衆議院内閣府委員会で「保育の無償化」について、参考人として意見を述べました。

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衆議院内閣府委員会で「保育の無償化」について、参考人として意見を述べました。

「親心を育む会」にも度々出席して、保育園のあり方、そこで親心を育てるにはどうしたらいいか意見交換してきた森田俊和衆議院議員の指名でした。感謝です。

無償化で助かる親たちがたくさんいます。しかし、俯瞰的に見て、保育の無償化が、すでにぎりぎりまで来ている保育士不足による保育崩壊の最後の一撃になるような気がしてなりません。そして、子育てを損得勘定で考えることを国が助長しているように思えます。それが「待機児童」という言葉とともに隅々まで広がってゆく。

過去15年くらい行われてきた少子化対策、エンゼルプランや子ども・子育て支援新制度もそうですが、子どもを「負担」と捉える風潮を国が作り出している。その究極のところに「無償」という言葉があります。

負担を軽減すれば子どもをたくさん産む、という考え方は経済学者やごく一部の社会学者たちの視点であって、この人たちは子育ての本質を見ていない。宗教学、倫理学、人類学的視点が著しく欠けている。この視点で行う少子化対策はこれまでことごとく失敗しているのです。

子育てを「負担」と位置付ける施策で、出生率が上がらないどころか、結婚しない男がますます増えている。子どもたちの成長を「喜び」、子育てを「人生の美しい負担」「生きがい」と感じる人間本来の姿を取り戻さなければ、義務教育の崩壊どころか、この国のモラル・秩序が崩壊していく。

今回の無償化は、子どもの最善の利益がまったく優先されていない、その点を必死に訴えました。それが保育士たちにはわかってしまう。もし、子どもを可愛がる、子どもの心に寄り添う保育士であれば、「11時間保育を『標準』と名付けた」時点で、政府の施策に反発する、背を向ける。

「無償化」という言葉自体が、児童福祉法、子どもの権利条約、保育所保育指針に書いてある「子どもの最善の利益を優先する」という人類存続の決まりに反しているのです。「弱者を優先する」そこに人間社会の「成り立ち」があったはずです。

 現場では、無償化をすることで預ける子ども、預ける時間が必ず増えると言われています。もしそうなった場合、すでに限界を超えている保育士不足に拍車がかかって対処しきれない。すでに、ほとんどの保育園が現場にいるべきではない保育士を抱えている状況が、幼児たちの目に晒されることによって保育士たちを苦しめている。多くの子どもたちが、強者が弱者をぞんざいに扱う風景を幼児期に見ている。その体験をする。それが「いじめ」や小一プロブレム、学級崩壊につながっている。保育の質の低下がますます進んでしまうどころか、これでは学校教育がもたない。

一度この無償化が実施されると後戻りできないのです。子育ての「無償化」という奇妙な言葉が、「幼児たちが、信じ切ることによって親たちを育てる」という人類本来の存続の形を根本から覆していく気がしてなりません。

(「幼児を守ろうとしない国の施策。ネット上に現れる保育現場の現実。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2591」)

参考人に決まってからの数日間、幾人かの人たちに電話で無償化で起こりうる状況について確認してみました。30年間も家庭崩壊や保育の問題について毎年100回近く講演してきたので、忌憚なく話せる知り合いが全国にいます。

状況の異なる自治体の役場の福祉部長、保育課長(ほとんど公立の保育園で保育をしている市もあれば、私立の幼稚園と保育園主体の市もある)、保育士会の前会長、保育団体の青年部長、元保育課長で現在私立保育園の主任をしている人、私立幼稚園連合会の幹部などですが、一様に預ける人数の増加、預ける時間の長時間化が起こるであろうこと、それに関して今の体制では人員的にまったく対応できないという認識です。すでに無資格者が保育現場にこれだけ多く入っているにもかかわらず、(政治家が選挙公約にした)「無償化」に対応するため、さらなる規制緩和が行われれば、質の低下による人間関係の不信感が、どれほど混乱と無理を現場に強いるかが目に見えているのです。

私がいう「現場」は、子どもたちを含む現場です。子どもたちにとっての現場と言ってもいい。3歳までは、脳の発達に充分な話しかけをしてもらえるか、抱っこしてもらえるか、5歳までに、どれだけ可愛がってもらえるか、寄り添ってもらえるか、その「現場」です。経営の現場、条例の現場、仕組みや制度の運営の現場ではありません。

幼児との「現場」が人間を優しくし、社会に忍耐力を生んできたことは、ちょっと考えれば誰でもわかるはず。どれだけたくさんの人たちが、どれだけたくさんの時間をこの「幸せそうな絶対的弱者」と過ごすかで社会の質が決まってきた。経済なんていうものも、この社会の質の上に成り立ってきた。

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これだけ、現場で「無理だ」と言っていることをなぜ政治家は進めようとするのか。自分たちの選挙やキャリアよりも、日本の未来でもある、子どもたちの日々のことを優先的に考えるべきではないのですか。

親になるということは、損得勘定を捨てることに幸せを見つけること。仏教やキリスト教など、主要な宗教が薦めてきた「利他」の道を歩むこと。遺伝子という、すでに持っている幸せのものさしを体験し、自らのいい人間性に気づくこと。

参考人を終えた後、幾人かの議員たちが、右も左も、与党も野党も超えて「そうですよね」と言って寄ってきてくれたのが嬉しかった。旧知の顔も幾人かいました。子どもたちの願いを優先する、それで心は一つになるのです。