いい理事長先生と、いい母親の話

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保育は、いま「仕組み」のように思われていますが、実は「子育て」で、「子育て」は、夫婦や家族から始まり、育てる人たちが「心をひとつにする」「いい人になろうとする」、本来、人類が「社会」を形作る動機、原点だったのだと思います。信頼関係が生まれ育つためにあった「子育て」が、最近仕組みに依存するようになって、そして、保育が経済競争に利用される「仕組み」と見なされるようになって、本来の役割を失いつつある。心が重なりにくくなってきた。

以前にも書いたのですが、こんなことがありました。

私立の幼稚園の理事長先生の体験談です。男性ですが、子どもが大好きで熱血漢、県会議員もやっておられる年輩の方です。

ある年、視覚障害をもっている子どもを引き受けたそうです。経験がなかったので躊躇したのですが、どうしても、と言われ、決心し、自ら勉強会や講習会に通い、出来る限りの準備をしたのだそうです。

その子が入園して間もなくのころ、砂場でその子が一人で遊んでいて、自分の頭に砂をかけたそうです。その「感じ」がよかったのか、そっと、繰り返しかけたのだそうです。理事長先生は、注意することなしに「遊び」「体験」として見ていました。幾人かの子どもが集まってきて、その子にそっと砂をかけ始めました。それを理事長先生は、「育ちあい」として見ていました。長年保育をしてきた先生の経験からくる確かな判断がありました。その子のお母さんが見ていたことも、先生は知っていました。
無事に3年が過ぎ、卒園が近づいてきました。そして、その子の母親が「あの日」のことを卒園の文集に書いたのです。砂をかけられ幼稚園でいじめられている我が子の姿がどれほど不憫だったか。それを先生たちは笑って見ていた、と。

理事長先生は、あれほどびっくりしたことはなかった、悲しかったことはなかった、障がい児を預かるのはもうやめようかと思った、と話します。子どもに対する思い、保育にかける情熱に自信がありましたから、その気持ちが母親に伝わっていなかったことにびっくりしたのです。

3年間そういう思いで過ごしてきた母親の気持ちを思うと、私はやりきれない思いにかられます。しかし、これは、いい理事長先生といい母親のエピソードです。

その子は3年間、この二人に守られていたのです。

幼児と過ごし、調和に対する理解が始まる

保育という子育ての現場における「あってはならない風景」を無くすとまでは言いませんが減らすこと、それが、私が推奨している「親の1日保育士体験」の出発点になりました。年に1日8時間、親が、父親も母親も、一人ずつ園児に囲まれ保育現場で過ごす。(幼稚園の場合は5時間ですが。)
親と保育士の間に波風を立てずに、一緒に幼児に囲まれることによって自然に育つ信頼関係で「親に見せられない風景」を封じてゆく。これしかないと思いました。

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いつでも親に見せられる保育をする、それが幼児という国の未来を守る原点です。一緒に育てる「かたち」さえ作れば、あとはみんなが持っている遺伝子にまかせる……、それが本来の姿です。
卒園までに毎年やっても、一生にたった三日、多くて五日のことなのですが、これでずいぶん人生が変わってくる。知らないうちに何かが仕上がってゆく。そのアンサンブルに加わりさえすればその奏でる意図を感じ、以前からそこで鳴っていた音の重なりの中に身を置くと、知らないうちに何かが仕上がってゆく。
1日保育士体験をやってみた親たちの7割が感想文に「園に対する感謝の気持ち」を書きました。


そうして、調和に対する理解が始まる。

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そして、親が保育士に感謝すると、いい保育士が育っていく。http://www.luci.jp/diary2/?p=897 http://www.luci.jp/diary2/?p=260


その話をした時に、「保育園に預けるのは権利です。なんで感謝しなければいけないんですか?」とある親から聞かれたことがありました。「親が、子どものことで感謝する、保育士に直接でなくてもいい、神様・仏様経由でもいい、それが幸せへの近道で、それが学校教育を支えるのです」と説明するしかありません。
教育とか保育という言葉で表していると、いつも間にかわからなくなるのですが、「子育て」なのです、人間たちをつなぐものは……。

選択肢のないことの素晴らしさや、役割分担という仕掛けの、責任はあるけれども同時に感じる気楽さや、安心を実感するのかもしれない。

このやり方には誰も異論を唱えない……、そのことだけは、みなが知っているという感じ……。すると、簡単に孤独とは無縁の人生が目の前に開けてくる

幼児を守ろうとしない国の施策。ネット上に現れる保育現場の現実。

 

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国は幼児を守ろうとしていない

ネット上に、「保育士の虐待ではないですか?」と自分の子どもを心配する親の質問がありました。2歳児を罰としてトイレに閉じ込める保育士の言動についての疑問です。それに対する「答え」のいくつかを重ねると、いまこの国の子育てに起こっている危険な状況が見えてきます。四年前、2014年に行われたやりとりです。

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(質問)

保育士の虐待ではないですか?

昨日、息子を保育園に迎えに行ったところ教室に息子の姿が見えませんでした。

延長保育ですが、いつもより少し早く迎えに来れたので、どこかまだ違うところにい

るのかな…と思っていたら、先生が私に気づき

「ちょっと待ってて下さいね。さっき○○くん(息子)が私の手にたまたまブロックを当ててしまって痛くて赤くなって、先生痛かったよ。わざとやったわけじゃないと思うけど、相手が痛いって言ったら謝らないといけないよ。と言ったんですが、いやだと言って泣いて謝らなかったので、今トイレのお部屋に謝るまで一人でいてね。と言ってあります。泣いて許されると思ってもいけないので…」と言われました。

トイレからは息子の大きな泣き声が聞こえてきました。

そして、先生がトイレの中へ行きしばらくたって息子とでてきました。

息子は私に気づいて泣きながら飛びついてきました。私はいたたまれない気持ちでギューとしてあげました。

先生は「ごめんなさいを結局言えなかったので、頭だけでも下げなさいと言ったら頭だけ下げてくれました」と言っていました。

帰ってきてなんか腑に落ちず、主人にこの話をしました。

主人はかなり怒って、

それって虐待じゃないの?

お友達に何か故意にやったならまだしも、先生にわざとじゃなくたまたま当たっただけだから、なんで謝るかがわからなかったんじゃない?

まだ2歳だしそこまでする必要ある?せっかく今トイトレも順調なのに、これがトラウマでトイレ嫌いになったらどうするんだ。

担任でもない延長保育の先生がそこまでやる必要はあるのか?

閉じこめることでしか、理解させれないのはおかしい!

園長先生に電話した方がいい。

と言っていました。

私もなぜ2歳の子に頭を下げるまで閉じ込めをやるのか。息子は言葉の理解も言語力もある方で、普段なら自分がわざとじゃなくて当たってしまって、痛っと言うと素直に ごめんなさい と言ってくれます。

私はモンスターペアレントと思われたくないし、保育園とのいざこざは避けたいのですが、このことはどうとらえたらいいのか戸惑っています。

保育園ではよくあることなのでしょうか?

たまたま私がいつもより早くお迎えに言った為、親にバレてしまった…という感じなのか…

公立保育園で、その保育士は60すぎの人です。

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(答え1)

ありえません!

2歳に対するやり方ではないと思います!

私なら延長保育辞めますね。

役所や園長に相談しても仕返しはありますよ。親の見えない所で。

擦り傷が多くなったり、とにかくイジメが始まります。

女ですから。

状況かえてあげるべきです。

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(答え2)

保育園で延長の保育士で60オーバー…

それでその対応なら、他の方に代わっていただく事案です。

人手不足なのでしょうか…

「子どもはみんな孫のようなものですから…」とか言って採用された人ではないでしょうか…

齢がいってから、感情的な比率の高い人は職業人には向きません。

子育てがしんどい虐待親のやり方ですよ。

延長を使わないか、公立なので管轄の部署に通報でいいと思います。

安心して預けられないが、今後子どもに何かされるといけないので…と添えてください。

ちなみに保育士の子どもいじりは

延長時ラスト1人の子に「もう、お母さん迎えに来ないかもね…」とささやくとか、1人の子とだけ遊んであげない(返事だけはしてあげる)とか、結構やってます。

知らないのは親だけです。

女性の社会進出が当たり前の時代ですが、そんな思いをさせてまでも…と思ってしまうのは私だけでしょうか…

親の知らないところで子どもはかなり頑張っているんです。

まして2歳とか…

批判しているのではありません。

仕事も大事です、子どもも大事です。

保育士批判もわかります。

預けている後ろめたさから余計に息子さんを愛しく思っているのもわかります。

男性も女性も選択を迫られていますが、欲というテーマを外したら、

仕事も取り返し出来ます。(欲:職種・収入額の問題だけですから)

しかし、子育ては取り返せない。

このかわいい時期、少しの時間と寝顔だけがあなたの思い出になってしまいます。

大きくなれば、反抗期…小さい時の記憶や写真で親は思い返し、子どもと向き合えます。

親の手助けが必要な時…それがいつだか、どの程度だかわかる自信がありますか?

実際、この件が発覚するまで、自分たちや園の息子さんへの対応は大丈夫だ!と思っていたわけでしょうから、ショックの度合いでここに書き込んでいるわけですよね。

これが警鐘です。

それをどう捉えるかは、親御さんの判断です。

保育士の問題は、園と役所の問題です。

園に言ったから!とか役所に言ったから!息子さんの問題が解決するわけではないことは忘れないでください。

心のどこかで、そんな思いをさせたのは自分たち…という思いも忘れないで欲しいなぁ…と思います。

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(答え3)

保育士をしています。

2歳のお子さんが謝らないからと言ってトイレに入れるなんてありえないです。

2歳では謝れない子もいるし、まして、自分が納得していないとなんで謝るのかわからないですよね。。

ただ、保育士の人間の集まりなので、いろいろな人がいます。

子供の成長発達に関係なく謝らないと納得のできない保育士なのでしょう・・・

今後お子様がまた、同じような目に合わないためにも、園長にはしっかり伝えた方がいいと思います。

モンスターペアレントといわれることはないと思いますよ。。

お子さんの為ですから・・・

私でも、納得できないと伝えます。

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(答え4)

モンスターペアレントと思われたくないなら何も喋らず口を噤みましょう。

どう思われていいなら言いたい事を言いましょう。

自分の中で何が大事かの指針をつくらないと、なあなあに人に流され、時間に流され物事はただ過ぎていくだけです。

今後の教育を考えれば保育園のその出来事よりも、物事が起きたときのあなたのどっちつかずの対応に、子供は大きくなるにしたがってより戸惑いと疑心を感じていく事でしょう。

子と共に親もしっかりと成長していきましょう。

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(答え5)

お話の通りであるなら、ちょっと今時考えられない園ですね…。2歳の乳幼児に反省を促すためトイレに閉じ込めるなんて。

にわかに信じられません。

保育園ではなく、役所に相談してみては?

