私が出会った絵本作家たち

毎週録画して見ているお気に入りのTV番組「日曜美術館」に、絵本画家(作家)の田島征三さんが出てきました。

ずっと以前、日の出村の御宅にお邪魔したことがあって、タンポポとかドクダミとか違った草や実が入っているお酒を作って、居間に瓶を並べていたのを思い出します。「ふきまんぶく」が出来上がった頃か、「ヤギのしずか」を描いていた頃だと思います。

ふきまんぶく

双子のお兄さんの征彦さん(「じごくのそうべえ」、「祇園祭」)の方を、私はよく知っているのですが、出てきた映像を見ると歳をとってそっくりな感じです。もともと双子ですからそっくりですが、あの頃、征彦さんは角が取れた征三さんみたいな感じだったかもしれない。

地獄の惣兵衛

征彦さんは丹波の田舎で、田んぼでアヒルを飼ったりしながら型絵染をしていました。私がお世話になっていた宅間英夫さんという、オヤジの親友で、今江祥智さんの小説にも出てくる、私にとってもう一人のオヤジさんのような人の家に夏休みに遊びに行くたびに征彦さんの田んぼの端の家に顔を出していたのです。

番組を見ながら、ゴミ焼却場建設に反対する活動に征三さんがあれほどこだわっていた理由がわかった気がしました。大自然、といってもフナとか草とか川とか森とかバッタとかそういうものなのですが、それらと尋常でなく一体の人なのだ、征三さんは。そういうものが踏みにじられるのが身を切るように辛い人なのだ。

絵本作家の人たちのことが、芋づる式に記憶に蘇ってきました。

グルンぱ

二十歳の頃、堀内誠一さんのパリの家に2ヶ月居候したことがあります。「たろうのおでかけ」とか「ぐるんぱのようちえん」他を描いた凄い人です。私が好きなのは、7わのからす、くろうまブランキーで、やはり子どもの頃に読んでもらった絵本は心に残るのです。

インドから始まった一年半の放浪の旅の途中でした。堀内さんは、「こすずめのぼうけん」の中にある塀を高く描き直していました。誰もが時々会って話をしたくなる不思議な人で、私の滞在中も谷川俊太郎さんが現れました。(谷川さんには、私の3冊目の本「家庭崩壊、学級崩壊、学校崩壊」の帯に推薦文を書いていただきました。感謝です。)

ある晩、堀内さんと絵本関係者、東西奇人変人(いい意味で)番付というのをつくったことがあります。http://www.luci.jp/diary2/?p=48 (関連ブログ。)

東と西は出身地で分け、東の横綱が岸田衿子さん(かばくん、ぐぎがさんとふほへさん他)で、西の横綱は丸木位里先生か秋野不矩さんか迷った末に位里先生(原爆の図、ねずみじょうど他)になりました。

ねずみ浄土

きんいろのしか

私がインドを旅していた時、少しご一緒させてもらった秋野不矩先生(うらしまたろう、きんいろのしか他)は文化勲章受章者で、しかも秋野亥左牟さん(プンクマインチャ他)のご母堂です。この二つの勲章もふしぎに思えるのですが、天龍の秋野不矩美術館は圧巻、お勧めです。何度も何度も巡礼してもいいくらいです。同じ御本尊を拝みにいくように、同じ作品を拝みにいくのです。絶対にあってほしい作品が展示替えになっていると、それはいけません、と思います。

そういえば、亥左牟さんも一度日曜美術館に出てきました。

プンクマインチャ

ずっと以前、ロサンゼルスの私のアパートにふらりと来て数日泊まり、日本から持ってきたお孫さんへのお土産のコケシを、お礼に、と言って置いて行ったのです……。すでに仙人のようなヒゲで、年齢不詳でした。敷物一枚で、床にゴロンと眠ってしまうのが絵になる親子です。

インドへ私を呼んでくれたラマチャンドランさん(まるのうた、おひさまをほしがったハヌマン他)は、西ベンガルのシャンティニケタンにある詩人タゴールの作った大学で不矩先生が教えていた時の教え子です。不矩先生の英語は半分日本語です。それで三年、大学で教えていました。初めての外国だったインドで、不矩先生の半分日本語で話してしまう「英語」を聴いたとき、私は世界中どこへでも旅できる気がしたのです。

