世界中が未曾有の体験をしている

コロナの問題が始まって、今年の私の講演会は見事に、すべて一旦キャンセルになりました。(嬉しいことに、仮押さえが秋に入ってはきていますが、これからの状況次第なのでしょう。)こういうことが起きるんだ、と驚いています。世界中を見渡しても大変な出来事が起こっているわけですが、自分の人生においても、これほど長い間人前で講演をしないのは、過去40年間一度もない不思議な体験です。

自粛という言葉を修行と捉え、元々のんびり過ごすのが苦にならない質なので、文章を書いたり、本を読んだり、テレビを見ながら過ごしていました。特に、アメリカのCNN、ABC、CBSのニュースはほぼ欠かさず見ていました。トランプ大統領の発言があまりにも子どもじみていて、それにニュースキャスターや評論家があきれ返り、大統領補佐官や学者が次々に内幕を暴露し、もう論理が破綻するどころか、子どもの喧嘩、支離滅裂といってもいい状況です。しかし、40%の支持率は中々崩れない。人間社会は実はこのくらいの次元で動いていたんだ、と驚きながらも、妙に納得です。

そうだ、こういう時は音楽をやろうと思い付き、旧知のディジュリドゥ奏者のぶ君に電話をかけました。

ただ演奏すればいい、そんな体験を彼とは今までにもしてきました。水を汲みに行って、山に向かって感謝の演奏をしたり、無住の、しかし(のぶ君曰く)保育界にはとても重要な神社で奉納演奏していると、山からカモシカが出てきたり(北陸の瀬織津姫神社です)、観客がいる設定とは異なる、音楽をする「場」を体験してきていました。尺八とディジュリドゥにはそういう場がことさら似合うのです。

世界中が未曾有の体験をしている時、音楽家は、音楽の本来の役割を思い出すことができる。人類は、生きるために不可欠な、大切なコミュニケーションの領域をすでに授かっている。そんなことが表現できれば、ミュージシャン冥利に尽きます。主張を可能性につなげることができるインターネットやユーチューブにも感謝です。

https://youtu.be/bztoQmQfUUU

実相寺2

アボリジニーの楽器ディジュリドゥと私の尺八、それに大倉正之助さんの鼓を加えて、池上實相寺で即興演奏の第二弾です。

實相寺は以前からのぶ君が知っていて、私も彼のグループIamに加わって演奏したことがありました。住職の奥様が、私が三年に一度くらい講演にいく柴又帝釈天のルンピニー幼稚園の早崎園長先生と友人でもあったりして、縁を感じる場所でもありました。

お寺は祈りの場として先祖から伝えられて来た特別な空間です。ここで行われる、一見人間の想像力の中に存在しているように思える特殊なコミュニケーションの領域が、今、必要とされている、と強く思います。そんな想いを込めて、吹きました。

人々が祈ろうとする時、それは自己中心的であることを放棄しようとする瞬間でもあります。利他の心が人間を支える、仏教でもキリスト教でもイスラム教でも儒教でも、人間の智慧は皆同じことを言いますが、人それぞれが自分中心に生きては人間社会は成り立たない。人は、自分の幸せを欲という形で追求しても、なかなか幸せにはなれない。宗教や哲学が繰り返し言って来たことが、いま人類が直面している大きな災いを鎮める鍵になっています。

誰かのために生きること、それは人類の遺伝子の中に組み込まれている法則ですから、やがてそうなっていくのだと思います。

人間は一人では生きられない形で生まれてくる。乳児、幼児たちを見つめることが利他の心の出発点です。彼らの存在意義がますます重要になってきています。彼らが私たちを導く、それが人間社会の本来の姿だと皆で気づく時なのです。

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去年、依頼を受け、衆議院調査局「RESEARCH BUREAU 論究第16号 2019.12」に「子供を優先する、子育て支援」を書きました。ぜひご一読ください。衆議院、論究、松居和、で検索しても出てきます。アドレスはこちらです。推薦、拡散していただければ幸いです。経済主体か人間性主体なのか、その優先順位を見極めておく時が来ているのだと思います。

https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwieipSTu7DqAhXPc3AKHQkACEgQFjAAegQIAhAB&url=http%3A%2F%2Fwww.shugiin.go.jp%2Finternet%2Fitdb_rchome.nsf%2Fhtml%2Frchome%2FShiryo%2F2019ron16.pdf%2F%24File%2F2019ron16.pdf&usg=AOvVaw3j57h-lsSZV_vE0_s9Tpmm

 

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Shiryo/2019ron16.pdf/$File/2019ron16.pdf

