不思議な次元を知ること

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以前書いた『萩生田氏「赤ちゃんはママがいいに決まっている」』http://www.luci.jp/diary2/?p=2541 に対してこんなメールが来ました。
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「長らくのご無沙汰をお許し下さい。その節は色々お世話になりましてありがとうございました。今回の記事を拝読し是非お耳に入れたい体験を思い出しメールさせて頂きます

 20数年前の新聞記事に『母のない子に母の日つらい』というのがありました。我園でもその頃当たり前に母の日、父の日にカードを作っていましたが、どうしようかと話し合った結果、子供達に脈の取り方を教えました。そして、今たとえお父さんお母さんと一緒に暮らせていなくてもあなたの生命の誕生の時にはお父さんお母さんがいて下さったのだからそのお父さんお母さんにプレゼントする為にカードを作ろうと職員で話しあいカード作りは続けることにしました。お父さんお母さんはいつもあなたと一緒なのだから。
去年のお泊り会の時のことです。
乳児組でのクラス毎の入浴、園舎屋上でのカルピスガーデン、園庭での夕食、花火大会、スイカ割り等々一通りの活動を終え、歯みがきをしていよいよ寝むためにホールへ集まってきた時のことです。
一人の女児がホールの入り口で、左手の手首の脈を一生懸命さがしているのです『どうしたの』と聞くと「寝る時ママがいなくて寂しいから、ママのとっくんとっくんを聴いているの 」と言うのです。思わず涙が出てきました。もうこの子は何があっても大丈夫。いつもお父さんお母さんと一緒なのだから。
複雑な世の中になればなるほど、子供達は、いつも、命の原点を教えてくれる存在です。
勝手な時の勝手なメールで申し訳ございません。いつも思うことですが、年寄りには一票があるのに、乳幼児には全くそれが与えられていない事、歯軋りする思いです。
これからもずっとご活躍を願っております。」

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(ここから私です。)
自分の手首の脈の中に母を探し、母を感じる。現実を超えている現実を知る。こうした不思議な次元を知ることが生きる力なのでしょう。幼児を育てる現場で、こういう人間の本来の姿、伝承の中に社会が生まれる瞬間が現れる。これが保育だと思いました。

相互作用

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子どもが一歳前後のとき、よく物を散らかして喜びます。

嬉しそうに、上にある物は落とし、片づけてある物を引っ張りだし、閉まっている物は開けようとします。

言葉もわからないし、言って聞かせられる時期ではありません。しかも嬉しそうにしているのです。この時期、親は子どもの嬉しそうな顔を見るのが好きなのです。それが第一。

叱ってはいけません。この時期の子どもを叱ると、安心感のある人間社会はできません。散らかしたら、親は片づける。ただ黙々と片づけます。理屈や理論で考えても仕方ない。宇宙の平和を願って、親は何度でも片づける。この時間は長くはつづきません。もうすぐ言葉がわかるようになります。違った段階の関係が始まるのです。

それまでは数カ月、繰り返し、ただ片づける。静かに、落ち着いて、これは私の責任だ、と独りでつぶやくといいのです。そして、ある日、これは散らかさないでね、とお願いすると、子どもはちゃんと親の願いを聞き入れてくれるのです。

そうした独り言とつぶやきに、夫婦がお互いに耳をそばだてます。そのために、子どもは散らかすのだと思います。

様ざまなことに、子ども中心に自然に反応する姿を眺めあうことで、家族や社会が一つになっていきます。

人間社会が一つになるためには、理屈を越えた、本来持っているいい人間性の確認が必要なのでしょう。「これは私の責任」と言いながら。

(「なぜ、私たちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会)より。)

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これを書いた時、子どもはまだ1歳半くらいで、近所の児童館の乳幼児室に二人でよく遊びに行きました。その時、黙々と、散らかった玩具を片付けるお母さんたちの笑顔を見ながら、ああ、そういうことだったのだ、と思って書いてみた文章です。

「心の清らかな人」たちの役割が見過ごされていきます

『赤ん坊が泣いていれば、その声を聞いた人の「責任」です』

松居和

鷲田さんのことば

媚(こ)びる、おもねるといった技巧を赤ん坊は知らない。いつも「信じきり、頼りきり」。それが大人に自分の中の無垢(むく)を思い出させる。昔は、赤ん坊が泣けば誰の子であれ、あやし、抱き上げた。未知の大人であっても、泣く声を聞けば自分にもその責任があると感じた。そこに安心な暮らしの原点があったと音楽家・映画制作者はいう。『なぜわたしたちは0歳児を授かるのか』から。(鷲田清一):朝日新聞、12月15日の朝刊「折々のことば」

