提出した議員たちは、そうすることによって地元で票が得られるのです。議員というのは自分が次に当選できなくなることはあまりやらないものです。こういう乱暴な人権無視の考え方が、社会を良くするという理由で支持される、または支持される可能性を持った地域、階層が、すでに民主主義の国アメリカにあるのです。

タレント・フェアクロス法案は、親による子育てに見切りをつける、という点で画期的な法案でした。タイムマガジンでも、ニューズウイークでも、全国ネットのニュースでも大きな話題になりました。ですから、日本の福祉学者や、アメリカに興味を持っている人達は皆知っている法案です。福祉はここまで行く可能性を持っているぞ、ということが日本に伝えられ、福祉政策を考える上で、なぜアメリカでこうした法案が提出されているかがもっと真剣に討論されるべきだと思います。実の親がいるにもかかわず、政府が孤児院をつくって、そこで子どもを育てるという法案が既にこの地球上で提出されているということ、全体主義の国ならいざ知らず、民主主義の国と呼ばれるアメリカで議案にのぼっているということ、これが今直視しなければならない先進国社会の現実なのです。

 

福祉の危険性

アメリカで33%の子どもが未婚の母から生まれているときに、イギリスで34%の子どもが未婚の母から生まれています。フランスでは37%の子どもが未婚の母から生まれます。福祉国家と言われているスウェーデンでは実に50%の子どもが未婚の母から生まれています。この数字は、一昨年(1997年)の1月1日の毎日新聞に載っていた数字です。その記事で、識者と思われる日本人のインタビュアーがスウェーデンの福祉学者にこんなことを言っているのです。

「スウェーデンでは50%の子ども達が未婚の母から生まれることができるのですね。福祉が進んでいるからですね」と、まるで良いことのように言うのです。福祉が進めば、必ず家庭は崩壊していきます。家庭が崩壊すると社会的秩序が保てなくなり犯罪や幼児虐待が爆発的に増えます。するともはや大がかりな福祉で弱者を救うしか手立てがなくなります。この流れは欧米社会を見れば明らかです。私達は欧米型の福祉をただ闇雲に追いかける前に、50%の子どもが未婚の母から生まれることが一体どういうことなのか、良いことなのか、悪いことなのかという議論をまずしなければいけないと思うのです。

50%の子どもが未婚の母から生まれるということは、50%の男性が家庭に人生の幸福観の中心を置かない、ということでもあります。それでも子どもは育ちます。しかし、本当の意味で親の人間性が育つのでしょうか。大人が育つのでしょうか。もう少しこの辺を真剣に見据えて「福祉」や「教育」を考えないと、一度失うと取り戻せないものもあるのです。

アメリカやヨーロッパの福祉をそのまま日本に当てはめようとする現実の見えない福祉学者達、心理学や精神医学における欧米の試行錯誤を最先端の考え方として安易に日本に伝えようとする心理学者達、彼等が私達の生活に取り入れようとしているものは、血のつながりという概念が家庭から無くなりつつある国々の、切羽詰まった試みであるということを知らなければいけません。血のつながりという非論理的な絆を排除して、家庭という形を秩序を生む幸福の土台として保てるかどうか、これは人間社会にとって未知の領域なのです。

日本はその一歩手前に居て、保育界の状況を見る限り、学者達が厚生省や文部省に助言して、私達の背中を押し、欧米社会が苦しんでいる同じ領域に入れようとしているのです。私は日本には欧米とは違った道を試してもらいたい。人類が長い年月をかけて築き上げてきた「家庭」という最も重要な社会単位の伝統的概念を崩さずに、注意深く進んでもらいたい。「家庭」が「個人」より重い社会を保ち続ける、たった一つの先進国であってほしいのです。

 

人間の愛と常識の崩壊

アメリカでは、今、親による虐待で家を出、ホームレスとして路上で暮らしている子どもが100万人いると言われています。これを人口比で割ると日本で50万人の子どもが路上で暮らしている計算になります。私はそういう子ども達にインタビューをしました。彼らは、路上で一緒に暮らす仲間をファミリーと呼んでいました。彼らと話していると、人間は家族・家庭がなければ生きていけないという事がよくわかります。人間は孤独では生きて行けないのに、なぜ自ら家庭を壊すのでしょうか。

アメリカで幼稚園に子どもを入れると、「指紋を登録しておきますか」という手紙を園からもらいます。一年間に十万人の子どもが誘拐される状況が、その背景にあります。誘拐され、月日が経って発見された場合に、顔かたちが変わっていても確認出来るように指紋を登録保管しておきませんか、と言うのです。

誘拐事件の多くが親権を失った親によるものです。親による誘拐と言えば大したことではないように思えますが、戸籍や住民票がない社会で、誘拐された親の9割以上が、二度と子どもに会うことが出来ない、という現実を知ると、これはやはり親が子を失うことに変わりありません。誘拐という犯罪を犯してまで子どもを取り戻したい、子どもと住みたいという親達の孤独感は、社会において家庭が崩壊すればするほど強くなります。孤独感が社会を包むから、愛情が犯罪を生む。それなら離婚なんかしなければいいのに、と思いますが、それとこれとは別なようです。

アメリカにおける他人による誘拐事件がなかなか解決しないのも、それが身の代金を目的とした誘拐ではなく、家族を求めての誘拐だからだそうです。

裁判所の中で起こる発砲事件の件数が一番多いのが家庭裁判所です。法によって家族の絆を裁かれるという、自業自得とはいえ、理不尽な状況に置かれた時、人間は狂います。

少女の5人に1人が近親相姦の被害に会っていると言われています。そういう少女たちがインタビューに答えて言うのです。「そういうことをお父さんからされている時は嫌だった。でも、土曜日、日曜日に遊園地や動物園に連れていってくれるお父さんは好きなんです」。

