共励保育園の長田先生のツイートから・説明すれば理解してもらえる。

(共励保育園の長田先生のツイートから)

「本年度の入園説明会が終了した。0歳児保育を希望する人が34名もいた。そこで、0歳から6歳までの発達の特徴と、012歳児における母子関係の大切さを説明した。

世の中0歳児から預けようとする風潮が広がっているけど、それは間違いですと伝え、なぜ育休を取らないのか?と訴えた。

説明会終了時、拍手が起きたのには驚いた。夫婦が寄ってきて「説明会を聞いて本当に良かった!」と感謝された。その目には、自分で育てようとする意思がはっきりと見て取れた。」

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長田先生頑張ってますね。

そうなんです。園長が「子どものために」一生懸命説明すれば、012歳を預けるということは特別な決意がいること。幼児期の発達は取り返しがつかないこと、その時期の環境の大切さ、特定の人との愛着関係が子どもの将来に影響を及ぼすことなど、ほとんどの親たちが理解してくれます。拍手さえ来るという現実が嬉しい。まだ、そういう親たちがたくさんいることが、この国の素晴らしさだと思います。

 

保育園の園長が入園説明会に来た親たちに、こういう説明をすることは矛盾しているように見えるかもしれません。保育単価を考えれば、経営する側としては0歳1歳の保育をしないと運営が難しいような仕組みにされてしまってもいるのです。でも、誰かが幼児の立場になって、親子の将来の幸せを願って、言うべき事を言わないと、保育界全体がやがて精神的に病んでくる。心のない、サービス産業に取って代わられてしまう。そして、乳幼児を任せられるようないい保育士たちがいなくなってしまう。

それでも預けるという決心をした親たちにも、この園長と付き合っていくには覚悟がいる、とわかったはず。それだけでも子どもたちにとっては、いいことなのです。

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幼児を育てている人たち、幼児と一緒に暮らしている親たちは、人間を(自分自身を)理解しようという感性が、日々育とうとしている時です。「幼児と一緒に、自分を体験してください」、と説明すれば、わかります。

そういうことを国が理解しようとしないから、規制緩和やサービス産業化の中、様々な問題が起こっています。11時間保育を「標準」と名付けた国の「子ども・子育て会議」の学者や専門家たちは、現場で何が起こっているのかわかっていない。「親を育てる」という、子どもたちの役割さえ理解していない。

子どもたちが追い込まれています。

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保育士も学校の教師たちも、これ以上「子育て」を引き受けることはできない。一番心配なのは、こうした保育士や教師が疲弊する中で、感性のある「いい人」たちが、この状況にあきれて、見ていられなくて、心が傷ついて、保育現場、教育現場から離れていくことです。それがこの国にとってどれほどの損失か、社会全体で早く気づいてほしい。待ったなしの状況にきています。

保育資格を持っているから保育ができるのではない。教員免許を持っているから教師が務まるわけでもない。子どもたちにとって、スタイルは違っても、「いい人」たちが環境でなければ「義務」教育は成り立たない。そして、その「いい人」たちを育てるのは子どもたち、乳幼児たちなのです。

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(最近の子育てに関わる報道を読めば、この国に何が起こっているかがわかります。)

大阪府・八尾市の認定こども園で起きた男性職員による女児わいせつ事件。

「元職員による女児わいせつ事件で“休園”の危機…園児160人が転園?https://www.fnn.jp/posts/00379350HDK

7月に保護者説明会があり、被告の母親でもある副園長が驚きの発言をした。

【第1回保護者説明会にて】

・保護者から「わが子がそういう行為をされていたらどう思いますか?」という問いに対して、副園長は「もうびっくりですね」と他人事のようにも思える発言

・さらに副園長は「もしも自分の子供が変なことされたら、もう(子供を)保育園を辞めさせます」と発言。これに対して保護者からは「私たち保護者というのは働いていますので、簡単に辞めさせますと言うのは納得できない」との意見が。

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「不登校」過去最多:低学年でいじめ急増・・・学校でいま何が起きているのか:https://www.fnn.jp/posts/00379520HDK

*いじめは特に小学1~4年生で増加。暴力行為も低学年の増加が顕著

*不登校も過去最多。長期欠席の児童生徒が多い

*認知件数の増加について文科省は「解消に向けたスタートライン」 と肯定的

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「24時間型の保育所増やす」小池都知事が方針 (読売オンライン:https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180802-OYT1T50040.html)

「就任から2年となる東京都の小池百合子知事は1日、読売新聞の取材に対し、女性の社会進出を支援するため、24時間型の認可・認証保育所を増やす方針を明らかにした。来年度予算案に夜間・未明に勤務する保育士の人件費補助などの支援策を盛り込む方向で検討する。」

保育の無償化「人づくり革命」?