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伊豆の禅寺で、風に吹かれて。

https://youtu.be/H7s14FTcbiQ

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伊豆の禅寺で、風に吹かれ、川の音と鳥の声に背中を押され、大鼓奏者の大倉正之助さんと即興の奉納演奏をしました。

静けさを思い出しながら人間社会が鎮まることを願いつつ……。

人間は語れない姿で生まれる……、そのことが、一方で人を音楽や祈りへ導く。赤ん坊と会話をしていれば、そして日々この人たちに歌いかけていれば、人類は大切なコミュニケーションの領域を授かり、社会は整う。

何かが仕上がっていく。

 

大鼓(つづみ)を中心に:人間がお互いの結果を分かち合っていることを確認する

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 ディジュリドゥ奏者のノブ君と重ねているセッションのテイク#4です。以下のアドレスにアップしました。お聴きいただければ幸いです。
今回は、日蓮宗のお寺「池上實相寺」にて、鼓奏者の大倉正之助さんをゲストに迎えての即興演奏です。ノブ君は、大倉さんと何度か共演してきたそうですが私は初めてでした。もちろんこの楽器の組み合わせも初めてで、こうした音楽における即興セッションの可能性が、人類の多様性と同時に心の合わせ方、その可能性を体現できたらいい、と思います。
コロナウイルスの問題をきっかけに世界中であからさまになっていく人種間、階層間など様々な分裂を見ていると、多様化とかグローバル化とか言葉と概念ばかりが先に立って、結局先進国は経済優先の損得勘定の価値観に支配されつつあったんだな、と思います。
どこか出発点あたりでみんなつながっている、次元はいろいろあって、異なる次元を行き来できることがハーモニー(和音)となって現れる。和音は、決して倍音とか法則に縛られない……。不思議な組み合わせで即興演奏をしていると、そんなことに気づくのです。
私は、長い間、その調和の原点を「幼児を眺めること」「赤ん坊と会話をすること」と言い続けてきました。
言語以前のところでつながっていないと、人間社会は非常にもろい。

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沈黙の中で遺伝子は進化し、音楽は、人間がお互いの結果を分かち合っていることを確認するために用意されている……。セッションの合間にそんなことを考えます。このコミュニケーションの次元が存在することを喜び、人間は、その時々に道筋を確認する。

こういう仕組みには感謝しなくてはいけない

Take 2: Session.

https://youtu.be/e95y8ZnM6LI

もう一つ、ディジュリドゥと尺八のセッションをユーチューブにアップしました。上記のアドレスで視聴できます。

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このテイク#2では、ノブ君がディジュを通して般若心経を上げます。私は以前、彼がジョン・レノンのイマジンをディジュを通して唱えるのを聴いたことがありますが、なかなか不思議でした。

私は相変わらず上を舞っている感じで演奏します。音楽の中でも、このタイプのセッションはなかなか珍しく、興味深い組み合わせだと思います。生き物のする行いとしては、と言えば不思議さが際立つでしょうし、銀河系で起こることとしては……、と考えれば、人類の存在意義が、このあたりの謎を秘めた行為の中にあるようにも思えてきます。ぜひ、聴いてみてください。

 

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阪神淡路大震災から四半世紀、この国も欧米化を進め、自立という掛け声のもと、多くの人たちが親身な相談相手を失い、経済中心に、意欲で争う社会になりつつあります。しかし、この国の人々は、まだ自粛という言葉を受け入れることができる。それを長く保つことができる。家族という単位があれば、人間は、籠ることに耐性がある、本来、小さな幸せに目を向ける方法を知っているのです。

だから、状況はまだまだいい。常識としての信頼関係の崩壊がまだ欧米ほどではない。だから感染が、欧米から「奇跡」と呼ばれるほどに抑えられているのかもしれません。

コロナウイルスによる死者の3割が入所者というアメリカにおける介護施設の崩壊、そこで放置されていた引き取り手のいない遺体のニュースを見ていると、同じ人間として、恐ろしくなります。

ウイルスに感染した老人を病院や他の施設が引き受けてくれない。どこも手一杯になっている。介護施設の職員が身の危険を感じ離職していく。以前から福祉施設における人手不足と人材の質の問題は危機的でした。職員の補填ができない。感染者、死者がますます増えていく、コロナ以前からすでにあった福祉における負のスパイラルが増幅し、止まらないのです。いずれ、何らかの方法で止まるとは思いますが、今は止まらない。