ラマチャンドランさんは、私の人生における「灰色のガンダルフ」(瀬田貞二訳「指輪物語」より)のような人。

ある日、ニューデリー郊外のラマさんの家で、不矩先生が、私がついでに洗うから、と私の洗濯物を洗ってくれて、ラマさんが庭に一枚ずつ干していた時、私も何かしなければと思ってラマさんに尋ねたのです。すると、あとてやってもらうから、と笑うのです。夕食が終わって、みんなでシーンとした時、ラマさんが、さあ、笛を吹いてくれ、と言いました。私は尺八をとってきて即興でしばらく吹きました。終わると、不矩先生が、あなたの今日の仕事はこれでいいの、とニコニコ笑いながら言いました。

「フレデリック」のような話です。ありがたい。あの夕べの風景はいまも私の心の中にあります。

 

「絵本関係者奇人変人番付」に話を戻します。

不矩先生は西の張出横綱になって、東の大関は丸木俊先生(原爆の図、うみのがくたい他、私が好きなのは「12のつきのおくりもの」)。関脇、小結あたりを決める時に候補者をとりあえず紙に書いて並べてみました。

12の月のおくりもの

安野光雅先生(ふしぎなえ、旅の絵本他、私の小学校の図工の先生)、梶山俊夫さん、谷川俊太郎さん、長新太さん、渡辺茂男さん、瀬田貞二さん、赤羽末吉さん。(私の推しで)藪内正幸さん……。

いまでも懐かしい薮さんは、上京したばかりの頃、学生服を着てうちに下宿していました。上野や多摩の動物園に通うのが仕事で、パスも持っていたから羨ましかった。ああいう仕事に就かなきゃいけない、と子ども心に思いました。子どもと絵本作家を数人近づけると、だいたい子どもは道を踏み外します。最近、ハイビジョンのテレビ番組で、動物の、特に鳥の羽の細かいところまで綺麗に見える映像がスローモーションで現れるたびに、藪内さんに見せたいなと反射的に思います。薮さんの動物を見つめる目の真剣さと愛情が、今でも私の心の中に生きています。そういえば、今江祥智さん(わらいねこ、山の向こうは青い海だった他)もうちに下宿していたことがあって、これでは、もう子どもは真っ当な道は歩けない。非認知能力がつき過ぎる。言い訳です☺️。

番付の小結(こむすび)あたりまで決まりかけていた時に、突然、アッと気が付いて、石井桃子さん(クマのプーさん、ちいさいおうち、うさこちゃん、三月ひなのつき、他)をどうするかということになりました。

「どうするか」という言い方はちょっと失礼なのですが、堀内さんはその時すでに舌ベロが紫色になるくらいワインを飲んでいました。ちなみに長女の花子さんも、お酒を飲むと目つきが鋭くなってきて、言葉に凄みが出ます。大学生の息子がいる次女のもみちゃんは優しいのですが、保育指針を読んで、「かずくん、こんなの無理だよね~」と、初めて会った五年生の時みたいに真実をズバッと言うのです。「ムリ、ムリ、ぜったい無理」と私も真剣に答えるのですが、やはり堀内家の伝統は受け継がれている。(世田谷区の「おでかけひろば」について、「これ、いいんだ」と教えてくれたのはもみちゃんです。自主的な子育て支援センターを、区が空き家を借りて増やしていく仕組みです。)

さて、石井桃子さんをどの位置、と言うか「地位」にするかという話です。

私は小さい頃、石井さんの自宅の「桂文庫」に毎週通っていて、一人ずつ呼ばれて応接間で絵本を読んでもらったり、愛犬のリュークと遊んだり、メダカのいる池をのぞいたりしていました。お手伝いのミネさんの顔も覚えています。敷地全体が良質の児童文学という感じで、石井先生はいつも背中をしゃんと伸ばして今でもそこにいるのです。ひょっとすると横綱かもしれない、と堀内さんも言った気がします。

田島征三さんは残念ながら番付では前頭でしたが、それだけ絵本関係者には奇人変人が多いということ。いつまでも大人になれない、ならない人が、それを特権のようにして生きている。一人では生きられそうもないから、よほど運がいいのでしょう。

でもこの人たちが社会の視点、定点のようなものを作っている。人間の役割分担みたいなことを強く感じるのです。そして、この定点は、親たちが子どもに読んで聞かせるという役割をすることで、本当の意味で社会の原点になるのです。いくら不思議な指針がそこにあっても、親心が存在しなければ自然治癒力は働かない。それが人間社会です。

あまがさ

そうだ、八島太郎さん(あまがさ、からすたろう)のことをいつか書かなければ……。

堀内さんの家をあとにして五年後に、私はロサンゼルスで大学へ通いながら八島さんの俳句の会に出入りしていました。八島さんの日本語に対する感覚は鋭く、余白、余韻を残した「あまがさ」の文章は、英語で書かれた俳句のようです。存在感のある人物です。色んな意味で……。

