「保育士7人が一斉退職」の新聞記事と、現場からのメール:「子育て安心プラン」の中で、子どもが不安に怯えている

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新聞記事と現場からのメール:「子育て安心プラン」の中で、子どもが不安に怯えている

(こんな新聞記事がありました。)

世田谷区:企業主導型保育所2園、全保育士7人が一斉退職(毎日新聞)

東京都世田谷区にある保育所2園で7人の保育士全員が10月末に一斉に退職し、園児が転園を余儀なくされたり保護者が出勤できなくなったりしている。1園は休園し、もう1園は受け入れを続けるが、「保育の質」に不安を持つ声が出ている。

一斉退職したのは、企業主導型保育所「こどもの杜(もり)」の上北沢駅前保育園(園児10人)の保育士5人と、下高井戸駅前保育園(同18人)の保育士2人。上北沢園は今月から休園。下高井戸園は今月から新たに保育士を確保し、上北沢園の2児を含む計20人を受け入れている。上北沢園の残りの8児の保護者は近隣園に問い合わせたり、世田谷区に相談したりしているが、待機児童が多く、受け入れ先は決まっていないとみられる。

2園は絵本の読み聞かせができるというロボットを導入するなど特色ある保育をしていた。運営する会社の経営者の男性(47)によると、10月上旬に上北沢園の保育士全員から退職希望があり、保育士の派遣や他業者との提携を模索したが見通しが立たなかった。下高井戸園では31日、保育士から退職の意向を告げられたという。

「保育士には給与の未払いがあったようで、これが一斉退職の要因の一つになった」と証言する関係者もいるが、男性は「給与は払っており、遅れたこともない。子どもの情報の引き継ぎもなく、愛情はなかったのかと悲しくなる」と反論する。

この混乱でしわ寄せを受けているのが子どもたちだ。下高井戸園に通う子の母親は「安心できないので仕事を休んでいる」と憤る。いつもの保育士が見当たらないことで泣き出す子どももいたという。上北沢園から転園した子の父親は「待機児童が多い地域なので、簡単にほかの受け入れ先は見つからない。怒っても仕方がない」とため息をつく。

厚生労働省から企業主導型保育事業の運営を委託され、助成金支給を担う公益財団法人「児童育成協会」(渋谷区)は「保育士が一斉に辞めることは通常は考えられず、利用者のことを考えると非常識」と話し、利用者に新たな受け入れ施設を案内するなどの対応に追われている。

協会は下高井戸園の新しい保育士が有資格者かどうかを確認するため職員名簿の提出を求めているが、経営者は名簿の提供を拒み続けているという。園には栄養士はおらず、給食の献立をパソコンソフトで作成している。2日朝には経営者が自らスーパーで食材を購入していた。

予定していたケチャップ煮用の赤身魚が店頭になく、経営者は白身魚を購入し、「煮物にする」と話した。記者が「大丈夫か」と問うと、「『大丈夫ですか』って僕も言いたい」と困惑気味に答えた。【小野まなみ、矢澤秀範】

企業主導型保育所

主に企業が自社の従業員向けに設ける認可外の保育施設。待機児童対策として国が2016年度に創設した制度で、整備費や運営費は認可施設並みに助成される。今年3月末現在、全国に2597カ所あり、今年度末までにさらに増える見通しだ。一方で、認可施設に比べて保育士の配置などの基準が緩く、行政の目が届きにくいことから、保育の質の低下や安全管理への不安を懸念する声も根強い。

「補助金持ち逃げビジネス」の温床に

保育制度に詳しいジャーナリスト・猪熊弘子氏の話: 児童育成協会の対応にも問題があるが、国が丸投げしているのがおかしい。企業主導型は自治体が把握できず、補助金目当てで簡単に参入できるため、制度設計自体に問題がある。一番被害を受けるのは子どもと保護者だ。制度を見直し自治体が関与できる仕組みを作らなければ、企業主導型は「補助金持ち逃げビジネス」の温床になってしまう。

(関連記事)

<企業主導保育所 長男死亡の母、安全管理の改善訴え>

<企業保育所の7割、基準満たさず>

<企業保育所 定員半数空き 助成金厚く乱立>

<待機児童解消へ政府推進 企業主導保育所の効果は?>

<職場に保育所、広がる  女性採用の「切り札」 基準緩く「質」不安も>

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(この記事の向こう側に、もう一つの危ない現実があります。報道もされず、ただ忘れられていく乳幼児たちの日々があります。そこに日本の未来が深く関係していることに社会全体で気づいてほしい。「雇用労働施策」と称し「保育制度の規制緩和を進める」政治家や学者、専門家たちがもう考えもしない子どもたちの悲しみや苦しみ、怯え、心ある保育士たちが現場から去ってゆく、あってはならない風景が「全国で」日々繰り返されているのです。世田谷区の、別の園のベテラン職員からのメールです。)

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松居先生、お久し振りです。お元気ですか?

今週水曜日に保育課から電話があり、「近くの企業主導型保育園の経営困難により、今いる園児たちの受け入れ先を探しています。緊急一時枠でお願いできないか」なんて、今でさえ長時間保育の乳児で、基準は満たしているけれど安全に保育するギリギリラインなのに、区や都、国で責任取れ、現場に押し付けるな、待機児童政策は大失敗なんだと言えばいいのに、園長は何も言わず。ただ受け入れは難しいとお断りしました。

そこの園とは、よく散歩先の公園で出会い、見かけましたが、正職員と思われる保育士は卒業したてという感じの若い子ばかり。それに年齢のいったパート職員が子供達を怒鳴り散らしていて、若い子は何も言えず子供達に声かけもできず、ぼんやり砂場に座っているだけでした。

うちの園の子どもも、その怒鳴り声に怯え遊べなくなり、仕方がなくその場を離れました。いく先々でそこの園と鉢合わせると場所を変えるという、お散歩難民状態になりました。

そこの園は皆お揃いのポロシャツ(しかも白)とブカブカのビブスを着せられ、多分お洗濯もしなくていいとかが売りだったのでしょうか。

うちの園の子が泥水遊びをしているところに、その園の子たちが次々やってくるのを必死で抱え連れ戻すので、ご一緒にどうぞと声をかけると、ありがとうと言いながらも、子どもを遠ざけていました。

ある日、新顔のパートの先生(主婦っぽい)が、ありがとうございますと言い、一緒に泥遊びに参加しました。

暫く振りにまたその先生と子どもたちに会い、子どもたちも嬉しそうに私たちのところへやってくると、その先生は悲しそうに「今日は、あっちで遊ぼう」と声をかけていました。すると、若い正職員が、「この前、泥遊びをさせたからシャワーを浴びさせる目にあった、ホント参るよ」と言うのが聞こえ、泥遊びをさせてしまった先生は、もう子どもたちと声を交わすこともなく、ボンヤリ砂場に座っていました。

こんな現場のことなんて、行政は何もわかっていない。憤りを感じます。

今、うちの園では、モンスターペアレントととの戦いで、保育課とも戦っています。園長が何も言わないので、聞き取り調査に来た保育課の職員にうちの職員が、保育課は保護者の苦情に対応はするのに、保育士たちを理不尽な親から守ろうとはしない。保育士を守るのは一体誰なんですか、クレームがそちらに行く度に、書類提出を求められますが、その時間も無いし、だいたい保育中に何故聞き取り調査や電話対応をしなければならないのか、と反論していました。

また先生にお会いしたいです。取り敢えず、保育崩壊中の近況報告まで。

 

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「他園の子どもが、その怒鳴り声に怯え、遊べなくなる」ような環境で一週間も過ごせば、3歳未満児はただ萎縮していくばかり、自分でそれを親に訴えることもできません。そういう幼児たちの表情の変化を読み取れる親も少なくなっています。これが一ヶ月も続けば、2歳半までに一生に影響すると言われる脳の発達がどうなっていくか、怖いくらいです。

「泥遊びをさせてしまった先生は、もう子どもたちと声を交わすこともなく、ボンヤリ砂場に座っていました」。

ここに本当の意味での保育崩壊があるのです。ふつうの人から優しさや、思いやりの心が奪われてゆく。乳幼児たちの役割は「育てる側の心を一つにして、社会に信頼関係を生み、人間たちの親身な絆をつくること」。親も、行政も、保育士も、保育園経営者も、心が一つにならなくなるような仕組みを、いま政府が進めている。保育をサービス産業化することによって。しかもそれを「人づくり革命」と呼ぶ。まったく理解できない。