園では埒が明かないかもしれませんし。職員同士で事実を隠す恐れもあります。

トイレに閉じ込めてパニックになった子供に何かあったら大変です。

閉じ込めたら保育者の目が届かなくなりますから非常に危険です。

普通は有り得ないことです。2歳だと当然トイレもドア閉めないでさせますよね。

こればかりは、モンペとかのケースには当てはまらないし、子供を守るためにも即行動するレベルです。

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(質問者がベストアンサーに選んだ答え)

ほっときましょう

ただそういう一件があったことを担任の保育士さんに言っておきましょう

60すぎのおばはんに何言っても聞きませんよ

トイレに閉じこめるのはやめてもらいましょう

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(私の意見)

 

「答え」を読めばわかりますが、こんなことはあり得ない、と憤る保育士はもちろんたくさんいます。同時に、こういうことが保育の現場で頻繁に起こっていると考える保育士も実はたくさんいる。保育関係者が書いていると推測できる「答え」に、それは如実に現れています。

「役所や園長に相談しても仕返しはありますよ。親の見えない所で。擦り傷が多くなったり、とにかくイジメが始まります。」

 「人間の集まりなので、いろいろな人がいます。」

親が知る由もない環境で、こうしたことが起こっている、それがいまの保育界の偽りのない現状だと、私も思います。もっと良くないことが行われていて、ネット上にある内部告発や、親に注意を促す書き込みを読めばわかります。報道もされていますhttps://dot.asahi.com/wa/2017052400011.html?page=1。

この書き込みは4年前のこと。保育士不足はこの四年間に加速度的に進んでいて、無資格でも指導員になれる児童発達支援事業も含め、こういう状況が起こりやすい仕組みが増えています。

「いつもより少し早く迎えに来れたので」偶然、この母親はその実態を見たのですが、おそらくほとんどの「保育指針に照らせば、あってはならない」出来事が、親たちが気づかないまま起きているのが現状です。

「実際、この件が発覚するまで、自分たちや園の息子さんへの対応は大丈夫だ!と思っていたわけでしょうから、ショックの度合いでここに書き込んでいるわけですよね」、という指摘には、現場を知る人からの親たちへの強い警告があります。みんな「大丈夫だ」政府が用意している仕組みだから、と思っている、そう思っていたい。しかし、そうではないですよ、保育士の当たり外れに過ぎないですよ、ということなのです。

なにより問題なのは、こうした規制緩和や保育士不足から起こっている、子どもたちの将来を考えればあってはならない状況に真剣に目を向けようとしない、経済優先、労働力確保を第一に考え、子どもたちや保育士たちの日常のあり方の変質に目を向けようとしない政治家たちの発言と保育施策です。

ここに書かれているような風景は昔から保育の現場にはありました。「保母の子ども虐待:虐待保母が子どもの心的外傷を生む」という本がすでに1997年に出版され話題になりました。20年前にすでにそれが現実だったのですが、当時と比べ、最近の園の雰囲気、空気感は明らかに違ってきています。サービス産業化させられることによって、保育士の子どもに対する思いが変質してきている。親をサービスする相手、「客」と見たら、子どもと接し観察していて言いたいことがあっても言えなくなる。利益目的の参入が激しく、指導員に資格がいらない放課後等デイサービスなどでは、障害のある子どもを預かることが主な目的であるにもかかわらず、親に対する助言やアドバイスが言いにくくなっている。いろいろ言われるのを嫌う親も増えている。預けて当たり前という意識の広がりとともに、親と保育士の間に「一緒に育てている」という「連体感」が急速に薄れてきているのです。

保育士不足にもかかわらず、もっと預かれ、と言い続けたマスコミや、それを「福祉はサービス」と言って選挙に利用し、進めた政治家たちの姿勢が、子どもを預けることにほとんど躊躇しない親を生み出している。誰かが育ててくれるという意識が広まっては、いずれその先にある学校教育が維持できなくなる。

14年前に行われた公立保育所運営費一般財源化が出発点だったのかもしれません。その時、「子どもの最善の利益を優先する」という保育所保育指針にも書かれていた、人間社会が成り立つ原則を、国が放棄した。それに政治家も行政も学者も、国のため、経済のためと言って慣れていった。現在の子ども・子育て支援新制度によって加速した市場原理の導入、労働力確保のため何人親子を引き離すか目標値を設定した上での規制緩和がそれに続き、経費の8割が人件費であるはずの保育所に関する国の建前が、国自身の施策によって崩されていった。それに便乗して、自治体による財源不足の補填、株式会社や社会福祉法人などの利益確保が元々十分ではなかった保育士の人件費を削って行われてしまった。

そういう操作ができる仕組みを、国が、「待機児童をなくせ」「保育は成長産業」という掛け声のもとに施策で作っていったのです。その結果が、家庭や保育現場における優先順位の書き換え、双方向への疑心暗鬼、(学校も含め)子どもを育てる者たちの間の信頼の欠如を生んでいるのです。http://www.luci.jp/diary2/?p=257

11年前、きっかけがあって3カ所の大学、専門学校、養成校で保育士を目指している学生に、実習先の園で保育士による虐待(親に見せられない光景)を見たことがあるか質問しました。その時、福岡、神戸、埼玉、地域の違う三校ともに学生の半数が、見たと言った。実習生を受け入れている園でさえそうだった。実習生など絶対に受け入れない施設ではどうなのか、と想像すると怖いくらいの現実でした。

その光景を見て、保育士なるのをやめたという学生もいました。一週間実習していると、同級生が同じようなことを始めると訴える学生、先輩から、「あの園に実習に行くと保育士になる気がなくなるよ」と伝達されている園が三つある、と私に教えてくれた学生もいました。涙ながらにそう言った学生たちは、実習に行く前に、実習先であったことは口外してはならない、と誓約書を書かされていました。個人情報保護のためだけではない、現場の良くない実態を知られたくない意図があったのではないかと思います。その誓約書が、20年間心の縛りになって苦しんだ、という主任さんもいました。

そして、忘れてはいけないことがもう一つあります。実は、ここが一番重要なのかもしれない。

この実習生たちが一週間の実習期間で、保育士になる気がなくなるほどショックを受けたり、最近ではベテラン保育士でさえ耐えられずに辞めていくような光景を、その園で過ごす他の幼児たちが目の当たりにして数年間育っていく。虐待と思わるような扱いを直接受けなかったとしても、他の園児、時には「小さなお友だち」がそういう扱いをされている光景を幼児期に繰り返し見ることが、その場にいた園児たちにどういう影響を及ぼすか、心的外傷になって残るか、正確には誰にもわかりません。しかし、強者が、言葉もまだ正確に話せない絶対的弱者を威圧したり、思いやりに欠ける仕打ちを繰り返す姿を日常的に見続けることが、見ていた3、4、5歳児の将来にも影響を及ぼすだろうことは容易に想像できるのです。

本来政府が責任を持つべき制度によって、幼児期に植え付けられたこうした人間関係に対する不信感が日本という国全体を覆っていくのではないか。社会全体としての心的外傷にどれほどなっているのか、はっきりわからないからこそいい加減にはできない。今、真剣に、考えなければいけない。子どもの成長過程におけるこういう風景の存在は道徳教育などで修復できることではない、次元が異なる、深い心の問題なのです。

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こうしたあってはならない風景を無くすとまでは言いませんが少しでも減らすこと、それが、私が推奨している「親の1日保育士体験」の出発点になりました。年に1日8時間、親が、父親も母親も、一人ずつ園児に囲まれ保育現場で過ごす。(幼稚園の場合は5時間ですが。)親と保育士の間に波風を立てずに、一緒に幼児に囲まれることによって自然に育つ信頼関係で「親に見せられない風景」を封じてゆく。これしかないと思いました。いつでも親に見せられる保育をする、それが幼児を守る原点なのですから。

すると、体験した親たちの7割が感想文に「園に対する感謝の気持ち」を書きました。親が保育士に感謝すると、いい保育士が育っていく。http://www.luci.jp/diary2/?p=897 http://www.luci.jp/diary2/?p=260

その話をした時に、「保育園に預けるのは権利です。なんで感謝しなければいけないんですか?」と聞かれたことがありました。親が、子どものことで感謝する、保育士に直接でなくてもいい、神様・仏様経由でもいい、それが幸せへの近道で、それが学校教育を支えるのです、と説明するしかありません。教育とか保育という言葉で表していると、いつも間にかわからなくなるのですが、「子育て」なのです、人間たちをつなぐものは。

保育の現場だけでなく、家庭でも、他の福祉施設でも、人間性を逸脱しているように思える光景が増え続けています。「親が、我が子を育てる」、または、多くの人間が、自分の子に限らず、幼児と接する機会を繰り返し持つ、という土台が崩れてくると、人間社会は優しさや忍耐力、感謝の気持ちや、親身なること、という社会の維持に必要な人間性と絆を失っていきます。それは、福祉や教育では補えない。お互いの存在が抑止力として働かなくなる。それが私が30年住んで欧米社会に見た結論でした。虐待防止などと言ってチェック機能を強化しても絶対に追いつかない。本来、法律で取り締まる種類の問題ではないのです。

日本の保育(子育て)も、こういうことが起こりやすい仕組みに、政府の施策によって作り変えられつつある。作り変えられようとしている。欧米より安定していた家庭環境を、福祉によって親子関係が育ちにくい仕組みにしておいて、虐待防止ダイヤルとか、乳児期における身体検査、法律の強化を進める政治家のやったふりがこの国の義務教育のみならず、この国の未来のあり方を追い詰めている。

子育ては、育てる側が人間性を身につけ、育てるもの同士が心を一つにすることが第一義でした。一人で子育てはできないからこそ、人脈や絆が生まれる。弱者を見つめる思いの絆が社会の土台となって、人間は助け合うことに幸福を感じ進化してきたのです。http://www.luci.jp/diary2/?p=1014

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冒頭に挙げたネット上の問いと答えを読めばわかるように、2歳児が他人によってこういう「泣きながら母親に飛びついていくような」体験をさせられるということは、本来あってはならないこと。4、5歳児が同じ体験をすることとはあきらかに違う、影響を受ける心の次元がちがうのです。

3歳までに、環境や体験によって、脳の発達、将来の思考のしかたを左右する脳細胞の仕組みが決まってくるということは、脳科学の分野ではすでに以前から定説になっています。3歳まではみんなで可愛がる、5歳まではしっかり寄り添う、そんな感じで人間は子どもたちと接してきた。脳の発達に関わる乳幼児期のそうした安定した環境や特定の人間との親密な体験は、その子の一生に影響を及ぼしている、そう認識されているからこそ、親(特定の人)を知り、その人と十分な時間を過ごすことの大切さが国連の子どもの権利条約でも「権利」として挙げられているわけです。

それを考えれば、乳幼児期のあってはならない不自然な体験の積み重ねが、最近の小一プロブレム、いじめや不登校に影響していると考えてもおかしくない。

いま、政府の雇用労働施策によって、乳幼児期に、子どもたちの心に、人間に対する不信感が植え付けられるケースが確実に増えているのです。

ネット上の回答にある、

「ちなみに保育士の子どもいじりは、延長時ラスト1人の子に『もう、お母さん迎えに来ないかもね…』とささやくとか、1人の子とだけ遊んであげない(返事だけはしてあげる)とか、結構やってます。知らないのは親だけです。」

 という状況と警告を、なぜ保育という仕組みに責任がある国や政治家や学者、マスコミも、もっと真剣に取り上げなかったのか。ちなみに、この問いと答えに対する閲覧数は2万6千回を超えています。

すでに4年前に延長保育の保育士は無資格者でもいい、ということになっていました。財政削減の矢面に立って、公立の保育士の6割が非正規雇用になっていました。そうした規制緩和をしながら、3年前、新しい保育施策で、国は「11時間保育」を「標準」と名付けました。親として初心者である乳児の親たちが、この「標準」という言葉をどう受け止めるかは予想できたはず。預けて当たり前、「標準」なんだ、という意識が確実に広まっています。そして、この「標準」を維持するための3時間のパートに資格者を雇うことはほぼ不可能になり、8時間勤務の保育士でさえ公立の正規職員でもない限り、募集しても倍率が出なくなってしまった。倍率が出ないということは、人を選べないということです。しかし、乳児の保育で一番大切なのは、保育士の「人間性」です。倍率が出ないと心が主体となる本来の姿が失われてゆく。

政府は、この新しい保育施策の内閣府のパンフレット(子育てジャパン)に「みんなが子育てしやすい国へ」と書きました。厚労省はこの施策を、「安心して子どもを産み育てることができる環境の整備」といい続けています。こんな虚偽、誤魔化しがいつまでも通用するわけがない。

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内閣府のパンフレットを見て、ある役場の保育課長が「みんなが子育て放棄しやすい国へ、でしょう、これでは」と言いました。その表紙には、ハイハイをしたり、ラッパを吹いたり、太鼓を叩きながら笑顔で保育園・子ども園に行進していく(と思われる)子どもたちの絵が描いてあります。厚労省の施策のキャッチフレーズに、知り合いの二代目保育園理事長が顔をしかめました。「安心して産み育てる、じゃなくて、気楽に子どもを産み育てることができる環境の整備でしょう。気楽に産んでもいいんだけど、気楽に預けてもらっちゃ困るよね。それでは、子どもの立つ瀬がない。いつまでたっても親が育たない」。

