「生産性革命と人づくり革命」?・「幼児期の愛着障害と学級崩壊」

「生産性革命と人づくり革命」

政府の「新しい経済政策パッケージ」にこんな文章があります。

「少子高齢化という最大の壁に立ち向うため、生産性革命と人づくり革命を車の両輪として、2020 年に向けて取り組んでいく 」(中略)、

  「20 代や 30 代の若い世代が理想の子供数を持たない理由は、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」が最大の理由であり、教育費への支援を求める声が 多い」

この政策パッケージを書いた人たちには少子高齢化という「最大の壁?」の実態が見えていない。それとも見ようとしないのか。

過去15年間やってきた「少子化対策」(エンゼルプランや預かり保育など)の結果ますます子どもは減ってきているのです。子育ての負担を軽くすれば子どもをたくさん産む、という損得勘定のような幸福論は、この国では成立しない。伝統的な(この国の個性、美学でもある)幸福論の書き換えをするしかない。

政府の施策やマスコミの宣伝によって、この美学の書き換えが進んでいて、いまこれを止めなければこの国も欧米のようになってしまう。

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ジェンダーフリーを目標に掲げる社会学者や、欧米を成功例と位置付ける経済学者から目の敵にされた「日本における女性の就業率のM字型カーブ」(妊娠出産が原因である時期女性の就業率が低くなる)が批判されていた頃、このM字型が、乳幼児の願いをかなえようとするこの国の利他の美学ではないのか、と誰も強く言わなかった。自分で育てられないのなら産まないという意識も含め、この国の伝統や文化を基盤にした子ども優先の常識と、体験に基づかない欧米思考でキャリアを重ねた学者たちの「子育て観」と次元がずれていることを誰も指摘しなかった。

「欧米先進国ではこうで、日本は遅れている」という言葉に代表される発言が、果たして欧米先進国は真似るべき国なのか、という論議の先に立ってしまっていた。特に保育施策に関しては、いまだにマスコミでこの欧米コンプレックスからくる安易な改革、伝統を否定する姿勢が、考え方の主流になっている。

先日も保育の無償化を問題視しつつ、「フランスでは3歳から義務教育と同じ仕組みで、無償化されている。日本は遅れている。日本も幼児期から教育をしなければいけない」というような解説がテレビのニュース番組でされていた。その時、そこに座っている専門家や有識者は誰も、フランスでは50%の子どもが未婚の母から生まれ、家族という形が土台から崩れていること、強盗に襲われる確率が日本の10倍を超えていること、毎週のようにデモが暴徒化し略奪が行われていること、を言わない。ベルギーやデンマークなどでも起こっているそうした市民の暴徒化の報道を見ていると、「植民地支配的な構造が崩れただけで調和どころかすぐに暴力につながっていく現状は、家庭崩壊と子育ての社会化がその根底にある、幸福論の書き換えの結果ではないのか」とさえ思う。彼らの進んだ「子育ての社会化」による「家庭崩壊の道」から、私たちが別の道を模索するために学ぶべきことはたくさんあるはず。(国連の幸福度調査について:http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1990)

マスコミは日本という国を批判することで視聴率を上げ、その結果社会に不信感を煽っているように思えてならない。保育、教育に関するかぎり、「フランスというモラル・秩序に欠ける国がやっているならやめておいた方がいいのではないか」という常識的な指摘が、「欧米では」という発言がある度にあってもいいはず。保育に関して論じることは、「子育て」について論じること、つまりその国のモラル・秩序に直結してくる論点なのだ。

(デンマークの幸福度について:http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=976)

 

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「幼児期の愛着障害と学級崩壊」

教育と保育はちがう、そして教育と子育てはもっとちがう、そうした根本的な発言がされないまま、保育士の待遇を良くすれば保育園でも「教育」ができる、といった現場の実態とは懸け離れた論法がまかり通っている。

新しい保育指針に「教育」という言葉がいくつか入った。これは多分に義務教育が成り立つための「しつけ」をしろということ。質の良くない保育士にこれを押し付けると、子どもが辛い思いをする。いい保育士がそれを見て辞めていってしまうような虐待まがいの風景が保育界に広まることになってしまう。そういう追い詰められた保育界の状況を「新しい経済政策パッケージ」を作った人たちは知らない。そして、幼児期の愛着障害が学級崩壊やいじめ、将来の犯罪につながっているのではないか、というような議論が中々されない。

(NHKのクローズアップ現代では、以前されていた。『~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2525

そして、犬に関してはすでに、母犬から子犬を早く引き離すと「噛み付き癖」「吠え癖」がつくから、子犬は一定期間(8週間)母犬から離さないように、という法律が国会で6年前に審議され、与野党一致で通っているのだ。人間だって同じこと。哺乳類なら当たり前。子犬の8週間はもう小走りに走っています、人間なら2歳くらいかもしれません。)