「愛」というものはつくづく複雑なものだと思います。近親相姦はいけない、と言うだけで簡単に片付かない。そこには親子の関係、ゼロ歳から育ててもらった記憶の積重ねがあるのです。子ども達が言います。「お父さんからそういうことをされている時は嫌だった。でも、それを福祉の人に言ったり、学校の先生に言ったりしたら、お父さんを取り上げられてしまうとわかっていたから言えなかった。お母さんを悲しませると思ったから言えなかった」と。そういう状況に子どもを追い込んじゃいけません。絶対にいけません。

家族という概念が崩れると、ゆがんだ姿で「愛」が現れてきます。アメリカ社会を見ていると、愛というものの不思議な姿、異常な形、多分過去にも人間の持つ可能性の一部としてずっとそういうものはあったのだと思いますが、それが社会の表面に堂々と出てきます。そこで苦しむのが子ども達なのです。家庭という基盤が崩れた時、社会の秩序となりうる土台が崩れた時、人間は愛情というものを基準にとてもおかしなことをすると気づきます。  14歳、15歳、16歳の少女たちの妊娠、出産、これが一時期急増しました。最近少し減っていますが、エイズが蔓延しているからです。海のこちら側から見ていると、性にルーズなのだろうとか、フリーセックスの国だから、と倫理観の違いだと思ってしまいがちです。しかし、そういう少女たちを調べていくと、多くの少女たちが、子どもを産みたくて妊娠しているということに気づきます。

不幸な家庭に育った少女たちが温かい家庭に憧れるのです。

不幸な家庭というのは経済的な意味ではありません。人間関係の不幸な家庭に育った少女たち、ということです。(幼児虐待や近親相姦、アルコール中毒、麻薬中毒、こういう問題は家庭の経済情況にあまり関係しません。裕福な家庭に幼児虐待が少ないとか、離婚が少ないということはありませんし、学歴が高いから親の倫理観がしっかりしているということもありません。ここ数年アメリカの学校を舞台にした銃乱射事件のほとんどが、中流以上の、経済的にも恵まれた地域、家庭で起こっています。)

親子の関係が非常に不幸な家庭で育った少女たちが、温かい家庭に憧れる。マッチ売りの少女が温かい食卓に憧れるように、自分もそういう家庭が欲しいと思うのです。男にはできないことですが、女性にできること、それが子どもを産んで、家庭を作ろうとすることなのです。結婚をしてというより、まず子どもを産んで一人で家庭を作ろうとするのです。

しかし「子育て」というのはそんなに甘いものではありません。  生まれたばかりの子どもは言葉がしゃべれません。いきなり自分の子どもと1年以上話しができないという状況に追い込まれたときに、それを幸福として受け入れるには、様々な人生体験が必要になってきます。子育ての最初の1年、2年は、理論でもなければ、理屈でもありません。子育てを基盤とした幸福の物指しが持てるかという事と「忍耐力」が鍵なのです。人間は、子育ての最初の1年、2年で忍耐力を試されるのか、忍耐力をつけるのです。そのために赤ん坊はわざわざ言葉をしゃべれないまま生まれてくるのではないでしょうか。ところが、この最初の1年、2年を14歳、15歳、16歳で子どもを産んでしまうアメリカの少女たちの多くが、乗り越えられないのです。自ら不幸な家庭に育ったため、基礎的な忍耐力がついていない、そこでまた虐待をしてしまうのです。

幼児虐待の怖いところは、子どもは殴ると言うことを聞くということです。暴力というコミュニケーションの手段は有効なのです。忍耐力に欠ける親が有効な手段を発見し、場合によってはそれに快感を感じるようになる。親から子へと、14年、15年、16年で回るこの幼児虐待のサイクルが今もう3回転、4回転しています。ここまで来たら止めることはできません。

幼児虐待のサイクルに火に油を注いでいるのが、少女たちが幸せになりたいと思う気持ち、幸せな家庭を持ちたいと思う気持ちなのではないかと気づいた時、私はちょっと絶望的になりました。少女たちに、あなたたちは家庭を持っちゃいけないとは言えないです。自分が生まれた家庭が不幸だったから、いい家庭を持ちたい、温かい家庭を持ちたいと思っている子どもにあなた達はやめておいた方がいい、とは言えません。やはり家庭は幸福の源ですから、幸福になろうとしてはいけない、とは言えません。だから社会は家庭というレベルで一度狂い始めると恐ろしいのです。

(過去欧米でも日本でも経済政策の名の元に、福祉を使って行われた障害者の強制避妊の歴史を思い出して下さい。政府や学者のやることを甘く見てはいけません。)

アメリカで、親による虐待で重傷を負う子どもが、7年前に1年間に13万人でした。家庭内のことはなかなかハッキリした数字が出てこないものですが、小児科医の報告に基づいたこの数字は、信憑性が高いと言われています。それが去年57万件です。7年間で4倍以上にふえているのです。

幼児が親に虐待され重傷を負う、これは非常に辛いことです。幼児にとって親は、世界中にただ一人、ただ二人の大切な存在です。顔を見上げ、頼りにする相手です。この人達から虐待されたら逃げ場がない。しかも、ほとんどの場合、幼児は愛情の眼差しをその人に向けています。愛する人に虐待されて重傷を負う。重傷を負うほど虐待されているということは、虐待が何カ月も何年も続いている場合が多いのです。これほどつらく悲しいことはないと思います。これほど理解に苦しむことはないと思います。  これから先どうなってゆくのか、どこまで行くのかを考えると私は人類の未来に不安を覚えます。この57万件は確実に大人になってゆくのです。

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