20年近く前に「保母の子ども虐待―虐待保母が子どもの心的外傷を生む」という本が 出版され、四年前にネット上でこうした「保育士による虐待?」に関わるやりとりがされ、その閲覧数が二万六千回あり、「保育士、虐待」で検索すれば、他にも「ありえない」実態が数多くネット上に報告されている。あきらかに保育士と保護者間の信頼関係が成り立たなくなっている時に、都知事が「24時間型の保育所増やす」と公言し、首相が、二年前に、もう40万人預かれば女性が輝く、ヒラリー・クリントンもエールを送ってくれました、と国会で述べる。そしていま、保育の無償化です。それを「人づくり革命」の第一歩と言う。ここで言う「人づくり」の意味がわからない。政府主導で、何かとんでもない勘違いが始まっているようです。

信頼関係と絆を失い、幼児たちの存在意義を見失いながら、労働力(人)をつくろうというのでしょう。それはどう考えても無理。学校、職場も含め、世の中は殺伐とするばかりで、人間の生きる力、生きる動機がさらに失われるばかりです。

保育を無償にすれば、「子どもは誰かが育ててくれるもの」という意識が広がります、と保育士たちが心配します。親が育たなくなる、保育士がますます疲弊する、と園長たちが言います。

無償化によって保育や教育で「人づくり」がますますできなくなる。

前述したネット上の質疑応答の中にある「子育ては取り返せない」「これが警鐘です。それをどう捉えるかは、親御さんの判断です」という保育士からの警告を、どう捉えるのか。政府や学者の作る無責任な施策によって、働く母親たちが、これからますます窮地に陥っていくのです。

子どもが優先ではない、経済優先の考え方では、社会という仕組みは行き詰まる。いい保育士が意欲を失い、子どもを足かせのように感じる親が増えていく。学級崩壊に歯止めがかからなくなる。義務教育が存在する以上、その時点で、政府の保育施策は誰にとっても他人事ではなくなっている。

本来、幼児という絶対的弱者とつきあうことによって、人間はその善性を引き出され、優しさを身につける。彼らを守るために、社会を形成する。その根本がいま揺らいでいます。

安心・安全を保つために遺伝子の中に組み込まれている「いい人間性」は、幼児(または絶対的弱者)の存在が引き出すもの。子育て、というプロセスが本当の意味で、人間社会を維持するのだと思います。

市、虐待疑いの母 確認せず保育士に採用

堺・9歳暴行死:市、虐待疑いの母 確認せず保育士に採用 

堺市で今年2月、小学3年生の長男、福本陽生(はるき)さん(9)を殺害したとして両親が殺人容疑で逮捕された事件で、市は2日、大阪府警から虐待の疑いを指摘されたのに、本人に確認しないまま母親の裕子容疑者(34)を保育士として採用し、こども園で勤務させていたことを明らかにした。(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20180803/k00/00m/040/194000c

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もう、限界は来ています。保育士は、ただの働き手、保育はただの仕事、就労支援とみなされている。人間性が問われていない。少なくとも幼児という絶対的弱者に日々関わる者としてのチェックが行われなくなっている。人選にほとんど注意が払われなくなっている。市の行政でさえそうなのです。募集しても倍率が出ない保育士不足が、資格さえ持っていればいい、という状況を生んでいて、現場は人を選べなくなっている。実は、数年前から公立の保育園でも起こっていたこと。私立では十年以上こういう状況が続いてるのです。

(千葉で保育士が警察に園児虐待で逮捕され、園長が取り調べに、「保育士不足のおり、辞められるのが怖くて注意できませんでした」と言ったのが5年前、新聞の一面の記事になっていたのです。園長が悪い保育士を注意できなくなったら、家に帰って親にちゃんと報告できない3歳未満児を預かってはいけない。少なくとも、それを政府が奨励してはいけない。そういう危険性があることは伝えなければいけない。http://www.luci.jp/diary2/?p=779)

幼児の存在、願いだけではなく、安全性を無視して雇用・労働施策を進める政府や政治家、経済学者の保育施策に対する姿勢によって、行政も含め、現場が完全に追い込まれている。

子ども思いの保育士にとって、「大阪府警から虐待の疑いを指摘されたのに、本人に確認しない」行政の姿勢に対する、あきらめに近い失望感が、全国に蔓延してきています。

子どもに対する行動に疑問のある人を職場の同僚に抱えて保育をするということがどれほど辛いことか。見て見ぬ振りをせざるを得ない保育士の悲しみや、園児たちを守れない辛さが、幼児の日々の一瞬一瞬にどれほど影響しているか。幼児たちの日々が、この国の将来にどれほど影響するのか。ちょっと考えればわかるはずです。

そうした人間の心の動き、見えないところを想像し、乳幼児の願いを汲み取ろうとする能力が社会全体から欠け始めている。事故が起こらなければいい、表沙汰にならなければいい、親にバレなければいい、という問題では絶対にないのです。

人間社会が存続するために必要だった弱者を守ろうとする意識、社会というものを作ろうとする「意図」が変質してきている。

こんな状況を知らなかったとは、もう誰も言えない。

24時間型保育所を増やす、などと言っている東京都の知事も、現場が保育士不足によってこれほどにまで追い込まれている、ということは知っているのです。知らないとしたら、あまりにも勉強不足。保育施策を語る資格なしです。

この子どもを虐待し、殺害した容疑に問われている母親は保育資格をもっていたのだろうか。持っていたとしたら「資格」の意味が問われる。持っていないとしたら、誰でも保育士として雇うことができる仕組みの危うさが問われる。

以前、ある厚生労働大臣が「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」と私に言ったことがある。「専門家」という言葉で誤魔化そうとする政治家、「専門家」という言葉に誤魔化される親たち、「専門家」という言葉に頼ろうとする一部の親たち、幼児たちの存在意義が見失われてゆく。親を育てる専門家(幼児)たちが、その役割を果たせなくなってゆく。

「専門家」が「専門家」を作り出すように見えてしまう学問や教育の普及が、本来の「人間としての感性、判断能力」を社会全体から失わせ、「人間としての成長」を危うくしている。絆をつくる役割分担から「心」を奪っていく。

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子育ては、経済的損失?

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 「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円 (民間研究所試算)」という新聞記事。テレビなど他のマスコミも一斉にニュースとして報道していました。

産まれたばかりの子が親と居たい、出産したばかりの親が子と居たい、そう思う気持ちを1.2兆円の損失と計算する経済学者たちの異常さ、馬鹿馬鹿しさ。それを真実のように報道する新聞の無感覚さ、いい加減さ。あきれるばかりです。いったい、いつからこんな世の中になっていたのでしょう。幼児期の子育てに関する常識はどこへ消えてしまったのでしょう。

ここでいう「損失」とは、誰にとっての損失なのか。子どもの立場にたった「損失」を誰か考えているのか。そうしたことを誰も、しっかり考えずに、情報は真実として流れていく。

経済と幸福は、本来一体でなければ意味がないはず。そして、幸福は金額で計れるものではない。そんなことは、昔話にだって繰り返し書いてある。

富を幸福と勘違いすると、弱者(特に幼児)の居場所、存在意義が消えてゆく。「いい加減にしてほしい!」と叫びたくなります。こういう報道の向こうに保育士不足のなかで、子育てを押し付けられ、立ち往生している保育士たちがいる。「学校を託児所だと思っている親が増えてきた」と悩む校長先生がいる。国が経済的損失1.2兆円を出さないようにするために、この人たちの精神的健康が崩れていくのを放置するのだとしたら、そして親たちの意識が経済優先、自分優先に変化していくのをそのままにしておくのだとしたら、その損失こそ計り知れないものなのだ、といつか気づくはず。それに、いま気づく学者や政治家はいないのか。

限られた財源の中で、こうした人間性に関わる意識の変化を補うために、保育を含む福祉や、学校教育の質がどんどん落ちてゆくのであれば、その損失の方がはるかに恐ろしい。子育てがたらい回しにされることによって、消えていくモラル・秩序に対応するために、司法や警察力に頼るのであれば、それにかかる経費はこの先加速度的に増えてゆく。
「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円」、こうした馬鹿げた計算の裏には、富を幸福と勘違いさせないと、資本主義は回らない、と思っている人たちがいる。でも、そのやり方はネズミ講と同じで、ごく一握りの人たちしか「幸福」を得られない。
子育ては、人間が損得勘定から離れることに幸せを見出す体験で、これをすると、優しさとか忍耐力といったいい人間性が社会に満ちてくるし、より多くの人たちが、信頼関係に囲まれる安心感を得ることができる。「自立」を眼差すことよりはるかに安定した「信頼関係」という幸福感を得ることができる。
イエスは、貧しきものは幸いなれ、と言った。お釈迦様も欲を捨てる方が幸せになれる、と言っていた。そして二人とも、幼児たちに指針を求めよ、と教える。砂場で遊ぶ幼児たちを眺め、なぜ彼らが一番幸せそうな人たちなのか、を考えれば、その人たちを見習うやり方のほうが、より多くの人たちが幸福感を得られる道だと思う。

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出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円 民間研究所試算

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018073090065813.html出産を機に仕事を辞める女性は年間二十万人に上り、名目国内総生産(GDP)ベースで約一・二兆円の経済損失になることが、第一生命経済研究所の試算で明らかになった。女性が仕事を続けられる環境の整備は、経済政策としても重要なことが裏打ちされた。 (奥野斐)

第一生命経済研究所の熊野英生(ひでお)首席エコノミストが、国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査などを基に試算した。

調査などによると、第一子を出産した女性のうち出産に伴い仕事を辞めたのは33・9%。同様に第二子出産を機に辞めるのは9・1%、第三子出産時は11・0%。二〇一七年に生まれた約九十四万六千人について、第一子、第二子、第三子以上の内訳を過去の出生割合から推計し、それぞれに離職率を掛け合わせ、出産を機に離職する女性は二十万人と算出した。

この二十万人は正社員七万九千人、パートや派遣労働者など十一万六千人、自営業など五千人。それぞれの平均年間所得を掛け合わせると計六千三百六十億円。これが消費や納税などに回らなくなるため、経済損失となる。

一方、企業の生産活動による付加価値のうち人件費は約半分を占める。熊野さんは、女性退職による生産力低下などの企業の経済損失は退職した女性の人件費とほぼ同額とみなすことができるとして、損失総額を一兆一千七百四十一億円と試算した。

また、企業などの育休制度の充実が、離職を食い止めていることも出生動向基本調査などから明らかになった。

第一子出産後に育休制度を利用して仕事を続ける人の割合は二〇〇〇~〇四年は15・3%だったが、一〇~一四年では28・3%とほぼ倍増した。

熊野さんは「企業にとっても、せっかく育てた女性を出産退職で失うのは大きな損失。離職者を抑えることが今の日本の課題。保育施設の整備や育休制度の充実が重要だ」と話す。

◆非正規の離職率は7割超

「子育てに専念したいという人も一定数いるだろうが、職場環境や雇用条件によって辞めざるを得ない人が多い」。女性の働き方の問題に詳しい労働経済ジャーナリストの小林美希さんは「出産退職」の現状をこう指摘する。

特に厳しい立場に置かれているのが、パートや派遣など非正規雇用やフリーで働く女性たちだ。今回の試算では、育休制度を利用して仕事を続ける人の割合が増えていることも明らかになった。しかし、出生動向基本調査によると、二〇一〇~一四年に第一子を産んだ妻の離職率は、正社員が約三割なのに対し、パート・派遣は七割を超えた。

小林さんは「女性の約半数は非正規雇用だが、育休取得者は全体の3%だけ。働き続けたいすべての人が育休を取れるよう国が法整備すべきだ」と指摘する。

長時間労働の是正など、出産後の働きやすさも課題だ。保育政策に詳しい第一生命経済研究所の的場康子主席研究員は「時間や体力面の不安で働き続けることをためらうケースもある。企業側の環境整備によって出産退職を免れる人は増えるはずだ」と分析。「企業は、女性だけでなく男性も育休を取りやすい環境づくりをすべきだ」と話す。 (坂田奈央)

(東京新聞)

保育園落ちた、万歳!