そこまでは理解できたとしても、遺体の引き取り手がこれほどまでにいないという状況が、アメリカにおける家庭崩壊、弱者の孤独、絆の崩壊を物語っています。

入所するのにある程度の財力が必要な、そこそこの施設で、遺体が積み上げてあったり、引き取り手も職員もいないようなことが起こっている。年金制度の恩恵を最も受けた世代、金銭的には老後の心配をしなくてもいい人たちが、死を前にして、引き取り手のない遺体を目の当たりにしている。絶望的な孤独を感じている。

そのニュース見て怯える人たちの三人に一人が、銃と弾丸を持っている。自由とか平等という言葉に踊らされ、先祖とか子孫という言葉が意味を失い、弱者が一層孤立していく。

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もう一度「子育て」を中心に置いて成り立つ、家族、家庭というものの重要性を考える時期に来ているのだと思います。特に、乳幼児という言葉を話し始める前の人たちが、人間の本質的なコミュニケーション能力を育ててきたのだということ。そこから耕しが始まっていたのだということ。

今回の自粛、隔離、休校、休園、きっと幼児たちと居ることの楽しさに気づいた人がたくさん居ると思います。

子どもたちは私たちを信じてくれたし、それによって親たちは、自分の価値が驚くほど高まっているのがわかったはず。親たちも、子どもたちを頼りにしていいのです。

こういう仕組みには感謝しなくてはいけない。わかればそれでいいのだ……。

スキップをするような走り方に、心の中で拍手を送り、一日側に居てくれただけで沢山のことに納得がいったはず。この日がなかったら、自分の人生をどこから説明できるだろうか……。

 

(四年前のブログです。)

「小学校には待機児童がいないでしょ」・政府の緊急対策・保育士不足がどのように保育の質を低下させるか、公立と私立ではずいぶん違う・地域限定保育士制度・介護業の倒産過去最悪という記事

自然界と、人と、音楽は、補い合う関係にあった。

ディジュリドゥ奏者のノブ君と相談して、セッションを動画にしてアップしてみました。Knob & Kazu Matsui (Didgeridoo and Shakuhachi Session) ディジュと尺八、両方とも不思議な歴史を持った楽器です。心理学や哲学の存在意義が問われそうな単純な仕掛けは、それに気づけば、の話ですが、「技」の働く次元がちがっている。

調和に対する理解や、姿勢が異なるような気がします。色々試してみようと思います。ぜひ、チェックしてみてください。

 https://www.youtube.com/watch?v=J_Wf-p1Wl0I&feature=share&fbclid=IwAR3ZhOfWdAT0bJajX8zXzButMRMnljjqZTnEQnuWVtCcklM035VhhRvV9Lo

 

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世界各国のニュース番組をテレビで見ていると、明日食べることができるか、つまり経済をどうするか、ということと、人間関係における信頼関係の崩壊をどうするか、という二つの問題が人類を襲っているように思えます。前者に関しては、私は素人です。専門家や政治家たちがいい判断をして、苦しみと悲しみを最小限にとどめてほしい、と祈るしかない。明日の生活が出来なければどうしようもない、という論旨に配慮しつつ、主に後者に関して書いてみます。

(前者が深刻になればなるほど、後者が重要になってくると思うからです。)

日本でトイレットペーパーが品薄になっている時に、アメリカでまず銃弾が品薄になり、続いて拳銃が品薄になる。疑心暗鬼が不安を煽り、より深刻な対立構造を生んでいる。先進国において、人間社会は一体何を失ってきたのか。「先進」の実態は何だったのか。未体験の災いが、私たちに質問状を突きつけているようです。この質問状には、注意を払って答えないと、より激しい難問を突き付けられる。質問状の真意を読み間違えないことが重要です。

欧米で、隔離や自粛が解け、自由を取り戻すことによってこれから何が起こってくるのか、未来のことははっきりわかりませんが、私には、そこに家庭という信頼の基盤を失いつつある人間たちが引き起こす混沌と混乱が垣間見えるのです。(その問題について、ずっと考え、書いてきたのですから。)

社会におけるモラルと秩序は、子育て(または、絶対的弱者を守ること)が生み出す優しさと忍耐力の結果であって、経済競争や圧政で生まれる力による秩序や、仕組みに頼る福祉で補い、成り立つものではない。それが浮き彫りになってきている。

私は、いま人類全体に降りかかっている困難と試練をみつめ、オロオロしています。ウイルスの怖さもありますが、試されることによって引き出される人間性に不安を感じているのです。