前述した記事の中に、助成金支給を担う公益財団法人「児童育成協会」(渋谷区)の保育士たちを非難する「保育士が一斉に辞めることは通常は考えられず、利用者のことを考えると非常識」という発言があります。この公益財団法人にとって「利用者」は親でしかない。本当の利用者が「子どもたち」であることをわかっていない。「通常考えられない、非常識な」状況をつくりだしているのが自分たちだということを理解していない。

一年も経たないうちに、保育士に逃げられた経営者が、「『大丈夫ですか』って僕も言いたい」と言いながら食材探しをする。乳幼児とって極めて危険な、素人の参入を促す仕組みを助成金を支給して増やしているのは、「子育て安心プラン」という経済政策パッケージなのです。

「子育て安心プラン」の中で、子どもが不安に怯えている。

「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』http://www.luci.jp/diary2/?p=2498

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幼児を可愛がる、という大自然の作った一つの「かたち」が土台にあれば、人間の作った福祉や教育という「かたち」は崩れない。でも、そこが欠けると「人間性」という生きる動機そのものが壊れてしまう。

共励保育園の長田先生のツイートから・説明すれば理解してもらえる。

(共励保育園の長田先生のツイートから)

「本年度の入園説明会が終了した。0歳児保育を希望する人が34名もいた。そこで、0歳から6歳までの発達の特徴と、012歳児における母子関係の大切さを説明した。

世の中0歳児から預けようとする風潮が広がっているけど、それは間違いですと伝え、なぜ育休を取らないのか?と訴えた。

説明会終了時、拍手が起きたのには驚いた。夫婦が寄ってきて「説明会を聞いて本当に良かった!」と感謝された。その目には、自分で育てようとする意思がはっきりと見て取れた。」

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長田先生頑張ってますね。

そうなんです。園長が「子どものために」一生懸命説明すれば、012歳を預けるということは特別な決意がいること。幼児期の発達は取り返しがつかないこと、その時期の環境の大切さ、特定の人との愛着関係が子どもの将来に影響を及ぼすことなど、ほとんどの親たちが理解してくれます。拍手さえ来るという現実が嬉しい。まだ、そういう親たちがたくさんいることが、この国の素晴らしさだと思います。

幼児を育てている人たち、幼児と一緒に暮らしている親たちは、人間を(自分自身を)理解しようという感性が、日々育とうとしている時です。「幼児と一緒に、自分を体験してください」、と説明すれば、わかります。

そういうことを国が理解しようとしないから、規制緩和やサービス産業化の中、様々な問題が起こっています。11時間保育を「標準」と名付けた国の「子ども・子育て会議」の学者や専門家たちは、現場で何が起こっているのかわかっていない。「親を育てる」という、子どもたちの役割さえ理解していない。

子どもたちが追い込まれています。

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保育士も学校の教師たちも、これ以上「子育て」を引き受けることはできない。一番心配なのは、こうした保育士や教師が疲弊する中で、感性のある「いい人」たちが、この状況にあきれて、見ていられなくて、心が傷ついて、保育現場、教育現場から離れていくことです。それがこの国にとってどれほどの損失か、社会全体で早く気づいてほしい。待ったなしの状況にきています。

保育資格を持っているから保育ができるのではない。教員免許を持っているから教師が務まるわけでもない。子どもたちにとって、スタイルは違っても、「いい人」たちが環境でなければ「義務」教育は成り立たない。そして、その「いい人」たちを育てるのは子どもたち、乳幼児たちなのです。

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(最近の子育てに関わる報道を読めば、この国に何が起こっているかがわかります。)

大阪府・八尾市の認定こども園で起きた男性職員による女児わいせつ事件。

「元職員による女児わいせつ事件で“休園”の危機…園児160人が転園?https://www.fnn.jp/posts/00379350HDK

7月に保護者説明会があり、被告の母親でもある副園長が驚きの発言をした。

【第1回保護者説明会にて】

・保護者から「わが子がそういう行為をされていたらどう思いますか?」という問いに対して、副園長は「もうびっくりですね」と他人事のようにも思える発言

・さらに副園長は「もしも自分の子供が変なことされたら、もう(子供を)保育園を辞めさせます」と発言。これに対して保護者からは「私たち保護者というのは働いていますので、簡単に辞めさせますと言うのは納得できない」との意見が。

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「不登校」過去最多:低学年でいじめ急増・・・学校でいま何が起きているのか:https://www.fnn.jp/posts/00379520HDK

*いじめは特に小学1~4年生で増加。暴力行為も低学年の増加が顕著

*不登校も過去最多。長期欠席の児童生徒が多い

*認知件数の増加について文科省は「解消に向けたスタートライン」 と肯定的

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「24時間型の保育所増やす」小池都知事が方針 (読売オンライン:https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180802-OYT1T50040.html)

「就任から2年となる東京都の小池百合子知事は1日、読売新聞の取材に対し、女性の社会進出を支援するため、24時間型の認可・認証保育所を増やす方針を明らかにした。来年度予算案に夜間・未明に勤務する保育士の人件費補助などの支援策を盛り込む方向で検討する。」

保育の無償化「人づくり革命」?

保育の無償化。

首相は、それを「人づくり革命」の第一歩と言う。

ここで言う「人づくり」の意味がまったくわからない。「人づくり」のイメージをどう捉えているのか。産めばいい、というわけではないと思うのですが、この人の「革命」を支えている学者や専門家たちは、何か大切な感覚・視点を失ってしまっているのではないか。政府の子ども子育て会議が、11時間保育を「標準」と名付けたときにも感じた恐ろしいほどの違和感がこの「人づくり」という言葉にある。

政府主導で、子育てに関してとんでもない勘違いが始まっています。

無償化で、幼児を保育園に長時間(8時間以上)預ける人が増えれば、親が育てるより人づくりになる、それが「革命」だと言う思考が私には理解できない。保育士不足と、親の意識の変化を考えれば、これほど馬鹿げた話はない。

子育てを制度や仕組みに任せることで社会に信頼関係と絆が失われつつあるいま、「人々の心を一つにする」という幼児たちの存在意義を見失いながら(見失わせながら)、それを政府が「人づくり革命」の第一歩と言う。彼らは、私たちをどういう「人」にしたいのか。経済競争の歯車、感性を失い、情報の組み合わせや稼いだ金額で人生を計り、「地位」を得ることに目標を持つような「人」にしたいのか。子ども・子育て支援新制度を提案した人たちは、母親を働かせて場当たり的に労働力の確保を目指しているだけで、実は子どもの幸せも、親の育ちも、「人づくり」のことも考えていないのではないか。

乳幼児期から11時間預けられた子どもが本当に将来「労働力」(戦力)になると思っているのだろうか。学校や職場も含め世の中はバランスを失い殺伐とするばかりで、人間の生きる力、生きる動機はさらに失われていく。少子化の原因と言われる、結婚したがらない男たちという現象にそれが現れている。

保育を無償化すれば、「子どもは誰かが育ててくれる」という意識が広がります、と保育士たちが心配します。「親が無責任になれば、結婚という形が成り立たなくなる」、「保育士がますます疲弊します」と園長が言います。三人目を産めば保育料無料という施策を進めた自治体で、タダだから0歳から預けるという親たちの出現に園長たちが呆れていたのがつい数年前。親たちの意識は30年前とはもう随分ちがってきています。無償化によって、実は、保育や教育で「人づくり」がますますできなくなるのではないか、現場はそれを危惧しているのです。

マスコミや政治家、そして学者や専門家の想像力が乳幼児の願いに及ばない。彼らの存在意義に及ばない。小学校高学年くらいから毎年数日幼児に囲まれる体験を積み重ねていく。そんな土壌の耕し直しが人間社会に最低限必要な想像力を取り戻す方法だと思います。

いい理事長先生と、いい母親の話

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保育は、いま「仕組み」のように思われていますが、実は「子育て」で、「子育て」は、夫婦や家族から始まり、育てる人たちが「心をひとつにする」「いい人になろうとする」、本来、人類が「社会」を形作る動機、原点だったのだと思います。信頼関係が生まれ育つためにあった「子育て」が、最近仕組みに依存するようになって、そして、保育が経済競争に利用される「仕組み」と見なされるようになって、本来の役割を失いつつある。心が重なりにくくなってきた。