(これを読んだ奈良の真美ケ丘保育所元所長の竹村寿美子先生からメールが届きました。私の30年来の第一師匠です。)

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そう❗その通り❗です。

以前、心の清らかな人が保育園へ来て、子どものなき声を聞いて「あっ誰か泣いている!どこ?どこ?」と慌ててうろうろされたことがあった。

なき声に慣れていた私たちは反省しきりでした。

ありがとうございます❗

追伸:

その人は少し障害を持っていらっしゃるお方でした。保育士たちと心を洗われた気になりましたよ。

和さんまた会いたいです。🙆

(ここから私の文章)

子育てが「仕事」になったり、「仕組み」になったりすると、「心の清らかな人」たちの役割が見過ごされていきます。

朝日新聞「折々のことば」に紹介されました。

折々のことば

朝日新聞、12月15日の朝刊「折々のことば」に著書「なぜわたしたちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会)に書いた言葉が紹介されました。

そうだ。これが原点だった、いい言葉を指摘してくれた、と思いました。哲学者:鷲田清一さんに、感謝です。

「逝きし世の面影」(渡辺京二著:平凡社)を読んで書いた言葉です。150年前に日本に来た欧米人がこの国の個性に驚くのです。時空を越えて、私たちに「本当の日本のこと」を伝えようとするのです。

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース1838〜1925)』

玩具を売っているお店が世界一多い国、大人たちも子どもと一緒に遊ぶ国。

日本の子どもは父親の肩車を降りない。子どもの五人に四人は赤ん坊を背負い、江戸ほど赤ん坊の泣き声がしない街はない。

赤ん坊を泣かせないことで、人間と人間社会が育っていた。赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」とごく自然に思う。それが、人間が調和し、安心して暮らしていく原点かもしれません。そうすれば、大人でも子どもでも、老人でも青年でも、人間が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思うようになる。

最近は親が、泣いている自分の赤ん坊を見て、勝手に泣いていると思ったり、迷惑だと感じてしまったりする。抱き上げれば泣きやむことを知っているのであれば、泣いているのは自分の責任。よく考えてみれば、「産んだ責任」まですぐにたどりつく。その責任を感じたとき、人間は本来、自分の価値に気づくのだと思います。

そうやって何万年も生きてきた。親が泣いている自分の子どもに責任を感じなくなった瞬間に、人間社会が長い間保ちつづけていた「絆」が切れてしまうのです。

赤ん坊が泣いていれば、その声を聞いた人の「責任」です。

「家族の形」が残っていなければ、幸福の伝承は一部の人間だけに許される特権になってしまう

社会の根底に伝統的な「家族の形」がなければ、幸福の伝承は一部の人間だけに許される特権になってしまう

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子どもを産み、育てるという人間社会の基盤を保育・教育という仕組みに任せようとするほど伝統的な家庭観(Traditional Family Vallue)は崩れてゆく。すると、義務教育が成り立たなくなる。それが数字で明らかになった1984年、米国政府は教育の問題を「国家の存続に関わる緊急かつ最重要問題」と定義し一年間論戦が交わされました。義務教育が普及し親の世代に50%だった高校の卒業率が72%になっていたにも拘わらず、子ども達の平均的学力が親のそれを下回った。しかもその年、高卒の非識字率が20%を越えたのです。http://www.luci.jp/diary2/?p=1064

それから34年。家庭崩壊が進んだアメリカで、いま「ワーキングマザーの約85%が家で子育てに専念したいと答え」ている。(東洋経済Online,会社人生にNO!米国、専業主婦ブームの真相:共働き大国の、驚くべき実態:https://toyokeizai.net/articles/-/32455)

しかし、一度家族の「形」が大きく崩れてしまった欧米先進国社会は、こうした母親たちの希望に応えられる社会構造ではすでになくなっています。

記事の中でハーバード大卒の女性の著者が言う、母親たちが「原点に戻りたがっている」という発言は、欧米ほど家庭観や、保育、教育といった子育てに関連する仕組みが壊れていない、言い換えればいまだに欧米社会を目標にしがちな日本に対する、貴重な警告・アドバイスだと思います。欧米の後を追ってはいけない。