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「保育園落ちた、万歳!」という言葉が去年くらいから、子育て支援センターや子育て広場で聴こえてくるようになりました。落ちることによって正式に育休が伸びる、それを願っている人たちの間で密かに囁かれていた言葉ですが、普通の声で、普通の会話の中で言われるようになってきた。マスコミでも取り上げられるようになりました。

「なぜ、さっさと保育園に預けて職場復帰しないのか」という言葉に肩身の狭い思いをしていた親たちには、こうした報道がうれしい。小さいうちはなるべく子どもと居てやりたいという、ごく自然な感情が、非常識であるかのように否定されること、その雰囲気自体がおかしいのです。

50年前なら考えられなかったような保育界の非常識、11時間保育を標準と名付け、3歳未満児を40万人保育所で預かれば、女性が輝く、と首相が言ってしまう状況がこれ以上続くことが危ない。だからいい保育士がやめていってしまう。学校教育も追いつめられる。

質の低下を野放しにし、保育は成長産業などと閣議決定する政府の施策に騙されてはいけない。子育ての大切さに気づく親たちが現れています。3歳までにどれだけ話しかけられるか、どれだけ抱っこされるかで子どもの人生が変わる、親子の人生が変わる、それに再び気づき始めている。いまやっと流れが、また少し変わり始めている。

そうした報道記事の一つです。

保育園「あえて落ちる」人が続出する本質理由 「不承諾通知狙い」は良いのか?悪いのか?(東洋経済オンライン :保育園にあえて落ちるため、不承諾通知を狙う人たちがいる)

2018年2月、認可保育園に落選するために入れそうもない人気園を1園だけ希望する「不承諾通知狙い」の入園申請があることが話題になりました。待機児童問題が深刻化する一方で、この動きは何年も前からひそかに広がっていたようです。なぜそんなことが起こるのか。それは批判されるべきことなのか。「保育園を考える親の会」代表で保育事情に詳しい普光院亜紀さんが実情を掘り下げます。

(中略)

なぜ不承諾通知が必要なのか

 育休延長は、単純に育児休業期間が2歳までに延長されたのとは意味が違います。誰でもできるわけではなく、育休期間が終わる時点(1歳・1歳半)で認可保育園などの利用申込みをしたのに、保育園による保育が実施されないなど、やむをえない事情がある人にだけ認められるものです。

 この証明のために、自治体が発行する認可保育園などの「不承諾通知」「入所保留通知」(呼称は自治体による)が必要になります。

 「育休を延長できると聞いて安心してしまい、1歳前に入園申請をしなかった」

 「認可に入れそうもないから認可外だけ申し込んだけど、入れなかった」

 というような場合は、育休延長制度を利用する権利を失ってしまいます。

 そんな「うっかり」に注意を促すためもあったでしょう。1歳半までの延長制度ができた後から、ネット上に「不承諾通知のもらい方」を教える情報が流れ始めました。やがて、最初から育休を延長したい人たちの間で、「わざと落ちた」体験が共有されるようになりました。

(後略)

『萩生田氏「赤ちゃんはママがいいに決まっている」』という記事がありました。

朝日新聞デジタルに、『萩生田氏「赤ちゃんはママがいいに決まっている」』という記事がありました。https://www.asahi.com/articles/ASL5W4F1ZL5WTNAB00D.html

実は、友人(インドにいる教え子)からメールが来て、記事について教えてもらったのです。

「朝日新聞、真摯な姿勢で紹介してますね。全くその通りですよね。取り上げ方が丁寧でびっくりしました。萩生田さんを認める書き方ですね」と彼女は書き添えていました。読んでみて私も、そう思いました。

乳児(0歳、1歳児)の思いを想像する。

その想像が当たっているかどうかではなく想像すること、理解することではなく理解しようとすることが人間社会に必要な調和や絆の原点だと思います。人類の歴史をイメージすれば、つい最近まで、ほとんどの人間たちがなんらかの形で乳幼児と数年間は関わってきた。これをしないと人類は滅んでしまう。「子育て」という側面からすれば、ある一定の時期かもしれませんが、ほとんどの人間が自分の子だけではなく、子育てに関わり、その時期に幼児によって育てられ、遺伝子の大切な部分がオンになっていった、そう考えるのが自然でしょう。

現在の、追い詰められている保育事情や、国の雇用労働施策に煽られた親の子育てに対する意識の変化を考えれば、「赤ちゃんはママがいいに決まっている」といま発言することは、子どもの気持ち、そして多くの保育士たちの気持ちを代弁する大切な発言だと思います。政治家がそれを言わないでどうする。もう最後のチャンスかもしれない。この「気持ち」を無視続ければ、福祉や学校教育がもたない。社会で(仕組みで)子育てなど出来るはずがない。

(以下、記事の内容です。)

 自民党萩生田光一幹事長代行は27日、宮崎市内で「0~3歳児の赤ちゃんに『パパとママ、どっちが好きか』と聞けば、どう考えたって『ママがいい』に決まっている。お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、『男女平等参画社会だ』『男も育児だ』とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない」と語った。

 党宮崎県連の会合で講演した。萩生田氏は「待機児童ゼロ」をめざす政府方針を紹介したうえで、0歳児保育をめぐり、「生後3~4カ月で、『赤の他人』様に預けられることが本当に幸せなのだろうか」と疑問を呈した。さらに「慌てずに0歳から保育園に行かなくても、1歳や2歳から保育園に入れるスキーム(枠組み)をつくっていくことが大事なのではないか」と訴えた。(小出大貴)

 萩生田氏の発言要旨は次の通り。

     ◇

 東京ではいま0歳の赤ちゃんの保育園が足りないことが問題になっていて、国では「待機児童0」を目指すと言っています。もちろん今の対処として待機している赤ちゃんを救済していくのは大事なことでしょう。しかしみなさんよく考えて頂きたい。0歳の赤ちゃんは生後3~4カ月で赤の他人様に預けられることが本当に幸せなのでしょうか。

 子育てのほんのひととき、親子が一緒にすごすことが本当の幸せだと私は思います。仕事の心配をせず、財政的な心配もなく、1年休んでも、おかしな待遇をうけることなく、職場に笑顔で戻れるような環境をつくっていくこと。もっと言えば慌てず0歳から保育園にいかなくても、1歳や2歳からでも保育園に入れるスキーム(枠組み)をつくっていくことが大事なんじゃないでしょうか。

 子育てというのは大変な仕事です。これを「仕事をしていない」というカテゴリーに入れてしまうのがおかしい。世の中の人みんなが期待している「子育て」という仕事をしているお母さんたちを、もう少しいたわってあげる制度が必要なんだと思います。

 (子育ての話のなかで)「お母さん」「お母さん」というと、「萩生田さん、子育てを女性に押しつけていませんか。男の人だって育児をやらなきゃだめですよ」とよく言われるんです。その通りだと思います。だけど、冷静にみなさん考えてみてください。0~3歳の赤ちゃんに、パパとママどっちが好きかと聞けば、はっきりとした統計はありませんけど、どう考えたってママがいいに決まっているんですよ。0歳から「パパ」っていうのはちょっと変わっていると思います。ですから逆に言えば、お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、言葉の上で「男女平等参画社会だ」「男も育児だ」とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない。子どもがお母さんと一緒にいれるような環境が、これからはやっぱり必要なんじゃないかと私は思います。

ーーーーーーーーーーー

報道後、毎日新聞が萩生田氏の発言に対し、「父子家庭への配慮欠如」という記事を書いたそうです。「配慮」という言葉で、意図的に言論統制、言葉狩りが行われているような気がする。朝日新聞に載っている発言を読む限り、萩生田氏の発言は、自然な発言に思えます。「父子家庭への配慮欠如」という解釈や報道姿勢の方が「子どもにとっては迷惑な話」なのだと思います。(こういう配慮は、父子家庭にとっても迷惑な話かもしれません。「ママがいいに決まっている」という思いを噛み締めながら、ママの代わりはできない、という思いで頑張るから、より一層父と子の絆が深まるのではないか、そう考えることの方が自然だと思います。)

こういう不自然な「配慮」やあり得ない平等論で、「母の日」や「父の日」の行事が中止になっていったりする。それが人権先進国だと思っている人たちがいる。そういう人たちの平等という名のパワーゲーム、人権闘争に巻き込まれて、子どもたち(弱者)の権利や立場が失われてゆく。(http://www.luci.jp/diary2/?p=1150:何かが麻痺している。)

よく考えれば父子家庭に母親が居ないという考え方がそもそも浅いのです。家族という概念は「意識」の中にあるもの。子どもがお盆に親の墓参りに来たら、親は死んでも「子育て」している、ということが忘れられている。

ママがいいに決まっている」と言われて傷つく父親はそんなにいない。そう感じる父親は、0、1、2歳児にあまり関わらなかったのではないか。まだ親に成りきれていない父親だと思います。0歳1歳の子育てを経験すれば、男には「お手上げ」の状況が必ずある。子育ては明らかに役割分担でなりたつのです。「ママがいいに決まっている」といわれて、そうだよな〜、と思う父親、それを補うために自らの、独自の絆を増やそうとする父親は、伸びしろのある父親です。子育ては一人でするものでもないし、出来るものでもない。

そして、実は「いい親でありたい。いい親になりたい」と思った瞬間その親はいい親なのです。子育てとはそういう次元のものです。

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先進国社会では、母親の孤立化が「社会で子育て」(実は仕組みで子育て)という方向性を生んでいて、そこに「子育て」で儲けようという人たちが政府に奨励され、参入してきている。それもまた現実でしょう。だからこそ、「母親がいいに決まっている」という思いを噛み締めなければいけない。そして父親たちが相応の責任を感じ、母子のために頑張らなければいけない。

未婚の母から生まれる数が半数に近づいている欧米では多くの国で「実の父親」という概念がすでに形骸化しているのです。それで大丈夫なのか。仕組みで補えるのか。人類はかつて経験したことのない、家族という概念の崩壊に直面している。欧米で、子どもが18歳になった時に、実の両親が揃って家庭にいる確率が半数を切っている。当然のように、母親にはますます負担がかかり、女性たちが追い詰められている。同時に、義理の父親による虐待や近親相姦が異常に増え続けているのです。しかしそのような状況になっても、いまさら親子を引き離そうにも福祉という仕組みが人材的にも財源的にもまったく追い付かない。アメリカでは養子縁組が人身売買のような市場原理に頼らざるを得なくなっている。福祉や学校という仕組みで「子育て」をすることの限界を、すでに超え、市場原理がモラル・秩序を失い、社会全体が人間性を失っている。(捨てられる養子たち:http://www.luci.jp/diary2/?p=1413)

 

欧米ほどではないにしても、日本でも同様の福祉の限界、仕組みの崩壊が始まっていて、子育てを中心にモラル・秩序の崩壊が進んでいます。保育士・教員の不足、その質の低下という待ったなしの現状があって、それをみれば「仕組みで子育て」の限界点はすでに過ぎているのだと思います。何より、保育士たちが昔はどんな保育士たちも言っていた「ママがいいに決まっている」という感覚を失いつつある。あと40万人保育園で預かるなどという政府の目標が止まらない限り、ある一線を越えると引き返せなくなる。早く、子育てを家庭・家族に返していかないと、社会で子育てなどと言っている間に、修復できないほどに「家庭」は崩壊してゆく。

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萩生田さんの発言、三年遅いと思います。首相の側近と言われる人なら、「11時間保育を標準」と定義づけた今度の新制度が施行される前に、なぜ止めようとしなかったのか。その頃すでにこうなることは知っていたはずです。

でも、いまからでも言ってほしい。マスコミの反応など気にせずに、「右」だとか「左」だとかいうくだらない仕分けに囚われず、子どもたちの代弁者として、こんどはしっかり言ってほしい。