以前にも書いたのですが、こんなことがありました。

私立の幼稚園の理事長先生の体験談です。男性ですが、子どもが大好きで熱血漢、県会議員もやっておられる年輩の方です。

ある年、視覚障害をもっている子どもを引き受けたそうです。経験がなかったので躊躇したのですが、どうしても、と言われ、決心し、自ら勉強会や講習会に通い、出来る限りの準備をしたのだそうです。

その子が入園して間もなくのころ、砂場でその子が一人で遊んでいて、自分の頭に砂をかけたそうです。その「感じ」がよかったのか、そっと、繰り返しかけたのだそうです。理事長先生は、注意することなしに「遊び」「体験」として見ていました。幾人かの子どもが集まってきて、その子にそっと砂をかけ始めました。それを理事長先生は、「育ちあい」として見ていました。長年保育をしてきた先生の経験からくる確かな判断がありました。その子のお母さんが見ていたことも、先生は知っていました。
無事に3年が過ぎ、卒園が近づいてきました。そして、その子の母親が「あの日」のことを卒園の文集に書いたのです。砂をかけられ幼稚園でいじめられている我が子の姿がどれほど不憫だったか。それを先生たちは笑って見ていた、と。

理事長先生は、あれほどびっくりしたことはなかった、悲しかったことはなかった、障がい児を預かるのはもうやめようかと思った、と話します。子どもに対する思い、保育にかける情熱に自信がありましたから、その気持ちが母親に伝わっていなかったことにびっくりしたのです。

3年間そういう思いで過ごしてきた母親の気持ちを思うと、私はやりきれない思いにかられます。しかし、これは、いい理事長先生といい母親のエピソードです。

その子は3年間、この二人に守られていたのです。

幼児と過ごし、調和に対する理解が始まる

保育という子育ての現場における「あってはならない風景」を無くすとまでは言いませんが減らすこと、それが、私が推奨している「親の1日保育士体験」の出発点になりました。年に1日8時間、親が、父親も母親も、一人ずつ園児に囲まれ保育現場で過ごす。(幼稚園の場合は5時間ですが。)
親と保育士の間に波風を立てずに、一緒に幼児に囲まれることによって自然に育つ信頼関係で「親に見せられない風景」を封じてゆく。これしかないと思いました。

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いつでも親に見せられる保育をする、それが幼児という国の未来を守る原点です。一緒に育てる「かたち」さえ作れば、あとはみんなが持っている遺伝子にまかせる……、それが本来の姿です。
卒園までに毎年やっても、一生にたった三日、多くて五日のことなのですが、これでずいぶん人生が変わってくる。知らないうちに何かが仕上がってゆく。そのアンサンブルに加わりさえすればその奏でる意図を感じ、以前からそこで鳴っていた音の重なりの中に身を置くと、知らないうちに何かが仕上がってゆく。
1日保育士体験をやってみた親たちの7割が感想文に「園に対する感謝の気持ち」を書きました。


そうして、調和に対する理解が始まる。

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そして、親が保育士に感謝すると、いい保育士が育っていく。http://www.luci.jp/diary2/?p=897 http://www.luci.jp/diary2/?p=260


その話をした時に、「保育園に預けるのは権利です。なんで感謝しなければいけないんですか?」とある親から聞かれたことがありました。「親が、子どものことで感謝する、保育士に直接でなくてもいい、神様・仏様経由でもいい、それが幸せへの近道で、それが学校教育を支えるのです」と説明するしかありません。
教育とか保育という言葉で表していると、いつも間にかわからなくなるのですが、「子育て」なのです、人間たちをつなぐものは……。

選択肢のないことの素晴らしさや、役割分担という仕掛けの、責任はあるけれども同時に感じる気楽さや、安心を実感するのかもしれない。

このやり方には誰も異論を唱えない……、そのことだけは、みなが知っているという感じ……。すると、簡単に孤独とは無縁の人生が目の前に開けてくる

幼児を守ろうとしない国の施策。ネット上に現れる保育現場の現実。

 

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国は幼児を守ろうとしていない

ネット上に、「保育士の虐待ではないですか?」と自分の子どもを心配する親の質問がありました。2歳児を罰としてトイレに閉じ込める保育士の言動についての疑問です。それに対する「答え」のいくつかを重ねると、いまこの国の子育てに起こっている危険な状況が見えてきます。四年前、2014年に行われたやりとりです。

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(質問)

保育士の虐待ではないですか?

昨日、息子を保育園に迎えに行ったところ教室に息子の姿が見えませんでした。

延長保育ですが、いつもより少し早く迎えに来れたので、どこかまだ違うところにい

るのかな…と思っていたら、先生が私に気づき

「ちょっと待ってて下さいね。さっき○○くん(息子)が私の手にたまたまブロックを当ててしまって痛くて赤くなって、先生痛かったよ。わざとやったわけじゃないと思うけど、相手が痛いって言ったら謝らないといけないよ。と言ったんですが、いやだと言って泣いて謝らなかったので、今トイレのお部屋に謝るまで一人でいてね。と言ってあります。泣いて許されると思ってもいけないので…」と言われました。

トイレからは息子の大きな泣き声が聞こえてきました。

そして、先生がトイレの中へ行きしばらくたって息子とでてきました。

息子は私に気づいて泣きながら飛びついてきました。私はいたたまれない気持ちでギューとしてあげました。

先生は「ごめんなさいを結局言えなかったので、頭だけでも下げなさいと言ったら頭だけ下げてくれました」と言っていました。

帰ってきてなんか腑に落ちず、主人にこの話をしました。

主人はかなり怒って、

それって虐待じゃないの?

お友達に何か故意にやったならまだしも、先生にわざとじゃなくたまたま当たっただけだから、なんで謝るかがわからなかったんじゃない?

まだ2歳だしそこまでする必要ある?せっかく今トイトレも順調なのに、これがトラウマでトイレ嫌いになったらどうするんだ。

担任でもない延長保育の先生がそこまでやる必要はあるのか?

閉じこめることでしか、理解させれないのはおかしい!

園長先生に電話した方がいい。

と言っていました。

私もなぜ2歳の子に頭を下げるまで閉じ込めをやるのか。息子は言葉の理解も言語力もある方で、普段なら自分がわざとじゃなくて当たってしまって、痛っと言うと素直に ごめんなさい と言ってくれます。

私はモンスターペアレントと思われたくないし、保育園とのいざこざは避けたいのですが、このことはどうとらえたらいいのか戸惑っています。

保育園ではよくあることなのでしょうか?

たまたま私がいつもより早くお迎えに言った為、親にバレてしまった…という感じなのか…

公立保育園で、その保育士は60すぎの人です。

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(答え1)

ありえません!

2歳に対するやり方ではないと思います!

私なら延長保育辞めますね。

役所や園長に相談しても仕返しはありますよ。親の見えない所で。

擦り傷が多くなったり、とにかくイジメが始まります。

女ですから。

状況かえてあげるべきです。

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(答え2)

保育園で延長の保育士で60オーバー…

それでその対応なら、他の方に代わっていただく事案です。

人手不足なのでしょうか…

「子どもはみんな孫のようなものですから…」とか言って採用された人ではないでしょうか…

齢がいってから、感情的な比率の高い人は職業人には向きません。

子育てがしんどい虐待親のやり方ですよ。

延長を使わないか、公立なので管轄の部署に通報でいいと思います。

安心して預けられないが、今後子どもに何かされるといけないので…と添えてください。

ちなみに保育士の子どもいじりは

延長時ラスト1人の子に「もう、お母さん迎えに来ないかもね…」とささやくとか、1人の子とだけ遊んであげない(返事だけはしてあげる)とか、結構やってます。

知らないのは親だけです。

女性の社会進出が当たり前の時代ですが、そんな思いをさせてまでも…と思ってしまうのは私だけでしょうか…

親の知らないところで子どもはかなり頑張っているんです。

まして2歳とか…

批判しているのではありません。

仕事も大事です、子どもも大事です。

保育士批判もわかります。

預けている後ろめたさから余計に息子さんを愛しく思っているのもわかります。

男性も女性も選択を迫られていますが、欲というテーマを外したら、

仕事も取り返し出来ます。(欲:職種・収入額の問題だけですから)

しかし、子育ては取り返せない。

このかわいい時期、少しの時間と寝顔だけがあなたの思い出になってしまいます。

大きくなれば、反抗期…小さい時の記憶や写真で親は思い返し、子どもと向き合えます。

親の手助けが必要な時…それがいつだか、どの程度だかわかる自信がありますか?

