ファクションを信じる力・「AI」と進化の道筋

経済財政諮問会議の委員を務めた経済学者が「0歳は寝たきりなんだから」と園長たちの前で言ったことがある。その小さな集まりに私も参加していた。この人は、本当にそう思っている、と気づいた時、高等教育や学問の恐ろしさ、それを中心に回っていく社会制度に対する危機感を身近に感じた。横にいた園長の肩が怒りに震えていた。学問と子育ては、今これほど離れたところにある。

21年前、毎日新聞(98.12.18  東京本紙朝刊)の経済欄にこんな記事が載った。「保育所整備は社会にとってもオトクですよ」というタイトルだった。

 「経済企画庁の研究会『国民生活研究会』は17日、保育所整備は社会にとっても、保護者、市町村などにも「得」との分析結果をまとめ、働く母親支援策として提言した。子どもを6歳まで預ける場合で、母親の可処分所得(手取り収入)が約4450万円増え、市町村などの税収も約1700万円増加し、それぞれの費用を大きく上回る。」

この『国民生活研究会』の座長が前述した経済学者だった。それが本当に社会にとって「お得」だったのか、保護者にとってお得だったのか、市町村にとってお得だったのか、検証されないまま(検証を無視して)同様の趣旨の施策が、新エンゼルプラン、「生産性革命と人づくり革命」、「新しい経済政策パッケージ」と続いていく。

保育所整備を税収増や労働力増という観点でしか見ない経済学という学問の中で、人間が、自分の人間性を体験していない。幼児たちの存在意義と彼らの意識が離れることによって、社会全体が感性を失い、想像力を失っていく。市場原理や自由競争という言葉に社会全体の思考が操られつつある。勝者になる人間が限られているという仕組みの宿命が、子どもたちを追い込む。追い込まれた子どもたちが、保育士や教師、やがて親たちを追い込む。

三党合意で現政権が受けついだ旧子ども・子育て新システムを進めていた前政権の厚労大臣が、「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と私に言った。国の「子育て」の問題を仕切るトップが、あっさりとこれを言う。「任せておけばいい」と言う「専門家(保育士)」たちの心が萎えていく規制緩和と、「親や企業の利便性」を争う自由競争を保育界に強いておいて、これを言う。http://www.luci.jp/diary2/?p=208

そして、首相が国会で、もう40万人保育所(受け皿)で預かれば女性が輝く、と言ってしまっては、子育てが女性が輝かない原因というイメージが育っても無理はない。ただでさえ高等教育や学問によって子どもたちの感性は押さえつけられている。これ以上幼児たちと過ごす時間を奪われては、男女ともに一層自分の遺伝子の成り立ちを体験できなくなる。先進国社会で人間性が退化しようとしている。

絶滅したネアンデルタール人と生き残ったホモサピエンスの能力差は、ファクションを信じる力だったという。想像の世界で心を一つにする能力が、より強い人間「社会」を構築していった。皮肉なことに、それが高等教育の普及で退化し始めているのだ。人間の想像力や理解力は、0、1、2歳児という特殊な人たちとの会話、言葉を超えたコミュニケーションによって培われてきた。この人たちを、夫婦という単位から始まり、家族、そして集団で守ろうとすることにより、人類はコミュニケーションが言葉を超えることを実感する。0、1、2歳児という半分「あちら側」に居る人たちと無言の会話をすることによって、人類固有の能力と絆が、人類固有の次元で育まれる。誰かの気持ちを「理解しようとすること」で社会は整っていく。「理解すること」ではない。

祈り、は子育てから生まれた。

最近話題になる「AI」が人間の進化の道筋に関わり、前述した元経済財政諮問会議の委員や、元厚労大臣や首相の視点を「情報」としてインプットされたら、人類は危険な状況に追い込まれる。インプットされる他の莫大な量の情報が、こういう視点の正当性を「非現実的」と打ち消してくれるとは思うが……。

AIは「平等」という概念を受け付けないはず。ジェンダーは理解しても、「平等」を非現実的と選択肢から排除するはず。「平等論」はパワーゲームの裏返しで、それを目標とすれば、人類は無限の争いに導かれることを、仮想現実の中での試行錯誤でAIは理解すると思う。フィクションを信じ、調和を模索すると信じたい。それともAIは、まだ戦うための道具にすぎないのか。

役場の保育課の窓口の人たちが、「0歳児を預けることに躊躇しない親が、突然増えている」と不安そうに言う。それ(受け皿)を提供している人たちが、自分たちのしていることに怯えている。財源的にも目処が立たないし、人材的に「無資格者」と「素人経営者」を増やしていくしか打つ手がない。自分たちが政府の「雇用労働施策」を進めるほど、子どもたちの日常の質が落ちていくのが見える。親子関係の希薄化が、妊娠中からすでに進んでいる。親子の絆が育ちにくい家庭が増えていけば、就学前の保育、その先にある義務教育の崩壊が学級崩壊という形で連鎖していく。もうそれははっきり見えているでしょう、と保育者たちは叫んでいる。それでも、学者たちの暴走は止まらない。http://www.luci.jp/diary2/?p=2822

