「子供優先の、子育て支援」を読んだ園長先生から

「論究」の私の寄稿文を読んだ保育園の園長先生から、

今晩は!

本年もよろしくお願い致します。

冊子のコピーを沢山作り、昨日市長、議長、保育課長、副支部長に手渡しました。これから近隣の小学校の校長先生等に配布する予定です。

というメールが来ました。

手渡し、はありがたいです。本当に、ありがたい。現場から直接、このままでは無理です、という声が伝わらないとなかなか変わらない。切実さ、に実感がともなわない。子ども優先の姿勢がただの情報ではなく、現場の思いと重なっていかないと、保育の質が保たれていることにはならない。ありがとうございます。

(別の保育園の園長先生から)

松居先生様

昨晩、読み始めたら止まらず、気が付いたら、なんと3時半でした。従って3時間しか眠っていないのに、

本日、園児内科健診でしたが、全園児に対応でき、目は冴えています。先生の論究・論文の刺激で、興奮冷めやらぬゆえんと思います。

保育園を語って下さる方は、多々居りますが、先生の様な保育園の真髄を解って!悟って!論じて頂ける方は少なく、他の方の持論を色々見聞きはしていますが、納得できない箇所にいつも出会ってしまいます。でも、和先生の一字一句は、本当に心に染み入ります。そして、私の心の迷いを消してくれます。

今回は、衆議院の方々に、冊子で配布となったとの事!嬉しく思いました。しかし、衆議院の方々が、先生の様に体験経験した方は存在していますでしょうか・・・汲み取る事ができますでしょうか・・・時に幼稚っぽい言動があったり、考え方があったり、坊ちゃん嬢ちゃんの育ちで、どんな事を感じ、国民に分かる取り組み、心のこもったお話をして下さるのかが、甚だ疑問です!

保育料無償化になった事により、「みんなにそうしてあげたよ・・・」なんて思っていないでしょうかねぇ・・・?

是非是非、学びと今後の取り組みに生きて欲しいと、願います。永久保存版で読んで欲しいと思います。和先生と衆議院の方々との席が多くなる事を節に願って居ります。

論文にもありましたが、株式会社設立についての箇所は、納得はできますが、我が園は保育の為の会社設立であり、営利を目的には、全くなっておりません!子どもたち主役の取り組みをして居ります。そんな保育園作りをしている民間保育園もある事を、どこかの隅っこにでもかまいませんので、置いて頂けましたら、幸いです。

園舎等のきらびやかさや、子ども主役でなく、保護者へのサービスの過多や、なんの為の保育?だれの為の保育?保護者が何もせず全てを保育園に任せる等々・・気になる株式会社保育園は、近隣にも確かに多々あります。サービス業として捉えている議員さんも多いと思って居ります。手間暇かけて・・・手塩にかけて・・・子どもを真ん中に保護者と保育士が手を取り合って大人の背中から学ぶ事ができるよう、園長として日々、初心を忘れず取り組んでいる、一個人ではありますが、保育士&園長が居る事を記したいです。

別途言い訳有・・・

(株式会社は設立の手段だった・・嫁ゆえに・・・社会福祉法人にする事ができなかった事実があります。

なぜ?夫は末っ子長男・一応世間では旧家扱いの家族・・そこへ嫁いだ私!保育園作りが、2.3年で閉鎖に追い込まれた場合、社会福祉法人は、土地没収となる!嫁としてはこれは無理だった・・考えた末、身の安全を考えての株式会社設立!・・

ここまで書いてハタと思う!やはり株式会社は動機不純なりだー!!笑って下さい・・・トホホ)

2月に入り、令和2年度の行事が決定致します。

和先生への講演も盛り込む予定です。今年は父親との取り組みにしたいと思って居ります。決まり次第、お願いのメールをいれさせて頂きます。

令和2年1月15日

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(社会福祉法人という仕組みは、子どもの最善の利益を優先する、という保育指針の趣旨からすれば、良い仕組みですが、それゆえの縛りがあり、仕組みが始まった頃の経緯や歴史がいまも影響を及ぼしています。メールをいただいた園長先生のケースは、講演にも行っているのでよくわかりますが、株式会社としては特殊なケースなのです。子どもたちの願いを最優先に、親を育てる、親が自然に育っていく、素晴らしい保育をされています。

社会福祉法人は、株式会社の、株主の利益を追求するという目標に比べれば、いま必要な「親心を耕す」という必要性にかなっているのですが、所詮仕組みは仕組み。保育は、園長先生の「意識」の問題です。

私が論文で言いたかったのは、政府の施策による仕組みの改変が、子どもたちの願いと離れて行っている、それに気づいてほしい、ということです。このまま子どもたちの要望を裏切り続けていくと、その反動は必ず来る、ということです。先生、ありがとうございます。)

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。どこへでも参ります。)

衆議院調査局「RESEARCH BUREAU 論究 第16号 2019.12」への提言論文、「子供を優先する、子育て支援」ぜひご一読ください。衆議院、論究、松居和、で検索しても出てきます。アドレスはこちらです。推薦、拡散していただければ幸いです。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

親心のエコシステムが無償化で廃園に。

衆議院調査局が年に一度発行する「RESEARCH BUREAU 論究 第16号 2019.12」に提言論文を依頼され、昨年末に発刊されました。衆議院のホームページで読むことができます。ぜひご一読ください。「衆議院、論究、松居和」で検索しても出てきます。http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