実際、この件が発覚するまで、自分たちや園の息子さんへの対応は大丈夫だ!と思っていたわけでしょうから、ショックの度合いでここに書き込んでいるわけですよね。

これが警鐘です。

それをどう捉えるかは、親御さんの判断です。

保育士の問題は、園と役所の問題です。

園に言ったから!とか役所に言ったから!息子さんの問題が解決するわけではないことは忘れないでください。

心のどこかで、そんな思いをさせたのは自分たち…という思いも忘れないで欲しいなぁ…と思います。

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(答え3)

保育士をしています。

2歳のお子さんが謝らないからと言ってトイレに入れるなんてありえないです。

2歳では謝れない子もいるし、まして、自分が納得していないとなんで謝るのかわからないですよね。。

ただ、保育士の人間の集まりなので、いろいろな人がいます。

子供の成長発達に関係なく謝らないと納得のできない保育士なのでしょう・・・

今後お子様がまた、同じような目に合わないためにも、園長にはしっかり伝えた方がいいと思います。

モンスターペアレントといわれることはないと思いますよ。。

お子さんの為ですから・・・

私でも、納得できないと伝えます。

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(答え4)

モンスターペアレントと思われたくないなら何も喋らず口を噤みましょう。

どう思われていいなら言いたい事を言いましょう。

自分の中で何が大事かの指針をつくらないと、なあなあに人に流され、時間に流され物事はただ過ぎていくだけです。

今後の教育を考えれば保育園のその出来事よりも、物事が起きたときのあなたのどっちつかずの対応に、子供は大きくなるにしたがってより戸惑いと疑心を感じていく事でしょう。

子と共に親もしっかりと成長していきましょう。

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(答え5)

お話の通りであるなら、ちょっと今時考えられない園ですね…。2歳の乳幼児に反省を促すためトイレに閉じ込めるなんて。

にわかに信じられません。

保育園ではなく、役所に相談してみては?

園では埒が明かないかもしれませんし。職員同士で事実を隠す恐れもあります。

トイレに閉じ込めてパニックになった子供に何かあったら大変です。

閉じ込めたら保育者の目が届かなくなりますから非常に危険です。

普通は有り得ないことです。2歳だと当然トイレもドア閉めないでさせますよね。

こればかりは、モンペとかのケースには当てはまらないし、子供を守るためにも即行動するレベルです。

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(質問者がベストアンサーに選んだ答え)

ほっときましょう

ただそういう一件があったことを担任の保育士さんに言っておきましょう

60すぎのおばはんに何言っても聞きませんよ

トイレに閉じこめるのはやめてもらいましょう

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(私の意見)

 

「答え」を読めばわかりますが、こんなことはあり得ない、と憤る保育士はもちろんたくさんいます。同時に、こういうことが保育の現場で頻繁に起こっていると考える保育士も実はたくさんいる。保育関係者が書いていると推測できる「答え」に、それは如実に現れています。

「役所や園長に相談しても仕返しはありますよ。親の見えない所で。擦り傷が多くなったり、とにかくイジメが始まります。」

 「人間の集まりなので、いろいろな人がいます。」

親が知る由もない環境で、こうしたことが起こっている、それがいまの保育界の偽りのない現状だと、私も思います。もっと良くないことが行われていて、ネット上にある内部告発や、親に注意を促す書き込みを読めばわかります。報道もされていますhttps://dot.asahi.com/wa/2017052400011.html?page=1。

この書き込みは4年前のこと。保育士不足はこの四年間に加速度的に進んでいて、無資格でも指導員になれる児童発達支援事業も含め、こういう状況が起こりやすい仕組みが増えています。

「いつもより少し早く迎えに来れたので」偶然、この母親はその実態を見たのですが、おそらくほとんどの「保育指針に照らせば、あってはならない」出来事が、親たちが気づかないまま起きているのが現状です。

「実際、この件が発覚するまで、自分たちや園の息子さんへの対応は大丈夫だ!と思っていたわけでしょうから、ショックの度合いでここに書き込んでいるわけですよね」、という指摘には、現場を知る人からの親たちへの強い警告があります。みんな「大丈夫だ」政府が用意している仕組みだから、と思っている、そう思っていたい。しかし、そうではないですよ、保育士の当たり外れに過ぎないですよ、ということなのです。

なにより問題なのは、こうした規制緩和や保育士不足から起こっている、子どもたちの将来を考えればあってはならない状況に真剣に目を向けようとしない、経済優先、労働力確保を第一に考え、子どもたちや保育士たちの日常のあり方の変質に目を向けようとしない政治家たちの発言と保育施策です。

ここに書かれているような風景は昔から保育の現場にはありました。「保母の子ども虐待:虐待保母が子どもの心的外傷を生む」という本がすでに1997年に出版され話題になりました。20年前にすでにそれが現実だったのですが、当時と比べ、最近の園の雰囲気、空気感は明らかに違ってきています。サービス産業化させられることによって、保育士の子どもに対する思いが変質してきている。親をサービスする相手、「客」と見たら、子どもと接し観察していて言いたいことがあっても言えなくなる。利益目的の参入が激しく、指導員に資格がいらない放課後等デイサービスなどでは、障害のある子どもを預かることが主な目的であるにもかかわらず、親に対する助言やアドバイスが言いにくくなっている。いろいろ言われるのを嫌う親も増えている。預けて当たり前という意識の広がりとともに、親と保育士の間に「一緒に育てている」という「連体感」が急速に薄れてきているのです。

保育士不足にもかかわらず、もっと預かれ、と言い続けたマスコミや、それを「福祉はサービス」と言って選挙に利用し、進めた政治家たちの姿勢が、子どもを預けることにほとんど躊躇しない親を生み出している。誰かが育ててくれるという意識が広まっては、いずれその先にある学校教育が維持できなくなる。

14年前に行われた公立保育所運営費一般財源化が出発点だったのかもしれません。その時、「子どもの最善の利益を優先する」という保育所保育指針にも書かれていた、人間社会が成り立つ原則を、国が放棄した。それに政治家も行政も学者も、国のため、経済のためと言って慣れていった。現在の子ども・子育て支援新制度によって加速した市場原理の導入、労働力確保のため何人親子を引き離すか目標値を設定した上での規制緩和がそれに続き、経費の8割が人件費であるはずの保育所に関する国の建前が、国自身の施策によって崩されていった。それに便乗して、自治体による財源不足の補填、株式会社や社会福祉法人などの利益確保が元々十分ではなかった保育士の人件費を削って行われてしまった。

そういう操作ができる仕組みを、国が、「待機児童をなくせ」「保育は成長産業」という掛け声のもとに施策で作っていったのです。その結果が、家庭や保育現場における優先順位の書き換え、双方向への疑心暗鬼、(学校も含め)子どもを育てる者たちの間の信頼の欠如を生んでいるのです。http://www.luci.jp/diary2/?p=257

11年前、きっかけがあって3カ所の大学、専門学校、養成校で保育士を目指している学生に、実習先の園で保育士による虐待(親に見せられない光景)を見たことがあるか質問しました。その時、福岡、神戸、埼玉、地域の違う三校ともに学生の半数が、見たと言った。実習生を受け入れている園でさえそうだった。実習生など絶対に受け入れない施設ではどうなのか、と想像すると怖いくらいの現実でした。

その光景を見て、保育士なるのをやめたという学生もいました。一週間実習していると、同級生が同じようなことを始めると訴える学生、先輩から、「あの園に実習に行くと保育士になる気がなくなるよ」と伝達されている園が三つある、と私に教えてくれた学生もいました。涙ながらにそう言った学生たちは、実習に行く前に、実習先であったことは口外してはならない、と誓約書を書かされていました。個人情報保護のためだけではない、現場の良くない実態を知られたくない意図があったのではないかと思います。その誓約書が、20年間心の縛りになって苦しんだ、という主任さんもいました。