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未婚の母親から生まれる確率が4割、子どもが18歳になるまでに4割の親が離婚するアメリカで、実の両親が家族という形で子どもを育てている確率は半数を切っています。夫婦の価値観の共有、「役割分担を支える信仰にも似た信頼関係」、夫の収入の額などを考慮すれば、専業主婦になることができる環境下にある女性は3割以下でしょう。「子育て」の意味、価値に気づいても、多くの母親が専業主婦という形で家庭には戻れない社会構造になっています。

「自立」を目指せば、信頼関係を生み出す「役割分担」が成り立たない。信頼関係が育たないと、一層「自立」を目指さざるを得ない。先進国社会に共通した負のスパイラルです。その中で弱者がその存在意義を失っていきます。

本来、人間は自立できない。それを目指してはいけない。乳児という絶対的弱者で生まれ、老人という弱者になることをゴールとする人生の仕組みを考えれば明らかです。「助け合うこと」「育ち合うこと」が人間社会の中心だった。

欧米で、特に高学歴・高収入の勝ち組の中から伝統的家庭観の見直しが始まっています。一方で、格差社会で取り残された一般層は、構造上いつまでもそこから抜け出すことができない。そのイライラや閉塞感が、児童虐待やDV、犯罪やテロ、間接的に言えばトランプ支持の現象にも現れているのだと思います。トランプ氏があれだけ女性蔑視や、異教徒、異人種に対する偏見をあからさまに発言しても大統領に当選し、いまだに支持率が4割近くある。

モラル・秩序に基づかない、「現状に対する不満・不信感」が民主主義を左右し、振り回し始めている。(ほとんどの)親が親らしい、(ほとんどの)幼児たちが安心して日々を過ごせる、それが民主主義以前の人間が社会を形成するための絶対条件だったのです。

フランスで、燃料税の引き上げという政府の一つの施策が全国的な略奪、放火、暴動にまでエスカレートする。アメリカで、地震やハリケーンなどの天災に見舞われる度に略奪が起こる。底辺から抜けられず、しかも「自分の人生に納得が行く方法」(子育て)を奪われた、または見失った階層の怒りが、そこに表れている気がしてなりません。

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幸福につながる「価値観」が、いつか「経済競争に勝つこと」から「子育て」に戻ろうとした時、それを支えるだけの「家庭の形」「家族観」が残っていなければ、家庭を基盤とする幸福とその伝承は一部の人間だけに許される特権になってしまう。

そうなった社会がどれほど殺伐としてくるか。欧米における犯罪率、麻薬の汚染率などを日本と比較すればわかるはず。日本は他の道を選択してほしい。幼児を中心に考える、本来の伝統に戻ってほしい。http://www.luci.jp/diary2/?p=1047

いま、日本で生涯一度も結婚しない男たちが3割になろうとしている。引きこもりの平均年齢が34歳。この国が、政府によって「欧米型」経済競争社会に向かわされている兆候だと思います。家庭という形に生きる動機を見出そうとしない男たち、「生き方」を見失った男たちがそこに見えるのです。

(だから、経済を維持するために外国人労働者を入れる。それでは、本当の解決にはならない。)

「子はかすがい」ではなく、「子育てが、人間社会のかすがい」、生きる動機だった。

 

(政府が施策として、012歳児を数値目標を設定して保育園で預かろうとする。そうすれば女性が輝く、ヒラリー・クリントンがエールを送ってくれました、と総理大臣が国会で言い、「輝く」の定義が不明のまま、目標を達成するために規制緩和や市場原理が導入され、保育の質が下げられていった。http://www.luci.jp/diary2/?p=2643

そして、親たちの「012歳は保育園に任せておけばいい」という意識の広がりと、保育の質の低下が学校教育を一気に疲弊させている。財源と人手不足を補うための「支援員」たちが、画一的教育が不可能になり始めている教育現場を見て驚くのです。ネット上に募集の告知が溢れる「支援員」という名の様々な規制緩和、誤魔化しに、子どもたちが求める「人間性」の代わりはできない。やがて財源も人材も足りなくなる。子どもたちの不安感と、社会に対する不信は「支援員」では補えない。)

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幼児をみんなで眺める。施策は、そこから再出発してほしい。

幼児たちの「頼り切って、信じ切って、幸せそう」という生き方に共鳴し、彼らを守るための「役割分担」を親心という次元から整えていく。幼児たちの、私たちを育てる「役割」を思い出さない限り、社会に自浄作用、自然治癒力は働かない。損得を超えた、信仰にも似た役割分担が否定される時、人間社会は後戻りができなくなるのです。

この国は、後戻りが可能な唯一の先進国だと思います。この国が示す道筋が、いつか人類の進化に影響を及ぼすような気がしてなりません。

(より良い生活(Better Life)の幻想 http://www.luci.jp/diary2/?p=1079

(講演依頼はmatsuikazu6@gmail.com  またはファックスで03-3331-7782までどうぞ。)

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保育園は働く親のためにあるから学級閉鎖できない?