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「公立幼稚園」は私が一番好きな形でした。

それが今回の無償化で入園希望者が十分の一になっている。選択肢のある自治体では、一気に廃園に追い込まれている。たった三ヶ月で、無償化という平等が、自然に親が育ち、絆が育つ仕組を壊していくのです。

数年前にこんな文章を書いたのです。

「市長が壊す、再生不能な親心のエコシステム」

長年地域に根付き、思い出や絆を作ってきた「公立幼稚園」をなくそうとする市長がいます。反対する母親たちから相談にのってほしいと言われ、広島で講演したあと、神戸で会いました。(神戸の市長の話ではありません。)

「公立幼稚園は親にサービスしないから親が育ちます。助け合わなくてはならないので、絆も育つ。もともと二年保育が多いし、この辺りでは20年前、私立幼稚園の経営を邪魔してはいけないという主旨で、1年保育がありましたよ」と私は、始めに言いました。親たちの民営化反対の意図がどこにあるのか、探ってみたのです。すみません。

公立幼稚園は送迎バスもない,給食も、預かり保育もない、保育料は安いのですが、親たちは助け合うしかない、補いあうしかない。「いいですよねえ」と言うと、目を輝かせて、「そうなんです、何もしてくれないんです。しかも、行事や役員など色々押し付けられるんです。そういう園が、私たちは好きなんです。心が一つになるんです」とお母さんたち。ああ、この人たちはわかっている。ちゃんと育ってる。こんな幼稚園は地域の宝。黙っていても地域に絆を生み出します。

こういう園の運動会は、部族的で、村社会的で、賑やかで、親身で、公立ですから障害を持っている園児がいたりして、そうすると、みんなで涙を流して応援する。こういう園は、一度失ったら再生不可能な親心のビオトープ、エコシステム

(日本中すべての幼稚園・保育園がこんな感じだったら、私たちはもう一度、あの「逝きしの世の面影」渡辺京二著の第十章~子どもの楽園~に出て来る、150年前に欧米人が書き残した「パラダイス」を体験できるのでしょう。)

それを民営化、こども園化して市長が壊そうとする。目先の選挙のことだけ考えているのでしょうか。

「市長は、こども園の方が長く預けられるし、無料になるんだ、と言うんです。私達はそんなこと望んでいないのに」と静かに怒る母親たち。「こども園だと無料で、幼稚園だと有料になるんですか?」と私に聴く。

そんなことはないですね、そこまで嘘を言って民営化を進めたがるには何か別に理由があるはずです、と答える。聴けば公立幼稚園の職員はすでに6割が非正規雇用化されている。財政も特別悪そうではない。地方の場合、こういう時は、背後に利権がらみの癒着があったりする。そうなると「子どもの最善の利益」などという言葉はまったく通用しない。

ほとんどの自治体で政府の施策によって保育が危険な状況にさらされている中で、公立幼稚園が十園まとまって親を鍛えながら,これだけ親に支持されているのは奇跡かもしれない、というようなお話しをしました。(後略)

この話から数年経ったいま、「無償化」によって、あっけなく廃園になっていく公立幼稚園が全国にあるのです。わかっていてやった施策なのだろうか。それともただ知らないだけなのか。

同じ値段(無償)なら、よりサービスしてもらったほうがいい、という損得勘定は、当然だと思う。しかし、子どもを優先して考えれば、また違った方法があったはずなのです。

あまりに乱暴な保育施策が続いているのです。

以下は、前述「論究」の提言論文を読んだ園長先生からのメールです。

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松居和先生

新年おめでとうございます。

論文をお送りいただきありがとうございました。一気に読ませてもらいました。まったく同感です。

今の保育施策には子どもの視点が全く欠けています。

私はY市の児童福祉審議会の委員をやっていますが、その中で議論されるのは数合わせばかりです。このような施策を、と提案しても、計画は出来るものを載せるのが計画なので、出来るかどうかわからないものは載せられないと突っぱねられます。

夢やヴィジョン、ましてや哲学などは必要ないようです。

保育士不足も切羽詰まってきています。

実は私の学園でも企業主導型保育事業というやくざなものを始めてしまいましたが、内閣府や児童育成協会は実に情けないものです。企業主導型は考え方としては決して悪いばかりではないのですが、おっしゃる通り今はくそも味噌も一緒の状態です。そして、そもそもその桶が腐っています。

児童育成協会の監査員募集でこんなのが出ていました、

https://next.rikunabi.com/end_detail/cmi0296172008/nx1_rq0018240168/

「指導監査要領に沿いながら適切なチェックをする仕事なので、ルールさえ覚えれば業務はスムーズに行えます。」

素人が保育園の監査なんでできるわけがないでしょう!

こんなのが来て指導するわけです。困ったものです。

だいぶ前から愛着障害が話題になってきましたが、やはり母親と2人でいる経験を十分積まないと子どもはよく育っていきません。人間は動物であることをやめようとしているのでしょうか?