そして、忘れてはいけないことがもう一つあります。実は、ここが一番重要なのかもしれない。

この実習生たちが一週間の実習期間で、保育士になる気がなくなるほどショックを受けたり、最近ではベテラン保育士でさえ耐えられずに辞めていくような光景を、その園で過ごす他の幼児たちが目の当たりにして数年間育っていく。虐待と思わるような扱いを直接受けなかったとしても、他の園児、時には「小さなお友だち」がそういう扱いをされている光景を幼児期に繰り返し見ることが、その場にいた園児たちにどういう影響を及ぼすか、心的外傷になって残るか、正確には誰にもわかりません。しかし、強者が、言葉もまだ正確に話せない絶対的弱者を威圧したり、思いやりに欠ける仕打ちを繰り返す姿を日常的に見続けることが、見ていた3、4、5歳児の将来にも影響を及ぼすだろうことは容易に想像できるのです。

本来政府が責任を持つべき制度によって、幼児期に植え付けられたこうした人間関係に対する不信感が日本という国全体を覆っていくのではないか。社会全体としての心的外傷にどれほどなっているのか、はっきりわからないからこそいい加減にはできない。今、真剣に、考えなければいけない。子どもの成長過程におけるこういう風景の存在は道徳教育などで修復できることではない、次元が異なる、深い心の問題なのです。

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こうしたあってはならない風景を無くすとまでは言いませんが少しでも減らすこと、それが、私が推奨している「親の1日保育士体験」の出発点になりました。年に1日8時間、親が、父親も母親も、一人ずつ園児に囲まれ保育現場で過ごす。(幼稚園の場合は5時間ですが。)親と保育士の間に波風を立てずに、一緒に幼児に囲まれることによって自然に育つ信頼関係で「親に見せられない風景」を封じてゆく。これしかないと思いました。いつでも親に見せられる保育をする、それが幼児を守る原点なのですから。

すると、体験した親たちの7割が感想文に「園に対する感謝の気持ち」を書きました。親が保育士に感謝すると、いい保育士が育っていく。http://www.luci.jp/diary2/?p=897 http://www.luci.jp/diary2/?p=260

その話をした時に、「保育園に預けるのは権利です。なんで感謝しなければいけないんですか?」と聞かれたことがありました。親が、子どものことで感謝する、保育士に直接でなくてもいい、神様・仏様経由でもいい、それが幸せへの近道で、それが学校教育を支えるのです、と説明するしかありません。教育とか保育という言葉で表していると、いつも間にかわからなくなるのですが、「子育て」なのです、人間たちをつなぐものは。

保育の現場だけでなく、家庭でも、他の福祉施設でも、人間性を逸脱しているように思える光景が増え続けています。「親が、我が子を育てる」、または、多くの人間が、自分の子に限らず、幼児と接する機会を繰り返し持つ、という土台が崩れてくると、人間社会は優しさや忍耐力、感謝の気持ちや、親身なること、という社会の維持に必要な人間性と絆を失っていきます。それは、福祉や教育では補えない。お互いの存在が抑止力として働かなくなる。それが私が30年住んで欧米社会に見た結論でした。虐待防止などと言ってチェック機能を強化しても絶対に追いつかない。本来、法律で取り締まる種類の問題ではないのです。

日本の保育(子育て)も、こういうことが起こりやすい仕組みに、政府の施策によって作り変えられつつある。作り変えられようとしている。欧米より安定していた家庭環境を、福祉によって親子関係が育ちにくい仕組みにしておいて、虐待防止ダイヤルとか、乳児期における身体検査、法律の強化を進める政治家のやったふりがこの国の義務教育のみならず、この国の未来のあり方を追い詰めている。

子育ては、育てる側が人間性を身につけ、育てるもの同士が心を一つにすることが第一義でした。一人で子育てはできないからこそ、人脈や絆が生まれる。弱者を見つめる思いの絆が社会の土台となって、人間は助け合うことに幸福を感じ進化してきたのです。http://www.luci.jp/diary2/?p=1014

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冒頭に挙げたネット上の問いと答えを読めばわかるように、2歳児が他人によってこういう「泣きながら母親に飛びついていくような」体験をさせられるということは、本来あってはならないこと。4、5歳児が同じ体験をすることとはあきらかに違う、影響を受ける心の次元がちがうのです。

3歳までに、環境や体験によって、脳の発達、将来の思考のしかたを左右する脳細胞の仕組みが決まってくるということは、脳科学の分野ではすでに以前から定説になっています。3歳まではみんなで可愛がる、5歳まではしっかり寄り添う、そんな感じで人間は子どもたちと接してきた。脳の発達に関わる乳幼児期のそうした安定した環境や特定の人間との親密な体験は、その子の一生に影響を及ぼしている、そう認識されているからこそ、親(特定の人)を知り、その人と十分な時間を過ごすことの大切さが国連の子どもの権利条約でも「権利」として挙げられているわけです。

それを考えれば、乳幼児期のあってはならない不自然な体験の積み重ねが、最近の小一プロブレム、いじめや不登校に影響していると考えてもおかしくない。

いま、政府の雇用労働施策によって、乳幼児期に、子どもたちの心に、人間に対する不信感が植え付けられるケースが確実に増えているのです。

ネット上の回答にある、

「ちなみに保育士の子どもいじりは、延長時ラスト1人の子に『もう、お母さん迎えに来ないかもね…』とささやくとか、1人の子とだけ遊んであげない(返事だけはしてあげる)とか、結構やってます。知らないのは親だけです。」

 という状況と警告を、なぜ保育という仕組みに責任がある国や政治家や学者、マスコミも、もっと真剣に取り上げなかったのか。ちなみに、この問いと答えに対する閲覧数は2万6千回を超えています。

すでに4年前に延長保育の保育士は無資格者でもいい、ということになっていました。財政削減の矢面に立って、公立の保育士の6割が非正規雇用になっていました。そうした規制緩和をしながら、3年前、新しい保育施策で、国は「11時間保育」を「標準」と名付けました。親として初心者である乳児の親たちが、この「標準」という言葉をどう受け止めるかは予想できたはず。預けて当たり前、「標準」なんだ、という意識が確実に広まっています。そして、この「標準」を維持するための3時間のパートに資格者を雇うことはほぼ不可能になり、8時間勤務の保育士でさえ公立の正規職員でもない限り、募集しても倍率が出なくなってしまった。倍率が出ないということは、人を選べないということです。しかし、乳児の保育で一番大切なのは、保育士の「人間性」です。倍率が出ないと心が主体となる本来の姿が失われてゆく。

政府は、この新しい保育施策の内閣府のパンフレット(子育てジャパン)に「みんなが子育てしやすい国へ」と書きました。厚労省はこの施策を、「安心して子どもを産み育てることができる環境の整備」といい続けています。こんな虚偽、誤魔化しがいつまでも通用するわけがない。

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内閣府のパンフレットを見て、ある役場の保育課長が「みんなが子育て放棄しやすい国へ、でしょう、これでは」と言いました。その表紙には、ハイハイをしたり、ラッパを吹いたり、太鼓を叩きながら笑顔で保育園・子ども園に行進していく(と思われる)子どもたちの絵が描いてあります。厚労省の施策のキャッチフレーズに、知り合いの二代目保育園理事長が顔をしかめました。「安心して産み育てる、じゃなくて、気楽に子どもを産み育てることができる環境の整備でしょう。気楽に産んでもいいんだけど、気楽に預けてもらっちゃ困るよね。それでは、子どもの立つ瀬がない。いつまでたっても親が育たない」。

20年近く前に「保母の子ども虐待―虐待保母が子どもの心的外傷を生む」という本が 出版され、四年前にネット上でこうした「保育士による虐待?」に関わるやりとりがされ、その閲覧数が二万六千回あり、「保育士、虐待」で検索すれば、他にも「ありえない」実態が数多くネット上に報告されている。あきらかに保育士と保護者間の信頼関係が成り立たなくなっている時に、都知事が「24時間型の保育所増やす」と公言し、首相が、二年前に、もう40万人預かれば女性が輝く、ヒラリー・クリントンもエールを送ってくれました、と国会で述べる。そしていま、保育の無償化です。それを「人づくり革命」の第一歩と言う。ここで言う「人づくり」の意味がわからない。政府主導で、何かとんでもない勘違いが始まっているようです。

信頼関係と絆を失い、幼児たちの存在意義を見失いながら、労働力(人)をつくろうというのでしょう。それはどう考えても無理。学校、職場も含め、世の中は殺伐とするばかりで、人間の生きる力、生きる動機がさらに失われるばかりです。

