保育の無償化「人づくり革命」?

保育の無償化。

首相は、それを「人づくり革命」の第一歩と言う。

ここで言う「人づくり」の意味がまったくわからない。「人づくり」のイメージをどう捉えているのか。産めばいい、というわけではないと思うのですが、この人の「革命」を支えている学者や専門家たちは、何か大切な感覚・視点を失ってしまっているのではないか。政府の子ども子育て会議が、11時間保育を「標準」と名付けたときにも感じた恐ろしいほどの違和感がこの「人づくり」という言葉にある。

政府主導で、子育てに関してとんでもない勘違いが始まっています。

無償化で、幼児を保育園に長時間(8時間以上)預ける人が増えれば、親が育てるより人づくりになる、それが「革命」だと言う思考が私には理解できない。保育士不足と、親の意識の変化を考えれば、これほど馬鹿げた話はない。

子育てを制度や仕組みに任せることで社会に信頼関係と絆が失われつつあるいま、「人々の心を一つにする」という幼児たちの存在意義を見失いながら(見失わせながら)、それを政府が「人づくり革命」の第一歩と言う。彼らは、私たちをどういう「人」にしたいのか。経済競争の歯車、感性を失い、情報の組み合わせや稼いだ金額で人生を計り、「地位」を得ることに目標を持つような「人」にしたいのか。子ども・子育て支援新制度を提案した人たちは、母親を働かせて場当たり的に労働力の確保を目指しているだけで、実は子どもの幸せも、親の育ちも、「人づくり」のことも考えていないのではないか。

乳幼児期から11時間預けられた子どもが本当に将来「労働力」(戦力)になると思っているのだろうか。学校や職場も含め世の中はバランスを失い殺伐とするばかりで、人間の生きる力、生きる動機はさらに失われていく。少子化の原因と言われる、結婚したがらない男たちという現象にそれが現れている。

保育を無償化すれば、「子どもは誰かが育ててくれる」という意識が広がります、と保育士たちが心配します。「親が無責任になれば、結婚という形が成り立たなくなる」、「保育士がますます疲弊します」と園長が言います。三人目を産めば保育料無料という施策を進めた自治体で、タダだから0歳から預けるという親たちの出現に園長たちが呆れていたのがつい数年前。親たちの意識は30年前とはもう随分ちがってきています。無償化によって、実は、保育や教育で「人づくり」がますますできなくなるのではないか、現場はそれを危惧しているのです。

マスコミや政治家、そして学者や専門家の想像力が乳幼児の願いに及ばない。彼らの存在意義に及ばない。小学校高学年くらいから毎年数日幼児に囲まれる体験を積み重ねていく。そんな土壌の耕し直しが人間社会に最低限必要な想像力を取り戻す方法だと思います。