かのウイニコットも言っています。「二人でいるから一人になれる」と。やっぱりそこが大切かなと思います。

保育参加、ぜひやろうと思いました。

機会があったらぜひうちの園に来て話を聞かせてください。

今後ともどうかよろしくお願いいたします。

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(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。どこへでも行きます。)

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

ねずみ

まだまだ、土俵際で残っているつもりです。

頑張ります。

去年、衆議院調査局が年に一度発行する「RESEARCH BUREAU 論究 第16号 2019.12」に提言論文を依頼され、それが年末に発刊されました。衆議院のホームページでも読むことができます。ぜひご一読ください。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/63da430ca66f6757492574180016fd6e/b3bb20d8d63d8d67492584d9002f58a7/$FILE/2019ron16.pdf

すでに論文集は政策を作る参考資料として、衆議院議員全員に配られたそうです。ちゃんと読まれて、参考にされると良いのですが。

ここまで説明しても動かないのなら……、どうしたらいいんだ、そんな気持ちもありました。わざわざ「私に」依頼されたのだから、可能性があるかもしれない。言い残すことのないように、とにかく書き切ろう、そんな気負いもありました。

政治と学問に、詩人の心と哲学者の視点が欠けている、最後の方では、そう言いたかったのかもしれません。

0、1、2歳児がこれまで果たしてきた「役割」、果たそうとしている代え難い「社会的貢献」に気づいて欲しい、ということなのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

WebPage

保育所は、人が『育ち』『育てる』という人類普遍の価値を共有し、継承し、 広げる場

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10年前、著書「なぜ,私たちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会)に「閉じ込められるこどもたち」という章を書きました。

当時認可外保育園で儲けようという動きが全国展開を始めていて、フランチャイズ料と指導料で大きく稼ぐ会社が衛星チャンネルやインターネット上で宣伝を打っていました。しかし、その内容は、子どもたちの安全性、保育の質を考えると継続性が見込めない、非常に危ういビジネスの形でした。お金を儲けるための親支援、子どもたちの気持ちや成長過程などほとんど意識していないやり方でした。その数年後に「保育は成長産業」という閣議決定があり、保育士不足にもかかわらず小規模保育が「子育て安心プラン」の名の下に補助を受け、国策として一気に増やされていきました。

当時「厚労省の資料を調べると、平成十九年度に新設されたベビーホテルが全国で193カ所、廃止休止が177カ所。認可外保育施設は594カ所が新設され492カ所が廃止休止」。国はすでに知っていたのです。保育ビジネスが危ういビジネスだということを。

 (当時のネット上の宣伝の一つ)

「保育園開業・集客完全マニュアル」 ~起業したい、独立したいというあなたの夢をかなえます。今ビッグチャンス到来の保育園開業マニュアルです。コンサルティング会社に依頼する100分の1の価格で開業ノウハウ全てが手にできます。~

*独立・起業を考えているが、何から、どう始めたらよいかわからない。

*自己資金がなくてもできる起業を探したい。

*自分ひとりで始めるのは不安がいっぱいだ。

 起業をしたいと思ったときがチャンスです。ネットビジネスも儲かるのでしょうが、やはり安定した収入は確保したいものです。しかし、単に「起業」と言っても、何をどう始めたらよいのか、どんな手順を踏んで、どんな書類を用意しなければならないのか、わからない方がほとんどです。

 そこで、「保育園開業・集客完全マニュアル」をあたなにお届けいたします!

 今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方にも一からご理解いただけるようにわかりやすい手順が説明されています。「保育園開業・集客完全マニュアル」をお読みになった方は、そのほとんどが興味を持たれ、開業されたオーナー様も多くいらっしゃいます。勇気をもって新たな一歩を踏み出すお手伝いをさせていただければ本望です!(抜粋)

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保育は「何から、どう始めていいかわからない」人、「今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方」、「不安でいっぱい」の人がマニュアルを読みながら始める仕事ではなかったはず。この宣伝を打った人たちは、「自分の価値を感じる瞬間を、親たちから奪うことになる」という、長年乳児保育の広がりの中で親身な園長たちが持ち続けてきた葛藤など一瞬たりとも感じていない。保育を一業種と見なし、儲ける手段と考え、それを他人に薦めている。しかも、それは違法ではなく、むしろ政府の意向に沿っていた。

こういう保育を無法地帯にするような市場原理を止めるどころか、追い打ちをかけるように、認可外小規模保育施設や家庭的保育事業など様々な形の保育事業が認可の枠組みに入り補助金が受けられるようになっていった。国の予算に裏打ちされたリスクの少ない「起業」(儲け話)と宣伝され、その後も、企業主導型保育事業のような失敗が繰り返された。http://www.luci.jp/diary2/?p=2643 (児童発達支援と放課後等デイサービスを始めた人からの相談 http://www.luci.jp/diary2/?p=269)

 

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幼児期に愛着関係が希薄だった子どもたちの、寂しさや悪意に対する反応はすばやい。肌が繊細に、敏感になっているから、なおいっそう愛情を養分にしようとしてもがく。だからこそ学校に入って、教師たちの視線の温度差がより決定的になってしまう。低学年の子どもたちの多くが、担任の教師をまだ一対一の関係で見つめようとする。しかし、教師たちに親の代わりはできない。

 

以前厚労省が作った保育指針解説書の最後に、

「保育所は、人が『育ち』『育てる』という人類普遍の価値を共有し、継承し、 広げることを通じて、社会に貢献していく重要な場なのです」とあった。

その通りだと思う。保育は、「教育」よりずっと古い、人類普遍の価値を守る行いでなければならない。

そして、学校教育や福祉、民主主義も同様に、最近つくられた仕組みや仕掛けは、幼児が「親を育てる」「育てる側の絆を育む」前提で作られている。この前提を普遍のものとして継承しなければ、保育は社会に対して諸刃の剣となる。

この前提が継承されなければ、競争や闘いはモラル・秩序を失い、ただただその激しさを増していく。

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今、悲しいかな、保育現場の内部告発が止まらない。(末尾の五つのリンク参照)

それでも政府は、保育士と起業家の使い捨てをやめない。保育者と保育施設を、経済競争を成り立たせるための消耗品のように扱う。このままでは保育界全体に良識と優しさが欠けていく。なぜ政治家やマスコミがこの流れを本気で阻止しようとしないのか。内部告発の真意はそこにあると思う。