保育を無償にすれば、「子どもは誰かが育ててくれるもの」という意識が広がります、と保育士たちが心配します。親が育たなくなる、保育士がますます疲弊する、と園長たちが言います。

無償化によって保育や教育で「人づくり」がますますできなくなる。

前述したネット上の質疑応答の中にある「子育ては取り返せない」「これが警鐘です。それをどう捉えるかは、親御さんの判断です」という保育士からの警告を、どう捉えるのか。政府や学者の作る無責任な施策によって、働く母親たちが、これからますます窮地に陥っていくのです。

子どもが優先ではない、経済優先の考え方では、社会という仕組みは行き詰まる。いい保育士が意欲を失い、子どもを足かせのように感じる親が増えていく。学級崩壊に歯止めがかからなくなる。義務教育が存在する以上、その時点で、政府の保育施策は誰にとっても他人事ではなくなっている。

本来、幼児という絶対的弱者とつきあうことによって、人間はその善性を引き出され、優しさを身につける。彼らを守るために、社会を形成する。その根本がいま揺らいでいます。

安心・安全を保つために遺伝子の中に組み込まれている「いい人間性」は、幼児(または絶対的弱者)の存在が引き出すもの。子育て、というプロセスが本当の意味で、人間社会を維持するのだと思います。

市、虐待疑いの母 確認せず保育士に採用

堺・9歳暴行死:市、虐待疑いの母 確認せず保育士に採用 

堺市で今年2月、小学3年生の長男、福本陽生(はるき)さん(9)を殺害したとして両親が殺人容疑で逮捕された事件で、市は2日、大阪府警から虐待の疑いを指摘されたのに、本人に確認しないまま母親の裕子容疑者(34)を保育士として採用し、こども園で勤務させていたことを明らかにした。(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20180803/k00/00m/040/194000c

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もう、限界は来ています。保育士は、ただの働き手、保育はただの仕事、就労支援とみなされている。人間性が問われていない。少なくとも幼児という絶対的弱者に日々関わる者としてのチェックが行われなくなっている。人選にほとんど注意が払われなくなっている。市の行政でさえそうなのです。募集しても倍率が出ない保育士不足が、資格さえ持っていればいい、という状況を生んでいて、現場は人を選べなくなっている。実は、数年前から公立の保育園でも起こっていたこと。私立では十年以上こういう状況が続いてるのです。

(千葉で保育士が警察に園児虐待で逮捕され、園長が取り調べに、「保育士不足のおり、辞められるのが怖くて注意できませんでした」と言ったのが5年前、新聞の一面の記事になっていたのです。園長が悪い保育士を注意できなくなったら、家に帰って親にちゃんと報告できない3歳未満児を預かってはいけない。少なくとも、それを政府が奨励してはいけない。そういう危険性があることは伝えなければいけない。http://www.luci.jp/diary2/?p=779)

幼児の存在、願いだけではなく、安全性を無視して雇用・労働施策を進める政府や政治家、経済学者の保育施策に対する姿勢によって、行政も含め、現場が完全に追い込まれている。

子ども思いの保育士にとって、「大阪府警から虐待の疑いを指摘されたのに、本人に確認しない」行政の姿勢に対する、あきらめに近い失望感が、全国に蔓延してきています。

子どもに対する行動に疑問のある人を職場の同僚に抱えて保育をするということがどれほど辛いことか。見て見ぬ振りをせざるを得ない保育士の悲しみや、園児たちを守れない辛さが、幼児の日々の一瞬一瞬にどれほど影響しているか。幼児たちの日々が、この国の将来にどれほど影響するのか。ちょっと考えればわかるはずです。

そうした人間の心の動き、見えないところを想像し、乳幼児の願いを汲み取ろうとする能力が社会全体から欠け始めている。事故が起こらなければいい、表沙汰にならなければいい、親にバレなければいい、という問題では絶対にないのです。

人間社会が存続するために必要だった弱者を守ろうとする意識、社会というものを作ろうとする「意図」が変質してきている。

こんな状況を知らなかったとは、もう誰も言えない。

24時間型保育所を増やす、などと言っている東京都の知事も、現場が保育士不足によってこれほどにまで追い込まれている、ということは知っているのです。知らないとしたら、あまりにも勉強不足。保育施策を語る資格なしです。

この子どもを虐待し、殺害した容疑に問われている母親は保育資格をもっていたのだろうか。持っていたとしたら「資格」の意味が問われる。持っていないとしたら、誰でも保育士として雇うことができる仕組みの危うさが問われる。

以前、ある厚生労働大臣が「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」と私に言ったことがある。「専門家」という言葉で誤魔化そうとする政治家、「専門家」という言葉に誤魔化される親たち、「専門家」という言葉に頼ろうとする一部の親たち、幼児たちの存在意義が見失われてゆく。親を育てる専門家(幼児)たちが、その役割を果たせなくなってゆく。

「専門家」が「専門家」を作り出すように見えてしまう学問や教育の普及が、本来の「人間としての感性、判断能力」を社会全体から失わせ、「人間としての成長」を危うくしている。絆をつくる役割分担から「心」を奪っていく。

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子育ては、経済的損失?

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 「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円 (民間研究所試算)」という新聞記事。テレビなど他のマスコミも一斉にニュースとして報道していました。

産まれたばかりの子が親と居たい、出産したばかりの親が子と居たい、そう思う気持ちを1.2兆円の損失と計算する経済学者たちの異常さ、馬鹿馬鹿しさ。それを真実のように報道する新聞の無感覚さ、いい加減さ。あきれるばかりです。いったい、いつからこんな世の中になっていたのでしょう。幼児期の子育てに関する常識はどこへ消えてしまったのでしょう。

ここでいう「損失」とは、誰にとっての損失なのか。子どもの立場にたった「損失」を誰か考えているのか。そうしたことを誰も、しっかり考えずに、情報は真実として流れていく。

経済と幸福は、本来一体でなければ意味がないはず。そして、幸福は金額で計れるものではない。そんなことは、昔話にだって繰り返し書いてある。

富を幸福と勘違いすると、弱者(特に幼児)の居場所、存在意義が消えてゆく。「いい加減にしてほしい!」と叫びたくなります。こういう報道の向こうに保育士不足のなかで、子育てを押し付けられ、立ち往生している保育士たちがいる。「学校を託児所だと思っている親が増えてきた」と悩む校長先生がいる。国が経済的損失1.2兆円を出さないようにするために、この人たちの精神的健康が崩れていくのを放置するのだとしたら、そして親たちの意識が経済優先、自分優先に変化していくのをそのままにしておくのだとしたら、その損失こそ計り知れないものなのだ、といつか気づくはず。それに、いま気づく学者や政治家はいないのか。

限られた財源の中で、こうした人間性に関わる意識の変化を補うために、保育を含む福祉や、学校教育の質がどんどん落ちてゆくのであれば、その損失の方がはるかに恐ろしい。子育てがたらい回しにされることによって、消えていくモラル・秩序に対応するために、司法や警察力に頼るのであれば、それにかかる経費はこの先加速度的に増えてゆく。
「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円」、こうした馬鹿げた計算の裏には、富を幸福と勘違いさせないと、資本主義は回らない、と思っている人たちがいる。でも、そのやり方はネズミ講と同じで、ごく一握りの人たちしか「幸福」を得られない。
子育ては、人間が損得勘定から離れることに幸せを見出す体験で、これをすると、優しさとか忍耐力といったいい人間性が社会に満ちてくるし、より多くの人たちが、信頼関係に囲まれる安心感を得ることができる。「自立」を眼差すことよりはるかに安定した「信頼関係」という幸福感を得ることができる。
イエスは、貧しきものは幸いなれ、と言った。お釈迦様も欲を捨てる方が幸せになれる、と言っていた。そして二人とも、幼児たちに指針を求めよ、と教える。砂場で遊ぶ幼児たちを眺め、なぜ彼らが一番幸せそうな人たちなのか、を考えれば、その人たちを見習うやり方のほうが、より多くの人たちが幸福感を得られる道だと思う。

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出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円 民間研究所試算

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018073090065813.html出産を機に仕事を辞める女性は年間二十万人に上り、名目国内総生産(GDP)ベースで約一・二兆円の経済損失になることが、第一生命経済研究所の試算で明らかになった。女性が仕事を続けられる環境の整備は、経済政策としても重要なことが裏打ちされた。 (奥野斐)