理想の(?)子供数を持たない理由は、国による「教育費への支援」が足りないのではなく、「子育て」の幸福感を体験的にも、情報としても、しっかり知らされなくなってきていることが第一でしょう。

政府が「子育て」を女性を輝かせない「負担」と位置付け喧伝すれば、家庭を持ちたいという男たちが減って当たり前。彼らの意欲、存在する動機が希薄になってゆくからです。中学生くらいから、経済競争に駆り立てる教育よりも、幸せになる方法は、勝つことよりも、弱者を育て慈しむことにあると教えることの方が理にかなっているし、大切です。その本道が「子育て」で、そこに人生の一番の「価値」がある、と説明すれば、ほとんどの中学生は理解する。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=726

(中学生にした講演の感想文から)

「自分が親になって困ることより『いいな』と思う方が多くなる日が来ると思うと、とても楽しみになりました」

「幸せについて、きちんと語る人はめずらしいです。ぜひ、次の講演も頑張ってください」

「親になりたいと思いました。今日のお話しは、私の成長につながったと思います」

「私たちは親に育てられているだけではなく、私たちも親を育てているとゆう話を聞いて、なんていえばいいかわかりませんが、話にひきつけられました」

幼児たちは、もっと彼らを育て、導いてくれる。中学生のする保育士体験は感動的です。自分自身のいい人間性に、幼児と向き合うことによってほとんどの中学生が気づき、幸せと重なった本能の仕組みに安心するのです。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=260

4歳の幼児と一時間4対2の関係で過ごすだけで、14歳の男子生徒たちは生き生きと子どもに還り、女子生徒たちは生き生きと母の顔、お姉さんの顔になる。慈愛に満ちて新鮮に、キラキラ輝き始める。保育士にしたら最高の、幼児に好かれる人になってゆく。(遺伝子学の村上和雄教授が「命の暗号」の中で書いている「遺伝子がオンになってくる」というのはこういうことなのだろうと思います。)

中学生と幼児たちの出会いから始まる不思議な育てあいの光景を見ていると、少子化対策と同時に叫ばれる政府の「一億総活躍」「人づくり革命」という掛け声が、あまりにも薄っぺらで、この国の「子育て」をめぐる思考や議論を現実離れした色あせたものにしているのがわかります。

(内閣府の調査で若者の引きこもりが54万人。3割超が7年以上で、長期化、高齢化しているという。注目すべきは「引きこもりの状態になった年齢」。20~24歳が増えトップで34.7%。次が16~19歳の30.6%。結婚して家族を持とうと思い始める時期に、引きこもりが始まっている。幼児という絶対的弱者の存在意義を理解していない、パワーゲームを土台にした経済力や地位で測る平等論が学校教育を支配し、男女共同参画社会の土台が「性的役割分担」だという文化人類学的に考えればごく当たり前のことが「高等教育」の中で肯定できなくなって、平行するように少子化は進んだのです。こうして進められた少子化は、やがてこの国の経済を破綻させるかもしれない。しかし、この国の子育てに基づく幸福論を自ら破綻させることさえしなければ、この国は大丈夫だと思う。

WHOが人生の最初の千日間の重要性を指摘するまでもなく、三歳までの乳幼児の扱い方、そして、その時に親がどう育つかに、変更や上書きのできない「国の未来」がかかっているのです。)

「社会で子育て」の実態と虚偽

「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2498

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11時間保育を標準としたこの政策パッケージが言う「保育の受け皿」は、「子育ての受け皿」で、子育てを「保育」が肩代わりすれば「親が安心する」と言っているのです。「社会で子育て」の実態と、不可能な現実、虚偽がそこにある。

「幼児を可愛がる」、一番簡単に幸せになれる人たちを、生きる指針として大切にする、育てる、という大自然の作った一つの「かたち」が土台にあれば、人間の作った福祉や教育という「仕組み」もそれほど崩れない。しかし、「幼児を可愛がる『かたち』」が日常生活から欠け始めると「自分のいい人間性を体験する」という生きる動機そのものが崩れていく。そして、社会全体で、モラル・秩序の崩壊が始まる。

AIや技術(特にコミュニケーション能力)の進歩とは異なる次元で、人間の作った子育てに関わる「仕組み」の崩壊がすでに始まっています。AIや技術の進歩は正直ですから、「平等」などという有りもしないまやかしをその係数には入れません。

すると、人間性を失った技術の「進歩」は、様々なかたちの「戦い」での決着を目指そうとする。

そうならないように、「幼児を可愛がる」という「かたち」を意図的に取り戻していかなければならないと思う。しかし、現実は真逆の方向に動いている。

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「保育の現場 潜む虐待 突き飛ばす、怒鳴る、差別する。」東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/…/…/201811/CK2018111602000147.html