「保育は成長産業」(子育て支援は成長産業)という閣議決定をもとに、保育崩壊、家庭崩壊が進み、この国の子どもたちが日々傷ついている。

《完全版》足立区認可外保育施設の虐待音声公開:https://www.youtube.com/watch?v=StmWlMD_DeA

保育園でトイレに園児閉じ込め 足立区の認可施設 同僚保育士が「虐待」訴え発覚、区が改善指導:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/23438/

《虐待音声公開》1歳児に「泣けばいいと思ってんじゃねーよ、この野郎!」都内保育施設虐待 恐怖の“お叱りベッド”も:https://bunshun.jp/articles/-/14361

【炎上】福岡市の保育士8人が幼児虐待【いじめ】:https://matome.naver.jp/odai/2155063461949241601

“恐怖の副園長”園児に暴行で逮捕 保育士も60人以上辞めた保育園の実態とは?:https://www.fnn.jp/posts/00048668HDK/201910231940_livenewsit_HDK

フィクションを信じる力・「AI」と進化の道筋

経済財政諮問会議の委員を務めた経済学者が「0歳は寝たきりなんだから」と園長たちの前で言ったことがある。その小さな集まりに私も参加していた。この人は、本当にそう思っている、と気づいた時、高等教育や学問の恐ろしさ、それを中心に回っていく社会制度に対する危機感を身近に感じた。横にいた園長の肩が怒りに震えていた。学問と子育ては、今これほど離れたところにある。

21年前、毎日新聞(98.12.18  東京本紙朝刊)の経済欄にこんな記事が載った。「保育所整備は社会にとってもオトクですよ」というタイトルだった。

 「経済企画庁の研究会『国民生活研究会』は17日、保育所整備は社会にとっても、保護者、市町村などにも「得」との分析結果をまとめ、働く母親支援策として提言した。子どもを6歳まで預ける場合で、母親の可処分所得(手取り収入)が約4450万円増え、市町村などの税収も約1700万円増加し、それぞれの費用を大きく上回る。」

この『国民生活研究会』の座長が前述した経済学者だった。それが本当に社会にとって「お得」だったのか、保護者にとってお得だったのか、市町村にとってお得だったのか、検証されないまま(検証を無視して)同様の趣旨の施策が、新エンゼルプラン、「生産性革命と人づくり革命」、「新しい経済政策パッケージ」と続いていく。

保育所整備を税収増や労働力増という観点でしか見ない経済学という学問の中で、人間が、自分の人間性を体験していない。幼児たちの存在意義と彼らの意識が離れることによって、社会全体が感性を失い、想像力を失っていく。市場原理や自由競争という言葉に社会全体の思考が操られつつある。勝者になる人間が限られているという仕組みの宿命が、子どもたちを追い込む。追い込まれた子どもたちが、保育士や教師、やがて親たちを追い込む。

三党合意で現政権が受けついだ旧子ども・子育て新システムを進めていた前政権の厚労大臣が、「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と私に言った。国の「子育て」の問題を仕切るトップが、あっさりとこれを言う。「任せておけばいい」と言う「専門家(保育士)」たちの心が萎えていく規制緩和と、「親や企業の利便性」を争う自由競争を保育界に強いておいて、これを言う。http://www.luci.jp/diary2/?p=208

そして、首相が国会で、もう40万人保育所(受け皿)で預かれば女性が輝く、と言ってしまっては、子育てが女性が輝かない原因というイメージが育っても無理はない。ただでさえ高等教育や学問によって子どもたちの感性は押さえつけられている。これ以上幼児たちと過ごす時間を奪われては、男女ともに一層自分の遺伝子の成り立ちを体験できなくなる。先進国社会で人間性が退化しようとしている。

絶滅したネアンデルタール人と生き残ったホモサピエンスの能力差は、フィクションを信じる力だったという。想像の世界で心を一つにする能力が、より強い人間「社会」を構築していった。皮肉なことに、それが高等教育の普及で退化し始めているのだ。人間の想像力や理解力は、0、1、2歳児という特殊な人たちとの会話、言葉を超えたコミュニケーションによって培われてきた。この人たちを、夫婦という単位から始まり、家族、そして集団で守ろうとすることにより、人類はコミュニケーションが言葉を超えることを実感する。0、1、2歳児という半分「あちら側」に居る人たちと無言の会話をすることによって、人類固有の能力と絆が、人類固有の次元で育まれる。誰かの気持ちを「理解しようとすること」で社会は整っていく。「理解すること」ではない。

祈り、は子育てから生まれた。

最近話題になる「AI」が人間の進化の道筋に関わり、前述した元経済財政諮問会議の委員や、元厚労大臣や首相の視点を「情報」としてインプットされたら、人類は危険な状況に追い込まれる。インプットされる他の莫大な量の情報が、こういう視点の正当性を「非現実的」と打ち消してくれるとは思うが……。

AIは「平等」という概念を受け付けないはず。ジェンダーは理解しても、「平等」を非現実的と選択肢から排除するはず。「平等論」はパワーゲームの裏返しで、それを目標とすれば、人類は無限の争いに導かれることを、仮想現実の中での試行錯誤でAIは理解すると思う。フィクションを信じ、調和を模索すると信じたい。それともAIは、まだ戦うための道具にすぎないのか。