市議会議員や市役所の人に講演することがあります。人材的にも財源的にも、いまの保育施策が現実的でないこと、不可能なことは30分も話せばみな理解してくれます。そうだろうと思っていたが、見ないふりをしてきたという人がほとんどです。
行政の一部として国の決めたことはしなければならないという立場上の問題もあります。議員や市長であれば、選挙との兼ね合い、ここが一番難しいのですが、選挙権を持っている大人たちの要求が優先される。マスコミの報道姿勢も問題だと思います。「待機児童をなくせ」という報道には、乳幼児たちの願いや人権がほとんど含まれていません。

就学前、目覚めている時間を一番長く一緒に過ごしているのは保育士たち、今回の「子ども・子育て支援新制度」によって、そんな幼児期を過ごす子どもがますます増えています。だからこそ、保育の質は保たれなければならないのです。
子どもの気持ちを親に向かって、行政・政治家・学者・マスコミに向けて発信し、保育界の窮状を伝えるのが保育士たちの使命かもしれない。国の子ども・子育て会議の「専門家」たちに11時間保育を「標準」とされ、労働力確保で進む家庭崩壊のつけを里親制度や保育士たちに押し付けてくる政府のやり方に、現場から声を上げてほしいのです。

 先日、ノロウィルスの感染で、子どもたちだけでなく保育士が倒れ始めている保育園の看護師から、なぜ保育園は学級閉鎖できないのか、と厚労省に手紙を書きました、というメールをもらいました。
こんなことしても厚労省は取り合わないだろうし、効果はないと知りながらも、その看護師は書く。園長や設置者に咎められても、制止を振り切って、書く。保育士の数は、ウイルス感染で国基準を割り、保育士不足で緊急の補充は不可能です。

保育園は働く親のためにあるから学級閉鎖できない、という論理は、親が親らしかった、他の子どもたちにある程度配慮をしていた時代には通用していたかもしれませんが、少々熱があっても、薬を飲ませて黙って保育園に連れてくるような親が増え始めている現状ではとても成り立つ論理ではありません。保育園が感染症を広げる場所になっている、とその看護師さんは嘆くのです。自分の子どもが病気になったら、他の子どもたちや保育士のことを考えて、休ませる、そんな配慮、常識が消えかかっているのです。

(園に看護師がいることで、ますます常識が消えていく。看護師さんには見えます。保育という「便利な仕組み」が「権利」となって、思いやりと絆を希薄にする。「保育は成長産業」という閣議決定が根っこにある、政府のつくろうとしている仕組みがすでに「子ども優先」ではないからです。)

自分の子どもの環境は「他の子どもたち」「他の親たち」という運命共同体的な意識が弱まっています。先進国に共通した問題ですが、人間同士の直接的な助け合いが不要になり、思いやりや忍耐力が育たなくなってくる。「豊かさ」ゆえの宿命でしょう。しかし、そうなってくると保育という「仕組みによる子育て」は成立しなくなる。
保育も、学校教育も、民主主義も、先進国がそれ無しには機能しなくなっている「最近つくられた巨大な仕組み」は、実は「親が親らしい」「幼児たちがその存在意義を果たせる」という大前提のもとにつくられていることに、この国だけは、欧米のように家庭崩壊が決定的になってしまう前に気づいてほしい。
ノロウィルスの感染の広がりは一つの象徴であって、本当は、0歳児を預けることに躊躇しない親たちの増加の方が社会にとって致命的かもしれない。その先にある義務教育に「子育て」を引き受けることはできません。子育てを社会(仕組み)の責任にしようとする親を、政府が経済施策として意図的に増やしている限り、小一プロブレムや学級崩壊は止められない。そのことに気づいてほしいのです。

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com または、ファックスで03-3331-7782までどうぞ。)

