義務教育の危機

私が渡米し、教育と家庭崩壊の問題に関心を持って調べ始めた1980年代、すでにロサンゼルスでは、700の学級に担任の先生が居ませんでした。慢性的な教師不足が社会全体を覆っていた。高卒の二割が満足に読み書きができない。教師の半数が7年以内に教職を去る、マイアミで高校の英語(国語)の先生に、高校を卒業するための試験をしたところ、三分の一が落ちた、など、驚くべき、というより不思議な報道がされていました。

シカゴでは公立学校の先生の半数が共働きをして、子どもを私立学校に行かせていた。公立学校を一番よく知っている教師たちの多くが公教育を見限っていた。アメリカの私立学校の授業料の高さを考えると、これは大変な不信でした。同時に、100万人の子どもが路上で暮らしている、という家庭崩壊の現実がありました。

そして、こんな報道がありました。

いい生活を求めて、夫婦が共働きをする。子育ての社会化による家庭崩壊が増え、教師の負担に連鎖し、教師不足に拍車がかかる。公教育の質が落ちれば、心ある親たちは、子どもを私学に通わせるために共働きをせざるを得なくなる。結果として、よほど裕福にならない限り、自分で子育てをする選択肢がなくなっていったのです。

教育費の高騰によって、共働きをしても、結局生活はよくはならなかった。公教育の荒廃と家庭崩壊は、犯罪率の増加と共に、負債となって社会に残っていったのです。ホームスクールという選択をする親が100倍に達する出発点が、この頃だったのです。より良い生活を目指しても、「子育て」を他人に任せれば、その代償は、様々な形で社会全体に必ず返ってくる。そう確信して、私は、本を書き、アメリカにおける音楽活動と並行して日本で講演を始めました。

「その通り。子育てを他人に任せると親の意識が変わってしまう」と、一緒に声を上げてくれたのが保育園の女性園長たちでした。女性解放を意図し、保育にその糸口を見つけようとした園長先生たちが、とんでもないことをしてしまったのではないか、と思い始めた頃でした。

そしていま、教師の応募倍率が一気に下がり、アメリカが四十年前に直面した義務教育の危機、その入り口のところに、いよいよ日本も差し掛かっているのです。

 松居和チャンネル第12回、「義務教育の危機」をアップしました。https://youtu.be/6Wf1iuO4kZs 

 副題は、~「専門性」では「人間性」を補えない~ としました。ぜひ、ご覧になってください。

義務教育は、「親が、親らしい」という前提のもとに作られています。福祉もそう。それを忘れると、子育てを代行する仕組みは、諸刃の剣になる。「親らしい」には、様々な定義があると思いますが、私は、「子どもを可愛がる」「子どもの将来に責任を感じる」くらいを考えています。

日本は、まだ欧米のような家庭崩壊には直面していませんが、政府主導の母子分離という「愚策」、経済競争に誘導する「罠」によって、子育てにおける「責任の所在」が曖昧になってきている。それに伴う「責任の押し付け合い」が、「仕組みの崩壊現象」を招いている。急速に、思ったよりはるかに急速に、学校を機能不全に追い込んでいる。いま、子育てに関する「意識」を正常に取り戻さないと、欧米の二の舞になる。

最近報道されている「新人教諭の退職」、「学童保育クライシス」、「通級利用が限界を超えている」等々、どれをとっても、それが様々に関連しあって、親子と教師を追い詰める致命傷になりかねない。その下地に、政府の乳幼児期の「母子分離政策」と「親たちの意識の変化」がある。

「専門性」は、人間性という下地なくして、存在してはならない。

しかし、応募倍率がこれほど下がると、最低限の「人間性」さえ確保し難くなっている。それが養成校の現実です。「専門家」に任せておけばいい、と思う親たちがこれ以上増えたら、現場はそれを受けきれない。年月はかかっても、親たちの責任意識を回復するという対処法は残されていると思います。