役場の保育課の窓口の人たちが、「0歳児を預けることに躊躇しない親が、突然増えている」と不安そうに言う。それ(受け皿)を提供している人たちが、自分たちのしていることに怯えている。財源的にも目処が立たないし、人材的に「無資格者」と「素人経営者」を増やしていくしか打つ手がない。自分たちが政府の「雇用労働施策」を進めるほど、子どもたちの日常の質が落ちていくのが見える。親子関係の希薄化が、妊娠中からすでに進んでいる。親子の絆が育ちにくい家庭が増えていけば、就学前の保育、その先にある義務教育の崩壊が学級崩壊という形で連鎖していく。もうそれははっきり見えているでしょう、と保育者たちは叫んでいる。それでも、学者たちの暴走は止まらない。http://www.luci.jp/diary2/?p=2822

小学校の教員の応募倍率が下がり教職員の質の低下が進んでいる。保育園の4、5歳児から始まり小学校5、6年まで、ちょっとしたきっかけで集団の秩序が崩壊してしまう。並行して、親たちの「社会で子育て」に対する要求はますます激しくなっている。

自分たちの責任ではない、と投げてしまう主任や園長もいる。市長の方針だからと言って、保育現場の要望や苦言(悲鳴)に耳を傾けない保育課長や福祉部長もいる。「閣議決定されたのだから仕方ないでしょう。内閣を選んだのは国民でしょう」と言う厚労省の役人もいた。その通りだと思う。「社会で子育て」は、とっくに「仕組みで子育て」、つまり「責任転嫁」になっていて、人間たちの手から離れようとしている。

子育ての第一義的責任が宙に浮き始めている。そして、相談相手が家庭に居ない子どもたちが、 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の中に「絆」や「助け」を探し始めている。

潜在的待機児童の向こうに潜在的労働力を見る経済学者や政府によって、人間の生きる動機が「次世代の幸せ」ではなくなろうとしている。少なくとも仕組みはそうなってきている。その結果、未来の安心が、信頼ではなく、お金で量られるようになってきた。月に十万円保育料を払うようなセレブ保育園では保育士による虐待も、子どもを叩く英語講師もいないはず。https://www.youtube.com/watch?v=kKWuZfSFKDI

老人介護施設もしかり。

でも、高額の保育料や介護費を払えない人たちのほうがはるかに多いのです。

経済学者が「0歳は寝たきりなんだから」と言うことによって、格差が急速に広がり、弱者がその本当の役割を果たせなくなっていく。

保育や子育ての問題がもっと真剣に、この国の存続に関わる緊急課題として語られなければなりません。マスコミの取り上げ方が、まだまだ足りないと思う。子どもはしつける対象ではなく、可愛がり、その存在をみんなで祝う、感謝する対象でなければいけない。それがこの国の伝統だったはず。http://www.luci.jp/diary2/?p=1047

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保育士不足で現場に負担感? 認可保育園で虐待、背景は:https://www.asahi.com/articles/ASMCD5X1RMCDUTIL04S.html

隠れた“虐待”保育園が消えない理由…おぞましい実態、背景に保育士の過酷な勤務:https://biz-journal.jp/2019/10/post_125014.html

認可保育園でも幼児虐待。叩く、突き飛ばす、転ばせる…実際に働いていた女性に話を聞いた:https://news.yahoo.co.jp/byline/osakabesayaka/20180828-00094721/

東京・亀有の認可外保育施設で虐待 「しつけ」と称して:https://www.youtube.com/watch?v=TNXW6-I4iuk

認可外保育施設でカナダ人講師が幼児虐待 動画で発覚:https://www.youtube.com/watch?v=kKWuZfSFKDI:

人間は、親孝行を三歳までにすると言う。

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乳幼児の成長が守られなければ、人類は存続できない。

子育てが喜びでなければ人類は進化できない。「子育て」は信頼関係を築くために人間たちが分かち合う最初で最後の砦。この単純で当たり前の法則が、保育施策に関する議論の中で忘れられている。忘れるように仕向けられている。

人間は、親孝行を三歳までにすると言う。生きる動機、喜びの伝承がそこで行われる。それが途切れ初めている。

20年前、新エンゼルプランで少子化対策と雇用労働施策が重なり、以降、「子育て」をしていれば誰もが気づくはずの幸福感に気づきにくくなる誘導と、仕組みの改革が「経済優先」で行われてきた。ここ数年、それが政府の進める保育施策(子ども・子育て支援新制度:「新しい経済政策パッケージ」)でますます露骨になっている。

11時間保育を「標準」と政府が名付け、推奨することで、親より長時間子育てをしている保育士たちが、子どもの幸せを願う自分の人間性と、子どもたちの気持ちをないがしろにする制度との間で板挟みになり、辞めていく。

それもまた、人類が持つ自然治癒力、自浄作用だと思う。社会全体のあり方、学校教育も含めた子育てに関わる仕組みのあり方が問われている。

(新エンゼルプラン:1999年12月19日に、大蔵・文部・厚生・労働・建設・自治の6大臣合意で策定された少子化対策の2004年度目標の実施計画の通称。「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画について」が正式名称。少子化傾向を食い止めるため、共働き家庭の育児を援護するなどさまざまな施策が盛り込まれている。)

この方向へ進んで、少子化傾向を食い止めることはできなかった。それどころか、ますます進んだ。それが現実、誰も異論はないはず。

施策を作った時点で、本気で少子化を食い止めようとしたのであれば、現場を知らない「保育の専門家」と、「人間の生きる動機」を理解しない経済学者によって進められた愚策。