神戸の地震と、その時のアメリカでのテレビ報道を思い出します。

あの時アメリカ人が何に一番驚いていたか。それはこの国に、災害のあとの「略奪」がまったくと言っていいほどなかったこと。

地震やハリケーンなどの災害が大都市で起こった場合、アメリカ人がまず心配しなければならないのが「略奪」です。災害直後、州警察や軍隊によって治安が確保されるまでの間、普段から武器を持っている人は拳銃やライフルを持って、壊れかけた家の屋根に登り自分の財産を守ろうとします。

銃社会ですから、三人に一人は銃を持っている。(その時、気づいたのですが、韓国系移民の人たちは母国に徴兵制があって訓練を受けた人が多く、銃の構え方が本格的です。注:徴兵制がいいと言っているのでではありません。)

以前、南部を襲ったハリケーン災害のあと、テレビのニュースで言っていました。一般に、災害によるストレスよりも、略奪の心配をしなければならないストレスの方が、後遺症が大きい。悲劇に見舞われている人から平気で奪おうとする人間の浅ましさが、より人々の心に大きなトラウマ(傷痕)を残すのだというのです。

天災より、人間同士の不信感、人災の方が、人間により激しい絶望感や怒りを覚えさせる。

わかる気がします。

家庭という信頼関係の基盤が希薄になっていくと、より一層災害時の孤独感は耐え難いものになっていくのです。

私たちの意識は、つながっている。

天災はそれを浮き彫りにします。

米中関係や、欧米における人種間、宗教間の軋轢の増加を見てもわかるのですが、人間同士の信頼関係を強め、絆を深める道筋でもあった災害が、不信と不安を強め、混沌の方へ人々を煽っている。

先進国の中では、悪くなったとはいえ、奇跡的に家庭崩壊が進んでいない日本という国で、これから何が起こるのか、人類が注目していると思います。

とりあえず、私は楽器を演奏するところから始めてみます。

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自然界と、人と、音楽は、補い合う関係にあった。

ハーモニーでお互いの存在に辻褄を合わせようとするシンプルな公式と努力が対(つい)になって新たな命を生むし、作法どおり、その命を真ん中に置いて遊び、愛でていれば血は確実に繋がっていく。

そして、石器、青銅器、鉄器と、道具や武器がその材質を変える度に、人間の心の合わせ方は少しずつ変わっていったにちがいない……。

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共励こども園(元保育園)の保育展

共励こども園(元保育園)の保育展が今年も近づいてきました。http://www.kyorei.ed.jp/Hoiku/Event/hoikuten.html 2月16日9時から15時です。私も毎年伺います。そして元気をもらいます。

保護者への保育発表の会ですが、申し込めば保護者でなくても参加できます。ぜひ、ご覧ください。各部屋担当の保育士たちが、一生懸命子どもの発達と家庭との連携について話してくれます。この「各部屋の保育士たちが」というところが共励の実践の凄さです。

保育はここまでできる、という証明になるような実践と思考性の発表です。保育士を集団で見学に送り込んでくる自治体もあります。

現文科大臣の萩生田さんと何度も会って、保育の重要性、そこで親が育つことの大切さを長田理事長と説明したのもここの園長室でした。

 

衆議院調査局に提言を依頼されて書いた「論究」にこう書きました。

(共励保育園・こども園の長田安司理事長のツイートから)

「本年度の入園説明会が終了した。0歳児保育を希望する人が34名もいた。そこで、0歳から6歳までの発達の特徴 と、0、1、2歳児における母子関係の大切さを説明した。 世の中0歳児から預けようとする風潮が広がっているけど、それは間違いですと伝え、なぜ育休を取らないのか?と訴えた。 説明会終了時、拍手が起きたのには驚いた。夫婦が寄ってきて『説明会を聞いて本当に良かった!』と感謝された。その目には、自分で育てようとする意思がはっきりと見て取れた。」 

拍手が起こった。そこに希望がある。きちんと説明すれば親は「この時期の大切さ」を理解する。この国の素晴らしさ、土壌だと思う。幼児と暮らしている人間は、自分を知ろうと、感性が開いている。遺伝子学の権威村上和雄教授は「命の暗号」という本の中で、 利他の気持ち、乳児を抱くことが人間の遺伝子をオンにすると書く。

幼児と暮らし、彼らを楽しむことで、道筋が示される。人間が知っておくべき異次元の「入り口」がそこにある。その次元を知るために、 人間は唄い踊る、人形を作り一緒に暮らし、 お墓をつくり花束を捧げる。 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

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この説明会から始まった保育園生活には、保育士たちと親たちの絆を、子どもたちが育てるという働きがある。子ども優先という、人間社会の土台がある。