保育の無償化。

首相は、それを「人づくり革命」の第一歩と言う。

ここで言う「人づくり」の意味がまったくわからない。「人づくり」のイメージをどう捉えているのか。産めばいい、というわけではないと思うのですが、この人の「革命」を支えている学者や専門家たちは、何か大切な感覚・視点を失ってしまっているのではないか。政府の子ども子育て会議が、11時間保育を「標準」と名付けたときにも感じた恐ろしいほどの違和感がこの「人づくり」という言葉にある。

政府主導で、子育てに関してとんでもない勘違いが始まっています。

無償化で、幼児を保育園に長時間(8時間以上)預ける人が増えれば、親が育てるより人づくりになる、それが「革命」だと言う思考が私には理解できない。保育士不足と、親の意識の変化を考えれば、これほど馬鹿げた話はない。

子育てを制度や仕組みに任せることで社会に信頼関係と絆が失われつつあるいま、「人々の心を一つにする」という幼児たちの存在意義を見失いながら(見失わせながら)、それを政府が「人づくり革命」の第一歩と言う。彼らは、私たちをどういう「人」にしたいのか。経済競争の歯車、感性を失い、情報の組み合わせや稼いだ金額で人生を計り、「地位」を得ることに目標を持つような「人」にしたいのか。子ども・子育て支援新制度を提案した人たちは、母親を働かせて場当たり的に労働力の確保を目指しているだけで、実は子どもの幸せも、親の育ちも、「人づくり」のことも考えていないのではないか。

乳幼児期から11時間預けられた子どもが本当に将来「労働力」(戦力)になると思っているのだろうか。学校や職場も含め世の中はバランスを失い殺伐とするばかりで、人間の生きる力、生きる動機はさらに失われていく。少子化の原因と言われる、結婚したがらない男たちという現象にそれが現れている。

保育を無償化すれば、「子どもは誰かが育ててくれる」という意識が広がります、と保育士たちが心配します。「親が無責任になれば、結婚という形が成り立たなくなる」、「保育士がますます疲弊します」と園長が言います。三人目を産めば保育料無料という施策を進めた自治体で、タダだから0歳から預けるという親たちの出現に園長たちが呆れていたのがつい数年前。親たちの意識は30年前とはもう随分ちがってきています。無償化によって、実は、保育や教育で「人づくり」がますますできなくなるのではないか、現場はそれを危惧しているのです。

マスコミや政治家、そして学者や専門家の想像力が乳幼児の願いに及ばない。彼らの存在意義に及ばない。小学校高学年くらいから毎年数日幼児に囲まれる体験を積み重ねていく。そんな土壌の耕し直しが人間社会に最低限必要な想像力を取り戻す方法だと思います。

いい理事長先生と、いい母親の話

2018年10月

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保育は、いま「仕組み」のように思われていますが、実は「子育て」です。「子育て」は、夫婦や家族から始まり、育てる人たちが「心をひとつにする」、「いい人になろうとする」ことです。人類が「社会」を形作ろうとする動機、原点だったのだと思います。

信頼関係が生まれ育つためにあった「子育て」が、最近仕組みに依存するようになって、そして、保育が経済競争に利用される「仕組み」と見なされるようになって、本来の役割を失いつつある。人々の心、弱者を見る視線が重なりにくくなってきたのです。

以前にも書いたのですが、こんなことがありました。

私立の幼稚園の理事長先生の体験談です。男性ですが、子どもが大好きで熱血漢、県会議員もやっておられる年輩の方です。

ある年、視覚障害をもっている子どもを引き受けたそうです。経験がなかったので躊躇したのですが、どうしても、と言われ、決心し、自ら勉強会や講習会に通い、出来る限りの準備をしたのだそうです。

その子が入園して間もなくのころ、砂場でその子が一人で遊んでいて、自分の頭に砂をかけたそうです。その「感じ」がよかったのか、そっと、繰り返しかけたのだそうです。理事長先生は、注意することなしに「遊び」「体験」として見ていました。幾人かの子どもが集まってきて、その子にそっと砂をかけ始めました。それを理事長先生は、「育ちあい」として見ていました。長年保育をしてきた先生の経験からくる確かな判断がありました。その子のお母さんが見ていたことも、先生は知っていました。
無事に3年が過ぎ、卒園が近づいてきました。そして、その子の母親が「あの日」のことを卒園の文集に書いたのです。砂をかけられ幼稚園でいじめられている我が子の姿がどれほど不憫だったか。それを先生たちは笑って見ていた、と。

理事長先生は、あれほどびっくりしたことはなかった、悲しかったことはなかった、障がい児を預かるのはもうやめようかと思った、と話します。子どもに対する思い、保育にかける情熱に自信がありましたから、その気持ちが母親に伝わっていなかったことにびっくりしたのです。

3年間そういう思いで過ごしてきた母親の気持ちを思うと、私はやりきれない思いにかられます。しかし、これは、いい理事長先生といい母親のエピソードなのです。

その子は3年間、この二人に守られていたのです。