「持続可能な社会保障」?

私は、親の保育士体験(年に一日8時間親が一人ずつ園で幼児に囲まれて過ごす。幼稚園は5時間)を薦めてきた。県単位で取り組むところが4県。きっかけは15年前「実習先の園の半数で保育士による虐待を見る」という学生たちからの訴えだった。「先輩から、あの園に実習に行くと、保育士になる気なくなるよ、と言われている園が三つあります」という証言もあった。実習生を受け入れる園で、実習期間中に、そうなのであれば、実習を受け入れない園では半数どころではないはず。園児たちがそれを見ている。そこで刻まれる不安や不信が将来のいじめ、DV、児童虐待、奇妙な犯罪に連鎖していてもおかしくない。

(「保育の現場 潜む虐待 突き飛ばす、怒鳴る、差別する。」東京新聞:https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201811/CK2018111602000147.html)
(「てめぇら!」響く保育士の怒鳴り声 “ブラック保育園”急増の背景” AERA Dot.:https://dot.asahi.com/wa/2017052400011.html)
(保育士の虐待「見たことある」25人中20人:東京新聞:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/8494/)

i mages

政府が目標に掲げる「持続可能な社会保障」、その施策の一部に、将来のモラル・秩序、治安維持や労働力確保を脅かしかねない「幼児たちが見る異常な風景、するべきではない体験」が組み込まれている。見えない不良債権が積み重なっている。全ての人生が互いに連鎖する人間社会において、その連鎖を浄化し、善循環にしてきた「幼児期の体験」が、経済優先の仕組みによって人間不信、不安の連鎖に変わろうとしている。放置すれば、福祉や教育が支えると思われた「社会保障」が財源と人材の両面から崩れていく。社会保障は数字で成り立つものではない。必ず「利他」の幸福論がその中心になければならないことに気づいてほしい。