『子供を優先する、子育て支援―先進国社会における家庭崩壊にどう向き合うか―』

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提言論文、『子供を優先する、子育て支援―先進国社会における家庭崩壊にどう向き合うか―』への感想をいただきました。一つの市の役場で情報と共有していただければ、できることはまだ沢山あります。まず、現場で起こっていることを認識してもらいたいのです。今回の提言では、すでに新聞などで報道されていることを資料として挙げ、この状況は子供達のことを考えれば、すでに見過ごせない、これが放置されたまま政府による「雇用労働施策」が進められると学校教育が維持できなくなる、と書きました。

(提言論文より)

「人間性が失われていく仕組み」を保育をサービス産業化 (市場原理化)することによって推し進め「人 づくり革命」と呼ぶ政府の「新しい経済政策パッケージ」と経済優先主義は、幼児の人格、人権を考慮していない。「生産性革命と人づくり革命」は、「人づくり」を「生産性」と重ねたところですでに矛盾と無理を抱える。政府の「人づくり革命」(雇用労働施策)の陰で、子供たちが怯えている。

政府が掲げる「持続可能な社会保障」を支える土台に将来のモラル・秩序、治安維持や労働力確保を脅かしかねない「幼児たちが見る異常な風景」と、「するべきではない体験」が組み込まれている。幼児の心に残るこの風景に対する嫌悪感は、社会全体の見えない負債となる。

すべての人生は連鎖している。連鎖を浄化し善循環にしてきた「幼児期の体験」が経済優先の仕組みによって人間不信、不安の連鎖に変わろうとしている。これを続ければ、社会保障を支える保育と教育が人材と財源の両面から崩れていく。社会保障は数字上で成り立つものではない。損得勘定では、持続可能な「社会の仕組み」は作れない。必ず「利他」 の幸福論が中心になければならない。

保育の現場を子供たちが安心して過ごせる環境に近づけるには、親と保育者が一緒に子育てをしている実感を取り戻すしかない。親の保育体験の出発点はそこにある。そして「いつでも親に見せられる保育」をする、それが仕組みの最低条件なのだ。

保育所保育指針に保育「参加」という言葉 が入り厚労省の解説DVDに「保育者体験」を入れてもらった。法律的にはすでにカバーされた。しかし希望者だけでは社会全体の意識改革には程遠い。(幼稚園や学童保育も含め) 保育施設に子供が参加すれば親は全員これを体験する、そこまで進めれば学校教育が持続可能になる、DVや児童虐待が止まったりする。

体験後の感想文に親たちが「園に対する感謝の気持ち」を書く。この感謝が保育者を育て学校を支えてきた。これが希薄になると、 園児の幸せを願ういい保育士、感性豊かないい教師が自信を失い辞めていく。

なるべく父親から、と薦める。毎年やると、他の子供たちも一緒に成長していることに気 づく。自分は他の子供にも責任があるのでは、とふと思う。先進国社会が失いかけているコミュニティーの原点がそこにある。人間は、全ての子供に責任がある。

子供たちが「お友達のお父さんが助けてくれるかもしれない」と思い、「お父さん同士が友達かもしれない」と意識すれば、学校でのいじめは減る。いじめの増加は、親同士が絆を作らない、親と教師が信頼関係を作ろうとしないことに対する子供たちの警告。子供を叱ったり、担任を責めるだけでは絶対に解決しない。

と書きました。

(感想をいただきました。)