不思議な次元・映像と音楽

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「映像に音をつける作業はとても直感的なんだ。どういえばいいかな……。

台本や映像で語られる向こう側に、時間や空間の隠されたすき間を見つけなければ、瑞々しい音は聴こえてこない」

映像に音楽を重ねることは人間のする行為としてはかなり特別なものなのではないか、と気づいたことがあった。

作曲家たちとレコーディングをしていて、音楽が不意にシーンに馴染み、以前から存在していて、やっとその姿が見えたように重なるときがあった。

二次元の平面に、もう一つ要素が現れ、無限の組み合わせを暗示しながら……、風景が身震いし、意識を持つ。

明快に、あるいは意識的に曖昧に、旋律や和音は演技や映像では表現し難い、少し離れた別の次元で心の動きや気配を奏でてみせる。実際には存在しない「過去」と「未来」を意識の中でつなげる。場面が調い、落ち着き、いつの間にか次の場面に気配が移っていく。現実も、いつもこの不思議な次元と平行して流れているようなのだ。

人間が繰り返し墓をつくり、人形を作り、独り言のように子守唄を歌い続けてきた理由が、進化し、形をかえてその場に現れてくるようだった。

次のシーンへ続く気配……。

すでに過去へ去った前のシーンからの余韻。

そうしたものがピアニシモで奏でられ、画面と言葉は観る者の無意識により深く染み込んでいく。

時間と空間をつなげる無意識を物語の中に存在させるには、音楽がふさわしい。人間がそれに気づいた時が、ずっと以前にあったはず。

旋律の中で台詞の意味が変化していく。

足音が向かう先に、生があるのか死があるのか、そうしたことを旋律が描き分けるのだった。

昔、シャーマン(祈祷師)が必ず部族に居たように、作曲家は特別な権限を握ってそこにいる。

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撮影所のサウンドステージで、その日、映像に音楽が初めて寄り添った時、監督の顔に驚きと喜びが込み上げることがあった。信頼があれば、作品の中の現実や最後のかたちはより不確実になっていく。朝もやの中で一度失った色彩が、少しずつ、陽を浴び、その日だけに運命づけられた色合いを取り戻していくように、不確実であることは、作り出す者たちの胸を高鳴らせる。旋律が無限であることを思い出させてくれる。

計らいとしか思えない成り行きが作品をかたちづくる最前線に、私も幾度か立ち会ったことがあった。

そんな時は、時がたつのを忘れた。

自分が生れ育った日本を離れて、その国にいることが、すでに理解を越えていて神秘的だった。

Legend of the Fall (ジェームス・ホーナー作曲で尺八吹いています。)

幼児を可愛がる。生きる指針として大切にする

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「新しい経済政策パッケージ」をつくった政府や学者たちが、「保育現場が追い込まれる」ことの意味を知らない。もう遅すぎるくらいなのに、まだ理解しない。しようとしない。まだ「無償化」などと言っている。
この人たちは、「親たちが子育てに幸福感を抱かなくなること」の意味を知らない。

幼児を可愛がる。つまり、一番簡単に幸せになれる人たちを、生きる指針として大切にする、という大自然の作った一つの「かたち」が日常生活の土台にあれば、人間の作った福祉や教育という「かたち」も崩れない。でも、そこが欠けてくると「人間性」という生きる動機そのものが壊れてしまう。

(昨日の東京新聞朝刊です。)
「保育の現場 潜む虐待 突き飛ばす、怒鳴る、差別する。」東京新聞 11月16日 朝刊。http://www.tokyo-np.co.jp/…/…/201811/CK2018111602000147.html

これが政府による保育の規制緩和とサービス産業化の結果です。保育士不足と質の低下が止まらない。そして、園児たちがそれを見ている。強者が弱者を手荒く扱う風景を、毎日見ている。そこにこの国の未来があることに気づいてほしい。

「保育士7人が一斉退職」の新聞記事と、現場からのメール:「子育て安心プラン」の中で、子どもが不安に怯えている

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新聞記事と現場からのメール:「子育て安心プラン」の中で、子どもが不安に怯えている

(こんな新聞記事がありました。)

世田谷区:企業主導型保育所2園、全保育士7人が一斉退職(毎日新聞)

東京都世田谷区にある保育所2園で7人の保育士全員が10月末に一斉に退職し、園児が転園を余儀なくされたり保護者が出勤できなくなったりしている。1園は休園し、もう1園は受け入れを続けるが、「保育の質」に不安を持つ声が出ている。