これが政府による保育の規制緩和とサービス産業化の結果なのです。保育士不足と質の低下が止まらない。園児たちが、強者が弱者をいじめる姿を日常的に見ている。強者が弱者を手荒く扱う風景を、毎日見ている。そこにこの国の未来があることに気づいてほしい。

幼児を扱う「作法」を、仕組みを動かす政治家や専門家たちは忘れてはいけない。

2019年3月

先日、福岡の300人規模の40年続いている認可保育園で、日常的に行われていた保育士たちによる園児虐待が報道されました。待機児童をなくせと安易に叫ぶ以前に、保育園における現実と実態を、幼児たちの安心のために把握し対処してほしい。

28年前、まだ保育士が保母と呼ばれていた頃、すでに「保母の園児虐待―ママ たすけて!」という本が出版されています。私が、親の一日保育士体験(年に一日8時間、親が一人ずつ園で幼児たちに囲まれて過ごす)を広めようとし始めたきっかけになったのが、15年前に「実習先の園で、保育士による虐待を見る」という保育者養成校に通う多くの学生たちからの「内部告発」でした。これは、すでに法律で取り締まることができる種類の問題ではない。一線を超えている。あってはならないこの問題にブレーキを掛けられるとすれば、保護者と保育者が一緒に「子育て」しているという実感を取り戻し、信頼関係を築き直すしかない、と考えたのです。一日保育者体験はある程度の広がりを見せていますが、まだまだ先は遠い。いつでも親に見せられる保育をする、これが保育の基本だったのです。最近増えてきた密室型の小規模保育施設まで広めるとしたら、条例で保育所の義務とするしかないでしょう。

告発できない3歳未満児は、最新の注意を払って絶対に守られなければならない。優先的にそれをしないと、義務教育の存続に関わる問題になってくる。

(参考)

保育士の虐待「見たことある」25人中20人 背景に人手不足、過重労働…ユニオン調査で判明:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/8494/

幼児を守ろうとしない国の施策。ネット上に現れる保育現場の現実。 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2591

主任さんの涙 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1983

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5年前、2014年8月、千葉市の認可外保育施設で保育士が内部告発で警察に逮捕される事件がありました。

 「千葉市にある認可外の保育施設で、31 歳の保育士が2 歳の女の子に対し、頭をたたいて食事を無理やり口の中に詰め込んだなどとして、強要の疑いで逮捕され、警察は同じような虐待を繰り返していた疑いもあるとみて調べています。

警察の調べによりますと、この保育士は先月、預かっている2歳の女の子に対し、頭をたたいたうえ、おかずをスプーンで無理やり口の中に詰め込み、「食べろっていってんだよ」と脅したなどとして、強要の疑いが持たれています。 (NHKONLINE 8月20日)」

悪い保育士は昔から居た。内部告発も繰り返しあった。しかし当時の新聞報道を読むと、危機的なのは、この施設の施設長が虐待を認識していたにもかかわらず、警察の取り調べに対し、「保育士が不足するなか、辞められたら困ると思い、強く注意できなかった」と述べたこと。この証言によって、保育士個人の資質の問題が、この国が抱えるいま最も重要な社会問題、政治姿勢の問題に変容するのです。

失政から生じた保育士不足が直接的に保育園内の信頼関係や保育の質に影響を及ぼす状況が、全国の保育園で当時すでに起っていた。現在も起こり続けている。

明らかに保育現場にいるべきではない保育士を排除できないのです。その風景に耐えられず、心ある保育士が辞めてゆく。発言できない乳幼児たちの周りで起っているこうした出来事を放置することで、子育ての現場から人間としての「常識」が消えていく。福祉や教育にとって致命的な、この国の将来のあり方に関わる負の連鎖が始まっている。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=465

しかし、もっと危機的なのは、この施設長の保育士不足が原因で「注意できなかった」という発言が全国紙の一面に載ったにもかかわらず、政府や政治家たち、その後の保育施策に関わった有識者たちが、保育の質の低下に直結する量的拡大と規制緩和を止めようとしなかったこと。

「保育園落ちた、日本死ね!」という親の発言が、もっとたくさん預からなければ駄目でしょう、という趣旨で国会で取り上げられたのがこの報道の3年後です。政治家たちはいったいどこを見て、何を考えているのか。新聞報道を通して聞こえてくる幼児たちの叫びを「この国の叫び」と捉えてなぜ耳を傾けないのか。国旗や国歌よりはるかに大切な、この国の本質が崩れようとしているのです。この国が欧米先進国に比べて奇跡的に犯罪率が低く、モラル・秩序が保たれてきたのは、幼児を大切にし、彼らの成長に喜びを見出してきたからです。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1047 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=976