小学校の教員の応募倍率が下がり教職員の質の低下が進んでいる。保育園の4、5歳児から始まり小学校5、6年まで、ちょっとしたきっかけで集団の秩序が崩壊してしまう。並行して、親たちの「社会で子育て」に対する要求はますます激しくなっている。

自分たちの責任ではない、と投げてしまう主任や園長もいる。市長の方針だからと言って、保育現場の要望や苦言(悲鳴)に耳を傾けない保育課長や福祉部長もいる。「閣議決定されたのだから仕方ないでしょう。内閣を選んだのは国民でしょう」と言う厚労省の役人もいた。その通りだと思う。「社会で子育て」は、とっくに「仕組みで子育て」、つまり「責任転嫁」になっていて、人間たちの手から離れようとしている。

子育ての第一義的責任が宙に浮き始めている。そして、相談相手が家庭に居ない子どもたちが、 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の中に「絆」や「助け」を探し始めている。

潜在的待機児童の向こうに潜在的労働力を見る経済学者や政府によって、人間の生きる動機が「次世代の幸せ」ではなくなろうとしている。少なくとも仕組みはそうなってきている。その結果、未来の安心が、信頼ではなく、お金で量られるようになってきた。月に十万円保育料を払うようなセレブ保育園では保育士による虐待も、子どもを叩く英語講師もいないはず。https://www.youtube.com/watch?v=kKWuZfSFKDI

老人介護施設もしかり。

でも、高額の保育料や介護費を払えない人たちのほうがはるかに多いのです。

経済学者が「0歳は寝たきりなんだから」と言うことによって、格差が急速に広がり、弱者がその本当の役割を果たせなくなっていく。

保育や子育ての問題がもっと真剣に、この国の存続に関わる緊急課題として語られなければなりません。マスコミの取り上げ方が、まだまだ足りないと思う。子どもはしつける対象ではなく、可愛がり、その存在をみんなで祝う、感謝する対象でなければいけない。それがこの国の伝統だったはず。http://www.luci.jp/diary2/?p=1047

i mages-9

images-12

保育士不足で現場に負担感? 認可保育園で虐待、背景は:https://www.asahi.com/articles/ASMCD5X1RMCDUTIL04S.html

隠れた“虐待”保育園が消えない理由…おぞましい実態、背景に保育士の過酷な勤務:https://biz-journal.jp/2019/10/post_125014.html

認可保育園でも幼児虐待。叩く、突き飛ばす、転ばせる…実際に働いていた女性に話を聞いた:https://news.yahoo.co.jp/byline/osakabesayaka/20180828-00094721/

東京・亀有の認可外保育施設で虐待 「しつけ」と称して:https://www.youtube.com/watch?v=TNXW6-I4iuk

認可外保育施設でカナダ人講師が幼児虐待 動画で発覚:https://www.youtube.com/watch?v=kKWuZfSFKDI:

人間は、親孝行を三歳までにすると言う。

images-4

乳幼児の成長が守られなければ、人類は存続できない。

子育てが喜びでなければ人類は進化できない。「子育て」は信頼関係を築くために人間たちが分かち合う最初で最後の砦。この単純で当たり前の法則が、保育施策に関する議論の中で忘れられている。忘れるように仕向けられている。

人間は、親孝行を三歳までにすると言う。生きる動機、喜びの伝承がそこで行われる。それが途切れ初めている。

20年前、新エンゼルプランで少子化対策と雇用労働施策が重なり、以降、「子育て」をしていれば誰もが気づくはずの幸福感に気づきにくくなる誘導と、仕組みの改革が「経済優先」で行われてきた。ここ数年、それが政府の進める保育施策(子ども・子育て支援新制度:「新しい経済政策パッケージ」)でますます露骨になっている。

11時間保育を「標準」と政府が名付け、推奨することで、親より長時間子育てをしている保育士たちが、子どもの幸せを願う自分の人間性と、子どもたちの気持ちをないがしろにする制度との間で板挟みになり、辞めていく。

それもまた、人類が持つ自然治癒力、自浄作用だと思う。社会全体のあり方、学校教育も含めた子育てに関わる仕組みのあり方が問われている。

(新エンゼルプラン:1999年12月19日に、大蔵・文部・厚生・労働・建設・自治の6大臣合意で策定された少子化対策の2004年度目標の実施計画の通称。「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画について」が正式名称。少子化傾向を食い止めるため、共働き家庭の育児を援護するなどさまざまな施策が盛り込まれている。)

この方向へ進んで、少子化傾向を食い止めることはできなかった。それどころか、ますます進んだ。それが現実、誰も異論はないはず。

施策を作った時点で、本気で少子化を食い止めようとしたのであれば、現場を知らない「保育の専門家」と、「人間の生きる動機」を理解しない経済学者によって進められた愚策。