第一生命経済研究所の熊野英生(ひでお)首席エコノミストが、国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査などを基に試算した。

調査などによると、第一子を出産した女性のうち出産に伴い仕事を辞めたのは33・9%。同様に第二子出産を機に辞めるのは9・1%、第三子出産時は11・0%。二〇一七年に生まれた約九十四万六千人について、第一子、第二子、第三子以上の内訳を過去の出生割合から推計し、それぞれに離職率を掛け合わせ、出産を機に離職する女性は二十万人と算出した。

この二十万人は正社員七万九千人、パートや派遣労働者など十一万六千人、自営業など五千人。それぞれの平均年間所得を掛け合わせると計六千三百六十億円。これが消費や納税などに回らなくなるため、経済損失となる。

一方、企業の生産活動による付加価値のうち人件費は約半分を占める。熊野さんは、女性退職による生産力低下などの企業の経済損失は退職した女性の人件費とほぼ同額とみなすことができるとして、損失総額を一兆一千七百四十一億円と試算した。

また、企業などの育休制度の充実が、離職を食い止めていることも出生動向基本調査などから明らかになった。

第一子出産後に育休制度を利用して仕事を続ける人の割合は二〇〇〇~〇四年は15・3%だったが、一〇~一四年では28・3%とほぼ倍増した。

熊野さんは「企業にとっても、せっかく育てた女性を出産退職で失うのは大きな損失。離職者を抑えることが今の日本の課題。保育施設の整備や育休制度の充実が重要だ」と話す。

◆非正規の離職率は7割超

「子育てに専念したいという人も一定数いるだろうが、職場環境や雇用条件によって辞めざるを得ない人が多い」。女性の働き方の問題に詳しい労働経済ジャーナリストの小林美希さんは「出産退職」の現状をこう指摘する。

特に厳しい立場に置かれているのが、パートや派遣など非正規雇用やフリーで働く女性たちだ。今回の試算では、育休制度を利用して仕事を続ける人の割合が増えていることも明らかになった。しかし、出生動向基本調査によると、二〇一〇~一四年に第一子を産んだ妻の離職率は、正社員が約三割なのに対し、パート・派遣は七割を超えた。

小林さんは「女性の約半数は非正規雇用だが、育休取得者は全体の3%だけ。働き続けたいすべての人が育休を取れるよう国が法整備すべきだ」と指摘する。

長時間労働の是正など、出産後の働きやすさも課題だ。保育政策に詳しい第一生命経済研究所の的場康子主席研究員は「時間や体力面の不安で働き続けることをためらうケースもある。企業側の環境整備によって出産退職を免れる人は増えるはずだ」と分析。「企業は、女性だけでなく男性も育休を取りやすい環境づくりをすべきだ」と話す。 (坂田奈央)

(東京新聞)

保育園落ちた、万歳!

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「保育園落ちた、万歳!」という言葉が去年くらいから、子育て支援センターや子育て広場で聴こえてくるようになりました。落ちることによって正式に育休が伸びる、それを願っている人たちの間で密かに囁かれていた言葉ですが、普通の声で、普通の会話の中で言われるようになってきた。マスコミでも取り上げられるようになりました。

「なぜ、さっさと保育園に預けて職場復帰しないのか」という言葉に肩身の狭い思いをしていた親たちには、こうした報道がうれしい。小さいうちはなるべく子どもと居てやりたいという、ごく自然な感情が、非常識であるかのように否定されること、その雰囲気自体がおかしいのです。

50年前なら考えられなかったような保育界の非常識、11時間保育を標準と名付け、3歳未満児を40万人保育所で預かれば、女性が輝く、と首相が言ってしまう状況がこれ以上続くことが危ない。だからいい保育士がやめていってしまう。学校教育も追いつめられる。

質の低下を野放しにし、保育は成長産業などと閣議決定する政府の施策に騙されてはいけない。子育ての大切さに気づく親たちが現れています。3歳までにどれだけ話しかけられるか、どれだけ抱っこされるかで子どもの人生が変わる、親子の人生が変わる、それに再び気づき始めている。いまやっと流れが、また少し変わり始めている。

そうした報道記事の一つです。

保育園「あえて落ちる」人が続出する本質理由 「不承諾通知狙い」は良いのか?悪いのか?(東洋経済オンライン :保育園にあえて落ちるため、不承諾通知を狙う人たちがいる)

2018年2月、認可保育園に落選するために入れそうもない人気園を1園だけ希望する「不承諾通知狙い」の入園申請があることが話題になりました。待機児童問題が深刻化する一方で、この動きは何年も前からひそかに広がっていたようです。なぜそんなことが起こるのか。それは批判されるべきことなのか。「保育園を考える親の会」代表で保育事情に詳しい普光院亜紀さんが実情を掘り下げます。

(中略)

なぜ不承諾通知が必要なのか

 育休延長は、単純に育児休業期間が2歳までに延長されたのとは意味が違います。誰でもできるわけではなく、育休期間が終わる時点(1歳・1歳半)で認可保育園などの利用申込みをしたのに、保育園による保育が実施されないなど、やむをえない事情がある人にだけ認められるものです。

 この証明のために、自治体が発行する認可保育園などの「不承諾通知」「入所保留通知」(呼称は自治体による)が必要になります。

 「育休を延長できると聞いて安心してしまい、1歳前に入園申請をしなかった」

 「認可に入れそうもないから認可外だけ申し込んだけど、入れなかった」

 というような場合は、育休延長制度を利用する権利を失ってしまいます。

 そんな「うっかり」に注意を促すためもあったでしょう。1歳半までの延長制度ができた後から、ネット上に「不承諾通知のもらい方」を教える情報が流れ始めました。やがて、最初から育休を延長したい人たちの間で、「わざと落ちた」体験が共有されるようになりました。

(後略)

『萩生田氏「赤ちゃんはママがいいに決まっている」』という記事がありました。

朝日新聞デジタルに、『萩生田氏「赤ちゃんはママがいいに決まっている」』という記事がありました。https://www.asahi.com/articles/ASL5W4F1ZL5WTNAB00D.html

実は、友人(インドにいる教え子)からメールが来て、記事について教えてもらったのです。

「朝日新聞、真摯な姿勢で紹介してますね。全くその通りですよね。取り上げ方が丁寧でびっくりしました。萩生田さんを認める書き方ですね」と彼女は書き添えていました。読んでみて私も、そう思いました。

乳児(0歳、1歳児)の思いを想像する。

その想像が当たっているかどうかではなく想像すること、理解することではなく理解しようとすることが人間社会に必要な調和や絆の原点だと思います。人類の歴史をイメージすれば、つい最近まで、ほとんどの人間たちがなんらかの形で乳幼児と数年間は関わってきた。これをしないと人類は滅んでしまう。「子育て」という側面からすれば、ある一定の時期かもしれませんが、ほとんどの人間が自分の子だけではなく、子育てに関わり、その時期に幼児によって育てられ、遺伝子の大切な部分がオンになっていった、そう考えるのが自然でしょう。

現在の、追い詰められている保育事情や、国の雇用労働施策に煽られた親の子育てに対する意識の変化を考えれば、「赤ちゃんはママがいいに決まっている」といま発言することは、子どもの気持ち、そして多くの保育士たちの気持ちを代弁する大切な発言だと思います。政治家がそれを言わないでどうする。もう最後のチャンスかもしれない。この「気持ち」を無視続ければ、福祉や学校教育がもたない。社会で(仕組みで)子育てなど出来るはずがない。

(以下、記事の内容です。)

 自民党萩生田光一幹事長代行は27日、宮崎市内で「0~3歳児の赤ちゃんに『パパとママ、どっちが好きか』と聞けば、どう考えたって『ママがいい』に決まっている。お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、『男女平等参画社会だ』『男も育児だ』とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない」と語った。

 党宮崎県連の会合で講演した。萩生田氏は「待機児童ゼロ」をめざす政府方針を紹介したうえで、0歳児保育をめぐり、「生後3~4カ月で、『赤の他人』様に預けられることが本当に幸せなのだろうか」と疑問を呈した。さらに「慌てずに0歳から保育園に行かなくても、1歳や2歳から保育園に入れるスキーム(枠組み)をつくっていくことが大事なのではないか」と訴えた。(小出大貴)