ーーーーーーーーーーーーー

ここ数十年に起こってしまった先進国社会における「孤立化」は、まわりに親身な相談相手がほとんどいないという、人類未体験の異常な「孤立化」です。それは「子育ての社会化」で起こった現象でもあるのです。相談相手ばいないと、子育てがますます辛くなる。その孤立化を少しでも解消するために、保育園や幼稚園、子育て支援センターなどを中心に、「子育てを通して」社会に絆と親身さを取り戻していく、土壌から耕しなおしていくしか方法はない。だからこそ、いま、「0歳の赤ちゃんは生後3~4カ月で赤の他人様に預けられることが本当に幸せなのでしょうか」という自問自答を社会全体で「優先順位」を見極めながらしなければならない。

 

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家事労働はまだしも、子どもに対する責任は確かに切れ目がない。必ずと言っていいほど目の前で怪我をしたりもしますから、そうなると言い訳が出来ない。祈ったり、謝ったりして暮らすしかない。三歳までの子どもを育てていると、常に、ヒヤヒヤする。でも、そのヒヤヒヤや、オロオロが親を育て、社会における親身な絆を育む。

子育ては、自分で判断し、想像し、創造しなければならないことがたくさんあるから、逃げ出したくなることもあるでしょう。本来、一人でやるものではないですし、必ず、一緒に祈ったり、一緒に謝ったり、一緒に喜んだりする人が必要になる。それが子育ての一番素晴らしいところです。

単純に、会社を辞めて子育てに逃げる人と、子育てから会社に逃げる人が居たとして、動機を比べてみると、どちらが幸せを探しているか、そんなことを、最近考えます。

本来逃げられないものから逃げられるようになった社会が、本当に幸せなのか。選択肢が増えるということは自己責任が増えること、実はそんなにいい事ではない。自己責任は自己嫌悪につながることが多い。自己嫌悪が人間には一番辛い。連帯責任か、神様の責任にするのが、絆に守られる人間社会を作るコツなのかもしれません。

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衆議院内閣委員会での森田俊和議員の質問です:それでも、無理な保育施策が進んでいきます。

こういう質疑応答が国会でなされている。

これから、幼児たちをどういう視点で眺めるか、幼児たちの人間社会における役割りをどのように再発見するか、そこに国のみらいのあり方がかかっています。

ここを間違うと、保育や学校教育だけでなく、この国のモラル・秩序、そして経済さえも崩れてゆく。

実の両親に育てられる子どもの方が少数派という欧米社会では不可能な「可能性」をまだこの国は持っている。

以下は、衆議院委員会での森田俊和議員の質問です。この時期に、この質疑応答がされたことに意味があるのです。議員には感謝です。

ここに出てくる保育施策に関する国の回答は、市区町の役場の返事と同じで、これだけやっていると言いながら、こんな対応ではまったく解決にならない。それは現場が一番わかっています。保育の質の低下、保育士不足は止まらない。答える側もわかっているはず。わかっていながら、無理な保育施策が雇用労働施策、保育は成長産業という閣議決定の元に進んでゆく。

しかし同時に、一連の国の回答の中に、保育者体験を中心に、これを徹底して進めていけば自浄作用や自然治癒力が働く、という施策もすでに入っている。ここが重要です。今すべきことは、すでに法律の中で言われている。出来ることです。

 

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森田委員 希望の党の森田俊和でございます。

(前略)

そこで、まず議論の前提として、松山大臣にお伺いさせていただきたいと思いますが、この少子化の原因、どのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。

松山国務大臣 お答えいたします。

森田委員に御指摘いただいたように、昨年末公表されました平成二十九年の人口動態統計の年間推計ですけれども、これにおきましても、平成二十九年の出生数は九十四万一千人と過去最少となっておりまして、出生数から死亡数を引いた自然増減数もマイナス四十万三千人と、過去最大というふうになっております。また、婚姻件数におきましても、戦後最少の六十万件という状況になっておるところでございます。

少子化の問題は、若者の、一つは経済的な不安定さというもの、また長時間労働、あるいは仕事と子育ての両立の難しさ、また子育て中の孤立感あるいは負担感、そして教育費の負担の重さ、あるいは身体的な理由や年齢的な理由、これら、結婚、出産、そして子育ての希望の実現を阻むさまざまな要因が絡み合っているものというふうに認識をしているところでございます。

森田委員 どうもありがとうございます。

子供が少ないという問題でございますけれども、更にもう一歩踏み込んで考えてみますと、先ほど御答弁の中にもちらっとお話が出てまいりましたけれども、子供が少ないという前に、まず、結婚をされないという方がふえておられます。この未婚率の増加ということについても、あわせて大臣から御答弁をお願いしたいと思います。

松山国務大臣 お答えいたします。

未婚率ですけれども、我が国では五十歳時点での未婚者の割合が、平成二年の段階で、男性で五・六%、女性で四・三%でございました。二十五年後の平成二十七年のデータを見ますと、男性で二三・四%、約四倍になっております。女性で一四・一%に上昇しているところでございます。

国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査によりますと、若い世代では、男女ともに、いずれ結婚するつもりと答える人たちは約九割いらっしゃるんですけれども、その一方で、結婚の意思のある未婚者が独身にとどまっている理由ということでお聞きすると、適当な相手にめぐり会わない、あるいは結婚資金が足りない、また、まだ必要性を感じない、自由さや気楽さというものを失いたくないというものが挙げられておりまして、特に、結婚資金が足りないという項目と仕事に打ち込みたいとする理由は上昇傾向にございます。

こういう状況でございます。

森田委員 どうもありがとうございました。

このあたりのことが、恐らく、いろいろな議論の出発点になってくるんだろうなというふうに思っております。

御答弁の中にもございましたけれども、お金の問題もあると思います。自分が食べていくのに精いっぱいだということでは、とても、結婚しよう、子供を持とうという気にはなりません。これもわかります。また、労働時間が長いと、自分の時間が持てないということもあろうかなと思います。家族や友人と過ごす時間、あるいは、趣味やスポーツに使える時間、地域のことに使える時間。残業だったり休日出勤であったり、こういうことで自分で使える時間が少ないと、とても家族を持とうという気になれないというのは、確かにそのとおりだなというふうに思っております。

確かにそういった原因もあるかなとは思っておるんですけれども、これは私は今の日本の根本的な問題だなというふうに思っているんですが、私たちは一体何のために生きるのかということが、ちょっと違う方向に行ってしまっているのかなという私は危惧を抱いております。

例えば、よい給料をもらうだとか、あるいは出世をするだとか、確かにそういう成功といったようなものも大事かもしれませんけれども、そのために生きているのではないというふうに思います。例えば、よい学校に入って、よいお給料をもらって、出世して、それでどうなのかということが大切になってくるのではないかなというふうに思っております。

これは国に当てはめてみましても同じことが言えるんじゃないかなと思っておりまして、例えば、国の経済が成長する、GDPが幾らになった、こういうことも確かに大事なことだとは思いますけれども、では、例えば、成長したらどうなるのか、GDPが上がったら何が私たちの人生にとってプラスになるのか、よいことがあるのかということが、なかなか、まあ、これは誰ということではなくて、社会全般の風潮として、見えてきていないという気がしております。

私は、もちろん経済を否定しません。経済は大事です。しかし、経済だけで人間は幸せになれないということも、また一つの考え方だろうというふうに思っております。

心理学者のマズローという人がいますけれども、欲求五段階説を唱えました。第一段階では、飲んだり食べたりする生理的な欲求、第二段階では、安心、安全の欲求、第三段階は、社会的な欲求、すなわち、家族がいたり、友人がいたり、地域の人たちとのつながりがあったり、人間はこういうことを求めるというのが第三段階に来ておりまして、さらに、第四、第五と行きますと、尊厳であったり自己実現の欲求というふうに続いていくわけです。

どうも、この五段階に当てはめてみますと、私たちの身の回りというのは、大体この第一段階、第二段階ぐらいまででとまってしまっているような気が私はしております。よいお給料をもらえればそれで幸せになれるということではなくて、人間同士のつながりがないと第三段階に行けないということでございまして、こういった基本的な人生に対する考え方というものが共有できない限りは、いつまでたっても、経済だけでは何となく満たされない生活、何となく満たされない人生ということになってしまうのではないかなというふうに思っております。

こういったことを踏まえて、保育のことについて伺っていきたいなというふうに思います。

先ほどの御答弁の中で、子育ての負担というお話が出てまいりました。負担が大きいというお話が出てまいりました。確かに、乳飲み子を育てる、きかん坊の幼児を育てるというのは大変な御苦労があると思います。

そこで、お伺いをさせていただきますけれども、まず、保育所の最も重要な役割というのは何でしょうか。御答弁をお願いします。

成田政府参考人 お答え申し上げます。

保育園は、保育を必要とする子供の保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設でございます。

このため、保育園では、保育に関する専門性を有する職員が、家庭との緊密な連携のもとに、子供の健康と安全を確保しながら、その状況や発達過程を踏まえた、きめ細かな養護及び教育を行っていくことが求められております。

また、保育園は、入園する子供を保育するとともに、家庭や地域のさまざまな社会資源との連携を図りながら、入園する子供の保護者に対する支援や地域の子育て家庭に対する支援等を行う役割も求められているところでございます。

森田委員 ありがとうございます。

御答弁の中に保護者の支援というような言葉が出てまいりましたけれども、これが二番目に来るということでございまして、まず初めに来るのは健全な心身の発達ということで、子供たちのためにあるのが保育所だということになります。

しかし、私たちが子育て支援の政策を考えるときに、一体子供たちが何を望んでいるのかということを聞いているかといえば、これは聞くことができません。しゃべれない乳児、乳幼児にそれを聞くことはできないわけでございます。でも、やはり恐らくは親と一緒にいたいというふうに思っているはずです。私も、小さいころ、年少のときだったと思いますけれども、登園拒否を、保育園に行かないということをやりましたので、その気持ちは痛いほどよくわかります。

こういった子供の思いとは別のところで、これまで大人の都合で、受皿を五十万人ふやすということで保育所などの増設をやってきているわけです。その結果、確かに保育の施設はふえております。しかし、今度はそれを担う人材、人手が足りないという問題が出てまいりました。

私は、親心を育む会というのがあるんですけれども、これは主に埼玉県内の保育園の園長先生ですとか主任の先生方の勉強会なんですけれども、このメンバーに入れていただいておりまして、いろいろな話をさせていただいております。例えば、三人保育士を募集したいというところに応募が二名しか来なかったというような状況があるということもございました。この人はどうかなと思っても、どうかなというのは、割と否定的な意味でどうかなと思っても、配置基準の問題が当然ありますので、法規上採らざるを得ないというようなことが出てきております。

そこで、伺いたいと思いますけれども、保育士の不足の問題、これについてはどういうふうに捉えていらっしゃいますでしょうか。

成田政府参考人 お答え申し上げます。

保育の受皿整備に伴って、全国的に保育士の有効求人倍率は高い水準で推移しており、保育人材の確保を図ることが重要であると認識しているところでございます。

このため、保育人材の確保に向け、政権交代後、合計一〇%の処遇改善を実現するとともに、これに加えて、技能、経験に応じた月額最大四万円の処遇改善を行ったところでございます。

また、平成二十九年度補正予算及び平成三十年度予算において、昨年度の人事院勧告に伴う国家公務員の給与改定に準じた一・一%の処遇改善を行ったところでございます。

さらに、昨年末に閣議決定されました新しい経済政策パッケージでは、保育士の確保や他産業との賃金格差を踏まえた処遇改善に更に取り組むこととし、二〇一九年四月から更に一%の賃金引上げを行うことを盛り込んでおります。

こうした処遇改善のほか、新規の資格取得、就業継続、離職者の再就職といった支援に総合的に取り組むことにより、保育人材の確保に努めてまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございました。

いろいろと処遇改善をしていただいたりということで、いろいろな対策をとっていただいているということでございますけれども、現実としては足りていないという状況がございます。現場は今、大変な状況になっているというお声が聞こえてまいります。場合によると、今までは採用できなかったような方まで採用しないと手が追いつかない、そういう状況になっております。そうすると、当然の流れとして、今度は保育レベルの低下というような問題が出てきてしまいます。