一斉退職したのは、企業主導型保育所「こどもの杜(もり)」の上北沢駅前保育園(園児10人)の保育士5人と、下高井戸駅前保育園(同18人)の保育士2人。上北沢園は今月から休園。下高井戸園は今月から新たに保育士を確保し、上北沢園の2児を含む計20人を受け入れている。上北沢園の残りの8児の保護者は近隣園に問い合わせたり、世田谷区に相談したりしているが、待機児童が多く、受け入れ先は決まっていないとみられる。

2園は絵本の読み聞かせができるというロボットを導入するなど特色ある保育をしていた。運営する会社の経営者の男性(47)によると、10月上旬に上北沢園の保育士全員から退職希望があり、保育士の派遣や他業者との提携を模索したが見通しが立たなかった。下高井戸園では31日、保育士から退職の意向を告げられたという。

「保育士には給与の未払いがあったようで、これが一斉退職の要因の一つになった」と証言する関係者もいるが、男性は「給与は払っており、遅れたこともない。子どもの情報の引き継ぎもなく、愛情はなかったのかと悲しくなる」と反論する。

この混乱でしわ寄せを受けているのが子どもたちだ。下高井戸園に通う子の母親は「安心できないので仕事を休んでいる」と憤る。いつもの保育士が見当たらないことで泣き出す子どももいたという。上北沢園から転園した子の父親は「待機児童が多い地域なので、簡単にほかの受け入れ先は見つからない。怒っても仕方がない」とため息をつく。

厚生労働省から企業主導型保育事業の運営を委託され、助成金支給を担う公益財団法人「児童育成協会」(渋谷区)は「保育士が一斉に辞めることは通常は考えられず、利用者のことを考えると非常識」と話し、利用者に新たな受け入れ施設を案内するなどの対応に追われている。

協会は下高井戸園の新しい保育士が有資格者かどうかを確認するため職員名簿の提出を求めているが、経営者は名簿の提供を拒み続けているという。園には栄養士はおらず、給食の献立をパソコンソフトで作成している。2日朝には経営者が自らスーパーで食材を購入していた。

予定していたケチャップ煮用の赤身魚が店頭になく、経営者は白身魚を購入し、「煮物にする」と話した。記者が「大丈夫か」と問うと、「『大丈夫ですか』って僕も言いたい」と困惑気味に答えた。【小野まなみ、矢澤秀範】

企業主導型保育所

主に企業が自社の従業員向けに設ける認可外の保育施設。待機児童対策として国が2016年度に創設した制度で、整備費や運営費は認可施設並みに助成される。今年3月末現在、全国に2597カ所あり、今年度末までにさらに増える見通しだ。一方で、認可施設に比べて保育士の配置などの基準が緩く、行政の目が届きにくいことから、保育の質の低下や安全管理への不安を懸念する声も根強い。

「補助金持ち逃げビジネス」の温床に

保育制度に詳しいジャーナリスト・猪熊弘子氏の話: 児童育成協会の対応にも問題があるが、国が丸投げしているのがおかしい。企業主導型は自治体が把握できず、補助金目当てで簡単に参入できるため、制度設計自体に問題がある。一番被害を受けるのは子どもと保護者だ。制度を見直し自治体が関与できる仕組みを作らなければ、企業主導型は「補助金持ち逃げビジネス」の温床になってしまう。

(関連記事)

<企業主導保育所 長男死亡の母、安全管理の改善訴え>

<企業保育所の7割、基準満たさず>

<企業保育所 定員半数空き 助成金厚く乱立>

<待機児童解消へ政府推進 企業主導保育所の効果は?>

<職場に保育所、広がる  女性採用の「切り札」 基準緩く「質」不安も>

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(この記事の向こう側に、もう一つの危ない現実があります。報道もされず、ただ忘れられていく乳幼児たちの日々があります。そこに日本の未来が深く関係していることに社会全体で気づいてほしい。「雇用労働施策」と称し「保育制度の規制緩和を進める」政治家や学者、専門家たちがもう考えもしない子どもたちの悲しみや苦しみ、怯え、心ある保育士たちが現場から去ってゆく、あってはならない風景が「全国で」日々繰り返されているのです。世田谷区の、別の園のベテラン職員からのメールです。)

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松居先生、お久し振りです。お元気ですか?