もしこれが、(分母である母親が減り続けるため)数字上少子化は食い止められないことを知った上で、少子化対策を装い、女性の労働力で税収を確保しようという作略だったのであれば、国の存続を軽んじる暴挙といっていい。エンゼルプランという名前そのものが、胡散臭い、と言った保育者が当時たくさん居た。保育士会の幹部から「エンゼルプランは虐殺プランです」という憤りの声を聞いたのもこの頃だった。

(「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』)

ネット上に名を連ねていた新しい経済政策パッケージ」を作った学者たちは、新エンゼルプランの失敗から学ばない。学ぼうとしない。受け皿を増やすことで合計特殊出生率は上がらず、過去最低を更新しつづけた。その事実からどう目を背けられるのか。

待機児童解消を優先し、「子育て安心プラン」 という本末転倒な名前をつけ、「子どもたちの安心」を犠牲にした規制緩和が進められた。保育現場に次々と無資格者を入れ、訳のわからない付け焼刃の「資格」をつくり、同時に利益を求める素人の保育事業参加を促した。その結果、保育現場の混沌と愛着障害が連鎖し義務教育が維持できなくなってきている。

都市部だけではなく全国で、小学校の教員の募集倍率が危険水域に達している。この倍率では学校教育の質は保てない。保育士の募集倍率はとっくに消えている。

しかし、「2020 年度までに 32 万人分」という「受け皿」の数値目標を設定し、(保育の質、学童の質、学校教育の質を犠牲にして)常軌を逸した経済政策だけがいまだに進められて行く。この状況で、保育単価(公定価格)の引き下げを行ったら、どうなるのか。以前公立保育園の運営費が一般財源化されたときに何が崩れたのか。その後の民営化の動きも含め、子どもの最善の利益という観点から検証されないまま、「社会で子育て」という実態を失った言葉が、政府の都合で一人歩きしている。

最近、サービス産業化に迎合する園長に呆れて辞めていく保育士たちから、どこかに子どもを優先に考えるいい保育園はありませんか、とよく聞かれる。いい園長がいても、よくない保育士を雇わざるを得ない状況では、ここなら大丈夫、となかなか言えないのが辛い。保育の良し悪しは、特に乳幼児の場合、その部屋の微妙な空気感に左右される。保育士の人柄や組み合わせに左右される、と言ってもよい。派遣に頼らざるを得ない状況で、半年先の「いい現場」は、もう誰にも保証できない。

保育、学校教育、先進国社会における家庭崩壊について講演するようになって35年、毎年50から100講演し、たくさんの現場を見てきた。現場で保育観について私に色々教えてくれた園長たちが、最近疲れ果て、精神的に落ちていく人もいる。子どもの幸せを願っても、それが親の「都合」に跳ね返され、行政も支えてくれない。

保育の質の低下、そして、それを許すことは、幼児を大切にするという「人間性の根幹」を社会が失っていくこと。それに代わる価値基準は存在しない。「保育士不足」という言葉そのものが「人間性不足」と裏表だ、ということに気づいて欲しい。

愛されることへの飢餓感・荒れる児童

深刻な人手不足

「学校が保護者から『教員募集』 千葉市がチラシ、深刻な人手不足背景に:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190925-00000012-jct-soci.view-000」という記事がありました。小学校の教員募集に関して言えば、東京都で倍率が1.3倍にまで下がっているそうです。以前から教育委員会に、倍率が2.4(だったと思う)を下回ると教師の質を維持できないという「神話」があったのを思い出します。

関連記事の中に、

「ブチ切れ女性教員の本音炸裂 教育困難校「勤務」ブログがすごい。https://www.j-cast.com/2017/02/11290313.html?in=news.yahoo.co.jp」というのがあって、親と教師が心がバラバラになってしまった現場の姿が見えます。

images-1

以前、政権が民主党に変わったころ、後に三党合意で「子ども・子育て支援新制度」と名前を変え現政権が受けついだ「子ども・子育て新システム」が発表されました。保育士たちが「新システムが言う子育て支援は、子育て放棄支援ではないか」と反発する規制緩和と、幼稚園と保育園を一体化させる幼保一体化構想が乳幼児保育の量的拡大を目指して始まりました。

当時「新システム」の中心にいた発達心理学(家族・親子関係)の学者(幼保一体化ワーキングチームの座長)が、「保育の友」という雑誌でこう発言しています。

「これまで親が第一義的責任を担い、それが果たせないときに社会(保育所)が代わりにと考えられてきましたが、その順番を変えたのです」。

よほど仕組みを充実させたとしても軽々に口にしてはいけない、人類の生きる動機や進化の過程にかかわる発言で、幼稚園教育要領と教育基本法を否定する発言でもあります。(「幼稚園教育要領、第十条: 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって…」)

子どもの権利条約違反と言ってもよい。

記事を見せに来た園長は、「保育士一人で4、5歳児なら30人、3歳児は20人、家庭的な役割など果たしようがない。毎年担当は代わるのです。どの担当が第一義的責任を担うんでしょうね。絶対に不可能」と言い、別の園長は「やろうとしてはいけない。できるようなことを親に言ってもいけない。若い保育士には繰り返し、親の代わりはできないんだからね、と言い続けなければ保育ではない」と憤っていました。