この千葉市の保育施設で起った事件が、学校教育という仕組みの中で起こっていたら、と想像してみてください。

教師が生徒の口に無理やり食事を詰め込み、頭を叩き、それが繰り返されていたとして警察に逮捕される。警察の取り調べに校長が「教員不足のおり、辞められると困るので強く注意できなかった」と答えたら大問題でしょう。校長はマスコミから非難され、国会で取り上げられ発言の責任をとって辞職するかもしれない。同時に、これは校長個人の資質の問題ではない。学校教育という「子育て」に関わる仕組みが成立していないということに皆が気づき、少なくとも、再発を防ぐ手立て、校長がそこまで追い詰められないような対策がとられるはず。

口に無理やり食事を詰め込まれ、大人に叩かれる相手が自ら主張できない2歳以下の子どもたちで、福祉という(「経済活動に必要な」と思われている)仕組みの中で起こった場合、その根本的な原因を追求し止めようという真剣な動きが起こらない。それどころか事件後、もっと0、1、2歳を預かれ、小規模保育や企業内保育は資格者半数でいい、11時間保育を「標準」と名付けるなど、保育士不足に拍車をかける方向へ動いていったのです。

園長、主任が保育士を叱れなくなっていっている。保育士に辞められ国の配置基準を割っても、子どもたちは毎朝登園していくる。連絡帳に書いてくる親たちの言葉は、ますます乱暴に、容赦ない感じになってきている。「子育て」の意味は、人間がお互いに育て合う、育ちあうということ、信頼を築くこと。その原理が、保育園で機能し難くなっている。

「保育(子育て)は成長産業」という閣議決定のもと、「いま、儲けるなら保育に関われ」というビジネスコンサルタントの無責任な言葉がインターネット上に溢れます。保育の意味さえ知らない、保育所保育指針さえ読んでいない素人の園長、設置者が参入してきています。数百万円の投資で小規模保育を始めた人たちが、一年も経たずに自転車操業に追い込まれるようなことが全国で起こっている。

少子化により定員割れを起こしている社会福祉法人や、園児確保のために子ども園化した幼稚園も含めて、経済学者のいう(質を高める?)競争原理によって生き残りに必死になっている。「私たちが預かっているから、土曜日も夫婦で遊びにいってらっしゃい」という本末転倒のサービス産業化さえ起こっている。親にとってのサービスであって、幼児にとっては質の低下でしかない。 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1292

数年間良くない保育をされた子どもたち、過密状態の中で噛みつかれるなどの異常な体験をした子どもたち、そして乳幼児期に特定の人間と愛着関係を築けなかった子どもたちが確実に義務教育に入っていくのです。教師たちの生きる力も弱っています。その影響が学級崩壊という形で現れれば、クラスの子どもたち全員の人生に連鎖していくのです。親の責任だけでは、もはや子どもの人生を守れなくなってきている。

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家庭内暴力、保育士による虐待、小一プロブレム、学童の質の低下、様々な子育てに関わる問題が双方向に誘発しあっている。すべてが連鎖していることを忘れてはいけない。このままでは、社会全体がもっと殺伐としてくる。幼児たちが本来の役割を果たせなくなる、家庭、家族という浄化作用、自然治癒力が失われるということはそういうことなのです。

もし、政治家や専門家たちの言う「保育園でもっと預かれば女性が輝く、経済が良くなる、少子化問題が解決の方向に向かう」という思惑が外れたら、もしこの国の経済力がこの先落ちていって、財源が枯渇していったらどうなるのか。

「女性が輝く」と首相が国会で言った意味、輝き方については確かに人それぞれで、正論はない。しかし、15年来の政府の「少子化対策=保育の量的拡大」の施策の元で、少子化がますます進んでいることは確かなのです。韓国の例を見るまでもなく、経済財政諮問会議の予測は完全に外れている。

そして、一生に一度も結婚しない男性が3割になろうとしている。

男たちが「生きる力」「幸せになる方向性」を見失ってきている。無責任になってきている。親になる幸福が伝承されていない。人類をつないでゆく「動機」がわからなくなっているのです。これで本当に経済が良くなるのか。

3歳児だったら親に、保育士に叩かれた、と報告ができます。だからほとんどの保育士が叩かない。0、1、2歳は親に訴えられない。だから、よけいに注意し、気を配り、「みんなで心を一つにして親身な絆を作って、彼らを大切にしなければいけない」、それが人間社会の原点。この原点さえ守っていれば、紆余曲折、困難があっても人類は「利他」(弱者のために生きる)という幸福感の伝承をつないでいくことができる。いつかより良い方法で社会を作っていくはず。

幼児は、人間を信じることによって存在し、輝く。その光に照らされて、人間たちが輝く。自分の「価値」を知る。

幼児を扱う「作法」を、仕組みを動かす政治家や専門家たちは忘れてはいけない。