「ママがいい!」にも書きましたが、小学生から高校生までの保育体験、親たちの一日保育体験の徹底など、幼児たちの本来の役割を復活させること、そして、0、1、2歳はなるべく親が育てるような道筋を国が用意することで、まだ何とかなる。そういう体制ができている、または始めている自治体もある。幼稚園も、保育園も、012歳児は親と一緒に過ごせる「子育て支援センター」の形にしていき、補助を出す。(これは、やろうと思えばすでに補助は出ます。)親たちには直接給付をする。(これも、始めているところがあります。その方が、支出は少ない上に、人材不足が軽減されます。)

国が、012歳児を持つ母親の八割を働かせようという「子育て安心プラン」をさっさと放棄すれば、方法はある。学者たちが、この愚策にしがみついているから、義務教育がいよいよ崖っぷちに来ているのです。

「ママがいい!」、松居和チャンネルと合わせて読んでいただけるとありがたいです。拡散、よろしくお願いします。そろそろ、後戻りができなくなります。

桜が満開の幼稚園に講演に行きました。

毎年、この時期に父親たちに講演するようになって、もう20年。感想文の中に、3回目ですが、子どもが何歳かによって、聴こえ方が違います、と書いてあります。3歳、4歳、5歳は、毎年その役割や「働き」が違うのです。父親の遺伝子の、どの部分をオンにするのかが、違うのでしょう。

こういう園に入った父親たちは、人生が変わります。

 

 

預言者かもしれない。😀

Facebookで、いまだに海外の音楽ファンと繋がっているのは、とても嬉しいこと。

15枚のアルバムの音が、インターネット上でまだ伝わっているのがわかる。

先日、1枚目のアルバム「Time No Longer」の今まで見たことがない海賊版?の写真が送られてきてびっくりしました。海賊版は、私のようなアーティストには、ちょっと笑顔になってしまう、不思議な啓示。まだ、生きてるぞ、捕えられても、ちゃんと鳴っているぞ、と子どもたちから便りが来るようなもの。

以前、インドネシアの道ばたで、Greatest Hits of The Kazu Matsui Project というタイトルのカセットテープを見つけて、思わず買ってしまった。何しろ、Hitsがないはずの私の、Greatest Hitsですから。引っ越しを重ねるうちに無くしてしまったら、最近、facebookに、誰かから写真が送られてきて感動しました。あの路上から、時空を超えて、伝言のように。

 

「Time No Longer」は、アルバムカバーが大切なコンセプトアルバムで、一応、ここに本来のアルバムカバーを載せます。

 

「Time No Longer」、児童文学に詳しい人は気づくかもしれません。聖書の黙示録からの言葉。時の翁が、「もう時間がない」と叫ぶのですが、ピアスの名作「トムは真夜中の庭で」のテーマでもあります。驚くのは、44年前、ファーストアルバムで私が警告していることが、今、ブログや講演で言っていること、「もう時間がない、子どもたちが彷徨っている」と、重なること。

私は、預言者かもしれない。😀

人格者ではないけれど、この役目は頑張らなくては、と思うのです。預言した通りになってしまっては困るのです。

 

 

「夢」は、次世代の幸せを願うこと

火曜日で、松居和チャンネル、今週のテーマは、

第11回

発達障害は絆を育む「凸凹」 

~「夢」は、次世代の幸せを願うこと~

https://youtu.be/zOozeDlDoBE

です。アップしました。

男女は、相対的発達障害と言ってもいい。お互いに不完全であるから、人類が続いていくための、鍵になる絆を作ります。

社会という「パズル」を作るために、ずっとあった、大切な凸凹が、「子育て」を仕組みに頼ることによって「摩擦」の原因になりつつある。その摩擦が、子育てを「肩代わり」しようとした「仕組み」を追い込んでいる。

乳児を育てる体験は、「男らしさ」「女らしさ」が、子どもを見つめながら「親らしさ」に変化していくためにある。より強く、優しい「絆」を作ろうとすること。

そこで生まれる献身の心と思いやり、信頼の絆が、社会全体の安心につながっていく。もちろん、いろんな人がいて、いろんな状況があるのです。そのこと自体が、パズルの凸凹でもある。

次世代に夢を託す。自分の夢を叶えるのではなく、託す。これで人間社会は持続してきた。

それをしていれば、「学校」という仕組みも、真意が表れ、浄化され、成り立つ。

多くの人間が、「親らしく」なることで、社会は鎮まります。その流れを、母子分離を政府が促すことで手放したらどうなるか。その結果が出始めているのだから、この国は、踏みとどまってほしい。