補助金で成り立つ保育事業は国の施策には反対しにくい。公立保育園の保育士は従わざるを得ない立場にある。だからこそ施策が何を目指しているのか、丁寧に現場を納得させていくことが不可欠になる。国の経済のため、では保育士も子供も納得しない。

国の子ども・子育て会議が、「子ども・子育て支援新制度」で11時間保育を『標準』と名付け8時間勤務の保育士に担わせることは、これに慣れろ、もう親身なるなと言っているようなもの。そのことに会議に出ていた「専門家」たちが気づかない。その日、子供を見る保育士が必ず二人になる。二人目は無資格でいいという。親の意識が「この人にお願いする」から、「この場所(システム・制度)に預ける」に変わる。そして、いつの間にか、たくさん預かる街が「子育てしやすい街」という奇妙な図式が定着する。「第一義的責任」がますます宙に浮いていく。

人間は環境や仕組みに慣れる。それは生きる力でもある。しかし、慣れてはいけないこともある。

親たちの希望やニーズに沿った社会を目指せば、やがてそれは親たちの「子供を育ててくれない社会への不満」につながる。そして、仕組みはこの親たちの不満をフォローできない。それが、育児ノイローゼや幼児虐待、家庭崩壊、犯罪の増加へと進んでいく。

関連記事の中にもう一つ、ホッとする記事がありました。読んでいると、日本の親たちはまだ大丈夫かもしれない、と思えてきました。子育ては一人一人が取り組みさえすれば、人々の絆を深める力がある。一人では子育てができない、それが人類の生きる力です。

「PTAをなくした小学校16年目の真実 「いいことづくめ」の美談のはずが…。https://www.j-cast.com/2017/03/15293108.html?in=news.yahoo.co.jp」

「持続可能な社会保障」?

私は、親の保育士体験(年に一日8時間親が一人ずつ園で幼児に囲まれて過ごす。幼稚園は5時間)を薦めてきた。県単位で取り組むところが4県。きっかけは15年前「実習先の園の半数で保育士による虐待を見る」という学生たちからの訴えだった。「先輩から、あの園に実習に行くと、保育士になる気なくなるよ、と言われている園が三つあります」という証言もあった。実習生を受け入れる園で、実習期間中に、そうなのであれば、実習を受け入れない園では半数どころではないはず。園児たちがそれを見ている。そこで刻まれる不安や不信が将来のいじめ、DV、児童虐待、奇妙な犯罪に連鎖していてもおかしくない。

(「保育の現場 潜む虐待 突き飛ばす、怒鳴る、差別する。」東京新聞:https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201811/CK2018111602000147.html)
(「てめぇら!」響く保育士の怒鳴り声 “ブラック保育園”急増の背景” AERA Dot.:https://dot.asahi.com/wa/2017052400011.html)
(保育士の虐待「見たことある」25人中20人:東京新聞:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/8494/)

i mages

政府が目標に掲げる「持続可能な社会保障」、その施策の一部に、将来のモラル・秩序、治安維持や労働力確保を脅かしかねない「幼児たちが見る異常な風景、するべきではない体験」が組み込まれている。見えない不良債権が積み重なっている。全ての人生が互いに連鎖する人間社会において、その連鎖を浄化し、善循環にしてきた「幼児期の体験」が、経済優先の仕組みによって人間不信、不安の連鎖に変わろうとしている。放置すれば、福祉や教育が支えると思われた「社会保障」が財源と人材の両面から崩れていく。社会保障は数字で成り立つものではない。必ず「利他」の幸福論がその中心になければならないことに気づいてほしい。

「卵が先か、ニワトリが先か」

https://www.youtube.com/watch?v=BoEc_UNNmPg
ライ・クーダーのThe Slide Areaというアルバムにある「卵が先か、ニワトリが先か」という曲で尺八を吹いています。思考するのに、ちょっといい感じです。

保育の無償化、子育ての無償化、という施策の危うさを考える度に思うのです。
今この瞬間、日本よりはるかに貧しい国々で、人々は子育てに人生の意味や喜びを感じ、先進国社会以上に子どもをつくり、育て、経済的には苦労しながらも、その苦労を分かち合うことに生きる動機を見出している。その人たちに、タダにしてあげるから子育てを「受け皿」に任せなさい、と言っても不思議な顔をされるだけ。

「卵が先か、ニワトリが先か」。親が子どもを育てるのか、子どもが親を育てるのか。

日本の子どもは6歳くらいまで父親の肩車を降りない。150年前に欧米人が驚き、書き残した「この国の」素晴らしさ、父親と幼児たちが自然に、常に一体で、ニコニコ暮らしていた描写を「逝きし世の面影」(渡辺京二著)に読むと、最近の経済優先(損得勘定)の施策とは別の次元に存在したこの国の価値が見えてきます。子育ては、国が「無償」でやるものではなく、人間が「無償」の意義を知るためにある。そんなことを考えます。