松居先生

玉稿を拝読しました。

共感と驚きばかりでした。

松居先生がここまで仰られて、もし政治が社会が何も変わらなければ、なんだか私も悲しいです。

そもそも先生の論文を読み解くリテラシーが、流行りの政治家たちにあるのかな?とも感じました。

17日に市長と会います。

松居先生のお話もしたいと思います。

そういえば、一昨日、ある会食で、元・県教育長と一緒でした。

松居先生の話題になったら、とても喜んでいました

先生のお働きの一助になるように、私も微力ながら頑張って参りたいと思います。

どうぞ宜しくお願いいたします。

ーーーーーー

松居先生

いつもお世話になっております。

こども未来部の⚪️⚪️です。

論文をお送りいただきありがとうございました。

早速、貪るように拝読致しました。また、部内管理職や一般職員等に回覧させて戴いております。

幾つも心に残る文章がありました。

「保育士の「心」(人間性)が保育の質である。」

「この感謝が保育者を育て学校を支えてきた」、

「この前提を普遍のものとして継承しなければ、保育は社会に対して諸刃の剣となる」

「義務教育や福祉が『子育て』の肩代わりを始めると、忍耐力が育たなくなり家庭崩壊がすすむ」

「仕組でそれの代わりをしようとすれば、より一層家庭崩壊が進むことが原因なのだ。」

「そもそも人類は『貧しさ』の中で進化した。遺伝子的に『豊かさ』に弱い。」

「不自由に喜びを感じることが絆、これがなければ生きていけない」

「『合理的な根拠は認められない』ではなく、『事実でございます』とはっきり言っている」

「合理的根拠を超えるものに価値を与えることで人間社会は成立する。」

「幼児と暮らし、彼らを楽しむことで、道筋が示される。」

「弱者を助けているようで、時間の経過とともに弱者の孤立化を進める。」

「しかし、これは、いい理事長先生と、いい母親の話なのだ。」

「本来『壁』が子どもを育て、親を育て、家族の絆を育てる」

「そのオロオロを子供が見て、親子の絆が育ってゆく。」

「愛し続けていること/小野省子さんの詩」

論文の最後に、松居先生は「子供を産み育てることは、宇宙から与えられた尊い役割。」

とおっしゃいました。子供を産み育てることに、人間本来の存在の捉えどころの無さ、

一方で人知を超越した絶対的な心理のひとかけらが反映しているものと感じ入りました。

子育ての本質とは、人間の本質とは、と自問する時間は楽しく感じます。

知識や感性が足りない私にとっても、自分なりの気付きを与えてくださいました。

感謝申し上げます。

ところで、少し前から講師をお願いしています当市主催イベントについては、詳細が決まりましたら、ご連絡致します。

どうぞよろしくお願い致します。

衆議院調査局「RESEARCH BUREAU 論究第16号 2019.12」「子供を優先する、子育て支援」ぜひご一読ください。衆議院、論究、松居和、で検索しても出てきます。アドレスはこちらです。推薦、拡散していただければ幸いです。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

 

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「子供優先の、子育て支援」を読んだ園長先生から

「論究」の私の寄稿文を読んだ保育園の園長先生から、

今晩は!

本年もよろしくお願い致します。

冊子のコピーを沢山作り、昨日市長、議長、保育課長、副支部長に手渡しました。これから近隣の小学校の校長先生等に配布する予定です。

というメールが来ました。

手渡し、はありがたいです。本当に、ありがたい。現場から直接、このままでは無理です、という声が伝わらないとなかなか変わらない。切実さ、に実感がともなわない。子ども優先の姿勢がただの情報ではなく、現場の思いと重なっていかないと、保育の質が保たれていることにはならない。ありがとうございます。

(別の保育園の園長先生から)

松居先生様

昨晩、読み始めたら止まらず、気が付いたら、なんと3時半でした。従って3時間しか眠っていないのに、

本日、園児内科健診でしたが、全園児に対応でき、目は冴えています。先生の論究・論文の刺激で、興奮冷めやらぬゆえんと思います。

保育園を語って下さる方は、多々居りますが、先生の様な保育園の真髄を解って!悟って!論じて頂ける方は少なく、他の方の持論を色々見聞きはしていますが、納得できない箇所にいつも出会ってしまいます。でも、和先生の一字一句は、本当に心に染み入ります。そして、私の心の迷いを消してくれます。

今回は、衆議院の方々に、冊子で配布となったとの事!嬉しく思いました。しかし、衆議院の方々が、先生の様に体験経験した方は存在していますでしょうか・・・汲み取る事ができますでしょうか・・・時に幼稚っぽい言動があったり、考え方があったり、坊ちゃん嬢ちゃんの育ちで、どんな事を感じ、国民に分かる取り組み、心のこもったお話をして下さるのかが、甚だ疑問です!

保育料無償化になった事により、「みんなにそうしてあげたよ・・・」なんて思っていないでしょうかねぇ・・・?