もしこれが、(分母である母親が減り続けるため)数字上少子化は食い止められないことを知った上で、少子化対策を装い、女性の労働力で税収を確保しようという作略だったのであれば、国の存続を軽んじる暴挙といっていい。エンゼルプランという名前そのものが、胡散臭い、と言った保育者が当時たくさん居た。保育士会の幹部から「エンゼルプランは虐殺プランです」という憤りの声を聞いたのもこの頃だった。

(「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』)

ネット上に名を連ねていた新しい経済政策パッケージ」を作った学者たちは、新エンゼルプランの失敗から学ばない。学ぼうとしない。受け皿を増やすことで合計特殊出生率は上がらず、過去最低を更新しつづけた。その事実からどう目を背けられるのか。

待機児童解消を優先し、「子育て安心プラン」 という本末転倒な名前をつけ、「子どもたちの安心」を犠牲にした規制緩和が進められた。保育現場に次々と無資格者を入れ、訳のわからない付け焼刃の「資格」をつくり、同時に利益を求める素人の保育事業参加を促した。その結果、保育現場の混沌と愛着障害が連鎖し義務教育が維持できなくなってきている。

都市部だけではなく全国で、小学校の教員の募集倍率が危険水域に達している。この倍率では学校教育の質は保てない。保育士の募集倍率はとっくに消えている。

しかし、「2020 年度までに 32 万人分」という「受け皿」の数値目標を設定し、(保育の質、学童の質、学校教育の質を犠牲にして)常軌を逸した経済政策だけがいまだに進められて行く。この状況で、保育単価(公定価格)の引き下げを行ったら、どうなるのか。以前公立保育園の運営費が一般財源化されたときに何が崩れたのか。その後の民営化の動きも含め、子どもの最善の利益という観点から検証されないまま、「社会で子育て」という実態を失った言葉が、政府の都合で一人歩きしている。

最近、サービス産業化に迎合する園長に呆れて辞めていく保育士たちから、どこかに子どもを優先に考えるいい保育園はありませんか、とよく聞かれる。いい園長がいても、よくない保育士を雇わざるを得ない状況では、ここなら大丈夫、となかなか言えないのが辛い。保育の良し悪しは、特に乳幼児の場合、その部屋の微妙な空気感に左右される。保育士の人柄や組み合わせに左右される、と言ってもよい。派遣に頼らざるを得ない状況で、半年先の「いい現場」は、もう誰にも保証できない。

保育、学校教育、先進国社会における家庭崩壊について講演するようになって35年、毎年50から100講演し、たくさんの現場を見てきた。現場で保育観について私に色々教えてくれた園長たちが、最近疲れ果て、精神的に落ちていく人もいる。子どもの幸せを願っても、それが親の「都合」に跳ね返され、行政も支えてくれない。

保育の質の低下、そして、それを許すことは、幼児を大切にするという「人間性の根幹」を社会が失っていくこと。それに代わる価値基準は存在しない。「保育士不足」という言葉そのものが「人間性不足」と裏表だ、ということに気づいて欲しい。

愛されることへの飢餓感・荒れる児童

深刻な人手不足

「学校が保護者から『教員募集』 千葉市がチラシ、深刻な人手不足背景に:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190925-00000012-jct-soci.view-000」という記事がありました。小学校の教員募集に関して言えば、東京都で倍率が1.3倍にまで下がっているそうです。以前から教育委員会に、倍率が2.4(だったと思う)を下回ると教師の質を維持できないという「神話」があったのを思い出します。

関連記事の中に、

「ブチ切れ女性教員の本音炸裂 教育困難校「勤務」ブログがすごい。https://www.j-cast.com/2017/02/11290313.html?in=news.yahoo.co.jp」というのがあって、親と教師が心がバラバラになってしまった現場の姿が見えます。

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以前、政権が民主党に変わったころ、後に三党合意で「子ども・子育て支援新制度」と名前を変え現政権が受けついだ「子ども・子育て新システム」が発表されました。保育士たちが「新システムが言う子育て支援は、子育て放棄支援ではないか」と反発する規制緩和と、幼稚園と保育園を一体化させる幼保一体化構想が乳幼児保育の量的拡大を目指して始まりました。

当時「新システム」の中心にいた発達心理学(家族・親子関係)の学者(幼保一体化ワーキングチームの座長)が、「保育の友」という雑誌でこう発言しています。

「これまで親が第一義的責任を担い、それが果たせないときに社会(保育所)が代わりにと考えられてきましたが、その順番を変えたのです」。

よほど仕組みを充実させたとしても軽々に口にしてはいけない、人類の生きる動機や進化の過程にかかわる発言で、幼稚園教育要領と教育基本法を否定する発言でもあります。(「幼稚園教育要領、第十条: 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって…」)

子どもの権利条約違反と言ってもよい。

記事を見せに来た園長は、「保育士一人で4、5歳児なら30人、3歳児は20人、家庭的な役割など果たしようがない。毎年担当は代わるのです。どの担当が第一義的責任を担うんでしょうね。絶対に不可能」と言い、別の園長は「やろうとしてはいけない。できるようなことを親に言ってもいけない。若い保育士には繰り返し、親の代わりはできないんだからね、と言い続けなければ保育ではない」と憤っていました。

補助金で成り立つ保育事業は国の施策には反対しにくい。公立保育園の保育士は従わざるを得ない立場にある。だからこそ施策が何を目指しているのか、丁寧に現場を納得させていくことが不可欠になる。国の経済のため、では保育士も子供も納得しない。