IMG_1390

“虐待入院”と愛着障害

ここ数年、児童虐待の増加については繰り返しマスコミでも報道されています。乳幼児期の愛着関係の大切さについても様々な指摘がされています。経済政策で母子分離を奨励している政府は、こうした警告に真剣に耳を傾けてほしい。

p1130928

(2年前の報道です)

知られざる“虐待入院” ~全国調査・子どもたちがなぜ~  

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4011/ (クローズアップ現代、2017年7月20日(木))

「今回、小児科医のグループが全国454の医療機関に行った調査で、去年までの2年間でこの虐待入院を経験した子どもが全国に356人いたことが初めて分かりました。虐待入院の日数が1か月もの長期に及ぶケースがおよそ3割。最長で9か月近くも入院を続けた子どももいました。また虐待入院を経験した年齢については、生後間もない乳児から中学生以上の幅広い層に広がっていました。」

「去年(2016年)3月までの1年間の虐待相談対応件数は、およそ10万件。これは10年前のおよそ3倍に上っているんです。」

奥山眞紀子さん(国立成育医療研究センター 部長)赤ちゃんの場合ですと、例えば家庭にいれば適切な言葉かけがあり、それからいろいろなおもちゃと一緒に遊んだり、それから環境の変化もありますよね。そういう刺激というのが発達に非常に重要なわけですけれども、病院という中では非常に限られた空間で刺激の少ない生活になりますので、発達に影響を及ぼす危険性というのは非常に危惧されると思うんですね。それからもう1つは、子どもはやはり1対1の人間関係の中で守られるということを通して、「人を信頼する」という能力を身につけていくんですけれども、それがなかなかできない。いろいろな人が関わるけれども、「この人は」という1対1の人間関係ができないということが、後にいろいろな影響を及ぼす危険性というのがあると思います。

(例えばどんな影響が?)

やはり困った時に人を頼れないとか、どうしても引きこもってしまうとか、誰にでもベタベタするんだけれどもなかなか本当の関係性が作れないといったような問題が起きてくるということもありますし、将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性もあると思います。

(それは数か月こういう状況にあったとしても?)

赤ちゃんにとっての数か月は非常に長いですし、まして乳児期の数か月は非常に長いものだと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーimages-3

(ここから私見です。)

 国立成育医療研究センター部長の発言は、病院に入院している時の愛着関係の不足について危惧しているわけですが、発言が正しいとすれば、(国際的に常識だから子どもの権利条約やユネスコの子ども白書にも同様のこと、幼児期に特定の人間と愛着関係を築けることが生きていく「権利」として書かれているわけですが、)今の保育制度における、0歳で子ども3人に保育士1人、1~2歳で6対1という国の基準がすでに「後にいろいろな影響を及ぼす危険性」や「将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性」を広げていることになる。そして、すでに義務教育における学級崩壊や不登校、ひきこもり、いじめ、のみならず、児童虐待の増加という現実になって現れています。

 全国放送で具体的な警告が発せられているにも拘わらず、国は2年前の子ども・子育て支援新制度で11時間保育を「標準」と名付け、こども園を増やし、小規模保育の基準を緩め、保育界に一層の長時間保育を促した。政策として、与野党ほぼ一体で、労働力確保のために乳幼児期の母子分離を進めていった。。

 選挙の度に、叫ばれる「待機児童をなくします」が、この国立成育医療研究センター部長がNHKの番組で危惧した「後にいろいろな影響を及ぼす危険性」や「将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性」を広げていることに気づいていない。「三歳児神話は神話に過ぎない」などと文化人類学的に意味不明なことを言って、この問題を直視することを避けている。http://www.luci.jp/diary2/?p=254。幼児の笑顔が、資本主義を進める欲のエネルギーの対極にあることを恐れているのかもしれない。そして、いま保育や学校教育、児相や養護施設が共倒れになろうとしています。

 最近頻繁に聞く話ですが、保育士不足が決定的になり質の落ちている保育環境の中で、園長が保育士に、0、1歳には話しかけるな、抱っこするな、と平気で言う。話しかけると後々話しかけられて面倒になる、抱っこしなければ、そのうち諦めて「抱っこ」を求めなくなるから、と言う。幼児たちの諦め、「抱っこ」を求めなくなることが、子どもの脳の発達そのものであって、刻まれた記憶と形成された思考回路が子どもの行動に一生影響を及ぼすことになる。センター部長が指摘する、「人を信頼する」という能力が社会全体で弱まっていくことになる。

 「子どもが活き活きとしたら、事故が起きる確率が高くなる」と言いきる園長まで現れる。保育界の質はそれほど落ちている。まったく「抱っこしてもらえない」とまで劣悪ではなくても、子ども6人を一人で受け持って子どもたちの望み通り「抱っこ」しようとしたら保育士が腰を痛めてしまいます、絶対に無理です、というベテラン保育士の指摘もまったくその通りで、普通に保育をしていても、子どもが「抱っこ」される時間は家庭で育っていた時に比べて極端に減っている。それが、ここ数十年やってきた国基準の保育なのです。

