「0歳児保育、行政負担が1人56万円/月も! 「待機児童ゼロ」困難にする事情とは」

最近の報道です。

「0歳児保育、行政負担が1人56万円/月も! 「待機児童ゼロ」困難にする事情とは」
https://headlines.yahoo.co.jp/article…

 『今年も定員超過で認可保育所への入所を断られた待機児童が多数、生まれています。2013年4月、安倍晋三首相は17年度末までに「待機児童ゼロを目指します」と明言しました。期限まで1年を切りましたが、達成は困難な状況です。13~17年度の5カ年で約50万人分を拡充するなど政府も手は打っています。ただ待機児童は13年(4月1日時点=以下同)2万2741人から16年2万3553人へと逆に増えています。

 誤算は想定以上に利用希望者が増えたこと。受け入れ人数の拡大が「子どもを預けて働きたい」という潜在需要を掘り起こす構図が続いています。政府は6月に新たな保育所拡充計画を立てます。待機児童ゼロの目標達成も新計画に持ち越される見通しです。ただその実現も簡単ではありません。保育士不足が続いているからです。17年2月時点の保育士の有効求人倍率は2.66倍に上り、慢性的な採用難に陥っています。必要な保育士を確保できず保育所の整備計画を見直す事業者も出ています。・・・・・・』

 

子どもは親を比較しない。まず、受け入れる。そこに人間社会の信頼関係の出発点があって、永遠に続く原点がある。
だからこそ乳児を見つめ、親は、まずその信頼に応えようとする、という流れが社会に常識としてなければ人間社会は安定的に機能しない。全員そうであることが不可能だから、「常識」という意識が大切になってくる。子育て、という常識。

 

政府や経済学者は、三歳児神話という常識が崩れないから、意図的に崩そうとしている。なぜ崩そうとするのか、なぜ母親を乳幼児から引き離したいのか、そこを真剣に考える時期に来ている。
保育は成長産業と位置付けた閣議決定、11時間保育を標準と名付けた「子ども・子育て会議」、すべてがいま大人の都合で動いている。保育施策は確かに雇用労働施策で、経済論の一部だったのだが、それがあまりにも浅い。家族や家庭が人間の生きる原動力になっていること、そして学校教育が成り立つことが経済論を支える重要な要素だということさえわかっていない。保育施策と言いながら、保育士の気持ちや幼児の気持ちを考えない経済論だったから、3年で破綻しようとしている。保育の質が急速に低下し、小一プロブレムはますますひどくなっている。

「誤算は想定以上に利用希望者が増えたこと。」とこの記事は書いている。
始まって2年で破綻が見えるような計画、計算は、「誤算」ではない。単純に、保育が「子育て」だという本質がわかっていないのか、現場の言うことに一切耳を傾けなかっただけ。マスコミは、そこまで書いて欲しい。

保育士の心を持っている人が集まらないと 、保育園は運営できない。託児所ならいいかもしれないが、それでは、その先にある学校教育が持たない。幼児期の育ち方は、親がその時期にどう育つかも含め、人間社会のあり方を左右する。いわば、モラル・秩序の原点だった。
保育士の心は、子どもの幸せを願うこと。その幸せを優先して考えること。そして、子どもを真剣に見つめることから、いい保育士たちは、子どもの幸せが親との関係にあること、親心がどう育っているか、だと気付いている。

いま真剣に、いい保育士が辞めて行くという現象に対応しないと、本当に取り返しのつかないことになってしまう。