さらに、お伺いをさせていただきますけれども、こういった人手不足の中で、保育所はその役割を適切に果たしているというふうにお考えでしょうか、お答え願います。

成田政府参考人 お答え申し上げます。

保育園等における保育は生涯にわたる人格形成の基礎を培うものであることから、保育の受皿の拡充と同時に、保育の質の確保、向上を車の両輪として進めていかなければならないと考えております。

このため、保育園の保育の質や子供の安全を確保するため、各都道府県等において、毎年一回以上、人員配置基準を満たしているか等について実地監査を行う仕組みとしております。

また、保育の質の向上に向け、保育人材の専門性の向上を図るため、平成二十九年度には、技能、経験に応じた月額最大四万円の処遇改善の仕組みを創設するとともに、乳児保育、障害児保育、保護者支援、子育て支援といった職務分野に対応した研修の体系化を行い、保育士等キャリアアップ研修を創設したところでございます。

保育園の役割や機能が適切に発揮されるよう、こうした取組を通じて、引き続き保育に携わる方の専門性の向上を図り、保育の質が向上されるよう取り組んでまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございます。

お話、御答弁にありましたように、指導監督をしていただいている、都道府県、小さい規模の保育所ですと市町村が見ていただいているということでございますけれども、しかし、現場に近い方でしたらおわかりになっていらっしゃることだと思いますけれども、今、ブラック保育園といったような言葉まで出てきているほど、保育所での虐待が深刻な状況になってきてしまっているということです。

先ほど人格形成というお話もございました。確かに、特に生まれてからゼロ、一、二歳という間で、人間関係、例えば愛情を受けて、信頼関係を親との間で築いていくとかいうことも含めて大事な時期なわけでございますけれども、乳児にかなり深刻な虐待が出てきているという例で、例えば手足を縛る、こういう拘束ですよね、あるいは話しかけずに放っておく、ネグレクト、こういった実態がございます。

ゼロ、一、二歳児は人手がかかるということでございまして、三歳以上はクラス単位で保育士さんがクラス担任として見るわけでございますけれども、ゼロ、一、二歳児は、例えばゼロ歳児で見ますと、配置基準で三人の子供さんに対して保育士さんが一人というようなことでございまして、複数の保育士でかかわっていくということになってきております。待機児童も、このゼロ、一、二歳の層がどうしても多くなってきております。

ここで確認をさせていただきたいんですけれども、ゼロ、一、二歳児の保育に係る一人当たりの保育の費用、おわかりになりますでしょうか。

小野田政府参考人 お答えいたします。

保育を利用している児童の一人当たりの費用についてでございますが、財務省の財政制度等審議会の分科会において示された資料によりますと、国の基準に基づく平成二十九年度の予算上の平均値ではございますが、市立保育所等を利用する場合、ゼロ歳児は月額二十万六千円となっており、そこから利用者負担額の月額平均三万六千円を引いた月額十七万円が公費負担額でございます。一、二歳児は月額十二万八千円となっており、そこから利用者負担額の月額平均三万六千円を引いた月額九万三千円が公費負担額となってございます。

なお、当該額でございますが、あくまでも国の予算上かつ平均値の数字でございまして、実際には、各自治体において独自の負担で上乗せ補助を行っているところもございますので、これよりも多い場合がございます。

森田委員 平均値というようなお話がありましたけれども、二十万というのは本当にその一部であろうと思いまして、もっと大きな額のお金がここに注ぎ込まれているというのが実態でございます。

実際の、実際というか、親御さんの負担そのもので見ますと数万円という負担になってくるわけですけれども、公費ということを考えますと、何十万という額の保育のお金がそこには注ぎ込まれているということでございまして、待機児童の問題を考えても、また、先ほどのゼロ、一、二歳の、特にそういった小さい乳児の保育のコスト面を考えても、やはり乳児を預かるというのは、現実的にはもう限界に近いところまで来ているのかなというふうに思っております。

今は、枠をふやすたびに新たな需要を掘り起こしているというような状況になっております。数万円で預けられるということで、私も預けようという流れになってきているという面もあろうかなと思います。これは保育の人手という意味でも限界ですし、また、子供たちのことを考えると、やはり親元にいたい、親御さんが育てられるということが好ましいということもあろうかと思います。

鳥取県で、ゼロ歳児を自宅で見ているお宅に三万円を上限として子育ての手当を出すという制度が、これは二十九年度の制度として始まったというようなことがございました。これは一つの考え方かなというふうに思っております。

そこで、お伺いしたいのですけれども、ゼロ、一、二歳児、なるべく親御さんに育てていただくという意味で、子育て支援の給付を行っていくということについてはどのようにお考えでいらっしゃいますか。

小野田政府参考人 お答えいたします。

働くことを希望する人が仕事と子育てを両立できるよう、保育所の受皿整備などの環境整備に取り組むとともに、御自宅で子育てをされている方々への支援もあわせて実施していくことが重要であると認識してございます。

そのような観点から、例えば児童手当につきましては、ゼロ歳から二歳児までの児童に対しては五千円加算し、月額一万五千円を支給することとしており、また、御自宅で子育てをされている方々への支援といたしまして、例えば、一時預かり事業の実施、親子の交流や子育てに関する不安、悩み等を相談できる場としての地域子育て支援拠点、妊娠期から子育て期までの切れ目ない支援を行う子育て世代包括支援センターの整備などを進めているところでございます。

現金給付と現物給付のバランスを踏まえつつ、全体として子育て世帯への充実した支援が行われるよう、引き続き取り組んでまいりたいと考えてございます。

森田委員 当然、財源、お金の話になってまいります。しかし、今後のさらなる需要の増大といったものも含めて考えますと、ゼロ、一、二歳児の保育の枠を確保するのにかかる費用、これからかかるであろう費用、それから何よりも保育の現場の深刻さといったものを考えますと、こういった給付も現実的な選択肢になってくるのではないかなというふうに考えております。

その際には、先ほどお話にもあったように、支援拠点、支援センターを、親御さんを孤立させて負担が集中し過ぎることがないようにしないといけないというふうに思っておりますので、そういった支給と支援センターといった意味で、セットで支援をお願いしていきたいなというふうに考えております。

私が日ごろ、すごく難しいなと思っておりますのは、保育は単なるサービスではないということですよね。子供たちの人生の本当に最初の、最初の最初の部分を形づくっていくという大切な役割を担っていただいております。子供たちのためということもあり、また、親も子育てをしながら親として成長していくという面もございます。

(中略)

特に男親は、形式的には親になったとしても、本当の意味で親になるというのがかなり難しいことだというふうに思っております。自分で経験しないと、なかなか親になり切れないという面もあるんじゃないかなと思っています。

そこで、保育所をふやすのはやむを得ないとしても、せめて親としてのかかわりを密にしていくべきだろうということを考えております。

そこで、保育士体験のことを取り上げてみたいと思います。

保護者による一日保育士体験を全ての幼稚園、保育園、それから認定こども園で取り入れていただきたいというふうに考えておりますけれども、いかがでしょうか。これはそれぞれの御担当でお答えいただきたいと思います。

成田政府参考人 保育園についてお答え申し上げます。

厚生労働省では、保育園が行うべき保育の内容等について定めた保育所保育指針において、「保育の活動に対する保護者の積極的な参加は、保護者の子育てを自ら実践する力の向上に寄与することから、これを促すこと。」との内容を盛り込んでおり、保育園と保護者との相互理解の観点から、保育園における保育活動への保護者の参加を促しているところでございます。

本指針を踏まえ、各保育園において、保護者の就労や生活形態にも配慮しながら、一日保育士体験など、保育活動への保護者の積極的な参加の機会を提供いただきたいと考えております。

小野田政府参考人 認定こども園についてお答えいたします。

幼保連携型認定こども園の教育及び保育の活動に保護者が積極的に参加することは、保護者の子育てをみずから実践する力の向上に寄与するだけでなく、地域社会における子育てをみずから実践する力の向上や子育ての経験の継承につながるきっかけとなります。このため、幼保連携型認定こども園教育・保育要領におきましては、このことを記載するとともに、「保護者の参加を促すとともに、参加しやすいよう工夫すること。」としてございます。

本教育・保育要領を踏まえ、各園におきましては、保護者の生活形態が異なることへの配慮や、保護者参加の意義や目的についての理解を高めるための努力を行いながら、保護者が一日を通してかかわることも含め、保護者が参加できる時間や日程を選択しやすくするなどして、保護者の積極的な参加を促していただきたいと考えてございます

白間政府参考人 幼稚園についてお答えさせていただきます。

幼稚園におきましては、幼児期の教育に関する保護者からの相談に応じたり、あるいは必要な助言を行う、こういった積極的に子育ての支援を行うということが重要だと考えております。

幼稚園の教育要領がございますけれども、この中では、子育ての支援のために幼稚園と家庭が一体となって幼児とかかわる取組を進め、「地域における幼児期の教育のセンターとしての役割を果たすよう努める」、こういった記述がなされているところでございます。

各幼稚園におきましては、こうしたことを踏まえまして、例えば保護者が教諭とともに保育に参加をする取組ですとか子育て公開講座の開催、こういったさまざまな取組が地域の実情に応じてなされていると承知しております。

文部科学省としては、今後とも、こういった子育て支援の取組が充実するように努めてまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございました。

国が親に対して子育てにもっと参加しなさいと言うのは大変難しいと思いますし、また、国から強制するというのもまた違うことだと思いますけれども、ぜひ、よい例を積極的に紹介をしていただきたいなというふうに思っております。

自治体でも大分取り組むところがふえてきておりまして、私も県議をやっているときから埼玉県にはかなりお願いをしてきたんですけれども、埼玉県も全県で取り組んでおります。私も、子供が保育園に通っているときには保育士体験に行きました。先ほど申し上げた親心を育む会というところのホームページには、多くの体験談、親から寄せられた体験談が載っております。

保育士体験をやれという話をすると、一日保育園なんかにいられるか、俺は仕事で忙しいんだという親御さんももちろん出てくると思います。でも、ぜひやってみてください。やっているうちに、できる親から体験に来てくれます。そうすると、子供たちは、うちはいつ来てくれるの、そういうふうに子供たちから自分の親にリクエストが出てくるというふうになるわけですね。

子供が小さいときなんというのは、ほんの何年間しかないわけです。そのうちの年に一日有休がとれないような、そんな社会には私はすべきではないというふうに思っております。親もせめて子供のために年に一日有休をとってもらいたいなと思うし、会社もそれを温かく認められるような、そういう社会になれば、日本は私は必ずよい国になるというふうに思っております。

特に、男親を引っ張り出すようにうまく誘導していただきたいなと思います。殺伐とした大人の社会、競争社会をいっとき抜けて、子供たちの輪の中に入る。学歴、肩書、一切関係なし。子供は親を、親の心を見ます。ああ、これが人間本来の姿だ、本来の世界なんだなということを感じていただくことができると私は確信をいたしております。ぜひ、これは世の中を変えることだと思っておりますので、取組をお願いできればなと思っております。

また、次の質問ですけれども、これからの日本を担う若い世代に乳幼児とのかかわりを身をもって体験していただきたいという意味で、一日保育士体験を小学校の高学年あたりから大学でカリキュラムに取り入れていただけないものかなと考えておりますけれども、いかがでございますか。

白間政府参考人 お答え申し上げます。

初等中等教育、小学校、中学校、高等学校におきましては、学習指導要領が定められておりますけれども、ここにおきましては、保育や乳幼児との触れ合いなどに関する教育を行うこととされております。

具体的に申し上げますと、小学校の家庭科、これは平成二十九年に新しく改訂をしておりますけれども、この中では、家族や地域の人々とのかかわりについて学習をする際には、幼児など異なる世代の人々とのかかわりについても扱うことといったことを新たに規定をしたところでございます。