義務教育が「義務」である限り、その九年間を「なるべく多くの子どもたちが、楽しく過ごせるように」、その願いが指針になってなければいけない。経済や競争力が第一の目的になってはいけない。それを目指せば、信頼関係が崩れていく。

子どもたちに取って必要な環境は、「信じることができる、人間関係」です。子どもたちがその九年間を、(もちろん勉強という「苦しみ」も含めて)、そこそこ楽しく、平穏に過ごすことが出来れば、それが、将来のこの国の「経済や競争力」にもつながっていくのです。

新任教諭の退職、公立校で相次ぐ

松居和チャンネル第9回「ちくちく言葉の破壊力」~それに立ち向かう「詩の力」~を、職員研修や勉強会に使います、というメッセージをいただきます。同時に、切羽詰まった訴えが届きます。主任が不適切保育に関して、「保育参観の時だけは、気をつけるように。普段はしょうがいないから」と言った、とか、「朝5分、帰りの時に5分は、気をつけて、笑顔でいてください」とか。

親に訴えられない、0歳、1歳、2歳児に対するいじめ、そこだけは、将来この国の義務教育の存続に関わる問題なのだ、と社会全体が認識してほしい。だからこそ、なるべく親に返していく。

親に返していく方が危ない、という理屈を言う人がいても、「仕組み」でやるのは不可能だ、という結論は出ているのです。成り手がいない。

保育士による「ちくちく」は、親に可愛がられている子どもには、余計に辛い、驚きの体験となる。それが密かに繰り返されることによって、いつか花開くはずの、大切な「華」が永遠に摘み取られ、いつ爆発するかわからない時限爆弾が、脳の中に埋め込まれる。そういう可能性がある。

親たちが知らない間に……、親によって。

「親たちが知らない間に……」ということが、実は、人間社会において、あってはならないこと。それが、保育という仕組みの最大の欠陥でもある。

その最前線で、必死に子どもたちを守る最後の砦が、保育士たちの「勇気と覚悟」。前回、そのことについて書きましたが、こんな情けない状況を作り、仕組みをここまで破綻させた学者たちの無知と怠慢には憤りさえ覚えます。彼らは、もう20年も前から、実習生の報告を通して、状況を知っていたはず。この問題を取り上げれば、「実習園を失う」というビジネスの論理で、親子の将来を犠牲にして、未満児保育を容認してきた。

同じような状況が、すでに小学校でも起きています。人間性に欠けた、残酷なことをする「担任」が増えている。悪い教師を解雇できない状況が、いい教師たちの心を追い詰め、「良心捨てるか、教師辞めるか」という決断を迫られる。突然の、教師たちの休職が、仕組み全体をさらに追い込む。そのスピードが早すぎて、文科省も成す術がない。20年前、保育学者たちに欠けていた「勇気と覚悟」、無知と怠慢が、しっぺ返しとなって現れている。

三歳までの脳の発達とニューロンネットワークの「選択」を考えると、その時刺さった針は、一生そこに残る可能性を秘め、人間らしく、調和して生きることを難しくする。

今、政府の無謀とも言える規制緩和によって、良くない保育士に当たるリスクはますます高まっている。

八時間の正規雇用の保育士が、「他人の子どもに対する扱いをわきまえた」人だったとしても、前後のパートや派遣、無資格の代替えが、数分でも、いじめと思える扱いをすれば、その子の一日は台無しになる。一生が台無しになるかもしれない。

政府の安易な数値目標、量的拡大によって、「保育」は、誰もコントロールできない「仕組み」にされてしまった。個々の「いい保育園」はあったとしても、絶望的な「保育士不足」と、政府の方針に沿って「保育のサービス産業化」を教える養成校が繋がっている仕組みでは、よほどの「勇気と覚悟」がないと市場原理に抗えなくなっている。

義務教育が存在する限り、就学前の日々の体験の「二極化」は、六歳で合流する。そこで、将来、国の在り方を左右する「負の反応」が起きる。それを止められていないどころか、ますます広がっていることが、母子分離中心の保育施策の失敗のすべて、と言っていい。

