地下で保育所可能に:区長会、緊急要望・公設民営で問われる質・心の傷はあまりに深い

 

「1歳児まで育休を 地下で保育所可能に 区長会、緊急要望」:

東京23区の区長でつくる特別区長会は19日、待機児童対策について厚生労働省など関連省庁に緊急要望書を提出したと発表した。1歳児までの育児休業を原則義務化するような制度改正と、地下でも保育所を開設できるような規制緩和を求めた。 http://www.nikkei.com/article/DGXLZO06273830Z10C16A8L83000/

という新聞記事。

「1歳児までの育児休業を原則義務化」、いい動きだと思いますが、1歳までではなく、真剣にやるなら「3歳まで」でしょう。1歳まででは、保育士不足と財源不足に困った末の緊急「対策」に思われます。区長さんたち、いい加減に目を覚ましてください。子どもたちの気持ちを優先して考えたら、3歳まででしょう。

雇用労働施策に根のある思考、こうした無感覚さが、「地下で保育所可能に」などという発想につながるのです。窓から眺める外の風景も、人生の一部です。生きてゆくには重要なことなのです。

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子どもたちにとっても、保育士さんたちにも、「お日様」は必要です。大切です。たとえ雨が降っていてお日様が見えない日でも、保育室から、窓を通して、ふと雨の降る園庭を眺められることが保育士にとってどんなに大切だったか。園児と一緒に、黙って「雨上がったら外で遊ぼうね」と静かに心を合わせることが、保育の心を育てた。風景やたたずまいが、子どもとの信頼関係を整え、育てるのです。

 

「でてきて、おひさま」という絵本がありました。堀内誠一さんの絵でも出ていますが、私が馴染んだのは丸木俊先生の絵のほうです。スロバキアの民話ですが、お日様は、人生の中心にいてほしいですし、小さい頃から子どもたちにそれを感じてほしい。大人たちと、親たち、保育士たちと一緒に、お日様を待ち望んでほしい。

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3歳まで、どれだけたくさん優しさと触れ合うか、心を重ねるかがその子の人生を左右する、みたいな当たり前のことが「三歳児神話」のような言葉で一時的に壊されても、結局当たり前のことが少しずつ「科学?(実験?)」でも証明されてゆく。当たり前の世の中を失ってゆく苦しみに耐えられなくなって。

 

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東京新聞:『品川の保育園 開園1年で事業者の契約解除 公設民営で問われる質』という記事:http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016081802000129.html

財政削減が背景にある公設民営化の怖いところは、それを受けようとする業者が、現在の保育士不足と設置者・責任者・保育士の精神的健康が保てなくなっている状況、養成校から資格を与えらる保育士たちの質が異常に低下してきているのを知っていながら、儲けや、生き残りをかけて、なりふり構わず必死に受注しようとすること。行政が、市長の意向を汲み取って、それに見て見ぬ振りをすること。

政府の「保育は成長産業」という閣議決定にも煽られ、株式会社の参入だけでなく、「業者化する社会福祉法人」という、その成り立ちに逆行するような現象さえ起こっているのです。

そういう中で、杉並区のように、すぐに必要ではないのに、子どもに人気のある、学童や児童館の役割を果たしていた公園をつぶしてまで保育園を前倒しで増設する首長が現れる。しかも、いいことをやっているつもりで。

「供給を拡大することが需要を掘り起こす」というとんでもない理論を保育に当てはめようとする業者、経済学者、政治家たちが子どもたちの気持ちを踏みにじる。そして、「幼児の気持ち」を優先しない経済論が、ますます保護者と保育者の溝を深くしてゆく。だから、いい保育士にそっぽを向かれ、保育士の次世代育成が行き詰まってくるのです。

保育は産業ではない。子どもたちの日々の生活だということを大人たちが思い出さなければ、子どもが幼児期に受ける心の傷はますます広く、深くなってゆく。

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毎日新聞:「子供への虐待 心の傷はあまりに深い」という記事がありました。

http://mainichi.jp/articles/20160818/ddm/005/070/035000c

こういう実験や研究は、欧米でも以前から繰り返されていた。幼児期に、ほとんどの子どもたちが手厚い絆に囲まれ、安心して育つことが、人間社会の土台となっていた。それが当たり前の風景だった。

最近、虐待の定義が広がっています。心理的虐待のセーフティーネットの役割を果たしていた親身な絆が、「仕組みで子育て」(社会で子育て)を広げることで失われてきているからです。それによって傷がより深く、回復が難しくなっている。

以前は、虐待するような親に心を傷つけられても、親身な親戚が居たり、いい担任の先生に出会ったり、友だちに助けられたり、自浄作用を助ける役割を果たしてくれる様々な出会いが「可能性」として散らばっていた。その可能性が「社会で子育て」(=「福祉や学校への子育て依存」)の方向に向かうことによってどんどん低くなってゆく。幼児を一緒に眺めるという原点が少しずつ失われ、それによって、自浄作用、自然治癒力が発揮される機会が社会全体から失われていっている。しかも、それが政府の経済施策主導で行われている。そこが一番の問題です。

 

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