また、中学校の技術・家庭科におきましては、幼児とのかかわり方を学ぶ際に、幼児との触れ合いができるように留意することといった記述。

また、高等学校の家庭科の家庭基礎におきましては、子供の生活と保育ということを学ぶ際に、乳幼児との触れ合いや交流などの実践的な活動を取り入れるよう努めること、これを引き続き明記をしているところでございまして、これを受けて、各学校、地域の実態に応じて乳幼児と触れ合う活動が行われている、このように承知をしています。

また、大学につきましては、御指摘のとおり、大学の自主的、自律的な判断でカリキュラムが編成されますので、なかなか義務づけということは難しゅうございますけれども、一方で、少子化等に関する問題について学生がみずからの問題として考える、あるいは対処できるようにする、こういった観点から、保育士体験は重要な機会になることもある、このように考えております。

文部科学省としましては、関係省庁とも連携をしながら、子育てについて実感を持って学んでいけるような、そういった教育が充実できるよう努めてまいりたいと考えております。

森田委員 ありがとうございます。

昔というか、何世代か前の日本の社会であれば、自然と身の回りに親戚だとか近所の子供たち、乳幼児がいるという、かかわりを持つというような生活が当たり前に行われていたわけでございますけれども、今それがなかなか難しい社会になってきている。

ぜひ、これから子供たちとのかかわりの中で、子供、乳幼児のすばらしさ、ひいては家族のすばらしさ、とうとさを感じてもらうことができる、こういった取組をうまく誘導していただきながら進めていただきたいなと思います。

こういった若いときに、これから数年後に結婚したり家庭を持つといった世代にその意義を身をもって感じてもらえるということが、子供を大切にする社会の基礎、基盤をつくるものというふうに思っておりますので、ぜひお願いできればなと思います。

さらに、お尋ねをいたしますけれども、一日保育士体験を学校の教職員の研修に取り入れていただきたいなと思いますが、これについてはいかがでしょうか。

白間政府参考人 お答え申し上げます。

教職員が保育士の業務を体験する、こういった御指摘でございますけれども、これは、福祉の現場における社会経験を積むことができるといったことのほかに、やはり、幼児期における教育と小学校における教育の円滑な接続、こういったことを図る上で効果が期待できるものと考えております。

教職員の研修でございますけれども、基本的には、研修を実施される都道府県教育委員会等においてその内容を検討していただくという必要がございますけれども、現実にそれぞれの地域においては、例えば教職五年目の小学校、中学校の教員が保育所などで体験研修をする例ですとか、あるいは、小学校の教員を対象として、保育所などで一定期間研修をするといった例が現実にございます。

こういったことも含めまして、文部科学省としましては、それぞれの地域において、その地域の実情を踏まえながら、こういった研修が充実するよう、また努めてまいりたいと考えております。

森田委員 おっしゃるとおり、学校の問題というのは、保育園、幼稚園からずっとつながってきている問題なわけです。例えば小一プロブレムへの対応といった意味でもそうだと思いますし、それから、今、若い世代の先生方がとてもふえております。団塊世代の先生方が退職をされて、若い世代の教員の方がふえております。特に若い先生方が、今、生意気なことを言っている子供たちの、そのルーツがどういうところなのかということを身をもって認識をしてもらうだけでも、とても、教育の現場に立つ先生方にとっても貴重な機会だと思いますので、ぜひ、実際に研修をされているのは市町村、あと都道府県だと思いますけれども、促しをしていただきたいなと思います。

まとめの質問になりますけれども、最後に松山大臣にお伺いをさせていただきます。

少子化に歯どめをかけるべく、ぜひ、五十年、百年といった長期的な視点も含めて、御決意をお聞かせいただきたいと思います。

松山国務大臣 お答えいたします。

御指摘のように、日本は、急速に進む少子高齢化という、まさに国難ともいうべき課題に直面をしているところでございます。人口減少が進む中に、この少子化のトレンドに歯どめをかけることが喫緊の課題でございます。

先ほど参考人からも御答弁ありましたように、働くことを希望する人が仕事と子育てを両立できるように、保育の受皿整備を、しっかりと環境整備に取り組む、また、御自宅で子育てをされている方々への支援、これもあわせてしっかり実施をしてまいります。

これらのほかに、長時間労働の是正や同一労働同一賃金の実現等の働き方改革、また不妊治療への支援、さらには幼児教育、保育の無償化、また真に必要な子供に限った高等教育の無償化、加えて、育児休業等の取得を促進する機運の醸成というものを、しっかりと関係省庁と連携して取り組んでまいりたいと思っております。

また、現在、社会全体で取り組むべき対応策ということで、幅広い視点から検討するために、少子化克服戦略会議というものを設けまして、この会議においても、その成果を早く、できることから速やかに実施をすべく取り組んでまいりたいと思っております。

森田委員 大臣、ありがとうございました。

心理学者、精神科医のビクトール・フランクルは、人間は楽を求めるのではない、価値ある目標に向かって困難を乗り越え、それを達成することで人間は幸福を感じることができるというふうに言っております。

子育てはとうといものです。大変ですけれども、それを親子一緒になって乗り越えることで、人間は幸せを感じることができます。子供がいて、家族がいて、大変なことはたくさんあるけれども大きな幸せを感じることができる、そんな社会、国に向けて政策を組み立てていき、また実践していただくことを切にお願いをして、私の質問を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

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http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000219620180411009.htm

#11 保育と教育は違う。「子育て」と「教育」はもっと違う。

ーーーーーーーーー(前回からの続き)ーーーーーーーー

#11

教育という視点:

講演依頼を受けた保育士会から質問が来ました。講演の中で私の意見を聞きたいというのです。

「保育指針改定で、教育という視点がより重要視されていますが、保育士が気をつけるポイントはなんでしょうか」

うーん、またか、という感じです。

小一プロブレムや学級崩壊の問題に加えて、大学を卒業、就職した若者たちの半数が会社に入って三年も続かない、そんな話を耳にします。確かに中学生くらいでも、特に男の子が幼い。私も時々中学校で全校生徒に講演するので感じます。いい子たちに見えるのですが、何かが欠けている。そして、3割近くの男性が一生に一度も結婚しない。これが少子化の一番の原因でしょう。男たちが、どう生きていいかわからなくなってきている。意欲や忍耐力、責任を負うことに幸せを感じる力、誰かの幸せを願うという幼児と接していれば自然に湧き上がってくる「生きる力」が欠けてきている。引きこもりや暴力、犯罪の原因の多くがそこにあるのではないか、と想像します。だから、いま中学生たちを繰り返し幼児の集団と出会わさなければいけません。http://www.luci.jp/diary2/?p=260

でも、学者たちは幼児たちが人間社会にモラル・秩序を生み出していたことにさえ気づいていない。

大学教育が駄目なんだ、それ以前の高校教育が悪い、中学生活が鍵を握っている、小学校が混乱している、と順番にいろいろ言われ、仕組みの中での責任転嫁を重ね、いよいよ「保育の問題だ」となったのでしょう。

「保育」をさっさと飛び越して「親子の問題」と言えばいいのに、学者やマスコミはその現実を指摘するのに躊躇する。「親の問題」ということはすなわち、保育をサービス産業化しようとして保育界の意識崩壊、それに続く家庭崩壊を進めている政府が悪い、それを政府に勧めた経済学者や保育の専門家と呼ばれる学者が悪い、子どもたちの気持ちを考えずに親の都合、大人の都合を優先して報道するマスコミの姿勢の問題、ということに行き着きそうで、踏み込まない。総理大臣が3歳未満児をさらに40万人親から引き離せ、そうすれば女性が輝くと言い、すべての政党が「待機児童をなくせ」と親子を不自然に引き離す施策を公約に掲げているのです。いまさら「親の問題だ」「親子関係の問題だ」「愛着障害だ」とは言いにくい。

NHKのクローズアップ現代では言っていました。(「クローズアップ現代(NHK)~「愛着障害」と子供たち~(少年犯罪・加害者の心に何が)」)

当時も書きましたが、子ども・子育て支援新制度が始まる少し前の放送でした。

発育過程で、家庭で主に親との愛着関係が作れなかった子どもたちが増えていて、それが社会問題となりつつある。殺人事件を起こした少女の裁判で、幼少期の愛着関係の不足により「愛着障害」が減刑の理由として認められたという内容でした。(詳しくはNHKのアーカイブ:http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/1.htmlをお読みください。)

番組からの抜粋です。

 関東医療少年院 教育部門 斎藤幸彦法務教官「職員にベタベタと甘えてくる。逆にささいなことで牙をむいてきます。何が不満なのか分からないんですけども、すごいエネルギーで爆発してくる子がいます。なかなか予測ができない中で教育していかなければいけないというのが、非常に難しいと思っています。」(中略)

 愛着障害特有の難しさに加え、さまざまな事情が複雑に絡むので、更生といっても従来の対処法だけでは困難な面があるといいます。(中略)

 愛着形成の期間、何歳までが大事?

 高岡健さん(岐阜大学医学部准教授):これはあくまで目安という意味ですけれども、大体3歳ぐらいを過ぎますと、自然にその港から外に行く時間が長くなってきます。(中略) 

 養護施設の職員「養護施設に来る子供たちっていうのはマイナスからの出会いなので、赤ちゃんを抱いているような感覚でずっと接してきました。ここ11年間、それは大変でした。」

放送のあと、ある行政の方から電話がありました。「この番組を見て、政府は4月から始める『子ども・子育て支援新制度』をすぐにストップしてもいいくらいだと思います。幼児期の大切さをまるでわかっていない」。(あれから3年。小一プロブレムはますます広がり、社会全体が荒れてきている。)

国連の子どもの権利条約やユネスコの子ども白書でも、親子関係、特定の人と乳幼児期に愛着関係が育つことの重要性については言っています。解釈や説明の仕方はいろいろですが、「三つ子の魂百まで」という諺は、様々な国や宗教、文化圏で「常識」「知恵」として言われ続けてきました。学校教育や学問という最近のものが現れるずっと前から、人間が生きていくために必要なこと大切なこととして理解されてきました。

「三歳児神話は神話に過ぎない」と言った学者がいました。発言の経緯からすれば、三歳未満児を保育園に預けても問題ないと言いたかったのかもしれません。でも、学者の言葉をその背景にある文脈を無視して喧伝されると、「そうなんだ」「問題ないんだ」「じゃあ預けよう」という人たちが確かに増えてきました。楽だからと、オムツもとってくれるし、とまったく躊躇しない親も現れているのです。100歩譲って、そうした動きに対応するだけの保育の量的質的充実が同時に図られていたのならまだしも、量的充実を進めるあまり幼児たちの日常の質はますます悪くなっています。保育士不足や親対応で右往左往する園長主任たち、毎日公園に集まってくる園庭もない保育園の子どもたちの表情、保育士の表情を見れば、全部とはいいませんが、だいたいわかります。

「三歳児神話は神話に過ぎない」という学者の発言は、神社の前で「これは神社に過ぎない」と言っているようなもの。文化人類学的に考えれば、神話や伝説の中にこそ過去の人類が積み重ねてきた生きるための真理はある。法華経や聖書は言うに及ばず、「長くつ下のピッピ」「ムーミン谷」「ドラゴンボール」や「アンパンマン」も含めて、一見現実を離れて見える話の中に、学ぶべきこと、自ら考えるヒントがたくさんあるのです。

しかも、厚労省が言ったのは、三歳児神話には「少なくとも、合理的根拠は認められない」ということであって間違っていると言ったわけではない。

(一昨年、母犬から子犬を早く引き離すと「噛み付き癖」がつくから、子犬は一定期間母犬から離さないように、という法律が国会を通りました。人間だって同じこと。哺乳類なら当たり前。子犬の8週間は、人間の2歳くらいかもしれません。)

それでもなぜ、こういうおかしな発言がまかり通ってしまうのか。神話に過ぎないと学者がいうことによって、親が幼児から毎日繰り返し(政府が「標準」と名付けた)11時間も離れるという、進化の優先順位を書き換えるような一線を飛び越えられると思ったからです。そうしたいという意識を持つ親が、過半数とは言わないまでも常識を脅かすくらい増えてきたからでしょう。マスコミと民主主義と選挙、そして市場原理が、幼児たちの願いを置き去りにして、人気取り(金儲け)に動いたからでしょうか。