一体、いつまで、政府は、これを続けるのか。いつまで、学者や専門家は容認するのか。

ちくちく言葉が発せられる光景を、当事者でなくても、他の子どもたちも観ているのです。子どもたちにとって、保育室は毎日を数年過ごす「社会」そのもの。その時期「幼児にとっての社会」を整えることは、「将来のこの国の姿」を整えることなのに、いまだに、こども家庭庁の「こども未来戦略」は、「両立」という言葉を使って、母子分離を促している。

幼児期に、人間社会を信じることができなくなったら、子どもたちは、やがて、あらゆる場面で、そこに居る相手を「試そう」とする。その摩擦が、不登校やいじめという形で現れると、その連鎖に福祉や教育は対応できない。「女性の活躍支援」という政府の偽善的な掛け声によって「子育ての現場」が追い詰められ、後戻りの出来ない状況を生んでいる。

「新任教諭の退職、公立校で相次ぐ。精神的な不調、東京では理由の4割」

https://www.asahi.com/articles/ASR6N4TFKR5YUTIL00R.html

学童落ちた!仕事どうする? 追跡“学童保育クライシス”

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4794/

発達障害の子“通級利用に数か月かかる場合も”都内の4割以上 自治体アンケートからみえた“学びの壁”

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240126b.html

政府の進めてきた「規制緩和」や「子育て安心プラン」によって、社会にとって致命的な様々な出来事が、コントロールできなくなっています。「新人教諭の退職」、「学童保育クライシス」、「通級利用が限界を超えている」、どれをとっても、これから様々に関連しあって、相乗効果的に親子を追い詰めていく現象なのです。

「保育士不足のおり、辞められるのが怖くて、注意できませんでした」という園長の言葉が、誰によって創造されたか、よく考えて欲しい。「ママがいい!」という言葉が、どういう順番で耳に入らなくなっていったのか、政治家やマスコミ、学者たちが、乳幼児期の母子分離に、なぜ、これほどまでにこだわったのか、よく考えてほしい。

(「ママがいい!」、ぜひ読んでみてください。周りに薦めてください。保育界にとっては「痛みを伴う改革」かもしれない。でも、将来の保育士たちの「幸せな人生」のために、もうラストチャンスかもしれない。学校教育の崩壊が目の前に迫っているのです。マスコミも真剣にならざるを得ないと思います。

松居和チャンネル、第10回まできています。ぜひ、参考にして下さい。保育士たちの研修に使っていただけると嬉しいです。大学で習った「保育はサービス」という概念を払拭しないと、本当の保育は返ってこない。よろしくお願いいたします。講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまで、どうぞ。)

 

 

欧米コンプレックスが主導する「母子分離」

第10回 松居和チャンネル

欧米コンプレックスが主導する「母子分離」

https://youtu.be/WpMIkAx84X4

をアップしました。

80年代に始まった「罠」、「欧米では」という言葉に代表される、雇用施策の「意図的誘導」について話しました。その頃、欧米で実際に何が起こっていたのか。米国で、刑務所に入っている女性が、なぜ、いま、10倍近くになっているのか。

当時、アメリカのニュース番組が、日本の団地で「川の字」になって寝ている一家の映像を流しながら、「日本の成功の秘訣はここにあるんじゃないか」と報道していた。地震が起きても、略奪が起きない風景を、「美しい」と、驚きを持って報道していた。

それなのに、日本では、欧米コンプレックスの固まりのような、専門家やマスコミが、「日本は遅れている」と、欧米化を盛んに宣伝し 、「親離れ、子離れ」などという言葉が、学者によって使われ始めたのも、この頃です。「社会」の定義をちゃんと議論しないまま、「女性の社会進出」という言い方が定着し、いいこと、正しいことのように言われれた。その影響が、現在も、母子分離政策という形で続いています。

「川の字」がいい、と分析したアメリカ人、「親離れ、子離れ」と言い、親子関係にまで欧米式の「正論」を持ち込もうとした日本の学者やマスコミ。人類にとって、分岐点となった時代を振り返ります。ぜひ、ご覧ください。

(松居和チャンネルは、毎週火曜日に更新されていきます。チャンネル登録をしていただければ幸いです。)