今週水曜日に保育課から電話があり、「近くの企業主導型保育園の経営困難により、今いる園児たちの受け入れ先を探しています。緊急一時枠でお願いできないか」なんて、今でさえ長時間保育の乳児で、基準は満たしているけれど安全に保育するギリギリラインなのに、区や都、国で責任取れ、現場に押し付けるな、待機児童政策は大失敗なんだと言えばいいのに、園長は何も言わず。ただ受け入れは難しいとお断りしました。

そこの園とは、よく散歩先の公園で出会い、見かけましたが、正職員と思われる保育士は卒業したてという感じの若い子ばかり。それに年齢のいったパート職員が子供達を怒鳴り散らしていて、若い子は何も言えず子供達に声かけもできず、ぼんやり砂場に座っているだけでした。

うちの園の子どもも、その怒鳴り声に怯え遊べなくなり、仕方がなくその場を離れました。いく先々でそこの園と鉢合わせると場所を変えるという、お散歩難民状態になりました。

そこの園は皆お揃いのポロシャツ(しかも白)とブカブカのビブスを着せられ、多分お洗濯もしなくていいとかが売りだったのでしょうか。

うちの園の子が泥水遊びをしているところに、その園の子たちが次々やってくるのを必死で抱え連れ戻すので、ご一緒にどうぞと声をかけると、ありがとうと言いながらも、子どもを遠ざけていました。

ある日、新顔のパートの先生(主婦っぽい)が、ありがとうございますと言い、一緒に泥遊びに参加しました。

暫く振りにまたその先生と子どもたちに会い、子どもたちも嬉しそうに私たちのところへやってくると、その先生は悲しそうに「今日は、あっちで遊ぼう」と声をかけていました。すると、若い正職員が、「この前、泥遊びをさせたからシャワーを浴びさせる目にあった、ホント参るよ」と言うのが聞こえ、泥遊びをさせてしまった先生は、もう子どもたちと声を交わすこともなく、ボンヤリ砂場に座っていました。

こんな現場のことなんて、行政は何もわかっていない。憤りを感じます。

今、うちの園では、モンスターペアレントととの戦いで、保育課とも戦っています。園長が何も言わないので、聞き取り調査に来た保育課の職員にうちの職員が、保育課は保護者の苦情に対応はするのに、保育士たちを理不尽な親から守ろうとはしない。保育士を守るのは一体誰なんですか、クレームがそちらに行く度に、書類提出を求められますが、その時間も無いし、だいたい保育中に何故聞き取り調査や電話対応をしなければならないのか、と反論していました。

また先生にお会いしたいです。取り敢えず、保育崩壊中の近況報告まで。

 

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「他園の子どもが、その怒鳴り声に怯え、遊べなくなる」ような環境で一週間も過ごせば、3歳未満児はただ萎縮していくばかり、自分でそれを親に訴えることもできません。そういう幼児たちの表情の変化を読み取れる親も少なくなっています。これが一ヶ月も続けば、2歳半までに一生に影響すると言われる脳の発達がどうなっていくか、怖いくらいです。

「泥遊びをさせてしまった先生は、もう子どもたちと声を交わすこともなく、ボンヤリ砂場に座っていました」。

ここに本当の意味での保育崩壊があるのです。ふつうの人から優しさや、思いやりの心が奪われてゆく。乳幼児たちの役割は「育てる側の心を一つにして、社会に信頼関係を生み、人間たちの親身な絆をつくること」。親も、行政も、保育士も、保育園経営者も、心が一つにならなくなるような仕組みを、いま政府が進めている。保育をサービス産業化することによって。しかもそれを「人づくり革命」と呼ぶ。まったく理解できない。

前述した記事の中に、助成金支給を担う公益財団法人「児童育成協会」(渋谷区)の保育士たちを非難する「保育士が一斉に辞めることは通常は考えられず、利用者のことを考えると非常識」という発言があります。この公益財団法人にとって「利用者」は親でしかない。本当の利用者が「子どもたち」であることをわかっていない。「通常考えられない、非常識な」状況をつくりだしているのが自分たちだということを理解していない。

一年も経たないうちに、保育士に逃げられた経営者が、「『大丈夫ですか』って僕も言いたい」と言いながら食材探しをする。乳幼児とって極めて危険な、素人の参入を促す仕組みを助成金を支給して増やしているのは、「子育て安心プラン」という経済政策パッケージなのです。

