政府主導の「子ども・子育て会議」が11時間保育を「標準」と名付けた時、義務教育の崩壊が始まったことにみんな気づいていない。

政府主導の「子ども・子育て会議」が11時間保育を「標準」と名付けた時、義務教育の崩壊が始まったことにみんな気づいていない。

 

保育士が昔「保母」と呼ばれていたように、保育は、主に母親の代わりをしようとすることで、そうした理解が、以前は社会の中にありました。「代わり」はできなくても、そう努力してみること、幼児と、心を合わせようとすること。それで、まあまあ良かった。なんとかなった。

8時間勤務の保育士たちに、11時間保育を「標準」と言って押し付けることは、その努力を捨てなさい、ということなのです。「仕事」なのだから、さあ、保母という言葉を完全に忘れなさい、ということなのです。

中心が8時間勤務でなりたっている保育界にこれを言うことは、保育(子育て)は「人間対人間」ではなく、「人間対仕組み」だと宣言することになる。加配相当の障害児の母親が「私も、標準、11時間でお願いします」と言った時に、現場はそれに対応できない。子どもの育ちに責任を持てなくなる、ということなのです。誰が、子どもの育ちに責任を感じるのか、という人間社会を支える柱が「子ども・子育て支援新制度」で一気に見えなくなってきている。義務教育を支えてきた堰が崩れ始めている。

 

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