 親たちがそこそこ親らしかった頃は、それでもまあなんとかなっていたのかもしれない。義務教育も成り立っていた。しかし、そういう状況下で育った子どたちがある一定の割合を超えた時に、相乗効果、引き金の引き合いが起こり負の連鎖が一気に始まる。

 国立成育医療研究センター部長の発言にある、「困った時に人を頼れないとか、どうしても引きこもってしまうとか、誰にでもベタベタするんだけれどもなかなか本当の関係性が作れないといったような問題が起きてくるということもありますし、将来的に人間関係がうまく作れない状態になるという危険性もあると思います」という指摘通りのことが日本中で始まっている。学校教育の中で、学級崩壊やいじめや不登校という現実になっている。

 1980年代、アメリカで虐待入院が7年間で4倍以上、年間13万人から57万人に増えた時期がありました。同時に近親相姦も増えていき、少女の5人に一人、少年の7人に一人が犠牲者と言われるようになり、家庭内、知人との関係における犯罪が急増していった。毎週乳児が親に殺されるという最近のフランスの状況もそうですが、人間たちが、子育てにおける「ある環境の変化」を体験した後に、子どもたちを傷つけ始める。

 犯罪率も含め、欧米に比べれば日本の数字は奇跡的にいいのですが、欧米が辿った道の入り口に立っている。最近の児童虐待や犯罪の増え方に注目し、様々な現場からの警告に耳を傾け、人間性に基づいた施策の転換を行わないと戻れなくなる。

 人間は、乳幼児に自らの自由を奪われ、彼らの、一人では生きられないが幸せそうな姿に救われる。自分の価値と可能性を確認する。「利他」の善循環を止めてはいけない。幼児たちと離れてはいけない。

『~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』

 4年前、NHKのクローズアップ現代で、『~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)』が放送されました。そこで、いくつかの証言がありました。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/1.html 児童虐待やDVがこれほど増えている時に、今一度、真剣に耳を傾けるべき証言です。

 関東医療少年院 斎藤幸彦法務教官:

「職員にベタベタと甘えてくる。逆にささいなことで牙をむいてきます。何が不満なのか分からないんですけども、すごいエネルギーで爆発してくる子がいます。なかなか予測ができない中で教育していかなければいけないというのが、非常に難しいと思っています。」

 養護施設の職員:

「養護施設に来る子供たちっていうのはマイナスからの出会いなので、赤ちゃんを抱いているような感覚でずっと接してきました」

images-1

 裁判で生育歴、幼児期の愛着障害が減刑の理由になる事件が日本でも起こっている。放送のあと、ある行政の方から電話があり「この番組を見て、政府は4月から始める『子ども・子育て支援新制度』をすぐにストップしてもいいくらいだと思います。幼児期の大切さをまるでわかっていない」。

 養護施設や児童相談所、そして保育の限界をすでに知っている課長には、『子ども・子育て支援新制度』でそうした子育てに関わる福祉制度の重荷がさらに増していくこと、それが、とても受け切れるものではないことがわかるのです。現場を知らない者たちが乱暴につくる仕組みに怒りさえ覚えるのです。まず自分が直接的に関わっていて、規則に従わざるを得ない公立の保育所が、人材的にも精神的にも受けきれない。内閣府のパンフレットの表紙にある、「みんなが、子育てしやすい国へ」の実態が、「みんなが、子育てを押しつけ合う国へ」にしか見えない。すでに、保育士や行政は追い込まれている。定年や異動のある役人や保育士は逃げることができる。でも、子どもたちと親たちは、この国の施策によって作られた異常な環境から生まれる結果から、一生逃げられない。

 犬には「噛み付き癖」「吠え癖」がつくから生後8週間母犬から離さない、という法律が国会で全会一致で可決されたのです。生後8週間で子犬はちょこちょこ走っています。人間なら2歳くらいでしょうか。人間の子を守る法律を先に作るべきでしょう。

 なぜこういう順番になるのか、そろそろ気づいた方がいい。なぜ社会学者やマスコミが、こういう犬優先の明らかな矛盾を指摘しないか、優先順位がなぜこれほど狂ってしまったか把握するときに来ています。

 ニューロン(脳細胞)の数が一番多いのは人間が生まれる直前で、生まれるときに大量に捨てるのだそうです。捨て方には個人差があって、それが人生に影響を及ぼす。http://www.luci.jp/diary2/?p=239

 人間は、このニューロン(脳細胞)をシナプスというものでつないでゆく。それをニューロンネットワークといって、個人で異なる「思考」の仕方はこのネットワークのつながり方、そのあり方で決まるのだそうです。

 そのニューロンネットワークが、生まれて一年くらいで最多に達する。そこから、思考の回路を自ら削除してゆく。環境や体験にあわせて回路を捨てることによって、どういう考え方がその環境で生きて行くために重要かという優先順位を、その時の体験から決めていく。集団でないと生きられない「人間としての基本的な生き方に」加えて、言語や文化、伝統、習慣、常識といったその社会で生きるための知恵や知識が、共有する思考形態として定まってゆくのです。