「子育て安心プラン」の中で、子どもが不安に怯えている。

「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』http://www.luci.jp/diary2/?p=2498

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幼児を可愛がる、という大自然の作った一つの「かたち」が土台にあれば、人間の作った福祉や教育という「かたち」は崩れない。でも、そこが欠けると「人間性」という生きる動機そのものが壊れてしまう。

共励保育園の長田先生のツイートから・説明すれば理解してもらえる。

(共励保育園の長田先生のツイートから)

「本年度の入園説明会が終了した。0歳児保育を希望する人が34名もいた。そこで、0歳から6歳までの発達の特徴と、012歳児における母子関係の大切さを説明した。

世の中0歳児から預けようとする風潮が広がっているけど、それは間違いですと伝え、なぜ育休を取らないのか?と訴えた。

説明会終了時、拍手が起きたのには驚いた。夫婦が寄ってきて「説明会を聞いて本当に良かった!」と感謝された。その目には、自分で育てようとする意思がはっきりと見て取れた。」

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長田先生頑張ってますね。

そうなんです。園長が「子どものために」一生懸命説明すれば、012歳を預けるということは特別な決意がいること。幼児期の発達は取り返しがつかないこと、その時期の環境の大切さ、特定の人との愛着関係が子どもの将来に影響を及ぼすことなど、ほとんどの親たちが理解してくれます。拍手さえ来るという現実が嬉しい。まだ、そういう親たちがたくさんいることが、この国の素晴らしさだと思います。

幼児を育てている人たち、幼児と一緒に暮らしている親たちは、人間を(自分自身を)理解しようという感性が、日々育とうとしている時です。「幼児と一緒に、自分を体験してください」、と説明すれば、わかります。

そういうことを国が理解しようとしないから、規制緩和やサービス産業化の中、様々な問題が起こっています。11時間保育を「標準」と名付けた国の「子ども・子育て会議」の学者や専門家たちは、現場で何が起こっているのかわかっていない。「親を育てる」という、子どもたちの役割さえ理解していない。

子どもたちが追い込まれています。

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保育士も学校の教師たちも、これ以上「子育て」を引き受けることはできない。一番心配なのは、こうした保育士や教師が疲弊する中で、感性のある「いい人」たちが、この状況にあきれて、見ていられなくて、心が傷ついて、保育現場、教育現場から離れていくことです。それがこの国にとってどれほどの損失か、社会全体で早く気づいてほしい。待ったなしの状況にきています。

保育資格を持っているから保育ができるのではない。教員免許を持っているから教師が務まるわけでもない。子どもたちにとって、スタイルは違っても、「いい人」たちが環境でなければ「義務」教育は成り立たない。そして、その「いい人」たちを育てるのは子どもたち、乳幼児たちなのです。

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(最近の子育てに関わる報道を読めば、この国に何が起こっているかがわかります。)

大阪府・八尾市の認定こども園で起きた男性職員による女児わいせつ事件。

「元職員による女児わいせつ事件で“休園”の危機…園児160人が転園?https://www.fnn.jp/posts/00379350HDK

7月に保護者説明会があり、被告の母親でもある副園長が驚きの発言をした。

【第1回保護者説明会にて】

・保護者から「わが子がそういう行為をされていたらどう思いますか?」という問いに対して、副園長は「もうびっくりですね」と他人事のようにも思える発言

・さらに副園長は「もしも自分の子供が変なことされたら、もう(子供を)保育園を辞めさせます」と発言。これに対して保護者からは「私たち保護者というのは働いていますので、簡単に辞めさせますと言うのは納得できない」との意見が。

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「不登校」過去最多:低学年でいじめ急増・・・学校でいま何が起きているのか:https://www.fnn.jp/posts/00379520HDK

*いじめは特に小学1~4年生で増加。暴力行為も低学年の増加が顕著

*不登校も過去最多。長期欠席の児童生徒が多い

*認知件数の増加について文科省は「解消に向けたスタートライン」 と肯定的

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「24時間型の保育所増やす」小池都知事が方針 (読売オンライン:https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180802-OYT1T50040.html)

「就任から2年となる東京都の小池百合子知事は1日、読売新聞の取材に対し、女性の社会進出を支援するため、24時間型の認可・認証保育所を増やす方針を明らかにした。来年度予算案に夜間・未明に勤務する保育士の人件費補助などの支援策を盛り込む方向で検討する。」