 萩生田氏の発言要旨は次の通り。

     ◇

 東京ではいま0歳の赤ちゃんの保育園が足りないことが問題になっていて、国では「待機児童0」を目指すと言っています。もちろん今の対処として待機している赤ちゃんを救済していくのは大事なことでしょう。しかしみなさんよく考えて頂きたい。0歳の赤ちゃんは生後3~4カ月で赤の他人様に預けられることが本当に幸せなのでしょうか。

 子育てのほんのひととき、親子が一緒にすごすことが本当の幸せだと私は思います。仕事の心配をせず、財政的な心配もなく、1年休んでも、おかしな待遇をうけることなく、職場に笑顔で戻れるような環境をつくっていくこと。もっと言えば慌てず0歳から保育園にいかなくても、1歳や2歳からでも保育園に入れるスキーム(枠組み)をつくっていくことが大事なんじゃないでしょうか。

 子育てというのは大変な仕事です。これを「仕事をしていない」というカテゴリーに入れてしまうのがおかしい。世の中の人みんなが期待している「子育て」という仕事をしているお母さんたちを、もう少しいたわってあげる制度が必要なんだと思います。

 (子育ての話のなかで)「お母さん」「お母さん」というと、「萩生田さん、子育てを女性に押しつけていませんか。男の人だって育児をやらなきゃだめですよ」とよく言われるんです。その通りだと思います。だけど、冷静にみなさん考えてみてください。0~3歳の赤ちゃんに、パパとママどっちが好きかと聞けば、はっきりとした統計はありませんけど、どう考えたってママがいいに決まっているんですよ。0歳から「パパ」っていうのはちょっと変わっていると思います。ですから逆に言えば、お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、言葉の上で「男女平等参画社会だ」「男も育児だ」とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない。子どもがお母さんと一緒にいれるような環境が、これからはやっぱり必要なんじゃないかと私は思います。

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報道後、毎日新聞が萩生田氏の発言に対し、「父子家庭への配慮欠如」という記事を書いたそうです。「配慮」という言葉で、意図的に言論統制、言葉狩りが行われているような気がする。朝日新聞に載っている発言を読む限り、萩生田氏の発言は、自然な発言に思えます。「父子家庭への配慮欠如」という解釈や報道姿勢の方が「子どもにとっては迷惑な話」なのだと思います。(こういう配慮は、父子家庭にとっても迷惑な話かもしれません。「ママがいいに決まっている」という思いを噛み締めながら、ママの代わりはできない、という思いで頑張るから、より一層父と子の絆が深まるのではないか、そう考えることの方が自然だと思います。)

こういう不自然な「配慮」やあり得ない平等論で、「母の日」や「父の日」の行事が中止になっていったりする。それが人権先進国だと思っている人たちがいる。そういう人たちの平等という名のパワーゲーム、人権闘争に巻き込まれて、子どもたち(弱者)の権利や立場が失われてゆく。(http://www.luci.jp/diary2/?p=1150:何かが麻痺している。)

よく考えれば父子家庭に母親が居ないという考え方がそもそも浅いのです。家族という概念は「意識」の中にあるもの。子どもがお盆に親の墓参りに来たら、親は死んでも「子育て」している、ということが忘れられている。

ママがいいに決まっている」と言われて傷つく父親はそんなにいない。そう感じる父親は、0、1、2歳児にあまり関わらなかったのではないか。まだ親に成りきれていない父親だと思います。0歳1歳の子育てを経験すれば、男には「お手上げ」の状況が必ずある。子育ては明らかに役割分担でなりたつのです。「ママがいいに決まっている」といわれて、そうだよな〜、と思う父親、それを補うために自らの、独自の絆を増やそうとする父親は、伸びしろのある父親です。子育ては一人でするものでもないし、出来るものでもない。

そして、実は「いい親でありたい。いい親になりたい」と思った瞬間その親はいい親なのです。子育てとはそういう次元のものです。

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先進国社会では、母親の孤立化が「社会で子育て」(実は仕組みで子育て)という方向性を生んでいて、そこに「子育て」で儲けようという人たちが政府に奨励され、参入してきている。それもまた現実でしょう。だからこそ、「母親がいいに決まっている」という思いを噛み締めなければいけない。そして父親たちが相応の責任を感じ、母子のために頑張らなければいけない。

未婚の母から生まれる数が半数に近づいている欧米では多くの国で「実の父親」という概念がすでに形骸化しているのです。それで大丈夫なのか。仕組みで補えるのか。人類はかつて経験したことのない、家族という概念の崩壊に直面している。欧米で、子どもが18歳になった時に、実の両親が揃って家庭にいる確率が半数を切っている。当然のように、母親にはますます負担がかかり、女性たちが追い詰められている。同時に、義理の父親による虐待や近親相姦が異常に増え続けているのです。しかしそのような状況になっても、いまさら親子を引き離そうにも福祉という仕組みが人材的にも財源的にもまったく追い付かない。アメリカでは養子縁組が人身売買のような市場原理に頼らざるを得なくなっている。福祉や学校という仕組みで「子育て」をすることの限界を、すでに超え、市場原理がモラル・秩序を失い、社会全体が人間性を失っている。(捨てられる養子たち:http://www.luci.jp/diary2/?p=1413)

 

欧米ほどではないにしても、日本でも同様の福祉の限界、仕組みの崩壊が始まっていて、子育てを中心にモラル・秩序の崩壊が進んでいます。保育士・教員の不足、その質の低下という待ったなしの現状があって、それをみれば「仕組みで子育て」の限界点はすでに過ぎているのだと思います。何より、保育士たちが昔はどんな保育士たちも言っていた「ママがいいに決まっている」という感覚を失いつつある。あと40万人保育園で預かるなどという政府の目標が止まらない限り、ある一線を越えると引き返せなくなる。早く、子育てを家庭・家族に返していかないと、社会で子育てなどと言っている間に、修復できないほどに「家庭」は崩壊してゆく。

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萩生田さんの発言、三年遅いと思います。首相の側近と言われる人なら、「11時間保育を標準」と定義づけた今度の新制度が施行される前に、なぜ止めようとしなかったのか。その頃すでにこうなることは知っていたはずです。

でも、いまからでも言ってほしい。マスコミの反応など気にせずに、「右」だとか「左」だとかいうくだらない仕分けに囚われず、子どもたちの代弁者として、こんどはしっかり言ってほしい。

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ここ数十年に起こってしまった先進国社会における「孤立化」は、まわりに親身な相談相手がほとんどいないという、人類未体験の異常な「孤立化」です。それは「子育ての社会化」で起こった現象でもあるのです。相談相手ばいないと、子育てがますます辛くなる。その孤立化を少しでも解消するために、保育園や幼稚園、子育て支援センターなどを中心に、「子育てを通して」社会に絆と親身さを取り戻していく、土壌から耕しなおしていくしか方法はない。だからこそ、いま、「0歳の赤ちゃんは生後3~4カ月で赤の他人様に預けられることが本当に幸せなのでしょうか」という自問自答を社会全体で「優先順位」を見極めながらしなければならない。

 

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家事労働はまだしも、子どもに対する責任は確かに切れ目がない。必ずと言っていいほど目の前で怪我をしたりもしますから、そうなると言い訳が出来ない。祈ったり、謝ったりして暮らすしかない。三歳までの子どもを育てていると、常に、ヒヤヒヤする。でも、そのヒヤヒヤや、オロオロが親を育て、社会における親身な絆を育む。

子育ては、自分で判断し、想像し、創造しなければならないことがたくさんあるから、逃げ出したくなることもあるでしょう。本来、一人でやるものではないですし、必ず、一緒に祈ったり、一緒に謝ったり、一緒に喜んだりする人が必要になる。それが子育ての一番素晴らしいところです。

単純に、会社を辞めて子育てに逃げる人と、子育てから会社に逃げる人が居たとして、動機を比べてみると、どちらが幸せを探しているか、そんなことを、最近考えます。

本来逃げられないものから逃げられるようになった社会が、本当に幸せなのか。選択肢が増えるということは自己責任が増えること、実はそんなにいい事ではない。自己責任は自己嫌悪につながることが多い。自己嫌悪が人間には一番辛い。連帯責任か、神様の責任にするのが、絆に守られる人間社会を作るコツなのかもしれません。

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