 生まれる直前の脳細胞の捨て方と、その後数年間の環境に左右されるニューロンネットワークの捨て方が「個性」や「人格」となって、お互いを必要とする関係を生み出す。別の言い方をすれば、人間は全員が相対的発達障害(先天的+後天的)であって、それが「絆」をつくるためのパズルの凸凹になる。このパズルの凹凸が、いい方向に働き、摩擦の原因にならないために「利他」という幸福感が存在する。

 弱者に優しくすることによって幸せが得られるという遺伝子に組み込まれている仕組みが、「子育て」、特に「幼児の子育て」によって双方向にオンになっていく。それが、人間が「生かし合う」ために必要なのです。

 脳の重さはほぼ五歳で成人並みになると言われていますから、生きるために減らしてゆくニューロンネットワークの数と脳の大きさが一番相乗効果を生んでいるのが四歳くらいで、人の思考の可能性、感性がそのころ最大となるのではないか。

 私はその状態を、「信じきって、頼りきって、幸せそう」という宗教的なものさしから、四歳児で人間は、最も幸せでいられる可能性を持っている姿として一度完成するとしました。この人たちをなるべく多くの人たちが、毎日眺めて暮らすことで、調和の道筋が整っていく。

 一人の人間をニューロンに置き換え、人間同士の「絆」をシナプスと考えると、人類の目的が見えてきます。「生きる力」とは個の自立を目指すことではなく、「絆」を作る力です。信じあい、頼りあうことが「生きる力」です。

(だからこそ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://www.luci.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現は進化のプロセスにおける強い警告だと思います。)

(NHKの視点論点から・子ども・子育て支援新制度の原点:http://www.luci.jp/diary2/?p=1113)

市長の決断、保育士さんの発言、母親の気づき、そして小野省子さんの詩

以前、「育休退園・所沢市の決断」

http://www.luci.jp/diary2/?p=279 をブログに書きました。

施策の内容は簡単に言えば、育児休業をとっている親の在園三歳未満児は、弟か妹を出産後、母親が育休に入って三ヶ月までは預かるが、それ以降は原則退園してもらう、という方針です。もっと簡単に言えば、育児休暇をとっているのですから二歳以下の上の子は一緒に育てて下さい、ということ。そして、育児休業期間が終わった時には、園に戻り、その際は弟妹も兄姉のいる園に一緒に入れる、という特典つきでした。三才以上の在園児は一号認定で保育園に残れますし幼稚園に入ることも可能です。

市長がマスコミやネットで批判を受けていたころ、新潟市で講演後の質疑応答の時に「所沢市の育休退園」について一人の保育士さんが意を決したように手を挙げ、発言しました。

「市長さんの、『子どもは親と居たいはず』という答えに感動しました。誰も言わなくなりましたが、あれが本当の答えでなければいけないはずです。他に待機児童がいるから、なんていう答えではいけないんです。どう思われますか?」と。

マスコミが半ば呆れ批判していた「市長が言ったこと」が、実は一番深い次元で、遺伝子のレベルで、双方向に正解で、それが土台になければ保育も子育ても成り立たない。子どもの思いを優先しなければ、保育自体が現状から立ち直れない、それを最近のサービス産業化する保育全体の流れの中でこの保育士さんは直感的に感じていたのだと思います。何かが根本的に間違っている。どこかで誰かがこの流れを変えなければ、自分たちの意志とは関係なく、自分たちの存在が子どもたちの不幸に連鎖していく、その現実が一番歯がゆいのだと思います。

保育園に通う子どもたちの日常を足し算すると、預ける時間が十時間近くになってきた今、子どもの気持ち、願いが一番気になっているのは保育士かもしれない。その視点や気持ちを施策の中心部に置いていない、ほとんど考慮もしていないことが、現在の保育に関わる施策の決定的な欠陥なのです。この人たちの気持ち、そして存在が保育そのものだという当たり前のことを忘れて議論が飛び交っている。

この保育士さんは、市長がこういう施策を「当選するため」にしていないのを知っている。

1年後、育休退園に反対していた母親が、仕方なく上の子と一緒に乳児を育てていて、それは大変だったのですが、ある日「上の子が下の子を可愛がる姿に感動したんです」と役場にわざわざ言いに来てくれたのです。こういう真実をマスコミは報道してほしい。

兄弟姉妹が一緒に過ごす「権利」、についてはだれも言わない。何か大切な「次元」が後回しになっている。

image s-5

 

姉弟

 

「幼稚園でもらっためずらしいおやつ、

こうちゃんにもあげたかったの」

お姉ちゃんがそっと小さな手を広げると

にぎりしめたワタアメが

カチカチにかたまっていた

 

「ひかりちゃんがいないと、つまんないわけじゃないよ

ただ、さびしいだけ」

私と二人だけの部屋で

弟は たどたどしくうったえた

 