国の子ども・子育て会議が、「子ども・子育て支援新制度」で11時間保育を『標準』と名付け8時間勤務の保育士に担わせることは、これに慣れろ、もう親身なるなと言っているようなもの。そのことに会議に出ていた「専門家」たちが気づかない。その日、子供を見る保育士が必ず二人になる。二人目は無資格でいいという。親の意識が「この人にお願いする」から、「この場所(システム・制度)に預ける」に変わる。そして、いつの間にか、たくさん預かる街が「子育てしやすい街」という奇妙な図式が定着する。「第一義的責任」がますます宙に浮いていく。

人間は環境や仕組みに慣れる。それは生きる力でもある。しかし、慣れてはいけないこともある。

親たちの希望やニーズに沿った社会を目指せば、やがてそれは親たちの「子供を育ててくれない社会への不満」につながる。そして、仕組みはこの親たちの不満をフォローできない。それが、育児ノイローゼや幼児虐待、家庭崩壊、犯罪の増加へと進んでいく。

関連記事の中にもう一つ、ホッとする記事がありました。読んでいると、日本の親たちはまだ大丈夫かもしれない、と思えてきました。子育ては一人一人が取り組みさえすれば、人々の絆を深める力がある。一人では子育てができない、それが人類の生きる力です。

「PTAをなくした小学校16年目の真実 「いいことづくめ」の美談のはずが…。https://www.j-cast.com/2017/03/15293108.html?in=news.yahoo.co.jp」

「持続可能な社会保障」?

私は、親の保育士体験(年に一日8時間親が一人ずつ園で幼児に囲まれて過ごす。幼稚園は5時間)を薦めてきた。県単位で取り組むところが4県。きっかけは15年前「実習先の園の半数で保育士による虐待を見る」という学生たちからの訴えだった。「先輩から、あの園に実習に行くと、保育士になる気なくなるよ、と言われている園が三つあります」という証言もあった。実習生を受け入れる園で、実習期間中に、そうなのであれば、実習を受け入れない園では半数どころではないはず。園児たちがそれを見ている。そこで刻まれる不安や不信が将来のいじめ、DV、児童虐待、奇妙な犯罪に連鎖していてもおかしくない。

(「保育の現場 潜む虐待 突き飛ばす、怒鳴る、差別する。」東京新聞:https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201811/CK2018111602000147.html)
(「てめぇら!」響く保育士の怒鳴り声 “ブラック保育園”急増の背景” AERA Dot.:https://dot.asahi.com/wa/2017052400011.html)
(保育士の虐待「見たことある」25人中20人:東京新聞:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/8494/)

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政府が目標に掲げる「持続可能な社会保障」、その施策の一部に、将来のモラル・秩序、治安維持や労働力確保を脅かしかねない「幼児たちが見る異常な風景、するべきではない体験」が組み込まれている。見えない不良債権が積み重なっている。全ての人生が互いに連鎖する人間社会において、その連鎖を浄化し、善循環にしてきた「幼児期の体験」が、経済優先の仕組みによって人間不信、不安の連鎖に変わろうとしている。放置すれば、福祉や教育が支えると思われた「社会保障」が財源と人材の両面から崩れていく。社会保障は数字で成り立つものではない。必ず「利他」の幸福論がその中心になければならないことに気づいてほしい。

「卵が先か、ニワトリが先か」

https://www.youtube.com/watch?v=BoEc_UNNmPg
ライ・クーダーのThe Slide Areaというアルバムにある「卵が先か、ニワトリが先か」という曲で尺八を吹いています。思考するのに、ちょっといい感じです。

保育の無償化、子育ての無償化、という施策の危うさを考える度に思うのです。
今この瞬間、日本よりはるかに貧しい国々で、人々は子育てに人生の意味や喜びを感じ、先進国社会以上に子どもをつくり、育て、経済的には苦労しながらも、その苦労を分かち合うことに生きる動機を見出している。その人たちに、タダにしてあげるから子育てを「受け皿」に任せなさい、と言っても不思議な顔をされるだけ。

「卵が先か、ニワトリが先か」。親が子どもを育てるのか、子どもが親を育てるのか。

日本の子どもは6歳くらいまで父親の肩車を降りない。150年前に欧米人が驚き、書き残した「この国の」素晴らしさ、父親と幼児たちが自然に、常に一体で、ニコニコ暮らしていた描写を「逝きし世の面影」(渡辺京二著)に読むと、最近の経済優先(損得勘定)の施策とは別の次元に存在したこの国の価値が見えてきます。子育ては、国が「無償」でやるものではなく、人間が「無償」の意義を知るためにある。そんなことを考えます。

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“虐待入院”と愛着障害

ここ数年、児童虐待の増加については繰り返しマスコミでも報道されています。乳幼児期の愛着関係の大切さについても様々な指摘がされています。経済政策で母子分離を奨励している政府は、こうした警告に真剣に耳を傾けてほしい。

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(2年前の報道です)

知られざる“虐待入院” ~全国調査・子どもたちがなぜ~  

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4011/ (クローズアップ現代、2017年7月20日(木))

「今回、小児科医のグループが全国454の医療機関に行った調査で、去年までの2年間でこの虐待入院を経験した子どもが全国に356人いたことが初めて分かりました。虐待入院の日数が1か月もの長期に及ぶケースがおよそ3割。最長で9か月近くも入院を続けた子どももいました。また虐待入院を経験した年齢については、生後間もない乳児から中学生以上の幅広い層に広がっていました。」

「去年(2016年)3月までの1年間の虐待相談対応件数は、およそ10万件。これは10年前のおよそ3倍に上っているんです。」

奥山眞紀子さん(国立成育医療研究センター 部長)赤ちゃんの場合ですと、例えば家庭にいれば適切な言葉かけがあり、それからいろいろなおもちゃと一緒に遊んだり、それから環境の変化もありますよね。そういう刺激というのが発達に非常に重要なわけですけれども、病院という中では非常に限られた空間で刺激の少ない生活になりますので、発達に影響を及ぼす危険性というのは非常に危惧されると思うんですね。それからもう1つは、子どもはやはり1対1の人間関係の中で守られるということを通して、「人を信頼する」という能力を身につけていくんですけれども、それがなかなかできない。いろいろな人が関わるけれども、「この人は」という1対1の人間関係ができないということが、後にいろいろな影響を及ぼす危険性というのがあると思います。

(例えばどんな影響が?)