勇気と覚悟

(松居和チャンネル)

ちくちく言葉の破壊力.   ~それに立ち向かう「詩の力」~

https://youtu.be/rJ8jEo6JdWA

保育士の研修に使います、学童保育の指導員たちに見せます。メッセージが次々に来ます。小学校の先生にも、ぜひ、見ていただきたい。一部の担任による「ちくちく」が最近ひど過ぎるのです。義務教育だから逃げられない。とりあえず、不登校の道を選ぶしかない。

「ちくちく言葉の破壊力」と検索すると、すぐに出てきます。

0、1、2歳という「心の肌がまだ繊細で、逃げ場のない弱者たち」が、集団的、日常的に「いじめ」の対象になる。こんなことは、「人類未体験」のこと。11時間の母子分離を政府が「標準」と名付けることも、親子双方向に、異常な「体験」となって、この国の根幹を蝕んでいく。その体験を政府の都合、学者の思いつきで、「標準」にするための「仕組み」に負荷がかかり過ぎている。もう、保育士を人間性で選べない、倍率の出ない環境の中で、いい保育士たちが、「ちくちく言葉」に、いたたまれなくなって去っていく。

こんな投稿が「X」にありました。保育士から。

1番必要な事は
『勇気と覚悟』だと思います。
同僚に嫌われる勇気と覚悟
法人に嫌われる勇気と覚悟
時間や金銭的コストをかける勇気と覚悟
起訴されても戦う勇気と覚悟
何がなんでも子どもを守りたいと思う勇気と覚悟
勇気と覚悟を持てば
自ずと答えは見えてくると思います。

(ここから私です)
「勇気と覚悟」。それが必要な墓所に、それがなければ子どもを守れない場所に、親によって連れて行かれる。
「ママがいい!」と言っても、置いていかれる。
そのことが、子どもたちをどれほど傷つけるか、それを許すことが、社会にとってどれほど致命的か。はっきりとは誰にもわからない。だからこそ目を背けずに、いま、現実をしっかり見つめてほしい。

小学校での担任による「ちくちく」は義務教育だから逃げ場がない。仕組み全体の人間性が、不登校という形で問われています。

現場から、「ちくちく」を無くすために、拡散、よろしくお願いいたします。

「愛しつづけていること」大切な詩となりました。

第9回 松居和チャンネル:ちくちく言葉の破壊力 ~それに立ち向かう「詩の力」~

https://youtu.be/rJ8jEo6JdWA

にこんなメールをいただきました。

小野省子さんの詩

「愛しつづけていること」大切な詩となりました。

ちくちく言葉は細かい針のような物❗️

判断の出来ない子どもの心に確実に残って❗️傷となるのだと思うと、言霊の波動は、直接言われていなくても、その場にいた子供や保育士さんの心に伝わって傷ついているのだと想像します。

言葉を発している保育士さん自身も気づいていないでしょうが、自分が傷つけているのだと思います。

本当は言いたくないのに、発してしまっている❗️    ちくちく言葉の針が潜在意識に記憶として残って、負の連鎖が繰り返されているのではないでしょうか?