人間は

かたわらにいる人を 愛さずにはいられない

幼い子供から それを教わる

 

by小野省子

HP:http://www.h4.dion.ne.jp/~shoko_o/newpage8.htm

多くのDVや児童虐待が保育の現場で止まっていた

image s-5

岩手県でキャリアアップ助成金保育士向け講習会を担当しました。二日間で15時間、話したいことはたくさんありました。でも、15時間と言われた時はびっくりでした。以前7時間、一泊二日羽咋(はくい)で石川県の園長先生たちに話したことがありました。その時も一泊でしたから夜の懇親会なども含めれば10時間くらいは話したのかもしれません。その時の倍以上の時間です。決まって半年間少しずつ準備しました。

大学(東洋英和女学院短大の保育科)で教えていた頃、一学期でそのくらいの時間講義をしたのですし、最近の保育施策の混迷と現場の窮状を思えば、内容的には心配ないはず。大切なのは、二日間で、しっかり印象に残る講習会にできるかどうかです。レジュメをまずしっかりつくりました。

人間にとって子育てとは、私の作ったインドの映像、(http://kazumatsui.com/sakthi.html)も見てもらい、質問もたくさんしてもらいました。保育の精神が壊されてはならない、いい研修にしなければと緊張し、気合も入りました。私を信じて15時間任せてくれた園長先生たちに感謝です。

保育の「受け皿」と国が名付けた人たちが、現場でやる気を失っていく。なんとか元気を取り戻し、この仕事の重要性とやり甲斐を理解してもらい、もう少し、もう数年頑張って欲しい。ここで保育が崩れたら義務教育がもたない。国やマスコミが本当の保育の重要性に気づく日はすぐに来る。

 

images-1

保育はサービス産業になってはいけない。子育てに「受け皿」など存在しない。その事を理解してもらわないと、子どもと接する人たちから感性が失われていく。子どもたちに一番必要なのがこの人たちの感性。この国にいま一番大切なのが、この人たちの笑顔と親身さ。

最近のDVや児童虐待の報道を見るたびに思います。20年くらい前、保育がまだ保育らしく、「子どもの最善の利益を優先する」という指針の精神が生きていて、園長や主任たちが指針に示されているように、親を導き、時には叱ることができた頃、どれほど多くのDVや児童虐待が保育の現場で止まっていたか。「あの園長先生に救われた」、「あの時叱ってもらわなかったら……」そんな言葉を親たちからたくさん聞きました。この国のモラルや秩序を保育が支えていた時期が確かにあったのです。

8時間勤務の保育士に11時間保育を標準と名付け押し付けた子ども・子育て会議の「専門家」たちは、保育の本当の役割がどこにあったか、知らないのです。これが崩れた時に何が起こるか気づいていなかったから、あんな乱暴な規制緩和を平気でやった。

一緒に「子どもを育てる」という関係が保育園での数年間で信頼を育て、幼児の親という、親として初心者に近い人たちの親身な相談相手に、どれほど多くの保育士たちがなってきたか。政府の経済施策を忖度し、無資格者が増えるような規制緩和を進める「専門家」たちは知らない。保育指針に新たに「教育」という言葉を入れれば何とかなると思っているような人たちには、保育現場のことはわからない。

「保育は成長産業」という閣議決定で、保育界に市場原理を持ち込まれ、一緒に育てるという「育ちあいの場」が社会から奪われていった。サービス産業化して誰かが儲けようと考える、親を指導するというより、親のニーズに応える方に走る。そうしてしまったことのツケが、将来この国をどれほど苦しめるか政治家たちが想像しない。

保育士たちが親に対して意見をしない、口を閉ざしてしまうような市場原理化を進めておいて、幼児が犠牲になる事件が起こると、すでに人材的に機能不全に陥っている児相や警察に責任をかぶせる。その一方で「就学前児童の養護施設入所原則停止」で最後の安全ネットを取り外し、保育界にその役割を押し付ける。表向きには里親を増やし「家庭に近い環境」で、というのだが、それなら11時間保育を「標準」と決めるのはおかしい。

子育てに関わる施策が悪循環、支離滅裂になっている。

15時間かけて、保育士たちに、貴方たちの持つ疑問や苛立ちこそが当たり前で、誰かが幼児の立場に立っていないといけない。幼児の笑顔を優先に人生を過ごしていれば、それは親たちに通じるはずです。幼児を育てている親たちは特別で、感性が開いている時。幸せになる道筋に気づこうとしている、何か一番大切なことを学ぼうとしている時です。園で、いくつかの行事を組み合わせれば、幼児たちが必ず、見事に親たちを育ててくれます、と伝えました。

image s-2

「先生は三歳神話を肯定してくださいました。久々にスッキリしました」というメールが届きました。

私の音も、ネット上でまだ鳴っている、映像もついている・ETHIOPIA Joni Mitchell

ETHIOPIA Joni Mitchell
https://www.youtube.com/watch?v=Tp4xv8S0jYk

It was great pleasure to work with Joni Mitchell!
And the sound is still alive on Internet.
Thank you Joni. Kazu

ジョニ・ミッチェルのアルバムDog Eat Dogで演奏してから30年以上になります。ネット上でまだ鳴っている、映像もついている、嬉しくなります。

まだ、世界の情勢は変わらない。