しかし、やがて幼児たちの寝顔や笑顔が、「教育」があおる「欲」を打ち負かす日が必ずくる。「子どもの最善の利益を優先する」という保育所保育指針を盾に、保育者たちが本気で立ち上がれば、それは意外とすぐにくると思います。幼児と人間の接点を増やすことによって、社会全体に「感性」と「想像力」が戻って来る。

保育士たち(または人類)の意思表示でもある「保育士不足」によって、学者や政治家、マスコミも実はかなり追い込まれています。無理なものは無理、できないことはできない、と現場の保育者たちが子どもたちのために言ってほしい。

学校教育が成り立たなくなっている、だから、もっと早く保育園で「教育」すればいいという短絡さには本当に腹が立ちます。保育と教育は違う。「子育て」と「教育」はもっと違う。

それなら、さっさと非正規の保育士の時給を教員並み(時給2700円)にしろ、と言いたいくらいですが、それで学校教育が成り立つようになるとも思えません。保育の質が突然回復するとも思えません。心情的には、非正規の時給が教員の三分の一という待遇で二十年も黙ってやってきた保育士たちに、もうこれ以上無理な要求、変な要求、新人保育士が保育を勘違いするような指導はするな、とは言いたい。でも、待遇改善とは別の次元で意識の変革は進んでいる。

幼児たちの存在意義が揺らいでいる。

ーーーーーーーーー(続く)ーーーーーーーーー

#10「幼児を眺めることによって生まれる信頼関係」は、福祉や義務教育という最近の仕組みでは補えないもの

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#10「幼児を眺めることによって生まれる信頼関係」は、福祉や義務教育という最近の仕組みでは補えないもの

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今回、政府が示した「新しい経済政策パッケージ」の一部でもある、保育の質より量を優先する経済学者+社会学者主導(または経済界+政治家主導?)の福祉施策や学校教育に関わる施策を読んでいると、経済競争を促し労働力を確保するための短絡的な方向性ばかりが目について、国の施策の中心となるべき人間性に根ざした幸福論がまったく見えてこない。長期的に見れば、こんなやり方で経済がはたして良くなるのか、少子化に歯止めがかかるのかさえ疑わしい。

経済政策だから、と言えばそれまでなのですが、人間の幸福感に「子育て」が直結している、そこで生まれる幸福感が「経済」に直結しているという意識がほとんどない。現在の「子育て」に関わる「子ども・子育て支援新制度」は雇用労働施策の一部として進められていて、子どもを優先した施策ではなくなっている。それにもっと多くの人たち、マスコミや親たちが気づいてほしい。この経済政策に国の「子育てに関わる仕組み」保育とか学校という仕組みがどれほど追い詰められているか気づいてほしい。

なぜ、こういうことになってしまうのか。

社会全体に想像力とそれを支える「感性」が急速に薄れてきているのです。感性の喪失に関しては、やはり学校教育のあり方、その目指す方向性に問題があるのだと思います。

高等教育を受け、そこで能力を発揮している人たち、マスコミの情報や国の政策を左右する位置まで登りつめた人たちの多くが、「幼児は親(特に乳幼児期は母親)と一緒に居たいと思っているはず、心情的にも本能的にも」という人類の進化に関わる大事な、決定的と言ってもいい視点をほとんど持たないか、忘れてしまっている。幼児がそう願うことによって、人間たちの生きる動機が決定づけられるという想像力さえないのです。

遺伝子に種の存続の条件として組み込まれている「弱者優先」の視点を忘れているから、社会で起こっている人間性を覆すような現象や問題に対する読解力・理解力がないのです。人口の減少とか経済上の数字は見え、慌てても、その後ろにある人類学的な方程式や図式が見えていない。それにもかかわらず、政府や学者は、政策パッケージの中で、「高等教育は、国民の知の基盤であり、イノベーションを創出し、国の競争力を 高める原動力でもある。大学改革、アクセスの機会均等、教育研究の質の向上を 一体的に推進し、高等教育の充実を進める必要がある。 」と言い続ける。

保育を「子育て」の「受け皿」と見なすこと自体が相当偏った、想像力に欠ける視点です。子どもがどう育つかよりも、子育てによって親がどう育つか、社会が子育てによってどう心を一つにするか、絆を深めるか、の方が大切だったということにまったく考えが及んでいない。社会の成り立ちを支えてきた「幼児を眺めることによって生まれる信頼関係」は、福祉や義務教育という最近の仕組みでは補えないもの。宇宙が何千年もそうしてきたように、これからは社会の仕組みとして、人間たちと幼児たちをしっかり出会わせることを「義務」とするしかないと思う。

政府は、「保育の受け皿を増やす」という言い方で「子育ての受け皿を増やす」事実を誤魔化そうとしたわけですが、こういう意図的な誤魔化しや誘導、視点の操作をしているうちに、彼ら自身の感性がなくなってゆく。体験を伴わない「学問」や「情報」に依存することによって、直感的に本質を見抜いたり、心の動きを想像したりする力が弱まってゆく。だから、預けられる0、1、2歳児の「願い」や、預かる保育士たちの子どもに対する「思い」が意識されない施策が「国の子育て支援策」としてまかり通ってしまう。そして、それにマスコミがほとんど反応しないのです。

「みんなが子育てしやすい国へ」と銘打った内閣府のパンフレット「すくすくジャパン・子ども・子育て支援新制度」を読み、それを実施する立場の現場の保育士たちが、「子育て支援策」ではなく「子育て放棄支援策」ではないのかと言って顔をしかめている。自分たちの仕事が子どもたちの幸せにつながっていないどころか、不幸につながっているのではないか、と日々、ますます不安になっている。

先日もマスコミを通して京都大学の家庭社会学の教授という人が、日本は世界で一番子育てが難しい国、と批判していました。子育て環境、安心して子どもが育つ環境としては、確かに悪くなってきているとはいえ、日本は先進国の中では抜群にいい状況だと、私は思っています。実の両親に育てられる子どもが半数を切ろうとしている欧米先進国に比べ、はるかに親たちが親らしい。まだ、子どもに関心がある。だから治安が決定的にいい。

政府もそうですが、こういう学者がいう「子育てが難しい」の反対側にある「子育てしやすい」が、育てる側の利便性を高めること、「子育てを簡単にする」になっている。親子を引き離し子育てから親を「解放?」する方向を向いている。その向こうにある目論見は、親の幸せというより低賃金の労働力の確保なのですが、あまりそれははっきり言わない。

この「子育てを簡単にすればいい」という発想が私には理解できないのです。学級崩壊の広がり、親による虐待、DVの急激な増加を見れば、その危険性にそろそろ気づいてもいい頃だと思うのです。ここまで進めて来たのだから気づきたくないのかもしれない。しかし、欧米の犯罪率や麻薬の汚染率を見ても明らかなように、子育てを簡単にすれば、社会から優しさや忍耐力、幸福感が薄れてゆく。その現実から目を反らすわけにはいかない。

子育ては、親や親戚たち(その他の人たち)が喜びはもちろん、迷いや不安の中で自分の人間性に気づき、それを磨き、自分の善性に感動する体験であって、仕組みの利便性で補い簡単にするものであってはならない。たぶん、この家庭社会学者のいうところの「社会」は保育施設や学校、福祉といった最近できた仕組みや市場原理のことで、家族の絆とか、ともに祈り、祝う、一緒に幼児を愛でるという次元の「社会」ではないのだと思う。

(欧米は、福祉の充実を進歩的社会と勘違いし、保育が市場原理(経済活動)に組み込まれ、4割以上の子どもが未婚の母親から生まれる、という伝統的家庭観の崩壊にまで一気に進んでいった。http://www.luci.jp/diary2/?p=976。精子の売買が合法化されているデンマーク。実の親、血のつながりという概念が薄れたアメリカの里親制度など、市場原理に頼らざる得なくなり、人身売買に近づく様相を見せています。

NHK世界のドキュメンタリー「捨てられる養子たち」 https://www.youtube.com/watch?v=Pke65F7Hb00

(内容)比較的簡単に父母になり、簡単に解消できるアメリカの養子縁組制度。毎年養子となった子どものうちの2万5千人が捨てられているという。子どもをペットのように扱う社会の暗部を描く。

体育館に敷かれたカーペットの上を歩く子どもの姿を、両脇で見守る養父母候補の夫婦たち。その手元には子どもたちの写真入カタログが。簡素な手続きで身寄りのない子どもを引き取ることができるアメリカだが、その一方で深刻な問題も。14歳でハイチから引き取られたアニータは、5回目の引き受け先が8人の養子を持つ家庭で、養父は小児性愛者だった。育児放棄や虐待の結果、心に深い傷を受けるケースも少なくない。その実態に迫る。

原題 DISPOSABLE CHILDREN。制作 BABEL DOC production (フランス 2016年))

「ストロー菅の愛」NHK世界のドキュメンタリー

(内容)未婚のままアラフォーを迎えた2人の女性、シグネとマリア。子供を持つために精子バンクの扉をたたく。精子の売買が合法化されているデンマークの、近未来的な幸せ探し。

(詳細)詳細

結婚相手はなかなか見つからないが子どもが欲しい38歳のマリアと40歳のシグネは精子バンクへ。シグネは精子購入後に自宅で人工授精にチャレンジするが、なかなか成功しないため、貯金は減る一方で、欲しい“高額精子”も買えない。パソコンで精子を選ぶことに違和感を覚えたマリアは、ネットで知り合ったスペイン人男性に子作り旅行を持ちかける。デンマーク女性たちの挑戦を赤裸々に描く。

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義務教育が普及すると数十年で、人間社会は様々な形のパワーゲーム(マネーゲーム)に巻き込まれてゆき、「平等」という言葉を使って行われるパワーゲームもその一つだと思います。その結果、子育ての社会化(?)が進み、社会全体から男女間の「子育て」を基盤にした「信頼関係」が失われてゆく。同時に、子育てを労働と見なし始めると、それを保育者や教師、福祉士(他)による「労働」で補おうとする。家族という形が市場原理、損得勘定で動き始め、家庭における「子育て」が損な役割のように思われ始める。欧米先進国が避けられなかったこの流れに、日本だけは呑み込まれないでほしいと思うのです。幼児たちを眺める機会を意識的に増やすことによってそれはできると思います。)

土曜日・日曜日、48時間子どもを親に返すのが心配だと言い始める保育士たちがいるのです。「五日間、せっかくいい保育をしても、月曜日、また噛みつくようになって戻ってきます。せっかくお尻がきれいになったのに、また真っ赤になって戻って来る」。48時間オムツを一度も替えないような親たちを作り出しているのは自分たちなのではないかというジレンマが、子ども思いのいい保育士たちを自責の念に駆り立てる。

欧米に比べ子育ての本質をはるかに捉えていた日本の保育士たちは、親のニーズに応えるほど、親子が不幸になっていくのではないか、その矛盾と葛藤を抱え30年やってきました。その心の摩擦が限界にきている。しかし、いまだに学者や政治家たちは、「新しい経済政策パッケージ」のようなものを作って、労働力の創出を優先し、ここまでかろうじて頑張ってきた現場の保育者たち、学校の教師たちを精神的に追い詰める。

こういう人たち(学者たち?)に幸福感と一体であるべき福祉施策の主導権を握らせる道筋の一部なのであれば、それだけで「高等教育は、国民の知の基盤であり」えない。

最近目に付く、高等教育におけるエリート中のエリートたちが起こしている、一連の事件を見ていると、この人たち、(11時間保育を法律で「標準」と名付け、一方で規制緩和によって保育界全体の質を下げている学者や専門家も含め)仕組みのトップに登り詰めた人たちの中に、とても大切な「何か」が欠けている人たちがいる。社会に一番大切な、「子どもたちを含んだ連帯感」のようなものが感じられない。

ーーーーーーーーー(続く)ーーーーーーーーー