是非是非、学びと今後の取り組みに生きて欲しいと、願います。永久保存版で読んで欲しいと思います。和先生と衆議院の方々との席が多くなる事を節に願って居ります。

論文にもありましたが、株式会社設立についての箇所は、納得はできますが、我が園は保育の為の会社設立であり、営利を目的には、全くなっておりません!子どもたち主役の取り組みをして居ります。そんな保育園作りをしている民間保育園もある事を、どこかの隅っこにでもかまいませんので、置いて頂けましたら、幸いです。

園舎等のきらびやかさや、子ども主役でなく、保護者へのサービスの過多や、なんの為の保育?だれの為の保育?保護者が何もせず全てを保育園に任せる等々・・気になる株式会社保育園は、近隣にも確かに多々あります。サービス業として捉えている議員さんも多いと思って居ります。手間暇かけて・・・手塩にかけて・・・子どもを真ん中に保護者と保育士が手を取り合って大人の背中から学ぶ事ができるよう、園長として日々、初心を忘れず取り組んでいる、一個人ではありますが、保育士&園長が居る事を記したいです。

別途言い訳有・・・

(株式会社は設立の手段だった・・嫁ゆえに・・・社会福祉法人にする事ができなかった事実があります。

なぜ?夫は末っ子長男・一応世間では旧家扱いの家族・・そこへ嫁いだ私!保育園作りが、2.3年で閉鎖に追い込まれた場合、社会福祉法人は、土地没収となる!嫁としてはこれは無理だった・・考えた末、身の安全を考えての株式会社設立!・・

ここまで書いてハタと思う!やはり株式会社は動機不純なりだー!!笑って下さい・・・トホホ)

2月に入り、令和2年度の行事が決定致します。

和先生への講演も盛り込む予定です。今年は父親との取り組みにしたいと思って居ります。決まり次第、お願いのメールをいれさせて頂きます。

令和2年1月15日

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(社会福祉法人という仕組みは、子どもの最善の利益を優先する、という保育指針の趣旨からすれば、良い仕組みですが、それゆえの縛りがあり、仕組みが始まった頃の経緯や歴史がいまも影響を及ぼしています。メールをいただいた園長先生のケースは、講演にも行っているのでよくわかりますが、株式会社としては特殊なケースなのです。子どもたちの願いを最優先に、親を育てる、親が自然に育っていく、素晴らしい保育をされています。

社会福祉法人は、株式会社の、株主の利益を追求するという目標に比べれば、いま必要な「親心を耕す」という必要性にかなっているのですが、所詮仕組みは仕組み。保育は、園長先生の「意識」の問題です。

私が論文で言いたかったのは、政府の施策による仕組みの改変が、子どもたちの願いと離れて行っている、それに気づいてほしい、ということです。このまま子どもたちの要望を裏切り続けていくと、その反動は必ず来る、ということです。先生、ありがとうございます。)

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。どこへでも参ります。)

衆議院調査局「RESEARCH BUREAU 論究 第16号 2019.12」への提言論文、「子供を優先する、子育て支援」ぜひご一読ください。衆議院、論究、松居和、で検索しても出てきます。アドレスはこちらです。推薦、拡散していただければ幸いです。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

親心のエコシステムが無償化で廃園に。

衆議院調査局が年に一度発行する「RESEARCH BUREAU 論究 第16号 2019.12」に提言論文を依頼され、昨年末に発刊されました。衆議院のホームページで読むことができます。ぜひご一読ください。「衆議院、論究、松居和」で検索しても出てきます。http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

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「公立幼稚園」は私が一番好きな形でした。

それが今回の無償化で入園希望者が十分の一になっている。選択肢のある自治体では、一気に廃園に追い込まれている。たった三ヶ月で、無償化という平等が、自然に親が育ち、絆が育つ仕組を壊していくのです。

数年前にこんな文章を書いたのです。

「市長が壊す、再生不能な親心のエコシステム」

長年地域に根付き、思い出や絆を作ってきた「公立幼稚園」をなくそうとする市長がいます。反対する母親たちから相談にのってほしいと言われ、広島で講演したあと、神戸で会いました。(神戸の市長の話ではありません。)

「公立幼稚園は親にサービスしないから親が育ちます。助け合わなくてはならないので、絆も育つ。もともと二年保育が多いし、この辺りでは20年前、私立幼稚園の経営を邪魔してはいけないという主旨で、1年保育がありましたよ」と私は、始めに言いました。親たちの民営化反対の意図がどこにあるのか、探ってみたのです。すみません。

公立幼稚園は送迎バスもない,給食も、預かり保育もない、保育料は安いのですが、親たちは助け合うしかない、補いあうしかない。「いいですよねえ」と言うと、目を輝かせて、「そうなんです、何もしてくれないんです。しかも、行事や役員など色々押し付けられるんです。そういう園が、私たちは好きなんです。心が一つになるんです」とお母さんたち。ああ、この人たちはわかっている。ちゃんと育ってる。こんな幼稚園は地域の宝。黙っていても地域に絆を生み出します。

こういう園の運動会は、部族的で、村社会的で、賑やかで、親身で、公立ですから障害を持っている園児がいたりして、そうすると、みんなで涙を流して応援する。こういう園は、一度失ったら再生不可能な親心のビオトープ、エコシステム