やはり困った時に人を頼れないとか、どうしても引きこもってしまうとか、誰にでもベタベタするんだけれどもなかなか本当の関係性が作れないといったような問題が起きてくるということもありますし、将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性もあると思います。

(それは数か月こういう状況にあったとしても?)

赤ちゃんにとっての数か月は非常に長いですし、まして乳児期の数か月は非常に長いものだと思います。

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(ここから私見です。)

 国立成育医療研究センター部長の発言は、病院に入院している時の愛着関係の不足について危惧しているわけですが、発言が正しいとすれば、(国際的に常識だから子どもの権利条約やユネスコの子ども白書にも同様のこと、幼児期に特定の人間と愛着関係を築けることが生きていく「権利」として書かれているわけですが、)今の保育制度における、0歳で子ども3人に保育士1人、1~2歳で6対1という国の基準がすでに「後にいろいろな影響を及ぼす危険性」や「将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性」を広げていることになる。そして、すでに義務教育における学級崩壊や不登校、ひきこもり、いじめ、のみならず、児童虐待の増加という現実になって現れています。

 全国放送で具体的な警告が発せられているにも拘わらず、国は2年前の子ども・子育て支援新制度で11時間保育を「標準」と名付け、こども園を増やし、小規模保育の基準を緩め、保育界に一層の長時間保育を促した。政策として、与野党ほぼ一体で、労働力確保のために乳幼児期の母子分離を進めていった。。

 選挙の度に、叫ばれる「待機児童をなくします」が、この国立成育医療研究センター部長がNHKの番組で危惧した「後にいろいろな影響を及ぼす危険性」や「将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性」を広げていることに気づいていない。「三歳児神話は神話に過ぎない」などと文化人類学的に意味不明なことを言って、この問題を直視することを避けている。http://www.luci.jp/diary2/?p=254。幼児の笑顔が、資本主義を進める欲のエネルギーの対極にあることを恐れているのかもしれない。そして、いま保育や学校教育、児相や養護施設が共倒れになろうとしています。

 最近頻繁に聞く話ですが、保育士不足が決定的になり質の落ちている保育環境の中で、園長が保育士に、0、1歳には話しかけるな、抱っこするな、と平気で言う。話しかけると後々話しかけられて面倒になる、抱っこしなければ、そのうち諦めて「抱っこ」を求めなくなるから、と言う。幼児たちの諦め、「抱っこ」を求めなくなることが、子どもの脳の発達そのものであって、刻まれた記憶と形成された思考回路が子どもの行動に一生影響を及ぼすことになる。センター部長が指摘する、「人を信頼する」という能力が社会全体で弱まっていくことになる。

 「子どもが活き活きとしたら、事故が起きる確率が高くなる」と言いきる園長まで現れる。保育界の質はそれほど落ちている。まったく「抱っこしてもらえない」とまで劣悪ではなくても、子ども6人を一人で受け持って子どもたちの望み通り「抱っこ」しようとしたら保育士が腰を痛めてしまいます、絶対に無理です、というベテラン保育士の指摘もまったくその通りで、普通に保育をしていても、子どもが「抱っこ」される時間は家庭で育っていた時に比べて極端に減っている。それが、ここ数十年やってきた国基準の保育なのです。

 親たちがそこそこ親らしかった頃は、それでもまあなんとかなっていたのかもしれない。義務教育も成り立っていた。しかし、そういう状況下で育った子どたちがある一定の割合を超えた時に、相乗効果、引き金の引き合いが起こり負の連鎖が一気に始まる。

 国立成育医療研究センター部長の発言にある、「困った時に人を頼れないとか、どうしても引きこもってしまうとか、誰にでもベタベタするんだけれどもなかなか本当の関係性が作れないといったような問題が起きてくるということもありますし、将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性もあると思います」という指摘通りのことが日本中で始まっている。学校教育の中で、学級崩壊やいじめや不登校という現実になっている。

 1980年代、アメリカで虐待入院が7年間で4倍以上、年間13万人から57万人に増えた時期がありました。同時に近親相姦も増えていき、少女の5人に一人、少年の7人に一人が犠牲者と言われるようになり、家庭内、知人との関係における犯罪が急増していった。毎週乳児が親に殺されるという最近のフランスの状況もそうですが、人間たちが、子育てにおける「ある環境の変化」を体験した後に、子どもたちを傷つけ始める。

 犯罪率も含め、欧米に比べれば日本の数字は奇跡的にいいのですが、欧米が辿った道の入り口に立っている。最近の児童虐待や犯罪の増え方に注目し、様々な現場からの警告に耳を傾け、人間性に基づいた施策の転換を行わないと戻れなくなる。

 人間は、乳幼児に自らの自由を奪われ、彼らの、一人では生きられないが幸せそうな姿に救われる。自分の価値と可能性を確認する。「利他」の善循環を止めてはいけない。幼児たちと離れてはいけない。