小野省子さんの詩を読みながら、100歳で天寿を全うした祖母の介護中の場面が走馬灯のように蘇ってきました。ひと時、涙が溢れました。

時々宇宙人?としか見えなかった祖母と、大声で笑いあった事もありますが、お互いに叩き合いになった後も、相変わらず、私を「母ちゃ~ん、母ちゃ~ん」と呼ぶのです。

時には「抱っこしてやる、こっちに来い」と背中を撫ぜてもらったこともありました。

後に、孫の中で1番幸せ者かもしれない。と感じさせて貰えたこと。人生の1ページ、かけがえのない祖母との日々に感謝しました。

小野さんの詩を読み返しながら、祖母に愛された私だったのだと救われた心境になりました。

子育ての経験がない私ですが、出会った人を愛し続ける努力をしていきたいと思わせて頂きました。

ちくちく言葉の破壊力 ~それに立ち向かう「詩の力」~#2

「ちくちくことば」の続き、一歳児を担当している、保育士からの告発です

●お昼。

お代わりした子の口いっぱいにおかずが入ってた。いっぱいすぎて声もでない。自分で入れたのか入れられたのか?担任4人のうち2人に罵られていた。

「お茶でながしこんじゃえ!」と。

「自分でお代わりしたいっていったんだから、ちゃんとごっくんしてね!」

「まだ、食べてないの!」

「まただ。」などなど。

口をこじ開けられた隙間からお茶を入れられる。もう、おかずが隙間無くぎっしりで、喉をつまらせてしまうのではないかと心配するほど。

担任が別の事に気をとられた隙に、口から出させて、ごちそうさまさせる。

それに気づいた担任が「そうやってもらうの待ってたんでしょ」という。。。

(この日はBちゃん。よくあるのは、BちゃんCちゃんDちゃん。他にもたまにそうなる子もいる。)

(ここから私です。)

保育士による「ちくちくことば」の問題、これは「些細なこと」ではないのです。

(0、1、2歳保育を、もしやるなら)その全てと言ってもいい。

三歳までの脳の発達に影響を及ぼす、後天的な条件と、先天的な条件がその場で交差する、あってはならない一瞬の出来事が、仕組みによって日常化していく。

こうした意地悪な言葉が保育室で生まれる「原因」は、人間性の崩壊という面では、かなり決定的で、この環境が将来につながる「因縁」は深く、果てしない。

手が足りないから、では済まされない。

保育士だってイライラする、では許されない。

すぐに何らかの方法で正されなければいけない。それをしないと社会という仕組みから「人間性」が欠けていく。

012歳児を持つ母親の八割を働かせる、という受け皿確保のための規制緩和によって、こうした瞬間が広がり、学童保育、放課後デイ、児童養護施設と、あらゆる現場で増えているのに、国は、保育分野は「良質で低コストのサービス(中略)を国民に効率的に提供できる大きな余地が残された分野」(日本再興戦略)などと、学者や起業家の絵空事を鵜呑みにし、母子分離政策を止めようとしない。親心を、人材では補えない。

この種の光景は、実は、繰り返し見ていた保育士が、ある日突然起き上がれなくなるほどの破壊力を持っているのです。

第9回 松居和チャンネル

ちくちく言葉の破壊力

~それに立ち向かう「詩の力」~

https://youtu.be/rJ8jEo6JdWA

保育士の研修に使います、という報告や、学童保育の指導員たちに見せます、というメッセージが次々に来ています。小学校の先生にも、ぜひ、見ていただきたい。「ちくちく言葉の破壊力」と検索すると、すぐに出てきます。

拡散、よろしくお願いいたします。

チャンネル第九回を、研修会にぜひ。(アベプラのリンクも載せました。)

ちくちく言葉の破壊力 それに立ち向かう「詩の力」 https://youtu.be/rJ8jEo6JdWA 第9回 松居和チャンネルをアップすると、その日すぐ、ある保育園から連絡が入ったのです。「見ました。職員の研修に使います。いいバランスです。ありがとうございました」と。

ぜひ、ぜひ、お願いします。作って良かった。やっぱり、小野省子さんの「詩」が素晴らしいんです。

保育園だけでなく、幼稚園、児童館、学童、児童養護施設、など、様々な場所で使ってくだされば嬉しいです。

もう1つ、リンクを加えます。

アベプラ、22万回再生の、私が出演した番組へのリンクです。タイトルが、「三歳児神話、大切にしなきゃ」に変わっていたのが嬉しかったです。応援メッセージにも励まされます。

「三歳児神話、大切にしなきゃ」

アベプラ:松居和出演

松居和チャンネル 第9回をアップしました。タイトルは:ちくちく言葉の破壊力 それに立ち向かう「詩の力」

第9回 松居和チャンネル
ちくちく言葉の破壊力 それに立ち向かう「詩の力」 https://youtu.be/rJ8jEo6JdWA
をアップしました。
政府や学者が考える保育施策には、母親の「詩こころ」が足りないのです。もう一度、保育現場に優しさを取り戻すために、子育ての原点に帰るために、ぜひ、ご覧になってください。
生まれて最初の三年間に、子どもたちが「人を信じることができるようになるか」、安心できる世界に生まれてきた、と思えるかどうかに、福祉や教育だけではない、国の未来がかかっている。