ああいう海の渡り方をしたタロウ・ヤシマが、アメリカの今年の大統領選とコロナ禍とBlack Lives Matter(人種差別と不信を増幅している司法・警察の問題)の重なりと混沌を、どう分析、評論するだろうか。息子のマコさん(岩松マコ、砲艦サンパブロでアカデミー賞助演男優賞にノミネート)も交えて話すことができたら……、二人とも亡くなっていますが、そんなことを考え、想像します。(八島さんが、どういう海の渡り方をしたかは、ぜひネットで調べてみてください。ちょっと凄い話です。)

八島さんのペンネームに現れる日本に対する思い入れ。友人の小林多喜二(蟹工船)の死顔をスケッチし、戦前にアメリカに渡り、戦後、チャップリンが事実上の国外追放になった熾烈な赤狩りを目の当たりにした人。そして六十年代の反戦、人権運動のこと。マコさんが主宰していた、私も音楽を担当したことがあるイーストウエストプレイヤーズのこと。アジア系アメリカ人の劇団ですが、自分の顔、姿から逃げられない移民二世、三世の東洋人俳優たちがアメリカのリアルタイムをもがくように生きていました。ある日、音楽好きの韓国系男優キヨニ・ヤンが私に言いました。

「カズ。オーディションに行くだろう? すると、タップダンスはできるか、と訊かれる。もちろんです、と答えるんだ。そしてタップを教えるスタジオを探して、金を払って三日で覚えるんだ。Than’s Hollywood, man.」

人種の壁は厚い。差別は必要な格差として、歴然と、当然のようにある。(私も様々な形で体験しました。その不合理な荒波の中で闘っていると、自分もいつの間にか荒っぽくなっていきました。)それでも俳優になりたければ、何でも、喜んでやるしかない。彼は、典型的な日本人の役、と言ってジョー山田をやって見せてくれました。それは、中国人と日本人の中間あたりに属するふしぎな自虐的なキャラクターでした。

「お前にやってほしくないよ」と苦笑いしたら、クスクス笑いながら「Than’s Hollywood, man.」と言われました。

海を渡った理想とか夢が、叶わずとも魂の質量を持っていた時代があった。それがいま、殺風景な悲しみや苦しみ、橋を架けようもなく深まる分断、やり場のない憎しみや怒りの中で定点を失い空回りしている。

損得勘定ではない原風景の中に、名作「あまがさ」と「からすたろう」はあります。還っていく風景があったから、八島さんは生き続けることができた。でも、それがあるがためにもがき、苦しんでもいた……。

「あまがさ」と「からすたろう」、素晴らしいです。

何が?といえば、小さい頃のモモさんかもしれない。雨の音、それを一緒に聴いていた父親の心情かもしれない。その後、を知っているだけに、それは素晴らしかったんだ、と断言したいのです。

「からすたろう」では師弟の出会い、学校へ毎日通った道のり、カラスの鳴き声、そうしたものの組み合わせが素晴らしいのでしょう。

あの頑固者で面倒くさい、本当は優しい鹿児島男児の波乱万丈の人生を、たった二冊の絵本が表してくれるから絵本描きは特だなあ、ずるいんじゃないの、と思うのです。けれど、あの、子どもがいる風景の静けさが人間にとっては原点の静けさで、いつでも手に入る幸せの可能性を示唆しているから、やはり納得してしまう。全米の図書館に、たぶん全ての小学校の図書館にあの二冊が日本という国の文化を代表して入っている気がするのです。

田島征三さんの番組の最後の方に出てきた最新作と思える、魚をつかむ、魚が逃げる、そんな絵が新鮮で、水の青が綺麗で、まるで音が聴こえるようでした。人間は子ども時代に帰っていく。還っていく次元をしっかり体の真ん中に残しておけばいい。残させてあげればいい。一番完成していた自分に戻っていくことができる。そんな気がしました。
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(「家庭崩壊、学級崩壊、学校崩壊」に書いてもらった谷川さんの文章です。ありがとうございました。)

「うーんと唸りました。読み進める私のアタマには?と!が交互に現れます。でも松居さんは保育の現場から考えているから、この本の中の具体的な「言葉」には、この時代の抽象的な「決まり文句」を突き崩す強さがあります。」 詩人 谷川俊太郎

 

「おもしろくてアッという間に読み終えた。「子育て」を低級な「仕事」と見始めるところに、人間社会を根本から揺るがす危険がある、という主張に、教師としては強力な援軍を得た気持ちである。」  「学校崩壊」の著者 川上亮一

 

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