(日本中すべての幼稚園・保育園がこんな感じだったら、私たちはもう一度、あの「逝きしの世の面影」渡辺京二著の第十章~子どもの楽園~に出て来る、150年前に欧米人が書き残した「パラダイス」を体験できるのでしょう。)

それを民営化、こども園化して市長が壊そうとする。目先の選挙のことだけ考えているのでしょうか。

「市長は、こども園の方が長く預けられるし、無料になるんだ、と言うんです。私達はそんなこと望んでいないのに」と静かに怒る母親たち。「こども園だと無料で、幼稚園だと有料になるんですか?」と私に聴く。

そんなことはないですね、そこまで嘘を言って民営化を進めたがるには何か別に理由があるはずです、と答える。聴けば公立幼稚園の職員はすでに6割が非正規雇用化されている。財政も特別悪そうではない。地方の場合、こういう時は、背後に利権がらみの癒着があったりする。そうなると「子どもの最善の利益」などという言葉はまったく通用しない。

ほとんどの自治体で政府の施策によって保育が危険な状況にさらされている中で、公立幼稚園が十園まとまって親を鍛えながら,これだけ親に支持されているのは奇跡かもしれない、というようなお話しをしました。(後略)

この話から数年経ったいま、「無償化」によって、あっけなく廃園になっていく公立幼稚園が全国にあるのです。わかっていてやった施策なのだろうか。それともただ知らないだけなのか。

同じ値段(無償)なら、よりサービスしてもらったほうがいい、という損得勘定は、当然だと思う。しかし、子どもを優先して考えれば、また違った方法があったはずなのです。

あまりに乱暴な保育施策が続いているのです。

以下は、前述「論究」の提言論文を読んだ園長先生からのメールです。

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松居和先生

新年おめでとうございます。

論文をお送りいただきありがとうございました。一気に読ませてもらいました。まったく同感です。

今の保育施策には子どもの視点が全く欠けています。

私はY市の児童福祉審議会の委員をやっていますが、その中で議論されるのは数合わせばかりです。このような施策を、と提案しても、計画は出来るものを載せるのが計画なので、出来るかどうかわからないものは載せられないと突っぱねられます。

夢やヴィジョン、ましてや哲学などは必要ないようです。

保育士不足も切羽詰まってきています。

実は私の学園でも企業主導型保育事業というやくざなものを始めてしまいましたが、内閣府や児童育成協会は実に情けないものです。企業主導型は考え方としては決して悪いばかりではないのですが、おっしゃる通り今はくそも味噌も一緒の状態です。そして、そもそもその桶が腐っています。

児童育成協会の監査員募集でこんなのが出ていました、

https://next.rikunabi.com/end_detail/cmi0296172008/nx1_rq0018240168/

「指導監査要領に沿いながら適切なチェックをする仕事なので、ルールさえ覚えれば業務はスムーズに行えます。」

素人が保育園の監査なんでできるわけがないでしょう!

こんなのが来て指導するわけです。困ったものです。

だいぶ前から愛着障害が話題になってきましたが、やはり母親と2人でいる経験を十分積まないと子どもはよく育っていきません。人間は動物であることをやめようとしているのでしょうか?

かのウイニコットも言っています。「二人でいるから一人になれる」と。やっぱりそこが大切かなと思います。

保育参加、ぜひやろうと思いました。

機会があったらぜひうちの園に来て話を聞かせてください。

今後ともどうかよろしくお願いいたします。

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(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。どこへでも行きます。)

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

ねずみ

まだまだ、土俵際で残っているつもりです。

頑張ります。

去年、衆議院調査局が年に一度発行する「RESEARCH BUREAU 論究 第16号 2019.12」に提言論文を依頼され、それが年末に発刊されました。衆議院のホームページでも読むことができます。ぜひご一読ください。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

すでに論文集は政策を作る参考資料として、衆議院議員全員に配られたそうです。ちゃんと読まれて、参考にされると良いのですが。

ここまで説明しても動かないのなら……、どうしたらいいんだ、そんな気持ちもありました。わざわざ「私に」依頼されたのだから、可能性があるかもしれない。言い残すことのないように、とにかく書き切ろう、そんな気負いもありました。

政治と学問に、詩人の心と哲学者の視点が欠けている、最後の方では、そう言いたかったのかもしれません。

0、1、2歳児がこれまで果たしてきた「役割」、果たそうとしている代え難い「社会的貢献」に気づいて欲しい、ということなのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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